第2話 薔薇の館
「もうすぐユリス先生のご自宅に到着しますよ」
ルームミラー越しに後ろを確認しながら、運転手の女性は落ち着いた口調で言った。
彼女の名はヘルミナ・オズバント。評議会議員ユリス・ハインロットの私設秘書で、細々した書面上の業務やスケジュール管理、送迎などを一手に引き受けている人物らしい。
更にはハインロット氏の自宅に住み込んでいるため、家事をこなすこともあるとか。
緩やかなウェーブのかかった黒髪に健康的な褐色の肌。茶色い瞳。
司令官には及ばないにしても、それでも十分器量良しと言える容姿をしている。それに加えて、どことなくソールに似た雰囲気を持つ女性だとスノウは思った。
白いバンタイプの車は閑静な住宅街の中を静かに走り抜ける。
共和国の首都メルテシティの5番地区。言わずと知れた高級住宅街だ。
「うわ、なんか金持ちそうな家ばっかり。なにあの門構え。完全に嫌味だよね」
目を覚ましたシュウが窓の外の風景を眺めて、露骨に不愉快そうな顔をしながら呟いた。
シュウの隣に座るヒメルも起きていて、キョロキョロと街の様子を伺いながら言う。
「ホント立派なお家ばかりですねぇ。さすが司令官。良いところにお宅をお持ちで……」
「別にあたしの家じゃないし」
司令官はぶっきらぼうにそう答えた。寝起きだからかどうかは分からないが、明らかに機嫌が悪い。
「どうしたんだよ、ツルギ。久しぶりに帰るってのに、なに怒ってんだよ」
ジェイスが座席から振り返りながら尋ねた。
「別に怒ってないよ。ただ面白くないだけ」
「面白くない?」
「だって、最初からこうなることを、ユリスは予想してたって事でしょ? なんか、あいつの思い通りになったみたいで面白くない」
ムスッとした顔で少女は呟いた。
「思い通りって、別にこうなったのはやっさんのせいじゃねえだろ?」
「そうだけど……。だったら事情ぐらい説明してくれたっていいじゃない! だいたいガンデルクに赴任する時だって、勝手にジェイスも付いてくる事になってるし──」
「いや、そもそもお前の生活能力の無さでは一人暮らしなんて百パー無理だかんな」
半眼の表情でジェイスが呻くが、司令官は聞こえていないかの様に続ける。
「ユリスの奴あたしには何も話してくれなかった!」
「お前がガンデルク行きを反対されたからって意固地になって全く話を聞かなかったんだろッ?」
「だって、あたしの人事異動なのに、いちいち口出すんだもん!」
「それは、やっさんもお前を心配して──」
「もういいよ。ここで話しててもラチがあかない!」
これ以上話したくないのか、司令官はジェイスとの言い合いを強制的に打ち切りにかかる。
「直接ユリスに聞くよ! 全部! すべて! あます所なく白状させてやるんだから!」
スノウは、司令官ほど憤っている訳ではなかったが、事情を説明してもらいたい気持ちは一緒だった。
ツルギ・ハインロットは人為的に造られた魔女──。
そうユリヤは言っていた。
じゃあ、それを造らせたのは一体誰なのか。
彼女が生まれ育った遺伝子研究所は、間違いなく共和国軍の所有する施設だ。禁止されているはずのヒトのクローンを造らせるには、共和国軍の中でもかなり強い影響力を持っている人物でなければ不可能なはず。
陸軍部長官だったユリス・ハインロットが造らせたのだろうか。
その目的は?
