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第8話 真夜中の密会

「……何だって?」


 まさか聞き間違えか。

 スノウは思わず身を乗り出し、目の前で微笑む男に聞き返した。


「君には、娘を連れて国外に逃げて欲しいんだよ。なあに、心配しなくても、必要な準備はすべてこちらでする」


 やはり笑みを浮かべたままユリスは答える。

 どうやら聞き間違えではないらしい。


「あんた、自分が何を言ってるのか分かってるのか?」

「もちろんタダでとは言わないさ。君の望む額の報酬を用意しよう」

「そんなことを言ってるんじゃない! 俺たちがどういう人間なのか分かって言っているのかと聞いているんだッ!」


 スノウは勢い良く立ち上がると声を荒げた。


「ちゃんと分かっているよ。さっきも言ったじゃないか。君たちのことは調べたって──」

「だったらあんたは大馬鹿者だな! 殺し屋に自分の娘を託す親がどこにいるんだッ!?」

「どこにって……ここにいるんだけど」


 ソファーにゆったりと腰をうずめたまま、ユリスは平然とした表情で肩を竦める。それを見たスノウは口を開けたまま呆気にとられてしまった。


 何なんだこの男は。何でこんなに脳天気なんだ?


 急に力が抜けてしまい、再びソファーにドサッと腰を下ろすと、スノウは膝の上に頬杖を付いて上半身を支えながら長い息を漏らした。


「君がゴルダという組織の殺し屋だと言うことは知っているよ。知った上で、それでも私は君が信用に足る人間だと判断したんだ」


 まったく、親子そろって人を無条件に信用して……。

 一体こんな殺し屋の、何をそこまで信じていると言うんだ。


「そこで君に頼みたいんだ。ツルギが安心して暮らせる地は、もはやこの国には無い」

「……どういうことだ?」


 ユリスの言葉に、スノウはうなだれた頭を少しだけ持ち上げる。


「これはあくまでも私の推測だよ。だが今回の件で私の中では確信に変わった……。ツルギは何者かに狙われている。そしてその手引きをしたのは身内。つまり共和国軍だよ」

「──ッ!?」

「いや、もっと言うと、司令長官のジール総督だ」

「総督ッ!?」

「共和国軍司令長官、ジール・マクシミリアン総督。私の元上官であり良き理解者でもあった。だが彼は、始めからツルギを何者かに売り渡すつもりだったのではないかと私は推測している……」


 売り渡す?

 一体何の為に。


(もしかして、総督は知っているのか? 帝国の、魔女の存在を──)



「──ちょっと待ってくれ、始めからって、いつからの事を言ってるんだ……?」


 そう疑問を口にすると、ユリスは少し驚いたように目をみはったが、しかしすぐに悲しげな、弱々しい笑顔になった。


「……君は、知っているんだね。ツルギが、クローンであることを……」


 琥珀の瞳が、潤んだように揺れる。


「──ああ。あの研究所にも行った。司令官と一緒に……」


 そう答えると、ユリスは俯き、目を細めて一層悲しげに笑う。


「やはり。あの子もそれが目的でガンデルク行きを決めたのだろうと思っていたよ……。確かに、ツルギはあの研究所で生まれた──」


 ユリスはそう言って顔を上げると、こちらを真っ直ぐに見つめて問うた。


「あの子も知っているんだろう? 自分がユリヤのクローンだと言うことを……」


 司令官と同じ色彩の眼差しに、何と答えようか一瞬迷ったスノウだったが、自分の性格上思ったことをありのまま伝えることしかできないと、なかば諦めて口を開いた。


「司令官は前から知っていたようだった。軍人になったのも、一人で調べる為だと言っていた──」

「そうか……」


 ユリスが悲しげに俯く。


「……だが、別に悲観しているようには見えなかった。あの研究所に行ったのも、ただ真実を知りたかっただけなんだと思う。結局何も無かったが。例え何かがあったとしても、司令官は悲しんだりはしなかったはずだ」


 スノウがそう言ったのが、ユリスは意外だったのか、驚いたような顔をした。そうかと思えば、ふっと吹き出すように微笑んで、ソファーに背中を預けて言った。


「君はやはり、人が良いんだね」


 何でそうなるんだ。

 スノウは不快感もあらわに眉間に縦じわを刻む。


「言っておくけど、ふざけている訳ではないからね。これは誉め言葉だよ。君は、私が思ったとおりの良い男だ……」


 ふわりと柔らかに微笑みながらユリスは言った。

 本気なのか、からかっているのか今ひとつ分からず、スノウは眉間のしわを一層深くした。

 大体、男にそんなことを言われても、少しも嬉しくはない。

 しかし、女性と見まごうばかりのこの顔で言われたら、騙されてしまう男はいるのかも知れない。そういう事も良く分かった上で、ユリスはこの笑みを武器として使うのだろう。


「質問に答えていないぞ」


 スノウが明らかな仏頂面でそう言うと、ユリスは面白そうに笑いながらソファーの肘掛け部分に寄り掛かる。しかしすぐに表情を一転させ、神妙な顔でゆっくりと語りだした。



「……ユリヤのクローンを造らないかと、私に話を持ちかけたのはジール総督だよ。当時、私は軍も辞めて田舎に引きこもっていた。何もやる気が起きなくて、人に会うのも嫌で、毎日ぼうっとして過ごしていたんだ……」

