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第3話 その夜に…

 司令官の後を追ってキッチンに向かうと、そこはまるで爆発事故現場のような有り様だった。


 ガスレンジのまわりはすすまみれで、汚れたフライパンや鍋が転がっている。

 調理台の上も食材や皿が折り重なり、うっすらホコリのようなものをかぶって白くなっていた。

 その白いものはキッチン全体にまで広がっていて、食器棚の端に降り積もったそれを指先に取ってよく見てみると、どうやら小麦粉のようだ。


「あ~あ、何てことしてくれたんだよオレの城を……」


 タイルの床に散らばったキャベツの葉をしゃがんで拾いながら、ジェイスが泣きそうな声を上げる。


「いけませんジェイス様! 私がやります!」


 それを見たヘルミナがひどく慌てた様子でジェイスの元に駆け寄りその手を止めさせた。


(──ジェイス、様……?)


「すごいねこれ。一体ここで何をやったらこんな風になるの?」

「泥棒ですよ泥棒! 立派なお家だから泥棒が入ったに決まってるじゃないですかッ!」


 腕を頭の後ろで組んで高見の見物をしているシュウに、ヒメルは噛みつくような視線を向けた。

 しかしキッチンの入り口近くにたたずんだ司令官は、少し困った様な顔で彼女に告げる。


「違うよ、ヒメル。これはたぶんユリスだよ」

「へッ?」

「誰もいないから、自分でご飯を作ろうとしたんだろうね。何を作ろうと思ったかは知らないけど……」

「だからってこんなんなる? 破滅的にセンス無いね」


 シュウがじと目で辛辣な言葉を吐く。


「申し訳ありません。先生が出張中ならば大丈夫だろうと、私が家を空けたばかりに……」


 すっかり意気消沈した様子のヘルミナが膝を付いた格好でキャベツを拾いながら言った。


「いや、いいんだ。お前のせいじゃない。やっさんなんだからしょうがねえよ」


 と、よく分からない納得の仕方をするジェイス。


 スノウはと言うと、司令官の更に後ろの方で黙って傍観しながら、人知れず胸を撫で下ろしていた。

 手放しで喜べる状況ではないが、自分たちに害を成す者が侵入したという訳ではなさそうだ。

 それにしてもあのユリス・ハインロットという男。

 司令官でさえも呆れさせてしまうほどの強烈な個性の持ち主のようだ。


「とりあえず片付けるしかねえだろ。このままじゃメシも作れねえ。全員でやりゃあ夕飯の仕度までには終わるはずだ」


 ジェイスは気を取り直して立ち上がると、腕を組みながらまわりに向かって言った。それに対して見物を決め込んでいたシュウが抗議の声を上げる。


「それって僕らにもやれってこと!?」

「当たり前だッ! お前らはこの家の客でも何でもねえ! 働かねえ奴にオレの作った飯を食う資格は無えんだよ!」


 確かにジェイスの言う通りで、シュウはぐうの音も出ずに黙った。


「ジェイス様。私はゲストルームの用意をしてまいります。いくらお客様ではないとは言っても、ベッドが無くては寝られませんので……」


 ヘルミナは立ち上がってそう言うと、ぴんと背筋を伸ばした美しい姿勢のまま、スノウの脇を通って颯爽とキッチンを出ていった。

 スノウはふうと小さく息を吐くと、迷彩服の上着を脱いで部屋の隅に置いた。

 このまま何もせずにいても仕方がない。とりあえずここの片付けを終わらせてから次のことを考えよう。


「で? まずは何からやればいいんだ?」

「お、さすがは副官。飲み込み早いねぇ」


 にやりと笑ったジェイスに、スノウは無表情を返す。


「“働かざる者食うべからず”なんだろ?」

「そうそう」


 ジェイスは満足げに何度も首を縦に振った。


「それがこの家のルールだ。例えどんな“尊い身分”であってもな……」


 この時のこの言葉の意味を、スノウは後に思い知った。




 ◇◆◇




 キッチンの片付けが終わるとジェイスは夕食の仕度に取りかかり、スノウたち残りの面々は引き続きリビングの片付けに向かった。

 リビングに戻るとそこにはユリス・ハインロットがまだ寝ていて、同じ場所同じ格好のまま、まったく動いていなかった。

 一度寝るとなかなか起きないというのは本当らしい。

 途中、ゲストルームの準備を終えたヘルミナが合流して、彼女の指示でユリスを彼の部屋のベッドまで運んだ。

 男二人に両手両足を吊り上げられ二階へと運ばれる姿は、大物政治家と言えども何とも情けない。

 シュウはぶつぶつと終止文句を口にしていたが、指示には素直に従った。

 こいつもまた、扱いづらいと言うだけでサンダースと同じく根は悪い奴ではないのだ。


 そんなこんなで何とか片付け終わる頃には日が傾いて来ていて、ちょうど空腹感を覚える頃合いになっていた。

 誰が言い出す訳でもなくダイニングに集まると、テーブルには既に夕食が用意されていて、寝ているユリスを除く全員がそこで食事をした。

 ジェイスはガンデルク基地の食堂の料理長だから、何となく食堂の料理と同じ様なものが出てくるのだろうと想像していたのだが、出てきた食事は食堂で食べたものよりもはるかに美味しかった。

