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第16話 身代わり2

 ヒメルがトーマと初めて顔を合わせたのは、司令官付副官として司令官より2週間早くガンデルク基地に赴任してきたロウ少尉と対面する、更に1週間前のことだった。


 副官と専属ドライバーは、原則として基地司令官の交替と同時にその職務を任免される。つまり一人の司令官の任期の間は、一人の副官、一人のドライバーが仕えることになっているのだ。

 専属ドライバーが副官よりも早く配属されるのは、運転手という特性上、事前に車両の運転技術を一定のレベルまで磨いておく必要があるからだ。

 当然、新しく配属されたトーマ・スエサキ軍曹も、赴任してきてからしばらくの間は司令官専用車で操縦訓練ばかりしていた。


 一方、お茶くみや掃除、食事の配膳などの雑務を担当しているヒメルには、そういった任期の決まりが無い。だいたい3年から4年を目安に交替するという通例があるくらいで、はっきりした任期は決まっていないのだ。

 だからなのか、ヒメルは庶務係に任命されてすでに5年目だった。何故そこまで長くなってしまったのか、その理由をはっきり聞かされたことは無いが、おおかた後任者がいないというのが理由だろう。

 庶務係は主な仕事が司令官の身の回りのお世話であり、地味で目立たない雑用がほとんどだ。一般企業で言うところの『社長秘書』のような、華やかなイメージのものとは違う。どちらかと言えば副官がそれに近いだろう。

 しかし副官は士官がなる役職なので、士官の方にはさせられない下働きのような業務を担うのが庶務係の役目。運悪く性根の悪い副官にあたってしまうと、酷い扱いを受けることもあり、どちらかと言うと人気の無い役職である。

 結果として4年が過ぎ、5年目に突入していたヒメルが仕えるガンデルク基地司令官は、ハインロット大佐で既に3人目だった。という事はもちろん、副官とドライバーも3人目ということになる。


 トーマ・スエサキ軍曹は、今までのドライバーの中で、一番『らしくない』人物だった。

 不真面目で軽薄で、女性好き。司令官専属ドライバーにはまるで似つかわしくない。

 初めて顔を合わせた時から、ヒメルはそう思っていた。



 基地司令官が交替することが正式に決まり、専属ドライバーも同じく交替することになっていたある日。

 それまでドライバーを務めていたフジノ軍曹に呼び止められ、新しいドライバーだと紹介された人物とヒメルは向き合った。

 フジノ軍曹は少し気の弱い所もあるが温厚な人で、家庭では奥さんの尻に敷かれていると嘆く彼から、そのエピソードを聞くのがヒメルは好きだった。

 交替することが決まり残念には思ったが、彼がドライバーである以上仕方がないと割り切っていたので、悲しくはなかった。

 新しいドライバーさんと仲良くやっていこうと、ヒメルは目の前の下士官の男性に握手を求めた。


「庶務係のヒメル・セイジョウ伍長です。よろしくお願いします」


 深緑色の共和国軍の軍服に身を包んだその人物は、差し出した手を取ると軽い調子で挨拶を返した。


「やあ、どうも」


 それから興味深そうにヒメルの身体を上から下までじろじろと凝視してくる。

 何だろうとヒメルが眉を寄せると、トーマはあごに手をあてながら言った。


「女の子と一緒に勤務できるって聞いたのに、なんかイマイチ色気ない感じっすねえ……。司令部に勤務してるんだからもうちょいあか抜けててもいいのに……。もっと化粧した方がいいんじゃないっすか?」


 平然とした様子で言うトーマの顔を見つめながら、ヒメルは放心してしまった。何を言われているのか瞬時に理解する事ができなかったのだ。


(私、もしかして物凄く失礼な事言われてる……?)


