第5話 そして翌朝
翌朝。
夜明けと共に目を覚ましたスノウは、ベッドの上であぐらをかいたまましばらく考え込んでいた。
昨夜の出来事をどう司令官に説明しようか、と──。
そもそも彼女は、自分が魔女だと言う事実を知らない。
ということであれば当然、自分の身体が魔女の亡霊たちに良いように使われている事など夢にも思わないだろう。
本人にしてみれば、一度床についたはずが気が付いたら違う部屋にいて、しかも自分の副官に投げ飛ばされた挙げ句に拒絶され、訳も分からず混乱しながらもとりあえず謝って部屋を飛び出した、という状況だろう。
それを自分の中でどう捉えているのか。
変な誤解をしてしまっているのではないかとスノウは心配になった。
(……するだろうな、普通)
夢遊病にでもなったのではないかと不安にかられてはいないだろうか。
いや、それよりも気になるのは、あの時自分が言った言葉だ。
(勝手に触るな、とか。思いっきり突き放すことを言ってしまった……)
そう言われて司令官はどう思っただろうか。正直な所、それが一番気にかかる。
(やはり、司令官には魔女のことを全部話して、昨日の事もありのまま説明しよう……)
そう自分の中で結論を出すと、スノウはベッドから降りて、憎たらしいほどのんきに寝ているシュウの頭を蹴り飛ばした。
不意打ちを食らってベッドの反対側に転がり落ちたシュウは、当たり前ではあるが猛然と抗議して来た。
「──いったーっ!! 何するんだよ!」
「いつまで寝てるんだ。さっさと起きろ」
「はあ? いいでしょ別に寝てたって。仕事がある訳じゃないし。だいたいスノウが早すぎるんだよ! 年寄りじいさんみたく、朝からせかせか活動始めないでくれる? マジで迷惑!」
そう言うと、のそのそと再び自分のベッドにはい上がり布団を被ってしまった。
スノウは小さく舌打ちすると、顔でも洗おうと部屋を出た。
家の中の説明はヘルミナに一通り受けていたので、迷うことなく洗面所に向かった。
しかしその途中で、スノウはハッと動きを止めた。廊下の先から誰かが歩いてくる。
「あっ──」
呟いた声の主は司令官だった。
彼女は何やら考え込むように歩いていたが、こちらの姿を見つけると同じように動きを止めた。
少し距離を置いて対峙する二人。スノウは咄嗟に言葉に詰まった。
ありのまま説明しようと決めはしたが、いきなり本人に出くわしてしまっても何から話したらいいのかわからない。
それにいきなり昨日の事を話し出すのも、言い訳がましい気もする。
司令官の方も困っているのか黙ったままだ。
「……」
「……」
何とも気まずい雰囲気が流れた。
沈黙に耐えかねたスノウは、意を決して声を掛けようと口を開いた。
「司令──」
「ご、ごめんなさい!」
「──?」
すると少女は何故か慌てたように言った。そしてこちらの顔も見ずに向きを変えると、脱兎のごとく走り去って行ってしまった。
「あっ──……」
引き留める間もなく逃げられてしまい、スノウは呆然と彼女の消えた先を眺める。
やはり誤解してる。そうとしか思えない反応だ。
拒絶したのは司令官ではなく、魔女セシリアに対してだったのに……。
(面倒な事になったな……)
頭を掻きながら深々と一つ、大きなため息を吐いた。
洗面所に行くと、ばしゃばしゃと顔を洗っているジェイスに会った。
彼は触り心地の良さそうなタオルで顔を拭きながら鏡越しにこちらに気付くと、低い声で「おう」と挨拶してきた。
「早起きだな」
顔を洗ったばかりだというのに、だるそうにジェイスは言った。まるで一睡もしていないような顔をしている。
「別に。習慣だ。お前こそ早いな」
「違えよ。寝てねえんだよオレは! どっかの誰かさんのせいでな!」
そう言ってジェイスはこちらを睨みつけながら、不機嫌な様子でふらふらと洗面所を出て行った。
その姿を見送ったスノウは、首を傾げながら水道の蛇口をひねる。
(なんだよ。どっかの誰かって……俺か?)