司令官本人が言ったとおり、ユリヤの身代わりとしてか。
しかし彼女が生まれた17年前には既に、彼は軍を退役した後だったはずだ。
いくら元陸軍部長官とは言え、軍人ではない人間が直接命令を下せるものなのだろうか。
(もしかしたらもう一人、共軍の中に協力者がいるのかも知れない。しかもかなりの権力者が……)
はたしてその人物は知っていたのだろうか。
自分たちが造り出そうとしているのがただの少女ではなく、太古の昔に存在した魔女の複製品だということを──。
ユリス・ハインロットの自宅は、住宅街の緩やかな上り坂を上りきった高台にあった。
ブラウンを基調とした落ち着いた雰囲気の邸宅で、赤いレンガの塀が敷地の周りをぐるりと囲っている。
家人である司令官の後に続いて、植物の蔦のレリーフが彫り込まれた鉄柵の門を開けて中に入ると、塀の内側には見事なローズガーデンが広がっていた。
「わぁ、素敵なお庭!」
色とりどりに咲き誇る薔薇の花を目にしたヒメルの口から、感嘆の声がこぼれた。
「また、これみよがしにセレブって感じな庭だね……」
嫌味をたっぷり含んだ口調でシュウが言う。
真紅の大輪を重たそうに咲かせるものや、アーチ型の枠に絡み付き浅黄の小花をつけたものなど、様々な種類の薔薇があるようだが、どれも隅々まで手入れが行き届いていて、見るからに手間と時間とカネをかけた庭だということが分かる。
「バラしかないって所が嫌な感じでしょ?」
先頭を歩きながら司令官が言った。しかし彼女自身はいままさに見頃を迎えている薔薇たちには目もくれない。
「やっさんが好きなんだよな、バラ」
一番後ろを付いてくるジェイスが付け加えるように言った。
「私、政治にはちょっと疎いんですけど、ハインロット評議会議員って、美貌で有名な方なんですよね? 何だか私、緊張してきました……!」
ヒメルは自分の身なりを整えながらそわそわするが、何をそんなに緊張しているのかスノウには意味が分からない。
いくら若い頃は軍内でカリスマ的な人気があったとは言っても、今は四十路になるだろうただの中年男。年頃の娘がときめく要素などあるとは思えないのだが……。
庭を抜けた一行は、ステンドグラスがはめ込まれた立派な玄関扉の前まで来て止まった。司令官がドアノブに手を掛け、「……あ」と短く声を上げる。
「鍵、開いてる……」
「やっさん帰ってるのか?」
ジェイスが振り返りながら家主の秘書に向かって尋ねた。
車をガレージに入れていたために遅れてやって来たヘルミナは、訝しげに眉間にしわを寄せる。
「予定では、明日まで地方に出張しているはずですが……」
その言葉を聞いてスノウは瞬間的に身を硬くしたが、司令官とジェイスは束の間顔を見合わせただけで、そのまま何も言わずに中に入った。
屋敷の中は外観に違わず、内装も豪華な造りだった。広いエントランスホールの床は滑らかなタイルが敷かれて鏡のようで、天井は吹き抜け。正面に美しい曲線を描いた階段が上の階に向かって延びていた。
階段の奥には明るいサンルームがあり、外に池かプールでもあるのか、壁いっぱいの大きな窓に水面に反射した陽の光が揺らめいて見えた。
「お家の中も素敵ですねぇ~!」
ヒメルは口を開けたままうっとり顔でまわりに見とれているが、スノウにしてみれば内装なんかどうでもいい。それよりも、何処と無く感じる不穏な空気に身体を緊張させていた。
玄関の扉には鍵が掛かっていなかった。だが室内はしんと静まり返り、人の気配がまるでしない。
ユリス・ハインロットは居るのか、居ないのか。まさか、帝国の手が既にここまで及んでいるのだろうか。
それともジェイスが言った『帝国だけではない』ほかの手の者か。
詳しい説明をすると言っておきながら、結局ジェイスは行き先であるハインロット邸の説明はしたものの事態の説明までは触れていない。ほかの手の者が一体何者なのか、目的は何なのか、今はまったく分からない状態だ。
何が起きてもおかしくはない。
しかし警戒レベルを上げるスノウとは裏腹に、この屋敷の住人たちはさほど緊張している様には見えなかった。
ヘルミナだけは少し焦っているように見えるが、それでもまだ余裕が感じられる。
シュウを見ると、注意深くまわりの気配を探ってはいるものの、差し迫った危機は感じないのか動く様子はない。
自分の思い過ごしだろうか。
(……逃亡中だからって気を張りすぎか?)
「あたし、リビングだと思うな」
「いや、キッチンだろ」
スノウの緊張をよそに、エントランスホールの真ん中で司令官とジェイスが肩を並べながら何やら言い合っている。
二人は互いに顔を別々の方向に向け、己こそが真実だとでも言うように不敵な笑みを浮かべた。
二人の見つめる先にはそれぞれリビングとキッチンがあるようだ。
「じゃあ二手に別れて探そうよ。見つけたらその場で叫んで」
「ああ、いいぜ」
(何を言ってるんだ?)
