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第13話 総督の企み3

「失礼だが秘書の前はどちらかの部隊に所属されていなかったかな?」


 どういうつもりで問うているのか、ジールはニヤリと厭な笑みを浮かべながら尋ねてきた。

 いや、どういうつもりかは分かっている。こちらの反応を伺っているのだ。この男、始めからこちらの正体を知りながら話をしている。いま目の前にいる自分ではなく、壁一枚向こうの少女に向かって……。


(──とんだタヌキ親父だな。見た目の印象から言えばキツネか……)


 だがそんな事はどうだっていい。とにかく何とか言いくるめて追い帰さなければ。


「実を言いますと、私は元々ユリス先生のシークレットサービスをしておりました。だからですかね。閣下がそうお間違えになるのも無理からぬことで……」


 スノウが平静を装おってそう答えると、ジールは一層歪んだ笑みを見せた。


「おや? そうかね? 私の思い違いかな? 確か君の顔には見覚えがある。ああ、そうだ。士官学校の卒業式だ!」


 ちッ、とスノウは心中で舌打ちした。確かにスノウは士官学校卒業式でジールに会っている。


「君は首席学生として代表挨拶をしただろう! 覚えているよ。非の打ち所のない挨拶だったからね。名前は確か、エルド・ロウ──」


 だが、ジールの声は途中で掻き消された。突然客間の扉が開け放たれたからだ。それと同時に入室してきた人物は、開口一番に叫んだ。


「総督ッ! 彼は犯人じゃありません! 彼は良いスパイなんです!」


 シラをきり通すつもりでいたこちらの努力を完全に無視して、司令官は言い放った。

 お陰でスノウは一瞬の緊張のあと、強烈な脱力感を覚える事になった。


(出て来るなって言ったのに何で出て来るんだ!)


 俯きながら眉間を押さえる。


「おおっ、ツルギ君! 元気そうじゃないか!」


 白々しく驚いた様子でジールが言った。


「やはりな。ここにいる“彼”は君の副官なんだな?」

「はい! 私の副官のロウ少尉です!」


 ──やめろ。


「彼は確かにスパイですが、誘拐されそうだった私を助けてくれたんです! 誘拐犯ではありません!」


 やめてくれ。


「しかし、仮にそうだとしても、スパイとして身分を偽って我が軍に入隊していることは確かだ」

「でも、実害があった訳ではありません。彼は副官として十分過ぎるほど良く働いてくれていました!」

「それ以上言うなッ!!」


 スノウはたまらず叫んだ。

 スパイだとか誘拐犯だとか、そんなことはどうだっていい。

 何故だ。

 何故この少女は自ら不利になるような状況を作るんだ。

 来るなと言ったのに何故出てきた。

 そう問いただすような視線を向けても、司令官はこちらを見ようともしない。それどころか真っ直ぐにジールを見据えながら口を開いた。


「総督、お願いがあります! 彼のスパイ容疑を見逃してください!」

「──ッ!?」


 思いがけないその言葉に、何をふざけたことを言い出すのかと、スノウは少女の顔をまじまじと見た。しかし少女は真剣な顔付きで真っ直ぐ前を見ている。言ってることは滅茶苦茶だが、ふざけてなどいないのだ。

 続けてジールを見ると、勝ち誇ったような表情で髭を撫で付けている。


(──くそッ!)


 やはりこれが奴の目的か。

 司令官をこの場に引きずり出す為に、自分とヒメルの進退を言わば人質にして彼女に揺さぶりをかけた。その思惑に、彼女はまんまとハマってしまったのだ。


「見逃すとはどういうことかな?」

「今すぐこの家の包囲を解いてほしいのです!」


 司令官がそう訴えると、ジールは険しい顔をして、わざとらしいくらいに大きな溜め息をこぼした。


「そう言う訳にはいかない。この男のIDは偽造だ。それだけでも逮捕しなければならないというのに、いくら総督の私でも見逃すわけにはいかない。部隊を踏み込ませていないだけマシだと思いなさい」