「でも、まあまあ可愛いほうかな……。はじめまして! トーマ・スエサキ軍曹っす。ヒメルちゃんって呼んでいい?」


 にっこりと笑うトーマを睨み付けてヒメルは答えた。


「──断固拒否します!」




 第一印象は最悪だった。それは誰が何と言おうと間違いない。

 その後廊下の真ん中で他の部署の女性軍人(自分より明らかに色気多し)に声を掛けているのを目撃し、更に印象は悪くなった。

 一緒に仕事をするうちに、その最悪印象が払拭されそうになった時期もあった。だがあの事件を境に、ヒメルの中でトーマは完全に危険人物に認定された。


 ハインロット司令官を誘拐しようと画策したのだ。その時のトーマの凶悪な顔を、ヒメルは今もはっきりと憶えている。

 あの時の歪んだ笑み。響く笑い声。自分の身体が総毛立つ感覚。

 あの時殴られた傷はまだ癒えてはいない。随分時間がたったような気がするが、つい先日の出来事だ。

 自分たちがあの現場から逃げた後、トーマとその仲間の男たちは共和国軍に拘束されたと思っていたのに、何故彼がここにいるのだろう。




「やあ、どうも」


 初めて会った時を彷彿とさせる顔で、トーマは扉の前に立っていた。


「──スエサキ軍曹ッ!」


 しかし格好は軍服ではなく、白シャツにスラックスという出で立ち。だがヒメルは、思わずいつもの呼び方を声に出してしまった。

 その声にトーマは一瞬動きを止め、顔から笑みを消した。


(──あっ! そうだ。司令官はスエサキ軍曹なんて呼ばないんだった!)


 自分は今、本来の自分の姿ではない。美貌の少女司令官になっているのだった。

 意外な人物との再会にまたその事実を忘れかけていたヒメルは、司令官の顔を思い浮かべながらすかさず言い直した。


「トーマス! あなたが何でここにいるのッ?」


 魔女セシリアが、人間にはまず見破られることはないと言っていた変化の術だが、人格まで変えられるわけではない。しかも相手はついこの間まで一緒に仕事をしていた同僚だ。正体を言い当てられやしないかと、ヒメルは内心肝を冷やした。

 まさか気付かれただろうか。

 トーマは真剣な表情でじっとこちらの様子をうかがっている。その沈黙が余計に怖かった。

 何とか誤魔化そうと、ヒメルは必死に言葉を探した。


「──とっ、トーマスは帝国のスパイなんでしょう?」


 そう問い掛けたが、トーマは答えない。


「あなたが私を、帝国に連れ去ろうとしたってことは分かってるんだから!」


 やはり答えない。かわりに一歩一歩ゆっくりと近付いてくる。


「まっ、魔女を復活させる為なんでしょ? 帝国は、魔女に支配される国になってしまったって事なの?」


 ソファーに腰掛けたヒメルのすぐ目の前まで来て、トーマは立ち止まった。スラックスのポケットに手を突っ込んだままヒメルに覆い被さるように顔を覗き込む。


「あんた……、ホントに司令官か?」


 ぼそりとトーマは呟いただけだったが、ヒメルは口から心臓が飛び出しそうになった。


 気付かれた──!?


「……もしかしてあんた、ヒメ──」


(ヤバイヤバイヤバイ!)


「なっ、何を言ってるのッ? 私はツルギ・ハインロット! ほかに誰に見えるのよ!」


 トーマは黙り込んでヒメルの瞳の奥をじっと見入ってくる。

 ここで視線を避けては余計に怪しまれる。そう直感したヒメルは必死にトーマの目を見返した。だが相手の鋭い眼光に、琥珀の瞳の奥に自分の姿が見透かされてしまいそうで気が気ではない。

 偽者だということがバレたらどうなってしまうんだろう。

 トーマは魔女に報告するだろうか。その前に総督に報告するかもしれない。あの蛇みたいなおじさんに捕まってしまったら拷問とかされそうだ。いや、それよりこの男にさっさと処分されてしまうかもしれない。


(こっ、怖い! 帰りたいよぉ~! 司令官ッ、早く助けに来てぇ!)


