3.
仕事も終わったし明るいうちに買い物に行こう。
リリアムは王都の宿屋で身支度を始めた。
まず、さっきまで王宮で付けていた仮面を取る。それからフード付きのマントを脱ぎ棄てた。鏡を見ると、目が真っ赤な女が見返している。
何度見ても慣れない。
他の悪魔は見たことないから同じかどうかは分からないが、淫魔は目が赤い。顔のベースには、前世の面影がある。髪も以前と同じく黒いので、そこは親しみがある。ただ、全体的に冷たく整った顔で、そこは全く違う。前はもっと愛嬌があったと思う。
今は悪魔だからか、そういう暖かな部分は削ぎ落され、いかにも人間を騙して悪いことをしそうな趣がある。どこか尖った風に見えるのだ。
それに、この国では黒髪は珍しいらしく、皆金髪や茶髪、濃い髪色でもこげ茶程度だ。
イヴリンも黒髪だから、魔女や魔物は髪が黒いのかもしれない。
とにかく、このまま外出したらいっぺんに淫魔だとバレて余計な騒動を引き起こしてしまう。
リリアムは自身に変化魔法を使った。
全身に変化魔法をかけて別人になることも、勿論出来る。しかし、それだと纏う魔力が大きく敏い人にはバレてしまう。
魔術師は他人の魔力にも敏感だと、リリアムに習っていた。
だから、顔を少しマイルドにして、ごく普通の一般市民っぽい目立たない顔にする。
そして、瞳と髪の色もありきたりの茶色に変えた。
これだと、ごく少量の魔力しか使っていないので、警戒を呼ぶこともないだろう。
フードを被ったら悪目立ちするだろうから、リリアムはマントを置いて外に出た。
王都で買い物するのは初めてだ。
とにかく、服が欲しい。このクソださい長袖長ズボンとはおさらばしたい。
イヴリンに服を借りようとすると、胸の谷間が丸見えでスリットが腰まであるようなワンピースしかないのでこれを着ていたのだが、男性用のだぼだぼの服を無理に着ているので自分に合った物が欲しい。
古着屋の場所を宿屋で聞いておいたので、そこに向かう。すぐ着いて、リリアムは狩りを始めた。
普段着とおしゃれ着用のワンピース、それにルームウェアも欲しい。
狩人の目で洋服を選びながら、それにしても、ようやくお金を持って買い物するまで来たなあと感慨深くなった。
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リリアムがこの世界に来てから、まだ一年も経っていない。
何がどうなったのかも分からないまま、気付いたら森の中に一人で立っていたのだ。全裸で。
しかも、どうやら自分が人間でないらしいということは本能で理解した。何せ、お腹が減っていないのに飢餓感がすごかった。
途方にくれているところに、箒に乗った美女がやってきたのだ。
「おやまあ、突然大きな魔力が現れたと思ったら、生まれたばかりの淫魔かい」
「あの、私、どうなってるのか分からないんですけど、貴女は分かるんですか? それに、箒に乗って飛んでるって、魔法使い? ファンタジー?」
美女は艶やかに笑って、自分は魔女のイヴリンだと教えてくれた。
この世界は魔法が当たり前に使えて、ここはフォルシオン王国という場所で、リリアムは淫魔だと説明してくれた。
イヴリンの家に連れていってくれ、寝床と服も与えてくれた。服はエロいのかクソださいのしか無かったが。
そして、淫魔の食事についても教えてくれた。
「淫魔は精気を吸う。でもそれは、人間だけからじゃない。精気は草木にも獣にもある。それを取り込むのもいいし、勿論人間から頂いてもいい。一人の人間から吸いすぎると干からびちまうこともあるから気をお付け」
イヴリンの家は森の中にひっそり建っていたので、先ずは木々や植物から精気を少しずつ頂くことにした。
草木からもらうのは、なかなか時間がかかるけれど気を遣わなくていいから瞑想がてらゆっくり出来る。
動物からも貰えるが、野生の動物は当然逃げ惑うので、忙しなく一瞬で吸い込まなければいけない。
遠くの動物を見つけたら、空間転移で瞬時に近接して驚いている間に精気を頂くということも出来た。
