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第10話 噛み合わない会話

 ハインロット邸にやってきて三日目の朝。

 さわやかな朝のひとときであるはずの時間。ヒメルは一人、重苦しい雰囲気に耐えながら息を潜めていた……。




 昨日と同じく、朝食の準備をする料理長を手伝おうとキッチンに顔を出すと、昨日にも増して料理長は機嫌が悪い。その機嫌の悪さと言ったら相当なもので、ヒメルの顔を見ても一言も喋らないほど。


 やがて朝食ができ上がり、ヒメルは各部屋をまわり声を掛けに行った。

 まず男性陣の客室を訪ねると、副官も料理長に負けじと機嫌が悪いらしく、鉄仮面のような顔に思わずヒヤリとした。

 副官の脇の下から部屋の奥を盗み見ると、シュウはベッドに突っ伏したままでまったく動かない。

 無理もない。彼は明け方近くまで自分と飲み慣れないと言うワインをあおっていたのだ。まあ当然の結果だろう。

 ちなみにヒメルは昨夜のアルコールなどまったく残っていなかった。こう見えてお酒は結構強いのだ。


 ユリス氏と秘書のヘルミナさんは今日も朝早くから仕事のようで、二人だけ先に朝食を済ませて出掛けて行った。


 司令官の部屋に声を掛けにいくと、中から少々元気の無い声が帰ってきて、ヒメルは「あっ」と小さく呟いた。

 昨夜の夜這い大作戦の事をすっかり忘れていたのだ。

 数秒して部屋の中からぶすっとした顔の司令官が現れ、ヒメルは気まずさを感じて尋ねた。


「お、おはようございます司令官……。昨日は、その後どうでしたか?」


 すると司令官は美しく整った眉毛の両端を下げながら、


「聞いてよヒメル~! 部屋にスノウが居なくて、しばらく待っていたんだけど全然帰って来なかったんだよ~! せっかくヒメルに選んでもらった悩殺下着をガウンの中に着込んで行ったのに~!」


 ──と泣きそうになりながら訴えた。


「え、ホントに着て行ったんですか? アレ」

「うん。……?」

「いえ、何でもないです! まだチャンスはありますよ! 私も協力しますから! ……とりあえず、朝ごはん食べませんか?」


 そう言うと、司令官は少し気を取り直したようで苦笑しながら小さく溜め息を漏らした。


「……そうね。待ってて、着替えてから行く」


 司令官の着替えを部屋の中で待ってから、ヒメルは司令官と共にキッチンに戻った。




 キッチンに戻ると料理長の姿はすでになく、きっと隣だろうとそこから繋がるダイニングへと移ったのだが、その室内には世にも恐ろしい光景が広がっていて、ヒメルは思わず息を飲んだ。


 テーブルに料理長と副官が座り、互いに凄まじい冷気を発していたのだ。


(──うわぁ……)


 六人掛けのテーブルの対角線上の位置に座り、決して目を合わせようとしない二人。重苦しいと言うか、皮膚に痛いくらいの張り詰めた空気が漂っていた。

 ここはツンドラですか? と問いたい気持ちを押し殺して、ヒメルは副官の隣に座る。その正面に司令官も座った。


「……何かあったの? この二人」


 さすがに司令官も空気の悪さに気付いて、ヒメルと顔を付き合わせながらひそひそ声で言った。


「さ、さぁ……、私には何とも……」


 もともと仲が良い訳では無かったが、ここまで険悪では無かったはず──。

 一体二人の間に何が起きたのか、ヒメルには知る術がなかった……。




 ツンドラに耐えながら朝食をとり終え、司令官と副官がダイニングルームを出て行き、ヒメルと料理長はキッチンに残って後片付けをした。その間も料理長は一言も喋らない。

 彼はなまじ容姿が整っている分、黙っていると余計に怖い。

 料理長側の身体半分にだけ異様な冷たさを感じながら二人並んでお皿を洗っていると、不意に料理長が長いこと閉ざされていたその口を急に開けた。


「……なあヒメル」

「はッ! はひ!」


 突然のことに、ヒメルは変な声を上げてしまった。しかし料理長はそれには触れず、神妙な表情で言葉を続ける。


「やっぱ、守られてばっかの男なんかに魅力は感じねぇよな?」


 料理長とは対照的にぽかんとしてしまうヒメル。


「は? 守られてる、男? ……まあ、情けない感じはしますけども……」

「そうだよな。今のままで、いいワケがねえよな………」

「……?」


 料理長が何の事を言っているのか分からずヒメルは首を傾げた。

 その直後。


 ──ジリリリリッ!


 来客を告げるベルが鳴ったのだ。




 ◇◆◇




 朝食の後、ダイニングルームを出たスノウは司令官の後ろ姿を追った。


「──司令官! 少しお話が……」


 そう声を掛けると、階段の一段目に片足を掛けた状態のまま司令官は振り返り、驚いた様子で大きな目を丸くした。


「な、なあに?」


 何故か妙にうろたえた様子の彼女。やはり自分を避けようとしているようだ。しかし、ここを離れる前に魔女の事だけでも伝えておこうと、決意をして声を掛けたのだ。そんなことで怯むわけにはいかない。