 必ず助ける。と司令官は言っていたけれど、いつ来てくれるんだろう。それまでに魔女について情報を入手するつもりだったのに、この状況じゃ情報どころじゃない。

 どうしようどうしようと頭がパニックになりかけた次の瞬間、不意に応接室の扉が乱暴に開いた。


「どうだ? 間違いないか?」


 そう言いながら部屋に入って来たのは、見知らぬ女性だった。

 グレーのスーツに身を包み、意志の強そうな顔をしかめている。

 女性はきつく結い上げていた茶色い髪をさっとほどいて、少し苛立たしげにトーマに問い掛けた。


「本当にこの娘がツルギ・ハインロットなんだろうな?」


 一体誰だろう。

 ユリス邸からここまで一緒に車に乗って来た男性秘書とは違う、別の秘書だろうか。 

 腰に手をやり、高い位置からヒメルを冷たく見下ろす視線には強い威圧感を覚えた。


「見た目は全く同じなんだ。本人を知っているお前しか判断出来ない。間違いは許されないぞ!」


 なおも女性秘書はきつい口調でトーマに言い放つ。

 ヒメルは不安げにトーマと女性秘書の顔を交互に見た。

 トーマは既に自分の事を疑っている。中身がこの間まで一緒に仕事をしていた同僚であることにも、もしかしたら気付いているかもしれない。当然、これは偽者だと女性秘書に報告するだろう。


(ああ、これで拷問は確定か……)


 そう思いながら、ヒメルは視界が暗くなるような感覚を覚え静かに目を閉じた。


 私の人生、あまりぱっとはしなかったけど、それなりに良いこともあったよな。

 まだまだやりたい事もあったけど、でもまあ、最後くらい華々しく散っていくっていうのも悪くないか。


(司令官、骨は拾ってくださいね……)


 覚悟を決めて、ぎゅっと目を閉じた。




「──これは確かにハインロット司令官っすよ」


 はっきりとトーマの声でそう言うのが聞こえ、ヒメルは閉じた目を見開いた。


「……間違いないな?」

「やだなあ。後輩を信じてくださいよ」


 軽い調子でトーマは女性秘書に返す。


「お前を信じすぎたのがそもそもの失敗だったんだ!」

「えー、自分のせいっすか?」

「黙れ! すでに上から矢のような催促が来ている。これ以上偽物を掴まされるわけにはいかない!」


(──これ以上?)


 どういうことだ。

 これ以上ってことは、以前にも一度、偽物だった事があるということだろうか。


 それに、さっき『見た目が全く同じ』って──?


「それはそれは。迷惑をかけて申し訳ありません」

「まったくだ! お前はもう何もしなくていい。出立の準備が整うまでこの娘を見張っていろ! いいなッ!」


 そう言うと、女性秘書はきびすを返して部屋を出て行った。

 ばんっと扉が閉まった後もカツカツと硬質な足音が聞こえる。たがそれもなくなってから、トーマは脱力するように溜め息を吐いた。


「見張ってろね。はいはい。わかりましたよー」


 ヒメルは目をみはった。

 溜め息を吐くなんて彼には珍しい。と言っても、トーマの何を知っているのかと問われても何も知らないのだけれど……。


「……トーマス?」


 恐る恐るヒメルは声を掛けた。

 自分の正体に気付いていなかったのだろうか。

 それとも、本当は気付いていたのに、気付かないふりをしてくれたのだろうか。


「私は、これからどうなるの……?」


 そう尋ねると、トーマはしばらく沈黙してから困ったような笑顔を向けて答えた。


「今夜中にここを出立しますよ。行き先は、アルフ・アーウです」


 自身の髪の毛をくしゃくしゃと掴むように頭をかくトーマを、ヒメルは黙って見つめていた。





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