考えても答えは出なかった。
顔を洗ってから部屋に戻ったものの、何もやることが無い。
今までは朝から分刻みでスケジュールを組んでいるのが当たり前だったので、急に手持ちぶさたになってしまった気がして居心地が悪かった。
仕方なくスノウは一階に降りて、サンルームからテラスに出た。
明るいオレンジ色のタイルを使ったテラスは広く半円形に庭にせり出していて、その向こうには思ったとおりプールがあった。
テラスの中心には丸いガーデンテーブルが一つと、それを挟んで同じデザインの椅子が二つあり、その一つに座って新聞を読んでいる人物がいる。
濃紺色のスーツをピシッと着こなし、コーヒー片手に優雅に朝の時間を過ごすその人物は、こちらに気付くと顔を上げ、気さくに声を掛けてきた。
「やあ、おはよう」
この館の主人、ユリス・ハインロットだった。
彼は前日に見せた失態など何のその。鼻の上に乗せた小さな眼鏡をテーブルに置くと、実に爽やかな笑顔をスノウに向けた。
その笑顔の眩しさたるや。まるでキラキラと光がほとばしるように輝いて見える。
実際、プールに射し込む朝日の反射が作用しているのかもしれないが……。
「君の事は秘書から聞いているよ。えっと、エルド・ロウ君? でいいのかな?」
スノウは答えなかった。
この男が本当に信用できる人物なのかどうか、もう少し見極める必要がある。それまでは本当の名を名乗るつもりはなかった。
しかしそれをどう取ったのか、ユリスはまったく気にする様子もなくにこにこと微笑みながらこちらを見上げる。
初めて起きているユリスを目の当たりにして、スノウは改めてその姿に驚いていた。
本当に司令官と生き写しだったのだ。
多少は彼女よりも骨太に見えるが、それにしても似ている。これで四十を迎えようという年齢にはとても見えない。
それどころか何故この容姿で男なんだと憤慨してしまいそうなほどだった。
「いい朝だねえ……」
スノウが胸中で密かに怒りにも似た感情を抱いていると、朝の少し冷えた空気を吸い込みながらユリスは言った。
「君は、娘が誘拐されそうになっていたところを守ってくれたんだってねえ。父親として礼を言うよ」
「……いえ」
スノウは言葉少なに答える。
礼などどうでもいい。そんなことよりも、この男には聞きたいことが山ほどあるのだ。
何故妹のクローンを作ったのかとか。その妹が魔女だと言うことを知っていたのかとか。だいたい彼女が自殺しなければならなかった時お前は何をやっていたんだとか──。
考えていたら腹が立ってきて、スノウはユリスを睨み付け強い口調で言った。
「あなたは、ハインロット大佐のまわりで一体何が起きているのかご存知なのですかッ!?」
いきなり不躾だったかもしれないが、娘が何者かに誘拐されかけたというのに随分のんびり構えているようにスノウには見えたのだ。
言われたユリスは面食らったように琥珀の瞳をぱちくりさせた。しかしすぐにまた笑みを作り、手にした新聞をたたみながら鼻で笑う。
その人を小馬鹿にしたような態度に、スノウは更に苛立った。
「何がおかしいッ!!」
「いやあ、ごめんよ。おかしくて笑っているわけではないんだ。君があんまり人が良いから──」
(人が良い? バカにしてるのか?)
いきり立つスノウをよそに、ユリスは椅子の背にもたれて吐息を漏らす。
「自慢ではないが私は何も知らないよ」
「は?」
開き直りとしか思えない一言に、今度はスノウの方があっけにとられてしまった。
「何も知ろうとしなかったし、何も聞こうともしなかった──」
(何だそれは。ホントに自慢じゃないな……)
スノウは眉をひそめた。この男が何を言いたいのか今ひとつ理解できない。
「お陰で招いた結果がこれだよ」
大げさに両手を広げながら天を仰ぎ見て、ユリスは芝居じみた口調で言った。
「大切な妹を失ったばかりか、やっと手に入れた娘まで奪われようとしている……」
それから一体何に呆れ返っているのか溜め息をつき、秀麗な眉を片方だけ上げながら言葉を吐いた。
「そのすべての原因を、私はいまだに知らないのだよ。どうだい? 滑稽だろ?」
その時見せた笑みは、はっきりとした自嘲。
この男は自分で自分をあざ笑っている──。
よく分かっているのだ。
自分がいかに無知で、無力で。
失ってしまった者がいかに欠けがえのない者だったのかという事を……。
キィ、とガラスの扉が開いて、屋敷の中からベージュ色のスーツに身を包んだヘルミナが現れた。
「先生。そろそろお出掛けになる時間です」
「ああ、分かったよ……」
そう言うとユリスは椅子から立ち上がり、新聞を小脇に挟んで立ち去ろうとする。
どうやらこれから仕事らしい。
結局、聞きたいことを一つも聞けずじまいか。
そう思って彼を見ていると、途中で急に思い出したように引き返してきて、テーブルの上に残された眼鏡に手を掛けて言った。
「これがないと字が見え辛くてね。まったく、年のせいかな……」
そう苦笑いしながら、ユリスは眼鏡を胸ポケットにしまってこちらに背を向けた。しかしなかなか歩き出さない。
「……?」
スノウが訝しげにその背中を見ていると、ユリスは肩越しに振り返って小さな声で呟いた。
「──君ともう少し話がしたい。今夜、私の書斎に来てくれないか?」
いくら司令官と瓜二つと言えど男にそんなことを言われても嬉しくないスノウは、思わず眉間にしわを刻んだ。しかしユリスは人差し指を口元に持ってきてなおも付け加える。
「誰にもナイショだよ」
パチッとウィンクまで飛ばして……。
スノウは気色の悪さに軽く吐き気を覚えたものの、自分も色々と話したいことはあったので「分かった」と短く返事を返した。
それを見たユリスは満足げに微笑むと、足音も高らかに屋敷の中へと消えて行った。
いまだ得体の知れない人物であることに変わりはないが、少しだけ分かったような気がする。
彼は、軍人から政治家になった成功者だという反面、妹の死の原因にいまだにたどり着けない苛立ちを抱えて、今もなおもがいているのではないか。
去っていく背中を見ながら、スノウはそう思った。