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1.


 最近思い出したのだが、リリアムが前世で母親にうるさく言われていた言葉がある。


「早くお風呂に入りなさい、早く寝なさい、早く起きなさい」


 それは母親がうるさいというより、前世のリリアムがだらしなさすぎる生活態度だったからだ。親もイライラしたことだろう。

 そして今世でも、リリアムは小言をうるさく感じていた。


「さっさと風呂に入れ。それに、いつまで起きているんだ。夜寝ないから朝起きられないんだ」


 う、うるせ~。お母さんかよ! リリアムは心の中でそう突っ込んでいる。

 勿論、説教するのはザックだ。彼は健康的に夜寝て朝起きる生活だから、生活態度が悪く怠惰な暮らしをしているリリアムにイラつくらしい。


 だが待ってほしい。

 早寝早起きで健康的な暮らしをする淫魔などいない。

 リリアムはその点を強調して言い返すようにしている。


「淫魔はそういう体質なんだって。夜起きて日中は寝るの。そういう種族なの! 人間に食べずに栄養を取れって言っても出来ないでしょ? そういうことなの」

「しかし、昼間に起きて夜寝ることも可能なんだろう」

「可能だけど、本質ではない。水だけ飲んでも生きられる、それを人に強いるようなもんだよ」


 人間の時から夜更かし朝寝坊当たり前だったことは、決して口にしない。

 リリアムの主張に、ザックは渋々折れた形になるが、ぼそりと呟く。


「風呂に入る悪魔など聞いたことはないが、それは入るのだな」


 そこを突っ込まれると弱い。

 日本人あるあるだが、リリアムはお風呂が好きだった。

 この家には元々、簡易的に体を洗うシャワー室のような風呂場しかなかった。しかし、以前買った部屋カタログのような本を眺めてこういう風呂に入りたい、とリリアムが言ったら、ザックは浴槽を作って置いてくれたのだ。DIYが出来るなんて、神!


 リリアムはザックを崇めた。

 すぐに、また小言をうるさく言われ感謝は消え去ったが。

 とにかく、この家には浴槽がある。ザックが魔術で水を入れてお風呂を沸かして入れてくれる。

 先にザックが入って、リリアムが入った後に風呂掃除を済ませるまでがワンセットだ。


 ただ、お風呂に浸かるのは気持ちいいが、お風呂に行くまでがなかなかだ。入ったら絶対気持ちいいのに、入るのが面倒。それでぐずぐずして、せっかくのお湯が冷めるとザックに文句を言われるのが日常だった。

