第12話 総督の企み2
副官は客間の扉を開けて室内に入るなり、纏っていた空気を一変させた。
冷静さを通り越したいつもの堅い雰囲気から、人当たりの良さそうな柔らかい雰囲気に変わったのだ。
それだけでもヒメルにとっては驚くべきことだったが、更に副官はソファーに腰掛けた総督に近付くと、言葉の割りにさほど恐縮してもいないような様子でこう切り出した。
「申し訳ありませんマクシミリアン閣下。ユリス先生は本日も地方後援会の会合に出席する予定で早朝から不在しておりまして……」
まるでベテラン秘書の様な滑らかな口調でそう言うものだから、ヒメルは本気で知らないうちに副官がユリス氏の秘書に雇われたのかと思った。
「いやいや、こちらこそ朝早くに連絡もせず押し掛けて来てしまって申し訳ない──」
対する総督もまったく怪しむ素振りを見せず、以前からの顔見知りであるかのように親しげな態度で副官に返した。どうやら相手が共和国軍人だとは気付いていないようだ。
いくら副官が若手エリート士官とはいっても、何十万人といる兵士一人一人の顔までは分からなくても仕方がない。当然ヒメルの顔だって分からないだろう。
「今回の誘拐未遂事件のことで、ひと言謝罪を述べさせて頂きたいと思って参った次第でね。すべては私の監督不行き届きが原因……──ところで、ツルギ女史の容態は? まだ臥せっているのかな?」
ヒメルは一瞬ギクリとしたが、尋ねられた本人は議員秘書の風体を崩すことなく答えた。
「それが……相当怖い思いをされたようで、ツルギさんはまだ部屋から一歩も出られないような状況なんです」
そう言って悲痛な表情をする副官。それを横目で見ながら実際の司令官の顔を思い浮かべ、ヒメルは心の内だけで苦笑いをした。
なるほど、対外的には司令官は恐怖のあまり臥せっていることになっているらしい。
「それは可哀想に。彼女は基地司令官としても実に優秀な人材だ。復帰してもらう為にも是非とも見舞わせてもらえないだろうか……」
ソファーに座り直し、身を乗り出さんばかりに言う総督に、副官は深々と頭を下げる。
「申し訳ありませんが、それはお気持ちだけで……。今はまだ、とても人前に出られる様な状態ではありません。ユリス先生も、ゆっくり休ませようと仰っておいででしたので……」
ヒメルは、すらすらと副官の口から出てくる事実と異なる言葉に舌を巻いた。
この人、やっぱり潜入のプロだ。自分だったら咄嗟にこんな風に喋れない。
「そうですか。残念だが仕方ない。再起を信じて待つよりほかないか……」
ふうっと溜め息を漏らして総督は言った。かと思うと何故か急に思い出したように、唇の上の黒々とした髭を人差し指でなぞりながら話題を変えた。
「ああ、そうそう。ツルギ君を誘拐しようとした犯人だがね。どうやら報酬を得て犯罪を犯す殺し屋組織の者らしい。情報部が行方を追っているんだが、何か知らないかね?」
「……私がですか? いいえ何も……」
副官は顔色を変えることなく答える。
「そうか。実は、いまだ逃亡中の犯人にはスパイ容疑もかかっているのだ。事もあろうに、ツルギ君の副官として潜り込んでいたらしい。その男が誘拐の手引きをしたようだ」
──間違いない。総督の言う『犯人』とは今ここにいるロウ少尉の事だ。
(そんな! そんなの嘘よッ!)
ヒメルは愕然とした。確かにスパイであることは本人も認めていた。だが、司令官誘拐の件は断じて違う。むしろ副官は司令官を誘拐犯から守ったのだ。しかし当然のように総督はすべてをロウ少尉、いや、殺し屋スノウの犯行であるかのように話している。
「そう言えば、ツルギ君の下に女性下士官が一人いるのだが、現在行方不明でね。所在さえ分かれば彼女には上官を守った功績で功労賞を与えようと考えているのだが──」
「え……」
思わずヒメルの口から声が漏れた。
(私が、功労賞……?)
それってつまり、勲章か何かが貰えるってことなのだろうか。
まったく思いがけないことにヒメルはうろたえた。表彰されるなんて今までの自分には縁の無いこと過ぎて、想像すら上手くできない。
「……しかし、残念だがこのまま無断欠勤が続けば免職にせざるを得ない。実に残念だよ……」
(──めっ! 免職!?)
そのあまりに無機質な響きの言葉に、ヒメルは耳を疑った。
(私、クビになっちゃうの?)
