6.
空間転移とは、その身を精霊界に移しこの世界から姿を消し、再度出現する時に場所を変えるという人ならざる者だけが出来る能力だ。
精霊界とこの世とは時間も場所も、命の在り方さえ概念が違う。
精霊会の精霊には基本、自我がない。だから人間がエネルギーを求めたら求められるがまま力を貸す。それがこの世に魔法となって現れる。
精霊界に長らく居たら、意志が吸い取られ自我が無くなってしまう。淫魔も広義では精霊なのだ。
そして空間転移で元居た場所より離れた場所に移動しようとする場合、どうしても精霊界で過ごす時間が長くなってしまう。こちらの時間的には一瞬で出てきても、距離の分精霊界に取り込まれそうになる。
高位の悪魔などは、精霊界が取り込もうとする力にも抗えるらしいが、リリアムは無理だった。どこまで行けるか試してみよう、と遠距離チャレンジをしてうっかり消滅しそうになって以来、慎重になっている。
王宮から宿屋に戻るのも、空間転移と普通の歩いての移動を混ぜて使っていた。
小刻みになら何度でも繰り返し空間転移できるので、欲張らずにいけば安心だ。
だが、それだって回数が多くなると危険性は増す。
つまり、ここから魔女の家に戻るには、王都から森の近くの村まで馬車で向かった方が安心だ。
もう長距離を試すのは怖い。
リリアムは再びフードとマントを脱いで、そして大胆にも精霊界に放り込んだ。
荷物は生命ではないので、中に置いておいても特に変化はしない。移動する時に邪魔な物をどんどん入れて、必要な時に取り出すことも可能だ。
買った本や服なんかも入れる。
そして田舎の村に変える一般的な娘っぽい顔へと容貌を変えた。勿論、髪や目の色も変えておく。服装も、昨日買った古着でただの村娘っぽい。
一応、おまじないもしておく。
先ほどまでは、冷静さと頭脳の冴えを強化する為、水精霊の力を借りたまじないをかけていた。
今からは目立たない為、闇夜の影のような存在感になる闇精霊のおまじないをかけておく。こちらから声をかけたら認識されるが、じっと静かにしていると、存在を忘れられるようなまじないだ。これで馬車の中では一人でも誰かに話しかけられたりはしないだろう。
さ、さっさと王都を出て行こう。
今ならまだ誰も城から出てはいないだろう。
背中にドロップキックされた上に呪われた王子が怒りのあまり、淫魔滅殺を命じて、イヴリンが宿の場所を教えたり門を封じたりするとしても、今なら間に合う。
リリアムはそそくさと宿屋を出た。チェックアウトなどはしていないが、まあイヴリンがどうにかしてくれるだろう。後のことは知らん。
急ぎ足で馬車乗り場へと向かっていると、後ろから声をかけられた。
「お嬢さん、ちょっといいかな」
良くない。
振り返らず、知らんふりして行こう。
「君だよ君、そこの可愛いお嬢さん」
どこかで聞いたことある声だ。その声の主は、馴れ馴れしくリリアムの肩を掴んだ。
「……! 触らないでください!」
「ごめんねー、ちょーっと話を聞かせてくれるかな」
「君が普通の人間なら、すぐ済む」
前に回り込んできたのは、昨日謁見の間にリリアムたちを案内した騎士二人、クラレッド・マクヴェイとフェルノー・モティマスだった。
勿論、リリアムは二人の名前を知らない。ただ、自分のことを淫魔だと認識している人間が声をかけてきたことに驚き立ちすくんだ。
一体どうして。城から来たにしては時間が早すぎる。
それに顔に変化もしてるし、大体この二人と会った時は仮面をしてフードを被っていた。おまけに目立たないまじないをしているのに。
誤魔化せるだろうか。
素のリリアムは機転が利くタイプではない。
「……なんでしょうか」
「身分証を出せ」
クラレッドが端的に要求した。
「みぶん、しょう……?」
免許証とかマイナンバーカードみたいな物だろうか。
この世界にそんな物があるとは、初耳だ。
フェルノーが補足してくれる。
「住民台帳の番号が載ってるカードだよ。カードがなくても、番号を覚えていたら大丈夫」
アメリカでは社会保障番号をほぼ全国民が所持しており、警官に求められた時は番号を伝えると聞いたことがある。
この国にもそんなシステムがあるのだろうか。
「チョット、ワカラナイデス」
何故かカタコトになってしまう。気分は密入国者だ。
するとまたもやフェルノーが助け舟を出してくれた。
「ひょっとして、外国から来てこの国の身分証を持ってないとか?」
「……ハイ」
「それなら旅券があるだろう。出せ」
「ナクシマシタ……」
「なら入国管理に問い合わせよう」
そんなしっかりシステム的になってるの? 全てが初耳なんだけど!
