9.
その日、サノワの街はざわついていた。
何せ、工房の祖でありこの街が発展した理由の一つでもある、アルド工房が約四百年の歴史を閉じるのだ。
ここ数年の杜撰経営により、借入金の返済が不可能なところにまで膨れ上がっていた。そこに手を差し伸べたのが、新進工房のメーヌ工房だ。代替わりして新しい若い親方は、職人ではなく経営に特化してみるみる工房を大きくした。潤沢な資金もあり、アルド工房を吸収合併してもやっていけるのだという。
五代目のメーヌである若き親方は、にこやかにアルド工房を訪れた。
これで、目障りだった一番の老舗工房を乗っ取れるのだ。新しい経営方法と、この工房の歴史。二つが合わされば、街の覇権を取れるだろう。
工房に入って目についたのは、魔女の使いと黒騎士だ。
潜入者の話では、色々嗅ぎまわっていたらしいが、結局は合併を止められなかった。もし魔女たちが来るタイミングが早くても、同じ結果だろうが。魔女や騎士などという旧態依然の生き物に、経済が回せるはずがない。
メーヌは、無能な親方であるアルドに挨拶をした。
「この度は、私どもの申し出を快くお受けくださり、ありがとうございます」
「ああー。俺は詳しいことは分からんからあっちでやってくんな」
どこまでも無知で無能。いっそ、哀れである。
示されたテーブルに着くと、辞めたはずの経理担当者モーリが書類を提示した。少し揉め事を起こす罠をしかけただけで、あっけなく辞めた男だ。
「全く。他に人が居ないからといって、私に話を持ってこないでほしいですね」
モーリの言うとおり、他に人材が居ないから退職した者にまで頼むハメになる。
「それはお手数をおかけしました。この書類は、貴方が?」
メーヌが愛想よく尋ねると、モーリは首を横に振った。
「いいえ。守護卿が作成したらしいですよ」
「なっ! 守護卿が? まさか!」
守護卿は一切、街の問題には口を挟まない。それが不文律となっていた。才能がある魔術師らしいが、所詮中央から左遷されてきた男だ。日々、浮世離れした魔術研究だけをして、その成果を元に王都に戻ることを目指している筈なのに。一体、どうして。
モーリは答えた。
「私にも分かりませんが、魔女殿の差し金らしいです。どういう手を使ったのやら、全く」
メーヌはちらりと魔女の使いを見た。真っ黒な髪に赤い瞳で、いかがわしい恰好をしている。確かに浮世離れした美貌の持ち主だが、まともな人間は近づこうとしないだろう。
メーヌは気を引き締めて書面を確かめた。
まさかとは思うが、こちらに不利な文章が一文でも入っていてはいけない。その時は契約を拒否しよう。そう思うのだが、文面に怪しい所はない。条件は簡潔だった。
借金をメーヌ工房が引き受ける。その代わり、工房も道具も土地建物も、全てメーヌ工房の物となる。従業員は、本人が希望する場合メーヌ工房に転職する形となる。
懸念点であった、合併後の名前についても一任すると書いてあった。
アルドメーヌ工房か、メーヌアルド工房になるかで揉めると予想していたのだ。
それに、アルドを代表にしろとか代表権を寄越せと要求されるかと思っていたのに、それもない。
何度読んでも、問題点は無さそうだ。
「では、署名を」
モーリに促され、アルドが署名する。メーヌも、もう一度読んでから署名した。モーリが宣言する。
「ではこの通りに。メーヌ工房での勤務を希望する者は、こちらへ」
若い者がほとんどだった。その中には勿論、工作員として雇っていた者たちもいる。
高齢の、職歴が長いからといって高給を取ろうとする老人が来なくて良かったと内心にんまりだ。
一番年寄りの爺が言う。
「わしも隠居かのう」
当然だろう。こっちに来ても、お前の席はないと言いたい。
するど、アルドも言った。
「俺も隠居だ」
工房にしがみつくと思っていたのに、それは以外だった。歴史ある工房を身売りすることになって、がっくり来たのかもしれない。メーヌは愛想よく言った。
「そうなのですか。失礼ですが、どちらか行く当てはあるのですか」
「しばらく、娘んとこに厄介になる」
娘のミリアに、せっかく妥協して結婚してやると言ったのに断られたことを思いだす。そんなことをしているから、今こうなるのだ。
あの行き遅れの娘と、狭い家で貧しく暮らすのだろう。そう考えると、溜飲が下がるというものだ。
「さようですか。もしお困りの際は、当工房にお越しください。席はご用意できますよ」
「ふん」
アルドは鼻を鳴らして出て行った。最後まで感じが悪かったが、負け犬の遠吠えだ。