 本人曰く、家庭で作るものとああいう大規模な食堂で作るものはまったく違うらしい。


 食事の後は特に何もする事が無かったが、全員前日は夜通し起きていたし、ガンデルクからここまでの長距離移動もあって疲れていたので、早々に休むことになった。

 ヘルミナが用意してくれた客室は二つあり、一つはスノウとシュウ、もうひとつはヒメルが使うということで、各部屋にそれぞれ別れた。


 その夜──……


 スノウはベッドに横たわり、天井を見上げていた。

 サイドテーブルを挟んだその向こうのベッドにはシュウが寝ていて、ついさっきまでごそごそ動いていたが、今は深い呼吸音が聞こえてくる。

 一方スノウは、身体は疲れていたがなかなかまぶたが重くならなかった。


(まあいい。ちょうどこれからの事をゆっくり考えたいと思っていたところだ……)


 とりあえず、ここにいれば共和国軍の捜索隊からは身を隠せそうだ。例え居所を突き止められたとしても、現職議員の自宅にまで手は出せないだろう。

 どうにかして国外に出ることができれば、何とかゴルダ村に帰ることはできる。

 あとの問題は、どうやって国外に出るかと言う事だ。


 ただ──。


 このままにしていいのだろうか。

 彼女を──。

 そして、魔女を……。



 知ってしまった以上、何も知らなかったことには出来ない。

 しかし、一体自分に何が出来るというのだろう。

 帝国に渡すなと言われても、帝国と戦う訳にはいかない。そんなこと出来るはずがない。

 自分に出来る事と言えば、せいぜい彼女を連れて逃げ回ることぐらい。

 それでは何の解決にもならない。分かってはいるが、それしかできない。

 そんな無力な自分が、彼女の側に居てもいいのだろうか……。


(……レイもきっと、こんな気持ちだったんだろうな……)


 夢の中で自分が入り込んでいた男──。

 彼自身は、何の力も無いただの人間だ。魔術が使えるわけでもないし、不老の身体があるわけでもない。

 魔女セシリアの背負った悲しい使命をどうすることも……


(──そう言えば『使命』ってなんだ? 『未来永劫ルディアを見張る』って言っていたけど、ルディアって誰だ……?)




 不意に、カチャッと部屋のドアが開く音がした。

 少し身体を起こしてドアの方を見ると、廊下から差し込む常夜灯の光を背にした人影がそこに立っている。


「──誰だ?」


 スノウは鋭く低く問い掛けた。


「……起きていたか」


 それは司令官の声だった。

 彼女は静かにドアを閉めると、ゆっくりと音もなくこちらの方に近付いてくる。

 窓から入る青白い月明かりの下に入ると、少女が白く長い寝間着姿であることが分かった。


「……? どうかしましたか?」


 ベッドの上で身体を起こしながらスノウは尋ねる。


「わたくしの与えた絆を、もう少し深めようと思ったのでな……」

「──! 魔女!?」


 スノウがそう呟くと、少女は口の端を吊り上げて笑った。


(司令官じゃない。魔女セシリアだ!)


「……あんたはいつでも、そうやって彼女の身体を操ることができるのか?」


 眉をひそめながら非難を込めた声でスノウは言った。


「いつもという訳ではない。この娘はまだわたくしと同化してはいないのでな。完全にわたくしの自由ではない」

「同化?」

「魂が一つになると言うことだ」


 魔女はスノウが寝ているベッドの縁に腰掛けると、初めて現れた時とは人が変わったように、微笑みをたたえた顔をこちらに向けた。


「混乱しているのだろう? わたくしが、知りたいことを教えてやろう……」


 知りたいこと?


 分からないことはたくさんある。だが、それを知ってどうするというのか。

 何も解決できない、無力な自分が……。


「遠慮することはない。そなたは魔女の騎士だ。知る権利がある」


 そう言って、魔女は言葉を待つようにじっと見据えてくる。


 司令官とまったく同じ顔で……。


 この際だ。聞きたいことをすべて聞いてしまおうか。

 スノウは俯きながら、おもむろに口を開いた。


「……夢を見たんだ。あんたが生きていた時の夢を──」

「ほう?」

「そこで俺は、“レイ”だった……」


 あの時、確かにレイと感情を共有していた──。


「わたくしがあの場でそなたに絆を与えたことで、そなたの魂が呼応したのだろう」


 彼女にとってそれは歓迎すべき事なのか、にっこりと満足げに笑う。


「絆って何なんだ?」

「大層なものではない。わたくしの魔力を少し流し込んでいるだけのこと。わたくしは“絆”と呼んでいる」


 あの時感じた温かいもの。

 喉から胃に落ちていく熱の様なものが魔力なのだろうか。


「……魔力をもらうと、人間はどうなるんだ?」

「与えられた量にもよるが、傷や病気が癒えたり、寿命が延びたり。レイもそうやって、生身の人間に比べれば永く生きた──」

「でも、死んだんだろう?」


 饒舌気味に答えるセシリアに、スノウは少し冷たく言い放った。

 それでも彼女は、怒るでもなく嘆くでもなく、ただゆっくりと頷く。


「……そうだ。だがわたくしたちは幸せだった。共に同じ時間を生き、共に終わりを迎えることができたのだ」


 遠くを見るように、セシリアは何もない壁の方を見つめる。


「レイが死んだ時に、わたくしも肉体を捨てた。そして大いなる流れの一筋となったのだ──」







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