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第9話 三者三様

 話は、二十数年前に遡るのだと言う──。


 アルフ・アーウ国は強大な軍事力を有する王政国家で、国内のいたるところから採掘される豊富な地下資源を下支えに、周辺諸国への侵攻、植民地支配を繰り返して繁栄してきた国だった。

 帝国主義を絵に描いたような国であった為、いつしか『帝国』という言葉そのものがこの国を表すようになっていた。

 賢王と呼ばれたガンルーク2世の御代には、更に隣国ファルへ侵攻の手を広げていたのだが、ある日突然、国を揺るがす大事件が起こる。

 夏の休暇中に訪れていた離宮で、国王と皇太子の一家が何者かに襲撃され非業の死を遂げてしまったのだ。侍従や近衛も含め全員が犠牲になり、その後火を放たれるという凄惨な事件だった。

 国王と王妃、皇太子夫妻、そしてその息子の幼い王子を一度に失うという事態に、国民は深い悲しみに包まれ、誰もが国の行く末を案じた。

 間を置かずして国王の弟であるヘンリーク大公が次代の国王として即位し、王家の血筋が絶えることは免れたものの、新国王ヘンリークは、国王一家は当時戦争中だったファル国の手によって殺害された可能性が高いと発表し、報復としてファル国へ総攻撃をしかけた。

 もともと資源の乏しい国だったファルは、あっという間に陥落。『帝国』に支配される植民地となったのだった──。




「でもね、全員死亡したと思われていた国王一家には生き残りがいたんだ……」


 そう言って前置きしてから、ユリスはにやりと不敵な笑みを浮かべて言葉をつむいだ。


「皇太子の一人息子、イルーク王子。当時、まだ5歳だった王子は近衛隊長によって密かに助け出された」

「それがジェイスだって言うのか?」

「そう、彼はイルーク王子その人だよ」


 ユリスはこくりと頷いて答えるが、スノウはどうにも合点がいかない。今まで目の当たりにしてきたジェイスという男の姿を思い出しても、王子様なんて言葉が似合う男には到底思えないのだ。実はマフィアの息子だと言われた方が余程納得できる。

 そう言えばヘルミナは、ジェイスの事を何故か『ジェイス様』と呼び、妙に敬ったような態度だった。彼女はユリスの秘書であるはずなのに、だ。


「まさか、あんたの秘書もアルフ・アーウ王家に仕えていた人間なのか……?」

「ヘルミナかい? 彼女は王子を助けた近衛隊長の娘なんだ。幼い王子を連れて命からがら帝国を脱出した、王子の唯一の従者だよ。私の秘書をやってもらっているのは、この家にいても不審に思われないようにする為さ。ジェイス君が我が家の親戚を名乗っているのも同じ理由。イルーク王子が生きていたとなれば困る人がいるからね……」

「困る?」


 死んだはずの王子が生きていたとなれば本来は喜ばしい事のはずだが、困るとは一体どういう事だ。


「まさか先代国王を殺害したって言うのは──」

「そのまさか。現国王のヘンリーク本人だよ。ファルは完全に濡れ衣を着せられたってことだね。どうだい? 憎いかい?」


 スノウの顔を覗き込むように見てユリスが尋ねた。しかしスノウはまったく表情を変えずに聞き返す。


「憎い? 何故だ?」

「君はファルの生まれだろう?」

「……それも調べたのか?」

「単なる予想だよ。裏の稼業に従事する人間はファルみたいな国の出身が多い」


 確かにその予想は当たっている。ゴルダ村に住んでいる者のほとんどがファル国の生まれだった。だが別に、ファルという国に対しては何の愛着もないし、国に何かをしてもらった記憶もない。

 ファル国政府は既に形骸化しており、民に対してすることと言えば搾取しかないのだ。そんな状態で愛国心など生まれようはずもない。


「憎しみなんかない。どのみちファルは帝国に支配されていたんだ。そこに大義名分があろうがなかろうが関係ないだろ」


 スノウがそう言うと、ユリスは眉の端を下げながらふっと鼻から息を漏らした。それから何かを思い付いたのか、ぱっと表情を明るくして言った。


「そうだ! ついでと言ってはなんだけど、ツルギと一緒にジェイス君も連れて行ってくれないか?」

「なにッ!?」


 とてもついでに言えるような内容ではない。スノウは今までの顔の規格を忘れるくらい表情を歪ませた。


「ここしばらく私は情報部に行動を監視されていてね。いずれジェイス君の事も嗅ぎ付けられるんじゃないかと憂慮している。情報部はジール総督と直結しているんだ。これ以上総督に弱味を握られるのは避けなければいけない。もちろん報酬は倍の金額を支払うよ!」


 この男は性懲りもなく。また先ほどと同じ押し問答を繰り返すつもりか。スノウは眉間を押さえて俯いた。しかしすぐに顔を上げて尋ねる。


「……“これ以上”って、すでに何か弱味を握られているのか?」


 するとユリスは曖昧な表情をしながら、うーんと言い澱んだ。


「弱味と言うか、共犯かな……」


 ヒトのクローンを造ったと言う罪か。


(そんなこと俺が知ったことか……!)