「ロウ少尉は私を助けてくれたのですッ! その功労は賞されるべきです!」


 まるで爬虫類系の生き物が獲物を睨むような顔をしながら、ジールが思案するような素振りをした。


「そこまで言うのだったら、そうだなあ……。君が軍に戻ると言うのだったら考えよう」

「軍に?」

「ガンデルクに戻れとまでは言わない。ハインロットも君のことが心配だろう。情報部はどうだね。以前と同じポストだ」


 冷笑を浮かべながらジールは仰々しく両手を広げて見せる。

 スノウは小さく舌打ちした。

 見えすいたことを。スパイ容疑など正直どうだっていいのだ。どうせほぼ自作自演のようなものだ。ただそれをエサにして、少女から答えを引き出す事が一番の目的。彼女を自分の手の届く所に引き戻す為に──。


 司令官はしばし沈黙したが、答えは始めから出ているのか、迷う様子はない。


「……ヒメルの身の保障もしてくれますか?」

「ヒメル? ああ、君の所の下士官かね。もちろんだとも! 彼女には十分な褒賞を与える準備が始めからあるのだ!」


 その場にいたヒメルは、何か言いたそうに口を開きかけた。しかし一歩前に進み出た司令官にそれを止められる形で押し黙る。


「わかりました。共和国軍に戻ります」


 ああ、終わった。と、スノウは閉じたまぶたの中で思った。




 ◇◆◇





「司令官ッ! 本当に軍に戻るつもりなんですかッ?」


 ベッドの上に乗って最低限必要な荷物をまとめ始めた司令官に向かってヒメルは訪ねた。

 客間をあとにして自室に戻った彼女は、無言のままこの屋敷に来た時に持ってきた旅行カバンに、再び荷物を詰め始めたのだ。

 ヒメルは慌てて司令官のあとを追いかけて一緒に部屋に入ったが、ヒメルと同じく司令官に着いてきた総督の秘書らしき男性は、おそらく部屋の前で司令官が出て来るのを待っているだろう。

 逃げないように見張っているとも言えるが。


「たぶん、この家のまわりを取り囲んでいるのは”スモーク”だよ」

「すもーく?」

「情報部の特殊作戦部隊。通称スモーク。あの人達に囲まれてしまったら、いくらスノウたちでも逃げられない……」


 ヒメルが尋ねると、作業の手をふと止めて司令官が言った。


「副官たちを、ここから逃がす為に軍に……?」


 結局離ればなれになってしまうと言うのに?


「ヒメルだってこのままじゃクビになっちゃうよ?」

「それはッ──! ……確かに、困りますけど……」


 ヒメルの声は弱々しい。

 ごく普通の一般家庭出身であるヒメルにとって、今の職を失うのはかなり痛い。軍人は身分も保障されているし給金も高い。現に家族の中でヒメルが一番の稼ぎ頭なのだ。

 しかし、かと言って自分の保身の為に司令官が犠牲になるなんて居た堪れない。


「──このまま総督と一緒に軍に戻ったら、二度と副官とは会えなくなってしまいますよッ?」


 そうヒメルが言い募ると、司令官の動きが止まった。目を閉じてじっと考えているのか、しばらく沈黙した。


「……司令官?」


 長いこと沈黙している司令官の顔を覗き込むようにヒメルが尋ねると、彼女は急に顔を上げた。


「うん。分かった。そうする……」

「……?」


 そうする? 何をするって言うのだろうか。


 訝しげに首を傾げるヒメルに向かって、司令官は不意に言った。


「──ヒメル、一つ確認させてほしい」

「えッ? あ、はい」

「ヒメルはガンデルクに戻りたい? それともあたしに着いてきたい?」

「えッ──?」


 真剣な表情で問い掛けてくる司令官に、ヒメルは一瞬たじろいだ。




 ◇◆◇




 司令官が出ていった後の客間の中には、ピリピリとした空気が張り詰めていた。

 室内に残っているのは、満足気にソファーに腰掛ける共和国軍司令長官と、それを立ち尽くしたまま睨み付ける殺し屋の男──。


 スノウは冷たい深海の海のような青い瞳の奥に、怒りの炎をちらつかせながら、一仕事終えて思い出したように出されたお茶を口に運ぶジールを見下ろしていた。

 この男は先程、司令官が共和国軍に戻ることを条件に、ユリス邸のまわりに待機させている特殊部隊の解散と、自分に掛けられたスパイ容疑を不問にすると約束した。だが本当にその言葉を信用しても良いのかどうかはスノウには分からない。少なくとも司令官は信用しているようだ。