「どうしても伝えておかなければならない、大事な話なのです」

「えっ──?」


 そう言うとますます少女はうろたえ、頬を紅潮させた。

 きっと一昨日の夜の事を思い出しているのだろう。気付いたら男の部屋に忍び込んでいたなど、思い出すだけでも恥ずかしいはずだ。


「少し外に出ませんか?」


 スノウは少しでも少女の羞恥心を紛らわせようとテラスに誘った。司令官は恥ずかしそうにしながらこくりと頷いた。




 テラスへ出ると、朝日が眩しいくらいに差し込んでいて、どこからか鳥のさえずりが聞こえてくる。

 まず、何から話そう。

 光を溜め込んだプールをぼんやりと眺めながらスノウは思った。

 昨日の夜、ユリスと話をしたことからにしようか。護衛を兼ねて逃亡の手助けを頼まれたが、断ったことを。そして明日の朝にはここを去るつもりでいることを──。


 背中に司令官の気配を感じながらスノウがおもむろに口を開いた。


「……昨日の夜のことなのですが──」

「やっぱり気付いてた?」

「──?」


 司令官からの突然の返答に、スノウは意表をつかれて振り返った。


「ムードさえ良ければ上手くいくと思ったんだけどなあ。でも良く考えたらスノウの好みも考えないといけなかったね。スノウはどんな感じが好みなの?」

「な、何の話ですか?」

「あたしが昨日の夜、あなたの部屋に夜這いに行ったこと気付いてたんでしょ?」

「よっ、夜這い!?」


 その、まったく予想外の単語にスノウは思わずどもってしまった。

 一体何を言い出すのだこの少女は。


「やっぱり下着姿は気に入らなかったか。どんな感じが好き? 清楚な感じ? 猫耳? ウサ耳? 何でも対応可能だよ?」

「いや、ちょっと待ってください! 話が見えないのですが──」

「え? 気に入らなかったからあたしを放置したんじゃないの?」

「はッ? 放置? 何の事を言っているのですか──?」

「違うの? じゃあどうして部屋に居なかったの? あたしずっと帰ってくるの待ってたんだけど」


 放置も何も、昨夜はユリスと密談をしていて部屋にいなかっただけのこと。

 むくれ顔をする司令官にスノウは慌てて弁明の言葉を考えた。しかし何故謝ろうとしているのか自分でもよく分からず首を傾げる。約束をしていたわけでもないのに、責められる謂われはない。


「……ま、いいわ。次回頑張るから!」


(次回? 次もあるのかッ?)


「そうだ、早速だけど次回に向けてリサーチさせて。スノウの好みを把握しておきたいの」

「好みッ?」

「好きな女の子のタイプは?」

「あの、そんな話をしたい訳では──」

「長い髪は嫌い?」

「いや──」

「嫌なの? え〜スノウが嫌なら切ろうかな」

「いえ切らなくていいです!」

「そう? 長い方が好み?」

「好みと言うか、それはそのままでいいと思いますが……」

「なにそれ〜はっきりしないなあ……」


(──何の話をしているんだ俺たちは……?)


 スノウは訳が分からなくなり眉を寄せた。

 違う。そんな事を話したい訳じゃないんだ。

 あなたは魔女だ。だから帝国に狙われる。それを伝えたいだけなんだ。


 ──ジリリリリッ!


 唐突に玄関の方で呼び出しのベルの鳴る音が聞こえた。来客のようだ。

 かと思うと、その後、ヒメルの慌てたような声が屋敷内に響いた。


「司令官ッ! 司令官ッ! 来てください司令官──!」


 スノウは思わず司令官と顔を見合わせた……。




 ◇◆◇




 ──ジリリリリッ!


「はーい」


 来客を告げるベルが鳴り、ヒメルが玄関の扉を開けると、そこには見慣れないおじさんが立っていた。


「……?」


 本当におじさんと言うにふさわしいぐらいの年齢に見える、スーツ姿の中年の男性で、鳶色の髪を整髪剤でオールバックに撫で付け、鼻の下にひげを生やしている。だが普通のおじさんにしては精悍な顔立ちで、引き締まった身体をしているのがヒメルは少し気になった。

 それに何となく見たことがあるような気が……。


「おや、見慣れない顔だね。新しいメイドさんかな?」


 相手のおじさんがそう言ったのには理由があった。何せヒメルは今、昨日まで司令官の部屋のクローゼットに眠っていたフリフリのメイド服を着ていたからだ。

 司令官曰く、父親であるユリス氏が勝手に買って来たものらしい。

 やけにスカート丈の短いワンピース。フリルのたっぷり入ったエプロンは、胸当ての部分がハート型。

 なぜ彼がこんな服を娘に買い与えたのか、ヒメルには理解できない。自分だったらハロウィンでもない限り着用しないだろう。

 正直普段着として着るのは遠慮したかったが、他に着る服がないので仕方なく朝から着ていたのだ。

 しかし幸か不幸かそのことに触れる者は一人もおらず、ヒメル自身忘れていた。

 それはさておき、目の前のおじさんは少々目をみはった後、ヒメルに言った。


「朝早くに申し訳ないね。ユリス・ハインロット氏はご在宅かな?」

「……どちら様ですか?」


 ヒメルがそう尋ねると、おじさんは目を細めるように笑いながら答えた。


「失礼。私はジール・マクシミリアンと申します。共和国軍の司令長官をしている者です」


 ヒメルは目玉が飛び出るんじゃないかというくらい目を丸くして驚いた。

 そりゃあ見たことあるはずだ。いや、すぐに気付かなければいけなかった。

 このおじさん、いや壮年の紳士は、共和国軍人の頂点に立つ人物。ヒメルにとっては雲の上の人とも言える御大尽。

 共和国軍司令長官、ジール・マクシミリアン総督だった──。





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