 スノウは大きく息を吐いてソファーから立ち上がると、部屋を出て行こうとユリスに背を向けた。


「あんたの言いたいことは分かった。だが悪いな。俺が直接仕事の依頼を受けることはないんだ」


 あくまで自分は依頼者から受けた仕事の実行者であり、どの仕事をどれだけの報酬で受けるのかというのはゴルダ村にいる元締めが決める事だった。

 そのまま振り返ることなく扉に向かって数歩歩くと、ユリスは残念そうに、だがそれほど気落ちしているようでもない声を掛けてきた。


「今回は例外ということはできないのかい?」


 スノウは首だけで振り返って冷たく言い放つ。


「例外はない。俺はあんたと仕事の話をしに来た訳じゃないんだ」

「──じゃあ君は何の為にここまで来たんだい? 君にとって何の得にもならないだろう?」


 そう聞かれると、即座に返せる答えが浮かばない。


(……魔女の存在を知ったからか? それとも俺がレイと同じ魂を持って生まれてきたからか……)


 何が始まりなのか、自分でもよく分からない。


(──いや違うな。俺がもう少しだけ、彼女の副官でいたかったからだ……)


 何をするにも無茶苦茶な少女に振り回されてばかりだったけれど……。

 でもその時だけは、自分が裏の世界に住む人間であることを忘れさせてくれた──。


 スノウは少し考えてから顔を上げ、もう一度一人掛けソファーに頬杖を付くユリスを見返した。


「──俺は殺し屋として今まで自分で仕事を選んだことはないが、かと言って意志が無い訳じゃない。一銭にもならないと分かっていても、途中で投げ出す気にならなければ、報酬度外視で立ち回ることもあるさ……」