もう振り切って逃げるしかない、でもここで逃げても馬車に乗れなかったら長距離移動は出来ないし……、と判断もつかずまごついているとフェルノーがリリアムの右手を取った。
「この手で分かる。昨日と同じだもんね、淫魔ちゃん」
「……!」
まさか、昨日手を握ってきたのはこうやって認識する為だったのか。
しかしクラレッドはまだ半信半疑といったところだ。
「本当なのか、フェルノー。この人には魔の気配もしないし、変身魔法を使っている感じもない」
「顔のところだけ、薄―くかかってるね。だから体のラインは昨日と一緒」
コイツ……! 昨日は長いマントと長ズボンで体のラインなんて出ていなかったんだが。どういう目をしているんだ。
リリアムは手を振り払ってフェルノーに言った。
「お前のこと、嫌い~」
その言葉に、クラレッドは初めて笑顔を見せた。フッと笑って口を開く。
「それには同意だ。しかし、一緒に来てもらおう」
「どこに?」
「王宮だ」
クラレッドは当然という態で言うが、リリアムは眩暈がしそうだった。
「行けるわけないでしょ、あんなことして」
「あんなことって?」
やはり、彼らはリリアムがドロップキックをする前からこの辺りに居たのだろう。
「……まあ、色々」
「なんか、昨日と全然違うよね。昨日のギスヴィンへの啖呵なんかすごかったもん。俺、心の中で拍手してた」
「……ギスヴィンって誰」
「あのいけ好かない神官だよ、若い男」
あー、あいつか。国王の前で招かれた客に魔法ぶっぱなんて正気じゃない。
それにしてもフェルノーという男、色々鋭すぎる。王宮の中の実力ある騎士だからそれくらい当然なんだろうか。
長い歴史ある国の中はみんな腐ってる、と断じたばかりなのに有能さを見せつけないでほしい。
そう思っている間にも、二人にがっちり両サイドを挟まれて連行されている。
これではだめだ。一刻も早く思考力と判断力を上げるまじないをかけなければ。
その為にどうしよう、とぐずぐずしていたら馬車の中に入れられてしまった。
ま、まあ、本気を出したらいつでも逃げられる。多分。
馬車が走りだしたので、聞きたいことは聞いておく。
「誰が呼び出しかけてるの? 王さま?」
「いいや、王妃殿下だ」
あの貴婦人が淫魔に何の用だろう。滅せよ、って言われるんだろうか。
「あの、王妃殿下の前に出るならちょっと身支度したいんだけど」
「その必要はない。このままで構わない」
ぴしゃりと断じたのはクラレッドだ。
フェルノーは優しさを装って柔らかに声をかける。
「ごめんねー、女の子は身だしなみが大切だよね。でも王妃さまはどんな姿でもいいって」
「……どうして宿屋が分かったの」
答えるとは思わなかったが一応聞いてみた。
フェルノーはあっさり教えてくれた。
「魔女殿が、王宮での宿泊を勧められた時に宿を取るって言ってたんだ。宿の名前までは教えてくれなかったけど、それらしい二人組を調べるように密偵に指示したらすぐ分かったよ。魔女殿は目立つもんね」
色々姿を変えたりしても、イヴリンがガバガバすぎて何の隠ぺい工作にもらなかった。
リリアムは臍を嚙む思いだ。
それで思い出したが、一応言っておく。
「魔女殿の命令なく勝手なこと出来ないんだけど。黙って王宮に言って王妃さまに会うなんて……」
「王妃殿下より、魔女殿に打診はしてある」
「………………」
この国、妙に細かいとこでだけ有能で、肝心の第一王子救出に全然向かわないってどういうことなんだ。
ムスっとしたリリアムに、隣に座るフェルノーはにこにこ笑いかける。
「怒った顔しても可愛いね、淫魔ちゃん。リリィちゃんって呼んでいい?」
「そんな暇あるなら、早く勇者を助けにいけば」
「だーって俺、ルドガー殿下の護衛だもん」
じゃあなんでここに居るんだよ!
