7.
こんなに瘴気にまみれだなんて、何がどうなっているのだろう。部屋には窓もなく真っ暗で、空気取りの為のはめ込み天井だけが外との繋がりだ。
こんな部屋にずっと居たら、人間などすぐにどうにかなってしまうだろう。
しかし、ただ一人いるベッドに横たわった人間を見て驚いた。
瘴気は、その人間、ノートが発生源だったのだ。
ノートはやせ細った少女だった。
全身を瘴気に覆われているのだ、無理もない。
リリアムは淫魔であり、人ではないからこの部屋に滞在できるが、使用人でさえ最低限にしか来られない理由は瘴気のせいだろう。
リリアムが近づいていくとノートは目を開けた。
そして、酷く驚いたようだった。
「きゃっ! あ、悪魔……?」
この反応。リリアムは初めて人間に怯えられ、感動さえしていた。
そうだ、人間は悪魔に会えばこんな風に反応すべきだ。それなのに、リリアムが会った人々はどいつもこいつも、目が赤くても魔女の恰好をしても特に注意を払わない。それどころか舐めてかかってくる。
リリアムは、初めて己を畏怖して見る娘に、とてもいい気分になった。これこれ、この反応だよ! と言いたい。
「そうだ」
厳かに告げると、ノートはふっと肩の力を抜いた。
「悪魔さん、私をお迎えに来てくれたのね」
「いや、それはまだだ」
「そう、なの?」
「早く死にたいのか」
「息をするだけで、苦しいの。常に体が痛くて、苦しくて。立てないし、寝返りさえつらくて。早く、楽になりたいっていつも思ってる……」
ちょっと、悲しい話を聞いてしまった。
しかし、この状態ではリリアムにはどうにも出来ない。ノートを部屋から出したら、瘴気をまき散らすことになるし、ノート本人も光を浴びたら肌が焼ける。
彼女の肌は、既にボロボロだった。
「お前の役割はなんだ? 何故こんなに瘴気を生み出している?」
「私の役割は、みんなを守ること」
「何から?」
「森からの瘴気が、みんなに行くのを防いでいるのです」
そこで、リリアムはノートの魂を見た。
パスが繋がれている。これは、どこから来たパスだろう。
森だろうか? そして、森の瘴気をノートが一心に浴びている?
「そんなことする必要ある? それなら森の瘴気を祓ったらよくない?」
「分かりません。でも、代々それが必要だって」
「うーん。このパスを切ってしまったら、どうなるんだろう。やっぱり瘴気が森から漏れて領地を覆うとかなのかな」
「それは、止めてください」
なんということか。献身的な少女はこの役割を受け止め、誰も恨まず、皆を守るらしい。
「でも、お前が死ねば瘴気は皆に行くでしょ」
「私は魔力量が多いらしくて、受け止める器も大きいと聞きました。まだ余裕はあると思います。それに、万が一私がダメになったその時は、妹たちが役目を担います」
「……! き、鬼畜ぅ」
長女が後継ぎ、後の娘たちは生贄のスペアなのだ。
五人で打ち止めなのは、そろそろ長女が結婚してまた子供を産める年になるという計算か。
なかなか、非道なシステムである。
しかし、それが家を長く続けられる制度でもあるのか。
色々考えていると、ノートは健気に話す。
「でも、私は、皆を守れることはいいことだと思うのです」
「お前が苦しんでいる間、お前の母や姉妹たちはのうのうと暮らしているのに」
「それでも。誰かがやらなければいけないことですから」
「そうかなあ。全体を守る為に一部が犠牲になる。誰もその犠牲にはなりたくないだろう」
「いいえ、いいえ。私は……」
「まあ、その話はどっちでもいい。お前が知っていることを教えてほしい」
リリアムの持ち掛けに、ノートはきょとんとした瞳を向けた。
「この部屋は真っ暗なのに、お前は私の目が赤い悪魔だと分かった。普通の人間には見えないはずだ。魔術の力で見たんだろう?」
「はい。私は目を瞑っていても見ることが出来るんです。書斎で閉じられている本も、読むことが出来ます。この家の中の物に限られますが」
「なるほど。それは退屈はしなくて良さそう。一人で過ごしていても」
リリアムの相槌に、ノートはふふっと笑った。
「はい。色んな本を読んで、勉強したり楽しんだり出来ます。でも、お母さまの書斎だけは見えないのです。防御されているようで。悪魔さんが知りたいのは、お母さまの秘術のことですよね?」
なんと賢く察しの良い子なんだろう。
ザックに色目を使っている長女ではなく、このノートが後継ぎになった方が家の為のような気がする。
