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第14話 魔女との密約

 その部屋には結局、何も無かった──。



 白い天井と白い壁、一つだけある小さな窓には鉄格子が付けられている。

 室内にあるのは白いパイプベッドと、スチール製の四角いテーブル。

 幼い頃を過ごした、あの研究所の部屋だ。



 その部屋の真ん中に、ツルギは居た。

 ベッドの上に膝を抱えて座って、白い壁を眺めている。

 その壁をスクリーンにして、映像が写し出されていた。


 ──それはヒメルだった。


 ヒメルは酷く驚いた顔をしてユリヤの話を聞いている。

 無理もないだろうな。とツルギは思う。自分だって、それを知ったのはごく最近だ。

 自分の周囲で何かおかしい事が起きているとは思っていたけれど、まさか自分がそんなことになっているとは思いもしなかった。

 だってそうじゃないか。おとぎ話じゃあるまいし──。



 カチャッと部屋のドアが開いて誰かが入ってきた。

 研究員ではない。

 夕日の様な赤い髪に赤い目をした、妙齢の女性。一見すると少女のようだが、歳を重ねた者が持つ落ち着きを感じさせる女性。

 女性はツルギの隣に静かに座ると、彼女の視線の先を揃って見る。

 そして薄紅色の小さな唇を開いた。


「──良いのか? この娘を巻き込む事になっても……」


 問われて、チリッと胸の奥が痛んだ。

 だがヒメルに言わせれば、そんなこと今さらだろう。

 選択する余地なんて、実はあまりない。なのに本人に答えを選ばせようとした私は、なんてズルい人間なんだろう。


「……あたし、たぶんヒメルのこと、一生見放さないと思う……」


 そう呟くと、ふっと、赤い髪の女性が柔らかく微笑んだ。


「……ねぇ、教えて。役目の終わった魔女はあなたと同化するんでしょう? ユリヤはなんで同化しないの?」


 壁に映った映像を見つめたままツルギが尋ねる。

 赤い髪の女性は束の間考えるように黙ったが、ツルギと同じく壁を見ながらおもむろに語りだした。


「わたくしとユリヤの“同化”は、お互いの同意がなければ成立しないのだ。そして、わたくしと同化するという事は即ち、“個”が“全”になると言う事と等しい……」

「“個”が“全”……?」


 意味がよく分からず、ツルギは正面の壁から視線を外し女性の横顔を見た。


「ユリヤという個の意識が消滅し、すべてが全である魔女になるという事だ。ユリヤはそれを拒んでいる……」

「……なぜ?」


 ツルギは子供のような無垢な表情で、丸くした琥珀色の瞳を女性に向けた。


「そこまではわたくしにも分からない。だがきっと、忘れたくない『想い』があるのだろう。意識が消滅してしまえば、『想い』も消滅する」

「想い……」

「その想いを、自分の言葉で伝えたい人間がいるのだ。もしかしたら、生きている時には伝えられなかった、大切な想いなのかもしれない……」


 ツルギはもう一度壁の方を見た。ヒメルが驚きや不安やらを織り混ぜた複雑そうな顔をしている。


「生きている時には伝えられなかった……?」


 それは間違いなく、兄であるユリスに対する想いだろう。

 ユリスは今も悔いている。

 二十年近くたった今もずっと、たった一人の妹を死から救えなかったことを、ただ側に居てやることすら出来なかったことを、どうしようもなく悔いている。

 その痛々しい姿を間近で見ていたのは、自分だけではない。

 きっと、ユリヤも同じなのだ。


「……時が来たら、身体を貸してやるといい」


 母のように優しい声音で赤い髪の女性が言う。


「うん……」


 ツルギは何か温かいものを胸の奥で感じながら、ゆっくりと頷いた。




 ◇◆◇





 魔女ツルギの騎士。

 自分でも驚くほど自然にその言葉を放っていた。

 あの夜の砂浜で、セシリアの口から受け取った魔力がまだ残っていて、それが身体の中から言わせているような気がした。


「騎士……?」


 ジールは一度怪訝そうな顔をすると、堪えきれないものが溢れ出す様に、肩を震わせてせせら笑った。


「なんだねそれは。彼女を守る騎士気取りか? 彼女は君をここから逃がす為に軍に戻るというのに?」

「──ッ! 司令官をお前に渡すわけにはいかない! もちろん帝国にもだッ!」


 そうスノウが威勢良く言うと、ジールは息を整えるように溜め息をこぼし、諭すかのごとく語りだした。


「君は腕の良い殺し屋だろう? なぜ彼女の為にそこまでする。あの子に惚れたのかね? まあ、気持ちは分からんでもないが……。だがあの子はクローンだ。始めから目的のもとに人為的に造られた子なんだよ。私は彼女に、その役目を果たしてもらおうとしているだけなのだ」