「では、新生メーヌ工房に乾杯といきましょうか」
職人たちはわっと歓声をあげる。
ミゲルという中堅職人が声をかけてきた。
「メーヌさん! これからは、俺に任せてください。俺の腕が一番だ」
「ああ、期待しているよ」
腕が一番などとは、どうでもいい。誰にでも出来る大量生産を安い労働力でこなすことが一番儲けを出せるのだから。
「ルトの野郎は辞めて逃げちまったようですからね。あいつ、自分が一番とか散々デカい口を叩いておいて」
「そうか。それは残念だね。けれど、他に代わりはいくらでもいるよ」
「はい!」
メーヌは勝利の美酒に酔いしれた。
しばらく後に、ベノアの地に凄腕の工房が出来たと聞くまでは。
噂が噂を呼び、大繁盛しているという工房の話はサノワのメーヌ工房まで聞こえてきた。
早速、どんな工房かと探らせようとする。
以前から仕事の仲介を頼んでいるその筋に話をすると、立候補してきたのはビアスだった。身軽で諜報が得意な上に戦闘も出来る工作員だが、前回は不発のまま終わった。何の問題もなく、工房買収が出来たからだ。
「お前との契約は終わったはずだが」
「そうだけど。前回、イマイチ活躍出来なかったから追加報酬なしで報告しとくよ。ベノアに出来た新しい工房の名前は、アルドルト工房」
「アルド、ルトだと」
「そう。アルド工房で腕が一番良かったルトと、ミリアが駆け落ちしてそこで工房を作ったんだって。それで、ご隠居ってことでアルド親方も居る」
「小規模な工房だろう。どうということはない」
「それが、親方が見たこともない魔道具を作ってたんだ。離れていてもやり取り出来る魔道具」
「ふむ? しかし、その開発費用はどうしているんだ」
新しい魔道具を開発するとなれば、金もかかる。そこを一番に心配したメーヌは、その道具の効果をあまり考えていなかった。
「あの黒騎士だよ。あいつが魔獣を狩りまくって、宝玉を取ってきては納めてる。それを加工してるのは前のアルド工房で働いていた、熟練の職人たちだ。それを護りの石として売りだして、飛ぶように売れてる。客はカンペール大公から、王都の高級品取り扱い商人まで」
「なんだと!」
「ちょっと忍び込んで確かめようとしたら、黒騎士め。あいつ、この僕をいたぶった挙句、命までは取らん、二度と現れるなとか言って。くそー!」
それはどうでもいい。
だが、大公や王都の商人相手に取引しているのは見過ごせない。
こちらがアルド工房の全てを買収したのだ。すぐに新しい工房を作って利益を出すなど許せない。正当な取り分を請求せねば。
メーヌは早速視察に行くことにした。
工房の前まで行って驚いた。店は繁盛どころか、出来上がりを待っている商人とその護衛たちであふれかえっていた。いかつい護衛たちが店の前でたむろしているのは、なかなか足を踏み入れにくい。
それに、商人たちが殺気立つほどにあれこれ言い争っている。
「うちが先に納品を頼んだんだ!」
「何を! うちの商会は、王都でも指折りの名門だぞ! 顧客だって重鎮揃いだ!」
「うちだって!」
「ミリアさーん! うち優先でお願いしますよ!」
知った名前に、こめかみがぴくりと動く。やはり、ここはミリアたち一家がやっている工房なのだ。人の金で借金をチャラにしておいてのうのうと。
「ちゃんと申し込み順に作ってあるんで、出来次第納品しますよ。今は新規の注文はお断りしてる状態なんで、お待ち頂いてる分は確実にお渡しできますから。もう少し、待っててくださいね」
「ミリアさんにそう言われたら、仕方ないねえ」
「うふふ」
ミリアは以前より明るい雰囲気で、客あしらいも上手くなっている。メーヌには、調子に乗っていると感じられた。
「やあ、ミリア。まさかこんな所で君と会うとは驚きだねえ。夜逃げした筈なのに、また工房を開いているのかい」
「メーヌさん。今日はどういったご用件で?」
「ご用件? 強いて言えば、視察ですかね」
「中、ご覧になりますか?」
いつの間にこんなに生意気になったのか。以前はもっとおどおどして不幸そうな女だったのに。メーヌは少々腹を立てながらも、表面上はにこやかに対応した。
「ええ、勿論です」
「では、どうぞ。モーリさん、案内をお願いします」
そう言うと、ミリアは帳場に引っ込んで何やら魔道具のような物を操作し始めた。小さい盤を指で弄っている。
このメーヌ工房の代表を放置して、一体何をしているのだ。苛ついてそちらに近づこうとしたが、モーリが立ちふさがるようにやってきた。
「メーヌさん、お久しぶりです」
「お前は、アルド工房を辞めたのでは」