そして今回、初めて王都に来てたくさんの人たちと出会った。王都を少し歩けば、要求不満で精気を駄々洩れにしている人たちがたくさんいた。
その人たちの精気を一口ずつ頂けば、当分食事に困らないほどだった。
イヴリンは魔女らしく、魔法も教えてくれた。
リリアムは淫魔なので、魔力イコール生命力らしい。生まれたばかりで魔力の使い方も分からないが、魔力量は豊富と聞いた、せっかくファンタジー世界にいるなら、魔法は使えるようになりたい。それで乞うたのだ。
魔法とは、精霊の力を借りてエネルギーを召喚する技術だった。
精霊には火、水、土、風の四属性と独立した光、闇の二属性がある。火は水に弱く、水は土に弱く、と四属性は相互関係がある。しかし光と闇はそれぞれ独立した精霊だった。
そういう説明を受け、光以外の精霊には力を借りて魔法を行使することが出来た。
ただ、リリアムが使えるのはあくまで基本的な魔法だけだ。
中級以上の魔法を行使するには理論と体系が必要で、難しい本を読んだり難解な魔法陣を描いたり読み解いたりしなければいけない。
この国の文字のいろはから学ばなければいけないリリアムにはまるでちんぷんかんぷんだった。脳が理解を拒否したのだ。
そういう訳で、簡単な魔法しか出来ない。
しかし、精神攻撃系の魔法はすぐに応用も出来た。理屈は分からなくても、イメージが出来て本能で理解しているからだろう、とイヴリンが言っていた。
淫魔の力と相性がいいからかもしれない。
あとは呪い。魔女の呪いは、予言という形を取る。この姫が十八歳になった時に糸車に指を刺され眠りにつく、という類のものだ。だから、その人物に相応しい呪いしかかけられない。また、何の関わり合いも無い人にぽんぽんかけられる物ではない。魔女を怒らせたり、悪行を働いた人に、その言動に合った呪いがかけられるらしい。情けがない王子を魔法で野獣に変えるという例を前世で知っていたので、すんなり理解できた。
しかし座学で習って理解は及んでも、まだ実技はほとんどやったことがない。さっき、戦いらしきことをしたが、まじないをかけていなかったら緊張とパニックではわわ状態だっただろう。
また魔法とは別に、淫魔の力もある。すなわち魔法なしで飛べること、空間を渡れること、人の夢に出入りしたり他人を夢に案内出来たりもする。
淫魔についての知識も、イヴリンに教えて貰えた。単独行動をして群れない下級悪魔であること、人の精気を吸うが繁殖は出来ないことなどだ。
それから、魔力を抑えることも習った。普通にしていては魔力が大きくて、探知できる魔術師には居場所がすぐバレてしまうらしい。体内の魔力の流れを感じ、放出量を少なくすることで探知出来なくしている。大切なことは何もかもイヴリンが教えてくれた。
とにかく、全てイヴリンのおかげでおんぶにだっこで世話してもらって、彼女に恩義を感じていた。なんていい人なのだと、リリアムは思っていたのだ。
しかしある時、イヴリンはにっこり笑って言ったのだ。
「今まで世話した分、働いて返してもらわなくっちゃねえ。何、無茶な仕事はさせない。ただ、私の言うことを聞けばいい」
イヴリンが世話をしてくれたのも、魔法を教えてくれたのも、ただの親切心ではなかった。
自分の手ごま、労働力として必要だったからなのだ。
それ以来、こき使われる日々が始まった。
森に薬草を取りに行くとか、薬を作るとか色々言いつけられたし、行方不明の王子が山のどこかに居るから探してこいとも言われた。
無理だろう、と思っていたが、大体の場所を地図で教えてもらい、相手の顔を絵で見せてもらったら夢を繋げることに成功してしまったのだ。
自分の才能が怖い。
行方不明だったアルバルト王子は大きな光の魔法力を持ち、魂も輝いていた。だから、人気のない山岳地帯では見つけやすかった。
これにはイヴリンも珍しく褒めてくれた。
アルバルトは自分のパーティたちと話をしたいと言っていたので、それを告げるとイヴリンが手配をしてくれた。
そこで初めて、リリアムは自分が差別され憎まれる存在だと気付いたのだ。陰湿な賢者にボロクソ言われて、心が傷つきもした。
