第4話 副官、襲われる。
「“大いなる流れ”?」
オウム返しに呟くと、魔女は再びこちらの方に顔を向け、ふっと少し困ったように笑った。
「何と現すべきか……、この星のエネルギーのようなものだ。魔女は元々そのエネルギー体から生まれた。元は一つなのだ。それが、永い年月を経て、いつの間にか分かれていった……」
「ルディアという魔女にか?」
そう尋ねると、セシリアは寂しそうに微笑む。
「ルディアだけではない。他にも魔女はいた。それぞれが神やその使いとして人間たちに崇められていたのだ……。だが人間たちが知恵を付けはじめ、『国家』を形成するようになってからは、我らを必要としなくなっていった。魔女の時代は終わったのだ。わたくしは仲間たちに、大いなる流れに戻ることを提案した。だがルディアだけは、それを最後まで拒んだ──。わたくしは、他の魔女たちすべてと同化し、そうする事で得た魔力を持って、ルディアを封じ込める事にしたのだ……」
「帝国にいる魔女というのは、ルディアのことなんだな?」
「帝国かどうかは知らぬ。だがわたくし以外の魔女となればルディアしかいない……。ルディアはわたくしたちの中でも特に誇り高く魔力の強い魔女だった。だがいずれ人間にとっては危険な存在となる。力ずくで封じるより他に、手立てが無かったのだ……」
まるで歴戦を戦い抜いた老兵士のような目で魔女は語る。
「それ以後、ルディアの封印を守るのがわたくしの役目となった。わたくしは『終焉の魔女』となったのだ……」
終焉の魔女──。
決してやって来ない終わりを、たった一人で永遠に待ち続けなければならない定め。
それがどれほどの辛さなのか、スノウには想像も出来ない。
「……レイと出会ったのはその後のことだ。その時わたくしは、ある国の王家の世話になっていてな──」
「ある国?」
「はて、名前はもう忘れてしまった。人間たちの作った国の一つだ。人間の歴史はよく分からぬが、今はもう無いはずだ」
魔女にしてみたら、同じ人間同士で支配したり争ったり、国を作ったり滅ぼしたり。随分と目まぐるしいように見えるのだろう。
「そこは王家の者だけが礼拝する寺院で、わたくしの存在はその王家の中でも限られた者しか知らなかった……。レイもきっと、王家ゆかりの、しかもかなり直系に近い縁者だったのだろう」
「僧侶だったのか?」
「それとは少し違うかもしれん。あの時代、王族が親や兄弟同士で争うことはよくあった。だが寺院と言う場所は、そういう権力争いからは隔絶された世界だ。俗世を離れ、身を隠していたという方が正しいな……」
あの時、夢の中で自分の意識はレイの中にあったので、客観的に彼を見ることはできなかったが、確かに言われてみれば、身なりや物腰に高貴な雰囲気があったような気がする。
「レイはとても美しい男だった……。濡れたような真っ直ぐな黒髪に、紫水晶の瞳──。二人で忍んで街に出る時、レイは決まって女の姿に変装したが、それが本当に美しくて。誰も男だと見抜ける者はいなかった……」
「……もしかして、のろけてるのか?」
うっとりとした表情で語るセシリアに、スノウは思わず水を差した。
「まあ、いいから黙って聞け」
そう言ってスノウを制したセシリアには、聞き分けの無い子供を諭すような余裕がある。
それもそうだろう。
悠久の時を生きてきた彼女に比べれば、自分などただのヒヨッコに見えても仕方がない。
「魔女は元々、人間なんぞになびいたりはしないのだ。その逆はあってもな。だがわたくしはレイに惹かれた。あの憂いを帯びた美しい瞳に。生まれながらに隠者として生きる宿命を背負ったあの儚い姿に、どうしようもなく惹かれてしまったのだ……」
ますますセシリアは、記憶の彼方にある恋人に見とれるように目を細めた。もはやこちらの事など視界に入ってもいない。
「レイとあんたの事は分かった。でも、あんたとユリヤが結び付かない。それに、レイと一緒に死んだ後、あんたの役目はどうなったんだ? 未来永劫ルディアを見張るんじゃなかったのか?」
何故か面白くない感じがして、スノウは少し苛立たしげに問うた。そんな姿も、魔女の彼女には物語をせがむ子供のように見えてしまうのだろう。
「ユリヤ……。あの娘には可哀想な事をしてしまった──」
しかし意外にも急にセシリアは声のトーンを下げて呟いた。
「もっと他に方法があったやも知れぬ」
「──どういうことだ? そもそも、ユリヤは何故死んだんだ?」
彼女もセシリアと同じく身体はない。司令官が誕生するより以前に死んでいる事は聞いたが、それ以上の事は知らないのだ。
「……あれは、自ら命を絶ったのだ」
「──ッ!!」
「魔女に身体を奪われないようにする為に、自分の身体に油をかけ、火を放った」
悲痛な表情でセシリアは言った。
「今にして思えば、わたくしがレイと共に死んだ事がすべての始まりかもしれない……」
「どういう事だ?」
「……わたくしはレイと共に死ぬ時に、わたくしの分身として魂を分けて地上に残した。これは肉体の入れ替えをする時に用いる術だ。本来ならばその分身と魂を同化させ、新しい肉体を得る。だがわたくしは、その分身に終焉の魔女としての役目を託した。やがてわたくしの分身は愛する者と家庭を持ち、子孫を残した。それがユリヤの一族のはじまりだ──」
ユリヤが言っていたハインロット家の始祖とは、セシリアの分身の事だったのか。
「いくらあんたの分身の子孫と言っても、人間の血が入るんだろう? そのうち魔女ではなくなるんじゃないのか?」