 彼女は荷物を準備すると言って部屋を出て行った。準備ができ次第、ジールは彼女を連れて行くつもりなのだろう。

 ユリスが知ったら黙っていないだろうが、司令官が自分の意志で戻ったとなればユリスもすぐには手が出せない。もたもたしていたら直接帝国に引き渡されてしまうかもしれない。

 彼女を説得するなら今しかない。


「──ツルギ君を説得しようとしても無駄だよ」


 ぬるくなった紅茶をすすりながらジールが言った。その、こちらを見透かしたような口調に更に怒りが込み上げる。


「彼女は一度自分で決断した事はなかなかひるがえさない。あの子はそういう子だ……」


 自分から仕向けておいて彼女の決断などとよく言えたものだ。


「……お前の企みは何なんだ?」


 スノウは議員秘書の仮面など剥ぎ捨て、ジールに向かって鋭く問いかけた。


「企みとは心外だな。私は彼女が軍人として人生を踏み外さないよう道を指し示しているだけ。彼女は旧友から預かった大切な娘さんだからね」

「ユリスを言いくるめて彼女を造らせたのはお前なんだろ?」


 そう言うと、ジールはパタッと動きを止めて、笑みの消えた灰色の瞳をこちらに差してきた。チッとわずかに吐き捨て、ティーカップをテーブルに置く。


「ハインロットは随分と君を信用しているようだな。それは私と、彼との間だけの秘密だったはずなのだが……」

「あんたらはそんな大事な秘密を共有するほどの仲なのか? 俺には、あんたらが互いに腹を探り合っているようにしか見えない」


 腕を組んで呆れたようにスノウが尋ねると、ジールは鼻で笑いながら言った。


「君には分かるまい。私とハインロットの間にある絆など。我々の抱く理想の社会が。この国の行く末を左右する立場にある者の心痛が──!」

「あんたらの絆? 笑わせる! あんたはユリスに重大なことを隠しているんじゃないのか?」


 スノウが鼻で笑うと、ジールも同じく馬鹿にしたように笑う。


「隠す? 何を隠すと言うのだ? 私はハインロットには家族が必要だと思ったから力を貸したまで。非合法ではあったが彼の為には必要だった。だからこそツルギ君の将来は私が責任を持って世話をすべきだと──」

「だが貴様は、本当は彼女の将来の事など何一つ考えていない。だから彼女が研究所でどんな扱いを受けようと構わなかった──。あんたは最初から彼女を人間とは思っていないんだ! 何故なら、はじめから帝国に売り渡すつもりで造ったんだから!」


 ジールの灰色の目が見開かれた。しかしすぐにまた笑みを浮かべる。


「一体何の話をしているんだね。帝国に売り渡す? そんなことをして何になる?」


 スノウはふうっと息を吐いて答えた。


「それはこっちが聞きたいな。あんたは帝国とどういう密約をしているんだ? 帝国の誰と。それとも、直接魔女と──?」


 ジールの顔色がさっと変わった。『魔女』と言う言葉に反応したのか急に顔の笑みを消し、警戒心もあらわに睨み付ける。


「……お前は、何者だ? どこまで知っている──?」


 地を這うように低い声でジールが問う。やはり、この男は魔女の存在を知っている。

 アルフ・アーウにいるという、魔女ルディアの存在を……。


 こんな男に、彼女を渡してたまるか──!



「──……俺は、魔女ツルギの騎士だ!」


 そんな言葉が、自然と口から溢れ出た──。





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