そう喉まで声が出かけたが何とか飲み込む。
総督は髭に続いてあごを撫でながら、一体誰に向かって話しているのか独り言のように呟いた。
「何らかの事件に巻き込まれたか……、もしかしたら彼女も殺し屋組織の一員だったのかもしれない……」
「──ッ! ちっ、違う!」
咄嗟に声を上げてしまってから、ヒメルは慌てて口元を手で塞いだ。副官が一瞬じろりとこちらを睨んだのだ。
冷や汗がぶわっと身体中に噴き出し、手足が震えた。
(……ヤバイ)
総督は蛇のような目付きで一度だけこちらを見ると、わざとらしく困ったように眉を寄せて副官に言った。
「何か言ったかな?」
「いいえ、何でも。申し訳ありません。作法を知らないメイドで。どうぞお気になさらず……」
苦笑しながら副官が答える。
「──ところで。今更こんなことを言うのもお恥ずかしいが、君はハインロット氏の私設秘書でいいのかな? 見掛けない顔だが。確か彼の私設秘書は女性が一人しか居なかったはず……」
緊張で今にも心臓が爆発しそうなヒメルは、ぴりぴりと頬がケイレンした。
もしかして総督は、こちらの正体に最初から気付いているんじゃないだろうか。分かっていて、こちらが尻尾を出さないかと白々しく尋ねているんじゃないだろうか。
しかし尋ねられた当の副官は、そもそもヒメルとは心臓の構造が違うとでも言うように平然とした態度をし続けている。
「今日初めてお目にかかります。昨日から置いてもらうようになったばかりなので──」
そう言ってにこりと笑った。
そんな顔、自分の上官として仕事をしていた時は一度も見せたことがない。
「そうかそうか。いやいや君は実に爽やかで精悍だね。議員秘書には見えない。まるで軍人のようだ。失礼だが秘書の前はどちらかの部隊に所属されていなかったかな?」
ひぃっとヒメルは悲鳴を上げそうになった。どう答えるつもりなんだろう副官。
すると副官は、事もなげに笑みを見せながら口を開いた──。
◇◆◇
「ちょっと待てよ!」
ジェイスがそう言って腕を押さえても、それを引き剥がさんばかりにツルギは身体を揺さぶって抵抗した。
「離してよッ! 総督に直接言ってくるんだから!」
「言うって何を言うんだよッ?」
「スノウは誘拐の犯人なんかじゃないッ! 彼はあたしを守ってくれたんだってッ!」
「──それを言ってどうするんだよ! あいつがスパイなのは確かなんだろ? お前が出て行ったってそれは変わらないじゃないか!」
「でも──! 何か言わなきゃ! ヒメルだってこのままじゃ免職になっちゃう! あたしたちが勝手に連れてきたのに!」
「今出て行ったってあのおっさんの思うつぼだぞッ? おっさんはきっと、オレたちがここで部屋の様子を見てることなんて百も承知なんだ。知っててお前を挑発してる。お前をおびき出す為に!」
それは、ツルギも薄々分かっているのだろう。抵抗を止めて急に大人しくなり、俯いたまま動かなくなった。
何とか彼女をなだめることには成功したようだ。
ジェイスは安堵の溜め息をついた。しかしそう思ったのも束の間、少女が声を震わせながら言った。
「それでも行く……」
「──は?」
「行って総督にはっきりと言う。私をクビにしてくれって……」
「なに言って──」
「あたし、スノウとの繋がりを断ち切りたくはない。でも、こんな形はイヤなの。あたしは、スノウの足枷になりたいわけじゃない──!」
言い終わらないうちにツルギは腕を振り払うと、書斎の扉に向かって一直線に駆け出した。
「おいッ! ツルギ!」
引き留める声を無視して扉にたどり着いたツルギは、勢い良くドアノブを引く。するとそこにはシュウが立っていた。
ちょうど部屋に戻って来たところだったらしい。髪から服装まで全身黒一色の少年が黒い瞳をぱちくりさせる。
ツルギはするりとシュウと扉の間をすり抜けると、あっという間に部屋を出て行ってしまった。
「うあっ、なに? どうしたの?」
少女の背中を見送りながら状況が分からずキョトンとするシュウに、ジェイスは吐き捨てるように言う。
「なんで止めねぇんだよ! 出て行っちまったじゃねえか! このチビ助!」
「チビ助ッ!?」
いわれのない非難を受けたシュウがじろっと睨むようにジェイスの顔を見上げた。