突っ込みたかったが、ルドガーの話になると藪蛇になりそうで黙っておく。
すると、フェルノーは続けた。向かい側に座るクラレッドを見ながら言ったのだ。
「クラレッドはアルバイト殿下付きの魔法騎士だったんだ。すぐにでも救出に行きたくて仕方ないけど、命が出ないから仕方なく王都に居るんだよ」
「…………」
クラレッドは腿の上で軽く握っていた拳にぐっと力を込めた。本音らしい。
いやでも、命令がないから行きたくても行けないとか言い訳じゃない? 本当にすぐにでも駆け付けたいなら騎士辞めてでも王子の元に向かうでしょーよ。
と思ったけど、そんな風に言ってもぶっ殺されそうになるだけだから懸命にも口にはしない。
多分、騎士の自分が好きだから現状に不満があっても耐えてるんだな。
そんな風に分析している間に、馬車は王宮へと着いたのだった。
さっき逃げたばかりなのに、また戻ってくるとは。
しかも、次は王妃のサロンとかで豪奢すぎる応接室だ。どこから見ても村娘の姿かたちでここに足を踏み入れるのは、逆に申し訳ない気持ちになる。
でもそこはマナーも何もない淫魔なので、入室と同時にパッと王妃の向かい側のソファに座る。空間転移だ。
「きゃっ!」
声を挙げたのは、年若いメイドだった。
王妃は一瞬目を見開いて驚いたようだが、表情にも口にも出さず、それどころかすぐに微笑みを浮かべたのだ。
「リリィ、呼び出しに応じてくれたことに感謝します」
「ご用件は?」
優雅な作法でお茶を淹れてくれているから、即刻死ね! って感じでは無さそうだ。
その優美な雰囲気といかにも貴婦人なオーラに、リリアムはビビッていた。
前世ではたまたま通りかかった道路に警官が多数いて規制されていたから、野次馬根性で皆と一緒に待っていたら皇室の方を見かけたことがあった。
やはり、貴人には人を圧倒するオーラがあった。車の中から皆に向かってお手振りしてくれただけで、沿道の人々は熱狂していたし、拝んでいるお年寄りもいた。
そんな人の前にサシで、しかもまじないも無しで居るのだ。
もうどうにでもなれ……。でも出来るだけは失言したくない、とも思う。
果たして、王妃は直接要件に入るという野暮なことはしなかった。
「まず先に、我が息子、ルドガーの非礼をお詫びします。あのような振る舞いを女性にするなど……」
座ったソファの後ろ両サイドにはクラレッドとフェルノーが監視の為に立っている。
一体何をしでかしたんだ、という視線が突き刺さって痛い。
いやでも、大きな息子が決闘申し込んできたからって、お母さんが謝るのもちょっと。
「いえ、詫びなんて結構です」
「謝罪を受け入れてくださって、ありがとうございます」
「………………」
謝罪を受け入れてもないのだが、まあそういうことでいいや。こっちも、ドロップキックして呪いかけたし。
貴族の社交界での頂点に立つ人だ。絶対口では敵わないだろう。遠い目になりながら用件を言ってくれるのを待つ。
年若い美人メイドが茶器の用意をし、お茶は王妃が手ずから淹れてくれる。贅沢だけど、淫魔はお茶を飲まない。
じっと待っていると、やっと話が始まった。
「ところで、リリィはどちらの国の出身なのですか」
しかしまだ本題に入らない。
どちらの国と言われてもな……。まあ生まれで言えば、あの森はここフォルシオン王国の領地だから御王国です、ってなるんだけどそう言うのも癪だ。
淫魔は国に縛られる存在ではないのだから。
というと、この地球……、地球じゃないか。惑星? 惑星名、なんて言うんだろう。
「……この星に生まれただけで、国は持ってない」
「星? 星とは、夜空に輝く星のことですか?」
あっ、そうなるか。どう説明しよう。うーん、と説明に迷いながら口を開く。
「……広い意味では。空に輝く星も、一つずつ惑星であって、この惑星も外から見ると星」
「では、星の一つずつに国があって人々が住んでいるのですか」
「いいえ。惑星に生物が住めるには空気と水、大地があることが条件」
他に大気とか重力とか色々細かいことがあるけど、まあ割愛だ。
「人が住める星は、少ないのですか」
「あると聞いたことはないけれど、どこかにはあるかもしれない。その星からこの星を見ても、夜に輝く遠く煌めく存在かもしれない」
そこで、すごい勢いで紙にペンで文字を書きなぐっている音がしているのに気付いた。
部屋の隅に控えている、魔術師といった感じの女性が前のめりになりながら何かを筆記していた。多分、この会話を記録しているのだろう。
それにしても、目がランランと輝いている興奮ぶりがここからでも分かる。おそらく、この人は魔術とか神秘のオタクだ。そういう匂いがする。
余計なことを言ってしまったな、と思う。なんで惑星の話なんかしてしまったんだろう。
こういう時、人間だったらお茶でも飲んで茶の話をするが、手持ち無沙汰だ。
どうしようかなー、と思っていると王妃が話をつづけた。
「わたくしは実際には見たことがありませんが、遠眼鏡で星を見ると、それぞれの形や色が違って見えるとか」
遠眼鏡とは、望遠鏡とか双眼鏡のことだろうか。やっぱり、そういう器具はあって観測は出来るけど、惑星という概念は無いのかもしれない。
そもそも、以前の常識とは違って惑星が球体ではないかもしれない。魔法とかあるんだし、象の上に大地が載っていると言われても笑わないでおこう。
相槌と共に、フと思いついたことを言っておく。
「そう。でも、太陽は直接見ない方がいい」
「それはどうしてかしら」
「太陽を遠眼鏡で見ると、目が焼けてしまう」
そう言った瞬間、王妃の目がきらりと光ったような気がした。
うん? と思ったが二度見している間に王妃はアルカイックスマイルを浮かべていた。
「わたくしは、数多の星々を同じように愛でたいのだけれど、どうしても太陽を一番に思ってしまうのです」
……太陽推しなのかな?