何故か楽しそうにやりとりするでこぼこコンビに、スノウは怪訝な視線を向けた。
それから司令官とジェイスは左右に別れて奥の部屋に消えてしまった。
「シュウ! お前はジェイスを追え!」
「えッ? なに誰のこと?」
訝しげに眉を寄せるシュウに、スノウは苛立って言った。
「その銀髪のでかい男だ!」
詳しい説明をしている暇の無いスノウはそれだけ言うと、自分はジェイスとは逆の方向の司令官を追った。
「えっ? あの、えっと~」
ヒメルは左右を見比べながらどちらに付いていこうか迷っているようだったが、結局決められずに棒立ちしていた。
司令官の向かった先にはリビングがあった。
室内には座り心地の良さそうなワインレッドのソファーがいくつも並び、左手にはレトロな雰囲気の暖炉がある。
部屋の奥には何インチか分からないほどの大きなテレビが壁に掛かっていた。
しかしそれよりも何よりも、部屋の中は嵐でも来たのではないかと思うような散らかりようだった。
コの字型に配置されたソファーの中央のテーブルには書類が散乱し、その上にコーヒーカップが倒れ黒いシミを付けている。ソファーの上には衣類やタオルが無造作に散らばり、絨毯の上には飾ってあっただろう花瓶と薔薇が散乱していた。
やはり誰かが侵入したんだ。
スノウはそう直感し司令官に駆け寄った。まだ侵入者が室内に潜んでいるかも知れない。
「司令官ッ! ここは危険です──!」
そう声を掛けるが、司令官は背を向けたまま部屋の一点を見つめてぽつりと呟いた。
「やっぱりここに居た……」
少女の視線の先は、ソファーとテーブルの間に隠れるように横たわるある物体に向けられている。
ふかふかの絨毯の上に横たわるそれは、間違いなく人だった。
「──“敵発見”ッ!」
司令官はどういう訳か楽しそうにエントランスホールの方に向かって叫んだ。
しかしスノウはとても楽しめるような気分じゃない。荒らされた室内に人が倒れているのだ。楽しいはずがない。
すぐさま倒れた人物に駆け寄ると呼吸を確認する。
(とりあえず息はしているようだな……)
ほっとしてからうつ伏せに倒れるその人物を良く見ると、バスローブを一枚羽織っただけの姿だった。
そこから伸びる二本の足は裸足で、背中に広がった髪の毛は長く、司令官と同じ琥珀色……。
(──こいつが、ユリス・ハインロット!)
スノウは瞬時に確信した。と同時に妙な敗北感を覚えた。
端正な容姿なのだろうと、ある程度想像はしていたのだ。だが実際は、その想像をはるかに超える美しさだった。
司令官と同じ陶器のような滑らかな頬に、金色の扇のような長いまつ毛。今は閉じられていて見ることは出来ないが、その瞳の琥珀も少女と同じ輝きなのだろう。
年齢をまったく感じさせないシミひとつ無い肌。まるで良くできた人形のようだ。
自分の想像が及ばなかった事に敗北感すら感じる。
「おいッ! ちょっと来てくれ!」
不意にジェイスがリビングに顔を出した。
「ユリスならここだよ」
得意気に、司令官がぴくりとも動かない父親を指差して言った。
「分かってるよ、オレの負けだ。それより手伝ってくれよ。キッチンがやられた!」
そう言って姿を消したジェイスを追いかけるように、リビングを出ていこうとする司令官。
スノウは慌ててその背中に声を掛けた。
「待って下さい! この方はどうするんですかッ? 早く手当てをしないと──」
「いいよそのままで。寝てるだけだから」
(──寝てる?)
そう言われてよく見れば、呼吸は深く、規則正しい。確かに寝ているだけのようにも見える。
しかしこんな所でこんな風に、倒れるように眠る人間がいるだろうか。
「ユリスっていつもそうなの。どこでも寝ちゃって、一度寝るとなかなか起きない。散らかしても片付けできないし。一人暮らしとか、絶対できないタイプ」
やれやれ、と呆れるように司令官は言い、部屋を出ていった。
茫然と少女を見送ってから、スノウはもう一度死んだように横たわるユリス・ハインロットを見た。それからリビングを見渡す。
何故だろうか。不思議と、何の言葉も出なかった……。