 気まぐれと言えばそうかもしれないが、トーマから彼女を助けたのも、彼女の手を取ってここまで来たのも、すべて自分の意志でやった事だ。それは間違いなかった。


「君にとってそれだけの価値が、私の娘にはあったと言うことだね……」


 ユリスはふわりと柔らかく微笑んで言った。その顔が、スノウの脳裏で少女の顔と重なる。

 本当に、なんだってこんなに良く似ているんだろう。

 琥珀色に輝く瞳も、陶器のように透き通る頬も、嫌になるほどあの少女を思い出させる──。


「これからどうするつもりなんだい?」


 ソファーに背を預けたままでユリスは尋ねた。


「別に、俺たちの家に帰るだけだ。他の仲間がどうしているかも気になるしな──」


 そう言ってから、ユリスに向き直ってスノウは続けた。


「司令官は確かにその身を狙われている。あんたの言うとおり総督がその手引きをしたと言うのなら、おそらく総督は帝国と繋がっている」

「ツルギを連れ去ろうとしたのはやはり帝国なんだね。それは……、ユリヤと同じ理由なのかい?」

「そうだ。今はそれしか言えない」

「……そうか」


 悲しげな笑みを浮かべて呟くユリスは、とても小さく、弱々しく見える。


「彼女を決して一人にしてはいけない。できれば護衛を付けた方がいい。彼女自身にもそれを自覚させてくれ……」

「分かった。そうするよ……」


 ユリスがしっかりと一度頷いて言った。爛々と光る瞳。強い眉。そこに悲しげな表情はもう無い。娘を守るという確固たる決意が垣間見えた。

 もうこれで十分だろう。自分の出来ることはもう無い。

 スノウは再びユリスに背を向けると、扉の前に立った。


「ありがとうロウ君。君は確かに腕利きの殺し屋だ」


 ユリスのその声を背中で聞いて、スノウは言葉を返した。


「ロウと言うのは今回の仕事で使っていただけの名前だ」

「じゃあ本当の名前は?」


 本当の名前なんてとっくの昔に捨ててしまっていた。もう誰も、自分を生まれた時の名で呼ぶことはない。

 呼ばれなくなった名前に何の未練も無かった。今の自分は『殺し屋スノウ』以外の何者でもない。


「──スノウだ。仲間はみんなそう呼ぶ」

「スノウ。君にぴったりの、良い名前だ……」


 同じことをよく言われるが、何がぴったりなのか自分ではよく分からない。ただ昔、ソールが言っていた。

 あなたは『氷』ではなく『雪』なのだと。

 その意味は、未だに分からない。


「なんだかこのまま別れるのも名残惜しい。娘を助けて貰った礼もあるし、明日は夕食をご馳走させてもらえないだろうか?」


 予想だにしないユリスからの誘いに、突然何を言い出すのかとスノウは面食らった。


「私は明日も予定があるが、夜までには帰るようにしよう。ぜひ我が家のディナーを堪能してもらいたい。まあ、作るのはジェイス君だがね──」

「……あんた、他国の王子に何やらせてんだ?」


 にっこりと満面の笑顔で言うユリスに、スノウは思わずじとっとした視線を向けて呟いた。




 ユリスの書斎を出る頃にはすっかり真夜中を過ぎていて、スノウは静まり返ったエントランスホールを抜け階段を上がった。

 部屋に戻ろうと暗い廊下を歩いていると、廊下の先に人の気配がする。近付いてみるとそれはジェイスだった。


「──話は終わったのか?」


 壁に寄りかかりながらこちらに視線を投げ掛け、ジェイスは言った。


「……ああ」

「で? どうすんだよお前」

「──?」


 質問の意図が分からず眉を寄せたスノウは、何処と無く険悪な相手の態度に少し身構えた。


「あいつの護衛役。仕事として受けるのか?」


 どうやらユリスとどんな話をしていたのかだいたい内容は知っているらしい。


「生憎だが、俺は依頼人から仕事を受ける係じゃないんだ」

「──はッ⁉ 何だよそれ!」


 スノウが抑揚の無い声で答えると、途端にジェイスはいきり立ち、寄り掛けた身体を起こして詰め寄った。


「ここまで来て逃げるつもりかッ? あいつを見捨ててッ? あいつは帝国にも軍にも狙われている。行き場がないんだぞッ?」

「──だからどうしろとッ? あんたもユリスも、この俺に何をして欲しいって言うんだッ!」


 気が付くとスノウは、自分でも驚くらいはっきりと声を荒げ、苛立ちをジェイスにぶつけていた。


 逃げるだの見捨てるだの、何も知らないで勝手な事ばかり言うな。

 この男だけじゃない。セシリアもユリヤもそうだ。一体何を期待していると言うんだ。何の力もないただの殺し屋に。

 レイと同じ魂を持っていると言われても生身の人間だ。少女を守ろうとしたところで、彼女の為に何かができる訳じゃない。そんな人間が側にいたって、何の意味も無いじゃないか。


 しばらく二人の間に沈黙が流れた後、ジェイスは低く唸るような声を絞り出した。


「……そうかよ。分かった。お前がそのつもりならオレがやる。あいつの気持ちを大事にしてやりたかったが、お前がそのつもりなら遠慮はしねぇ……。あいつはオレが守る! お前なんかに、絶対に渡さねえ!」


 そう言ったジェイスの暗い中でも分かる水色の眼差しは、まるで氷の欠片のような鋭さがある。

 それは、スノウに対する明らかな宣戦布告だった。

 もともと馬の合わない相手にいきなり敵意を向けられ、カッと身体が熱くなるのを感じた。

 何か言い返さなければ。ぎりっと唇を噛み、スノウは口を開く。


「オレが守る? よく言うな。お前自身が庇護されている分際で!」

「──てめえ……ッ‼ 言うじゃねえかッ‼」


 言われた言葉が効いたのか、ジェイスは一層鋭く睨み付けてくる。スノウも負けじと目をそらすことなく睨み返した。


 やはりこの男とは、仲良くなれそうにない。





 一方、お悩み相談室を絶賛開催中のヒメルとシュウは──。


「僕らってねえ、もっろ素直に仲間と打ちろけたいんらよ!」


 真っ赤な顔をしながらシュウは言った。


「そうッ、そうらのよ。それがれきないから悩んれるのよね!」


 同じく顔を赤く染めたヒメルは、同調するように人差し指を黒髪の少年の鼻先へ向ける。反対の手にはなみなみと注がれたワイングラス。さきほどキッチンから盗み出したヴィンテージワインがグラスの中に満たされている。

 二人の呂律はすでにまわっていなかった……。





 更にもう一方。

 男性陣用の客室となっている部屋のツルギは──。


「……なんで、誰も帰ってこないの〜?」


 真っ暗な部屋のベッドの上でぽつんとひとり座り込んだ彼女の声が、夜の闇に虚しく溶けていた……。






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