太陽って惑星の一つでいいんだっけ。まあ同意しておけばいいだろう。
「そう。人は太陽無くしては生きていけないしね」
「リリィも太陽が無くては生きられないのかしら?」
「無いと困るけど、あまり日に当たるのも良くない。焼けるし」
「そうね……」
氷河期になっても困るしあまり暑いのもな。というかどういう話なんだ。
何か考えているようで、王妃は黙ってしまっている。
もう帰っていいかなあ?
「用がないなら帰る」
「ええ、リリィに提案があるのです」
「何」
「アルバルトの救出隊にこちらのクラレッドと、そちらの上級魔術師アメリエットを加えるのはどうかしら」
「……?」
どうかしらって。好きにしたら? って感じである。リリアムの腑に落ちない様子に、王妃は説明を加えてくれる。
「クラレッドはアルバルトの護衛だったでしょう。参加したくても、救出隊のリーダーはルドガー。フェルノーは参加出来ても、行けないかもしれないの」
「行きたいって立候補すればいいんじゃないの」
「それは難しいの。そしてアメリエットはとても実力がある魔術師だけれど、普段はわたくしの元で務めてくれているの。ルドガーはよその魔術師を排除する方向で動いているのよ。きっと彼女が居る方が、リリィの役にも立つわ」
「え……」
なんで自分が行く前提で話しているのか。
戸惑っていると、王妃はにっこり微笑んだ。
「アルバルトがリリィを指名したんでしょう。目的地に着いたらリリィが呼びかけるようにと」
「あぁー……」
そういえばそんなこと言ってたな。
まあ淫魔なので、旅はせずとも到着してから呼び出してもらえばいいだろう。とすれば、フェルノーかアルバルトか誰かに呼び出し用の符、呼符を渡しておくのがいいだろう。
「どうかしら、リリィ」
「いいんじゃない」
知らんし、と思いながら返事をすると今日一の笑顔をくれた。
「ありがとう、提案を受け入れてくれて。それから、末娘のシーニャがアルバルトに会えなかったことをとても残念がっているの」
「ああー。そういえば。勇者救出隊の出発はいつ」
「三日後よ」
「とりあえず、勇者に声をかけて調整してみる。王妃殿、身に着けている物を何か、貸してほしい。終わったら返す」
夢に侵入するには、顔と名前が分かっている人物の寝ている場所を知っている必要がある。しかし王妃の寝ている場所を教えて、とか言えるわけがない。
髪の一本でも貰えたらそれをたどれるのだが、髪をくれって言うのも嫌がられるだろう。それで身に着けている装飾品を借りて、そこからたどろうとしたのだ。
こんなに気遣いの出来る淫魔は世界中を探してもいないだろう。
自画自賛していると、王妃は指輪を外してテーブルの上に置いた。
「これを差し上げますわ。協力していただくお礼です」
「え、借りるだけで大丈夫なんですけど」
「そうおっしゃらないで」
なんか、返すのも失礼なのだろうか。まあ、一応もらっておこう。
とにかく、用は済んだ。はー、やれやれ。帰ろう。
リリアムは空間転移で逃げるように王宮から去る。今度こそ、森の中の家に帰るのだ。
リリアムの王都の旅は色々波乱に満ちた物になったが、本人(本魔?)はあまり何も考えておらずただ帰れることが嬉しかった。