「それは、ユリヤが死んだからなのか?」

「……そうだね。あまりにも突然……いや、きっと突然ではなかった。ユリヤは何度も私に助けを求めていたんだと思う。だけど私は、自分の事で精一杯で……、それに気付いてやれなかった……。死んでしまってから気付いても、もう遅いのだけどね……」


 その後悔が、この男の心に今も残る大きな傷となっているのだろう。

 気付いてやれなかった。助けてあげられなかった。

 何かできたかも知れないのに……。

 大抵、そういうことには後になってから気付く。


「丁度、ガンデルク防衛戦での功績で陸軍部長官に抜擢されたばかりだった。だがとても仕事をする気になれなくて……、ジール総督に無理を言って辞めさせてもらったんだ……」


 あっさりと長官職を退いたのにはそういう理由があったのか。しかし──


「……随分と無責任だな」


 スノウが冷たくそう言うと、ユリスは自嘲気味に笑った。


「そのとおり。私は無責任な男さ。でも、仕方ないじゃないか。たった一人の家族を失って、私の中の、私自身を支えるものが何も無くなってしまって……。何の為に今まで戦っていたのか、これからどうやって生きていけばいいのか、突然分からなくなってしまったんだ……。ハハッ、英雄とまで呼ばれた男の、情けない末路だよ……」


 そう力なく笑うユリス。


「それからしばらくして、ジール総督が私の家を訪ねてきたんだ。君には心の支えが必要だって……。ジール総督は私を評議会議員にさせたかったからね。それが軍を辞めた時の約束だった。だがそれも果たせていなかったし、正直、心の拠り所も確かに欲しかった。法に反すると分かっていながら、ジール総督の甘い言葉に負けて、ユリヤのただひとつ残っていた遺骨を渡してしまったんだ……」


 それから顔を隠すように俯いて、絞り出すような声でユリスは言った。


「過ちに気付いたのは、研究所でいざあの子と対面した時だよ。あの子は、確かに表面上は良く似ていたが、内面はユリヤと似ても似つかない、まったく笑わない子供だった」


 ユリスの言葉を聞いて、スノウも自分の記憶の中の司令官を思い浮かべた。

 薄汚い路地裏で出会った、死にかけの少年。

 青白い顔をした、表情のない子供。


「あまりに感情の無い子だったから、後で研究員を問い詰めたんだ。中々口を割らなかったけどね。そうしたら、研究対象としてあの子に随分酷い事をしていたらしい。どうやらそれが、違法なクローンを製造するにあたって総督と研究所の交わした取り決めだったんだ。すぐにあの子を引き取ることができなかった理由も、研究所が出した条件のひとつさ──」


 スノウは思わず顔を歪めた。

 毎日のように様々な検査や実験をされていたと司令官は話していた。彼女はそれほどまでに研究に値する個体だったのだ。


「まさかツルギを研究対象にしていたなんて……。それを知った時は愕然としたよ。私の造ったものは()()()()って。こんな小さな子に無体を強いてまで、自分は何を造ろうとしていたんだって──。例え遺伝子上はまったく同じでも、あの子はユリヤではない。ツルギという一人の人間だ。それを私はまるで、新しい人形を手に入れるような感覚でいたんだ──! 君の言うとおり、私は大馬鹿者だよ。そんな事に気付いたところで、今更あの子の存在を無かった事になんて出来るわけがない。私は、あの子の顔を見る度に、愚かな自分を思い出す事になってしまった……」


 同情なんて気持ちは少しも湧かなかったが、大切な家族にもう一度戻って来て欲しいと思うユリスの気持ちには、スノウにも共感できるものがあった。


 擦りきれるくらい何度も何度も、強く願った。

 死んだ人間は戻らない。頭では分かっていたけれど、それでも迎えに来て欲しいと願った。

 強く願えば願うほど、ふと目覚めた時の変わらない街の風景に、その現実に、打ちのめされてしまうのだけれど……。



「……だがツルギという存在は、確かに私に新しい希望をくれたんだ。彼女自身も徐々に心を開いてくれるようになった。その点は総督に感謝していた。だから、以前から軍の力を政界に広げていきたいと考えていた彼の望み通り、私は政治家になった……」


 だが総督の狙いは、ユリスを再起させ政治家にさせる事ではなかった──?