 しかし、お風呂を用意してもらえるのはありがたい。


 この日は比較的早く入ると、出て部屋に戻る途中でザックと会った。リビングで何やら、明日の準備をしているらしい。

 本当に働き者で感心な男だ。準備も万端だ。

 自分と同じ水準を他人にも要求するから困りものだが。

 そういえば、とリリアムは声をかけた。


「魔術で、人を操る方法ってある?」

「俺は扱えないが、ある筈だ」

「でも、呪文も何も唱えず知らない間にかかってたんだよね。あれはどういう理屈なんだろう」


 イヴリンに操られ、サインさせられた時の話だ。


「呪文を起動させる引き金となる言動があった筈だ」

「うーん。勧められた場所に座ったこと、お茶の香りを嗅いだこと、話をしたこと。全てが怪しいなあ……」


 しかし、どれもピンとこない。

 考え込んでいると、また説教だ。


「洞察力が足りない。ぼんやりしているからだ。常に神経を研ぎ澄まして警戒しろ」

「うるさいなあ。今考えるとおかしいと思うのは、魔女が笑顔だったことかな。いつもはちょっと言い返したらすぐ形相が変わるのに」

「では、起動はお前が魔女を怒らせたら、ではないか。言動が予想しやすい相手には、用意しやすい引き金だ」

「魔女を怒らせたら。あっ、じゃあ魔術じゃなくて呪いか!」


 謎は解けた。

 ちょっと言い返したくらいで、と思ったが、思い返せばイヴリンの地雷を何個も踏み抜いて、おそらく三回くらいはムカつかせている。


「心底怒らせた訳ではないから、すぐに解けて玄関先で寝ていた。そう考えると辻褄は合う」

「そうか、なるほど。良く分かったね」

「お前は人をイラつかせる性質だからな」

「…………」


 ナチュラルに悪口を言われている。

 ムスッとしながらも、ザックと話をしていたらヒントになることがよくある。

 一人で考えても分からないことは、誰かと話すことで頭を整理出来たりする。

 リリアムにとって、ザックはうるさいが煙たいが困った時はなんとかしてくれる、部活の先輩かバイト先の社員のような存在だった。



 翌朝、ザックは本当に早朝に旅立った。

 しかも、黙って行けばいいのにいちいち起こしに来て小言を並べる。


「お前も準備を整え、呼ばれたらすぐ戦えるようにしておけ」


 うるせー、と言い返したい。けれど、ザックが行ってくれないと工房まで自分で移動だ。


「……そんなに急いで行かなくてもいいのに」

「俺の剣も、早く修理したい」

「ゆっくりでいいからね、なるべくゆっくり着くように移動して」

「いいや。すぐに到着する」


 そう言い捨て、ザックは出て行った。

 リリアムは二度寝した。

 しかし、昼過ぎにはもう精神感応での連絡があった。


『そろそろ到着する』

「え! 早すぎる! なんでもっとゆっくり行ってくれないの」

『さっさと準備しろと言っただろう』

「もー!」


 飛び起きて着替える。まあ、準備といっても古代大蜘蛛ノートケスケワンピを着るくらいだ。

 リリアムはザックに与えた宝玉を魔法陣代わりとし、合流した。

 顔を見るなり文句を言われる。


「遅い」

「お前が早すぎるんだよ! ゆっくり行ってほしいのに」

「この先に、蜘蛛の巣がある。黒蜘蛛魔獣の住処だ」

「へー。強いの?」

「それほどではない。灰虎獣より格段に弱い」

「それなら何とかなるかな」


 グレイは魔法を多重に使ってくるし強かった。

 それより弱いならまあ大丈夫だろう。

 リリアムは何も考えずにザックの話を鵜呑みにしてしまった。


「あの岩穴の奥だ。行くぞ」

「え、巣って糸で張った巣じゃないの?」

「山中で巣を張っている蜘蛛型魔獣もいる。しかし黒蜘蛛は普段は暗い場所を好んで生息している。迷宮や、洞窟だ」

「ふーん」

「夜目は効くな? 灯り無しで行くぞ」

「はーい」


 リリアムは素直に岩穴の中に入っていく。中は広く、天井も高かった。

 ザックも夜目が効くのか、それとも独自の探索能力を持っているのか、灯り無しでも迷いない足取りだ。


『いたぞ。ここだ』


 ザックが声を出さずに精神感応で呼びかけてくる。

 だが、蜘蛛たちはリリアムの気配に気づいて一斉にこちらを見た。

 そこで、初めてリリアムは思い出した。

 虫がダメだったことを。

 蜘蛛も、体長一センチくらいの小さな物なら窓から出して逃がすが、それでも紙に伝わせる。素手は無理だ。

 蜘蛛の体長が五センチを超えるともう無理だ。気持ち悪くて逃げ出してしまう。

 今、目の前に居る蜘蛛の群れは体長二メートルを超えていた。

 高さだって、ザックの身長くらいある。

 そして、群れだ。無数の巨大蜘蛛たちが、一斉にこちらを見ているのだ。

 リリアムはぎゃー! と悲鳴を上げて逃げ出した。


「無理! 無理―!」

「おい、待て!」

「無理だからー!」


 すぐに転移して洞窟の外に出る。

 そして震えながらしゃがみこんだ。

 よく考えたら、いや良く考えなくても、蜘蛛に近づくのなんて無理だ。絶対嫌だ。

 青ざめながらも荒い息を整えていると、何かをズルズルと引きずる音が聞こえてきた。

 ハッとして出入口を注視する。

 出てきたのはザックだった。

 ただし、巨大な蜘蛛を引きずっている。


「ぎゃー!」


 リリアムはさらに走って逃げだした。


「逃げるな、こっちに来い」

「なんで蜘蛛連れてきてるのぉ?!」

「糸を取り出すために決まっている。ちゃんと見ろ」

「ひぇぇ……」


 リリアムはドン引きして遠く離れたところから見るが、ザックはテキパキと動いている。魔法をかけたのか、蜘蛛は動けないようだ。

 ザックは蜘蛛をひっくり返すと、迷いない動きで腹に解体ナイフを差し込んだ。


「腹の中に、糸をつくる器官がある。これを取り出して……」

「無理ムリむりー!」


 リリアムは一層遠くに逃げ出してしまった。

 昆虫解体なんて、視界にも入れたくない。

 ザックは蜘蛛を解体し終わった後、めちゃくちゃ説教してきた。


「お前の鍛錬の為に寄ったのに、何故何もしない」

「いやほんと、無理だって」

「強さは灰虎獣より劣るし、不死の白竜よりは格段に弱い。お前なら大量に倒せるはずだ」

「強い弱いの問題じゃないんだよぉ……」

「それに、解体を手伝おうともしなかった。そんな態度では糸をやれんな。あの素材は俺が貰う」

「どーぞどーぞ。蜘蛛の解体して服を作るくらいなら、サイズの合わない古着の方が全然マシ」

「何故そこまでサボろうとする。少しは働け」

「虫は無理! あんな大群の蜘蛛とか、ゾッとする。足が四本以上あるやつは無理なの!」


 それを聞いたザックは面白そうな、意地の悪そうな瞳になった。


「昔、大ムカデの魔獣と戦ったことがある。百本足という話だったが、確かにうねうねと足が動きまわって……」

「聞きたくないー!」


 リリアムはまた走って遠くに行く。


「そのまま走ってサノワまで行け」

「無茶言うな!」

「行くぞ!」


 ザックが走って追い抜かしていく。リリアムはすぐに走るのを諦め、蝙蝠の姿になってザックの外套に張り付いたのだった。



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