「ふざけるなッ! それが魔女に差し出される事だと言うのかッ!?」


 スノウは思わず声を張った。

 ジールはやれやれといった様子でソファーに座って足を組み直し、言葉を続ける。


「この国の為には彼女の尊い犠牲が必要なんだよ」

「──国の為?」

「君がどこの国の生まれかは知らんが、帝国の侵攻はこのイルムガードにとっても長年の脅威だった。だがある日突然、帝国は戦闘を止めてしまった……」


 ユリスが活躍したとされる『ガンデルク防衛戦』か。

 確か、それを境に帝国は各地で進めていた侵攻の手をぱったりと止めた。その理由については、今も明らかにされていない。


「ここ二十年ほど表立った帝国との戦闘は起きていないが、戦争は終わった訳ではない。それを! 平和ボケした政治家どもは、帝国の脅威はもはや過ぎ去ったものだと思っている! 声高に軍縮を唱える輩まで出てくる始末だ!」


 そう憎らしげにジールは吐き捨てた。

 共和国軍部は評議会の下に置かれる組織だが、その最高指揮官たるジール総督の本心は、決して議会に服従している訳ではないのだろう。


「愚か者どもが! 我が国の脅威は、何も帝国だけと決まった訳ではない! すぐに他の国がその地位に成り代わると言うのに、何が軍縮か!」


 そう不満を爆発させ、ジールは毒づいた。しかしすぐに、ニタリと口の端を吊り上げる。


「……殺し屋(きみら)だって世界中が平和になってしまったら商売上がったりだろう? 軍も同じだよ。帝国が“帝国”たるからこそ、共和国軍はその存在意義がある──」

「──ッ!?」


 そうだ。

 ユリスが言っていた。ジールは軍の力を政界に広げて行きたいのだと。

 その為には、今ここで帝国という脅威が無くなってしまっては困るということなのか。


「まさか……、帝国との戦争を再び起こそうって言うのかッ? 司令長官のあんたがッ?!」


 ニヤリ、とジールが白い歯を見せる。


「戦争なんてそんな大それたものではない。少々小競り合う程度さ。馬鹿な政治家どもに思い知らせてやるだけだよ。この国が世界と渡り合っていく為には、“力”が必要なんだという事をね……」


 それが、この男が帝国と、魔女と交わした密約──。

 その為の捧げ物として司令官は造られたというのか。

 

 ……ふざけるな。


 ふざけるな──ッ!

 思い知らせる為だって?


「そんな理由で戦争するって言うのか! お前たちの勝手な都合で犠牲になるのは、いつだって弱い立場の人間なんだぞ?」


 街の片隅で小さくなって泣いている自分の子供時代を思い出した。

 家もなく、親もなく。

 心細くて押し潰されそうだった幼い頃の日々。


 あんな思いをする子供たちが、またどこかで生まれる──。


「……国同士の争いに多少の犠牲は付き物だよ。我々軍人は元より戦闘による消耗を考慮した上で戦う。だがその戦いによってこの国は目を覚ますのだ。君なら分かるだろう? 彼女の犠牲は、この国の存続の為には必要なんだ」


 そんなこと分かるものか!

 この国が存続する為なら、何も知らない一人の少女はどうなっても良いと言うのか。


「戦う事でしか存続できない国なんて滅べばいいッ!」


 朗々と語るジールの言葉を遮るようにスノウは叫んだ。


 そんな国、さっさと滅んでしまえ。

 国なんてただの形だ。そこで精一杯生きている人々にとってはどうあろうと大した問題じゃない。


「何を言う! それでは社会秩序が崩壊する!」

「戦争に秩序もへったくれもあるか! 生きるか死ぬかの瀬戸際に、そんなこと考える奴はいない! あんたは魔女と取引したつもりなのかも知れないが、魔女が約束を守る保障はどこにもないんだ!」


 ジールは歯を食い縛るように黙った。


 魔女ルディアが新しい身体を手に入れた後、この男との約束を律儀に守り、帝国軍を差し向けて来るかどうかなんか分かったものではない。しかも戦闘が拡大し過ぎないように手加減しつつだ。