「総督に疑念を抱いたのはいつなんだ?」

「ツルギにガンデルク基地司令官の話が来た時だよ……。君は疑問に思わなかったかい? 何故こんな年端もいかない娘が司令官になるんだって」


 それは確かに、以前スノウ自身も抱いた疑問だった。

 その時は、父親であるユリスの力が影響しているのではないかと予想したのだが、そうではないのか。


「帝国との戦闘が激しかった頃は、序列を無視した大抜擢というのもあったさ。私自身もそうだったからね。だが今は状況が違う。それまで自分の手元に置いて誰の目にも触れさせていなかったツルギを、総督は突然ガンデルクに赴任させたんだ。いくら上級将校としての教育は受けていると言っても、あの子自身は何の経験もない。それなのに総督は、いきなりあの子に基地司令官を任せ、その為に大佐にまで昇任させた」

「──つまり、ガンデルク基地司令官に任命することであんたの目の届く範囲から引き抜き、何者かに誘拐させる為に彼女をガンデルクに赴任させたって言うのか?」


 スノウがそう言うと、ユリスは冷たい笑いを浮かべながら答えた。


「考えすぎだと思うかい? だがね、そもそもツルギに共和国軍を薦めたのも私ではなくジール総督なんだよ。ツルギが自分の出生を調べる為に軍人になったと言うのなら、そう吹き込んだのは総督だ。自分で遺伝子研究所にクローン製造の指示をしておきながらね。ガンデルク行きだってそうだ。それでも私はジールという人物をどこかで信じていた。ツルギを本当の娘のように可愛がってくれているんだと思っていたんだ。例えそれが罪の意識からくる感情だったとしてもね……!」


 ユリスは顔を歪ませながら吐き捨てるように言う。握ったこぶしに力を込めて。


「だが今回の誘拐事件……。今日、レオナルドから電話があったんだ。演習場から数キロ離れた海岸で捕縛された男たちは、詳しい説明も無いまま情報部の者が連れて行ったらしい」


 レオナルド──。

 副司令官のレオナルド・ハンター中佐のことだ。


「おそらく大した取り調べもせずに釈放されるだろう」

「スエサキは──、あれは明らかに特殊な訓練を積んだ人間だ。どこの組織の者か調べないのか?」

「調べられては困るから連れて行ったんだと私は思うね」


 ユリスはしかし、そこまで語ると再びソファーにもたれ溜め息をついた。


「でもね……ジール総督がそこまでする理由が私にはわからないんだよ。意味もなくそんなことをする人じゃない。何か理由があるはずなんだ……」


 確かに、そこまでする理由があるはず。

 総督は、司令官が魔女の魂を引き継いでいることを知っているのだ。そうとしか思えない。だが、仮にジールが知っているとしたら、何故彼がそんなことをするのだろう。

 帝国に加担するようなことを、共和国軍の最高司令官である彼が何故──。


 重い沈黙が二人の間を流れた。

 ジールの目的、それが何なのか現状では分からない。



(そうだ。帝国と言えば──)


 ひとつ気になっていたことがあり、スノウは口を開いた。


「──司令官を誘拐しようとしていた連中は帝国の人間だと、ジェイスは最初から決め付けていたようだった。奴はどこでそれを?」


 今の話では、ユリスはジールの動向を疑ってはいるが、彼の口からは帝国側が出てこない。なのにジェイスは、敵は帝国で、更に他にも敵がいるんだと断言していたのだ。

 その時は、ユリヤから司令官が帝国に狙われているという話を聞いたばかりで、疑問には思わなかったのだが、後で思い返してみるとやはり納得がいかなかった。


 険しい顔をしたスノウの問い掛けに、何故かユリスは困ったような顔をしてくすりと笑った。


「まあ、仕方のないことなのかもしれないけど……。ジェイス君はこの世の諸悪の根源はすべて帝国にあると思っている節がある」


 なんだそれは。

 スノウは怪訝そうに顔をしかめた。


「ユリヤは生前、帝国の諜報機関に追われていたらしい。ジェイス君はそれを間近で見ていたから、今回もそうだと思ったのだろう。彼はどうもツルギとユリヤを重ねて見る傾向がある」

「間近で見ていた?」

「元々、彼を保護していたのはユリヤなんだ。私の元に来たのはユリヤが死んでからさ」

「──保護していた? 奴はただの親戚ではないのか?」

「まあ親戚と言えば親戚なんだけどね……」


 ユリスの、何とも歯切れの悪い返答にスノウは困惑した。

 何だ? 親戚という他に何かあるのだろうか。


「……そろそろ彼も、自分の持って生まれた宿命と真っ正面から向き合う時期だろう。どちらにしても、ずっとここには居られないんだ……」

「……? 何のことだ?」


 あごに手をやりながら独り言のように言うユリスに、スノウは尋ねた。

 すると、ユリスはぱっとこちらに顔を向け、ここにきて初めて真剣な表情をして見せた。


「ジェイス、というのは彼の本当の名前ではないんだ。本当の名前はジェラルド・イルーク=アルフ・アーウ」

「……アルフ・アーウ……!?」


 いくら『国』というものに興味のないスノウでも聞いたことのある名前だった。

 いや、聞いたことがあるというレベルではない。

 何故ならそれは、ある国と同じ名前だったのだ。


「──彼は、我々が一般的に“帝国”と呼ぶ北の大国、アルフ・アーウ国の先代国王、ガンルーク2世の孫、イルーク王子だよ」





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