スノウは思い浮かんだ疑問を魔女にぶつけた。しかし彼女はその疑問を笑い飛ばすように否定する。
「魔女にとって血の濃さなど関係ない。魔力は血ではなく、魂に宿るもの。何度代を重ねようとも薄れる事はない。更にわたくしは、代々ハインロット家の女に魔力が受け継がれるように術を残した。だが、そこにわたくしの過信があった……」
「過信?」
「その時残した術では、魔女の記憶まで受け継がせることができなかったのだ……」
恐ろしい魔女を封じたという記憶。その封印を守るために存在するという一族の目的──。
「人間とは悲しい生き物だ。短い命を必死に繋げて。それでも時が経てば経つほど本来の目的を忘れてしまう。やがて一族の者たちは、自身が魔女の末裔であることさえも忘れてしまった……。だがそれでも事もなく過ぎたのだ。ルディアの封印が解かれるまでは……」
セシリアはそれきり口をつぐむ。
壁に掛かった時計の秒針の音が、やけに大きく聴こえた。
ルディアは今、帝国にいる。
災いにしかならないとユリヤに言わしめる、邪悪な魔女が──。
「──……俺は、どうしたらいいんだ」
しばし流れた沈黙の後、スノウはやっとそれだけ呟いた。
どうすべきなんだ。
何の力もない自分に、一体何をさせたいんだ。
「この娘は生きている限り、ルディアにその身を狙われるだろう」
「彼女を殺せって言うのか? ユリヤのようにッ? そんなことできるわけないだろッ!」
そう吐き捨てておきながら、直後に自分で自分をあざ笑ってしまった。
殺し屋を生業にしている人間が、よく言う。
(彼女を殺す? そんな事できるのか? 俺に……)
ここまで深く関わってしまった少女を手にかけることなど──。
「──もう一度、ルディアを封じるしかないだろう。だがすぐにと言う訳にはいかない。あの者がどこにいるのかもはっきりしないのだ。今しばらくは身を隠し、時を待つしかない……」
「身を隠すってどこに? ここだって安全とは言い切れない。それに、何の力もない俺に、何ができるって言うんだ──!」
「力が欲しいなら与えてやろう」
そう言うとセシリアはベッドに上がり、四肢を付いた格好で擦り寄ってきた。
「そもそもわたくしはその為にここに来たのだ」
獲物を前にした女豹のようにベッドの上をにじり寄ってくるセシリアに、スノウは思わず後ずさった。
「えっ、なっ、何を──」
「この前の様に口からでは大した量が渡せない。もっと効率の良い方法は、身体を重ねる事だ……」
(──身体を重ねる? 何を言ってるんだ?)
ベッドの隅に追いやられ、スノウは困惑しながら茫然とセシリアを見つめる。
暗闇の中に白く浮かび上がる彼女の肢体は、異様なほど艶かしい。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! その身体はあんたの物じゃないんだぞッ?」
しかし彼女は聞き入れようとはしない。
白い指先でスノウの腕に触れると、そのまま指を這わせながら抱き付いて来た。
「シュウ! シュウ! 起きろッ!」
咄嗟に隣で寝ているシュウに声を掛けるが、まったく起きる様子がない。それどころか、先ほどからこれだけ音を立てているというのに寝返り一つしないとはどういうことか。
「──無駄だ。そこの小僧にはわたくしがこの部屋に入った時から深い眠りの術をかけている」
そう言って薔薇色の唇を弓形にするセシリア。その間にもスノウの首に細腕を絡ませてくる。
スノウは彼女を身体から剥がそうと腰を掴むのだが、あまり力を入れると彼女の華奢な身体が壊れてしまいそうで、上手く力を入れる事ができない。
「やめろ──!」
「何故だ? 抱けばいいではないか。そなたはこの娘を好いているのだろう?」
耳元でセシリアが囁く。その吐息が耳に触れ、背中にぞわりとした感覚が走った。
「一時の夢を見るがいい。愛しい女を抱く夢を──」
首筋に感じる濡れた唇の感触。
その時沸き上がった衝動に一瞬身を委ねそうになった。細い腰も、髪から漂う花の香りも、その衝動を掻き立てるものでしかない。
しかし、これは司令官ではない。
実際は彼女そのものなのだから、結果としては同じ事なのかも知れない。だがそこに、彼女の意思はない。
彼女ではない者に、この衝動をぶつける事は出来ない。
(駄目だ! それは絶対に──!)
スノウは思い切って腕に力を入れると、セシリアの腰を掴んだまま身体を半回転させ、彼女をベッドから投げ落とした。
「俺に──触るなあ!!」
「きやあああ!!」
魔女の姿が視界から消えた事で、スノウの中からあの衝動も姿を消した。
「今後、俺に勝手に触れる事は、許さない!」
スノウは凄みを付けた言葉を絞り出した。もちろんそれは、妖艶な魔女に対して放った忠告だった。
しかしベッドの向こうから顔を出した彼女に、先ほどまでの妖艶さはなくなっていた。
「ご、ごめんなさい! あれ? なんであたし、ここにいるの?」
キョロキョロとまわりを見渡す少女。それは紛れもなく司令官だった。
「ええっとぉ……何と言うか。ごめんなさい、勝手に触って」
「えっ、あ、いや違う。あなたに言った訳では──」
「とにかくごめん! ホントにごめん!」
スノウの否定も聞かず、司令官はその場できびすを返すと猛ダッシュで部屋を出て行ってしまった。
部屋のドアを茫然と見つめていたスノウは、数秒後ハッと我に帰り、こぶしを握って震わせた。
(──わざとだな魔女め!)
シュウは相変わらず、憎たらしいほどのんきに寝息を立てていた………。