 魔女は人間を見下している。ユリヤはそう言っていた。

 ただの人間であるレイという男を愛した魔女セシリア。彼女の方がむしろ特別なのだ。

 今ルディアには身体が無いから、都合の良いことばかり言って操ろうとしているだけだ。


「お前に、司令官は渡さない──!」


 スノウはもう一度そう言うと、司令官を説得に行こうときびすを返して客間の扉に向き直った。

 しかし次の瞬間、その扉を外側から叩く音がした。


「準備ができました」


 そう言って顔をのぞかせたのはジールの部下の男だ。


「おお、そうか。今行く」


 秘書からの報告を受け、まるで何も無かったかのようにソファーから立ち上がったジールは、スノウを一瞥すると肩にぶつかりそうなほどすぐ脇を通り抜けながら言った。


「思い上がるなよ若造が! 今のこの状況では、お前はあの娘を守るどころかこの家から逃走することすら出来んのだ!」


 それからふっと顔の筋肉を緩めて冷たく笑う。


「約束どおり、待機させている部隊は撤収させよう。ただし、私とツルギ君が乗った車がここを出てからだ」


 せいぜい悔しがって見送るがいい。暗にそう言いながらジールは部屋を出ていく。


「──クソッ!」


 結局自分は何も出来ないのか。唇を強く噛みしめ、スノウはこぶしを固く握る。


「スノウ!」


 ジールと入れ替わるようにシュウが部屋に入って来た。しかしその表情は思わしくない。


「ごめん。探してみたけど抜け出せそうにない」


 脱出経路を探しておけと言われていたシュウは申し訳なさそうに謝った。


「ああ、わかった……」


 彼のせいでは決してないのだが、それだけしか言えない。

 エントランスホールに出ると、手に荷物を携えた司令官がジールに背中を支えられながら立っていた。


「司令官──」


 俯いて足元を見つめたままの少女に声を掛けるが、聞こえているはずの彼女からの応答はない。

 それが余計に胸をえぐった。


(魔女の騎士なんて偉そうに言ったって、結局俺は何も出来ないじゃないか……!)


 スノウが震えるこぶしを更に強く握る。その腕に、不意に触れる者がいた。

 見るとそれはヒメルだった。

 ヒメルはそっとスノウの腕に触れたまま悲痛な表情で見上げてくる。


(セイジョウ……?)


 こいつ、こんなだったか?


 するとヒメルはふっと視線を逸して俯いた。


「すいません……司令官を、説得出来なかった」

「いや、いいんだ……。他にも方法はある」


 そうだ。きっとある。

 そう心の中で自分に言い聞かせて顔を上げると、スノウはヒメルの後ろで呆然と立ち尽くすジェイスに向かって言った。


「ジェイス、このことをユリスに──」

「もう伝えてる。でも急いで引き返して来たって間に合わない……」


 自身の不甲斐なさを責めるようにジェイスは声を詰まらせた。


「まだ方法はある。司令官とジールが車に乗り込んだところで車ごと奪い取れば──」

「だッ! ダメダメッ!」


 ヒメルが妙に焦った様子でスノウの腕を引っ張った。その言動に違和感を覚えたスノウは部下の顔を見る。


「いっ、いや、司令官の決意は固いのです。何か考えがあるのかも。このままそっと見送りましょう!」


 まるで誤魔化すように言うヒメルに、スノウは眉を寄せた。何か怪しい。

 しかしそんなことをしている間にも、司令官はジールに連れられ玄関を出る。

 スノウたちも外に出ると、門の前には黒塗りの高級車が横付けされていた。

 まわりの家の陰には確かに隠しきれない人の気配がする。おそらく狙撃手もどこかに潜んでいるはずだ。


「うわっ、相当いるねコレ。こんな住宅街に」


 シュウが後ろで呟く。こいつには自分よりもはっきりと敵の姿が感じ取れているはずだ。

 司令官と共に車に乗り込んだジールは、相変わらず厭な笑みを浮かべながら窓を開けてお決まりのような捨て台詞を口にした。


「それでは、ハインロット氏によろしく伝えてくれたまえ。ツルギ君は、自分の意志で軍に戻った、とね……」


 遠ざかる車のナンバープレートを見つめながら、スノウは仲間の名を呼ぶ。


「シュウ、あの車の後を追ってくれ。夜になったら司令官を奪還しに行く──」

「その必要は無いよ」


 一瞬、誰が発した言葉なのか分からずスノウは振り返った。


「行き先は分かってるから……」


 場違いなほど落ち着いた様子でそう言ったのはヒメルだった。






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