リリアムは賢者の態度を酷いとイヴリンに訴えた。しかし彼女は同情も同調もせず、文句があるなら本人に言い返すなり呪うなりしろと突き放した。魔女は侮辱を受けたらその相手を呪えるのだと言う。
なるほど、と思ったリリアムは言った。
「じゃあ辞めます。今の仕事で恩義はチャラってことで」
前世ではさとりと言われた世代だ。嫌な仕事を我慢してまで働くことはない。気が合わない人と我慢して付き合うより、離れて付き合わないようにすればいい。淫魔なんだから飢えて死ぬこともないだろうし、なんとでもなるだろう。
当然、イヴリンは鋭い声で慰留した。
「お待ち! これくらいで辞めるだなんて、根性のない」
「根性論なんて古いんですよ。そういうの、人に強要するのはどうかと思いますね」
二人の間で火花が散る。
しかし、美貌の魔女は一転猫なで声を出した。
「そういうことなら、これまで請求しなかった家賃も衣服代も、請求しなきゃいけなくなるねえ」
「家賃って、屋根裏で寝てただけなのに。衣服もサイズのあってない古着なのに」
「それに、授業料。お前には魔女の叡智を惜しげもなく伝えたからねえ」
そう言われると弱い。
「……では、仕事を手伝う期限を決めてください」
「それより、賃金を払うから仕事を手伝っておくれ。その金で授業料を少しずつ返してくれたらいいよ」
「それじゃあ、現時点の請求額を教えてください」
「今すぐには計算できなねえ。忙しいんだ。また後でまとめるよ」
あ、これ一生低賃金でこき使うつもりだ。
リリアムはそう直感した。金額を定めてしまうと、淫魔の力でどれほど高額でも用意出来るかもしれない。魔女はそう警戒したのだろう。
じゃあ、折を見て失踪してしまおう。
ただ、それは今ではない。
リリアムはまだ世慣れていないし、この世界の常識や人についても分からないことが多い。
しばらくは学びながら仕事も手伝おう。
でもいつまでも黙って言うこと聞いてると思うなよ。
それが、リリアムとイヴリンの関係だった。
服を買った後は、本屋にも寄りたい。古着屋を出て街を歩いていると、食堂街のような通りに行き当たった。
みんな、美味しそうに楽しそうに食事をしている。
そこにはちょっと羨ましさを感じる。
淫魔は食事を取る必要がない。むしろ、人間の食事を取っても失われた精気を味わうだけなので砂を噛むような思いをするのだ。
もう自分は人間ではないのだ、と思い知らされる。
俯いて足早にその通りを出ようとすると、馬と接近していることに気付かず不用意に近づいてしまった。
「ヒヒーン!」
しまった、と思った時にはもう遅い。
馬は興奮し、騎乗していた騎士の静止を聞かずに走り出してしまった。
まだ、騎士が乗っていて良かった。荷を引く馬だったら暴走して大変なことになっていた。
このように、淫魔は動物に大層嫌われた。まあ悪魔だから仕方ないのだが。
どの動物も、リリアムが近づくと警戒し正気を失い、暴走してしまうのだ。
今まで、たくさんの動物と触れ合いチャレンジをした。
森の動物たち、鹿やキツネ、熊に及ぶまでダメだった。犬や猫もリリアムが近づくことを許さない。動物をモフモフ出来ないことは、とても辛かった。
狂ったように吠える犬を物欲しそうに横眼で見ながら、リリアムは足早に目的地に向かった。
途中、教会があった。
しかも、ミサか何か知らないが祈りの歌が漏れ聞こえている。
淫魔の弱点は、教会や聖なる物に触れると成仏しそうになることだ。
光の結界に閉じ込められたら溶けて死んでしまう。今も、歌が微かに聞こえるだけで動悸と眩暈がする。
便利だが、不便な体だ。
しかし自分はまず、人間気分をやめて自分は淫魔で人ならざる者だと認識しなければいけない。
前世の癖でふらふらしていたら、いつかトラブルとか死傷沙汰になりそうだ。
先ほどの馬とのヒヤリハット案件を反省しながら、リリアムは買い物を済ませ宿に帰ったのだった。
その背後を、隠密がつけていることには、鈍い淫魔は一切気付かなかった。