しかし、システム的にはあまり賢くなくただ従順にルールに沿ってくれる後継ぎの方がいいのかもしれない。賢い子は疑問を抱き、ルールをひっくり返し、システムを崩壊させるかもしれないから。
リリアムはノートに感心しながら頷いた。
「そうだ。森のことも、お前に注がれている瘴気のことも知りたい」
「それは、分かりません」
「うーん。じゃあ、何か思い出したら教えて。ここに、宝玉を一つ置いていくから」
リリアムはまだ持っていた宝玉に魔力を込め、そしてノートのベッドに置く。
すると、宝玉はたちまち濁って砕けてしまった。
「あっ、瘴気でダメになるかあ」
「すごい、私、今楽になりました。体が、楽です」
ノートが身を起こして座った。
それでも、不健康そうで痛々しい見た目だ。
「まあ、無理はしないで。また、様子を見にくるから。何か思い出せることがあったら思い出しておいて。明日も森に行って色々確かめる」
「はい。ありがとう、悪魔さん」
「悪魔さん、はやめてほしいかな……。まあ、悪魔は悪魔なんだけど、下級悪魔の淫魔だし」
「お名前を、伺ってもいいですか」
「リリィ」
「リリィさん、また来てね。私、貴女とお喋り出来て、とても嬉しいです」
めっちゃ良い子。こんなつらい目にあってるのに文句も言わず、健気すぎる。他の四姉妹に爪の垢を飲ましてやりたい。
リリアムは無駄になるとは思いながら、もう一つ宝玉をベッドに置いて転移で自室に戻ったのだった。
*****
翌日、生来の怠け者気質が出て、午前中はゴロゴロとしていたリリアム。
子爵はお願いを覚えていてくれて、使用人がブラシを届けてくれた。昼近くになってから、やっと、渋々行くか~と森に出掛けることにした。
目的地は、まずグレイのところだ。
昨日、魔力を込めた宝玉を飲み込ませているので、場所も分かるしすぐに合流出来る。
リリアムはパッと転移してグレイの近くに出現した。
「グレイ、こんにちは」
グレイは瞬時に戦闘態勢に入った。というより、待ち構えていたみたいだ。
そして、口を開けるなり炎のブレスを吐きだした。
「ひえっ?!」
そこまで近づいていなかったので、転移して逃げる。
ノーモーションで魔法陣も無く出現する炎だ。昨日、魔法陣を展開したら影をめり込ませ発動を邪魔したので、威力は低くとも魔法陣無しの魔法を優先したようだ。
それなら、背中の上に乗ってしまえば魔法が届くことはないだろう。
リリアムは再び姿を出現させた。グレイの背に乗るには、一旦精霊界から出てどこにいるか確認してから魔法での移動となる。
その、出現させた瞬間、グレイは炎のブレスを連続で吐き出した。
こんなに早く何度も魔法を出せるとは思わなかった。
「ぎゃっ!」
リリアムは慌てて再び精霊界へと転移したが、左腕を避けきれずに炎が掠めていった。
一瞬にして左袖が黒焦げになる。
魔族の魔法耐性が無かったら、腕も燃えカスになっていただろう。というか、この服の守備力は紙すぎてペラペラだ。今更だが、防御値をあげる服などがあったのでは? 普通の旅人の服を着ている場合ではなかった。
一方グレイは、昨日の一連のやり取りでリリアムを攻略する方法を考えていたらしい。
そこまで嫌がらなくても。
自分のしていることを棚にあげ、グレイを少し恨むリリアム。
だが、この試練を乗り越えれば、グレイは嫌がらなくなって認めてくれ、モフらせてくれるかもしれない。
生きている動物にはすべからく恐れられ、嫌われる立場の淫魔だ。
自分にはグレイしかいない。少々強引でも、抵抗する気がなくなるほど可愛がったら、諦めて撫でさせてくれるだろう。
人に知られたら危険思想の持主と断定されるようなことを考えるリリアム。
左腕の痛みも気にせず、また空に出現した。今度は、グレイと少し離れた場所にしておく。
またグレイが炎のブレスを吐き出したが、ここまで遠いと届くまでには時間を要する。
その隙に、リリアムはグレイの背中に乗った。
「やったー! 乗れた」
次の瞬間、リリアムの周囲に魔法陣が展開された。
それも、一つではない。
左右、背後、そして上にもだ。
リリアムはマルチタスクはこなせないタイプだ。一つのことに集中するのはまあ出来るが、二つ以上のことを同時進行は難しい。
今、同時に四つの魔法陣の魔法をキャンセルなど。出来るわけがない。
とりあえず、上にある魔法陣の向かい合わせに、己の黒い影を排出する魔法陣を出現させる。即、鋭い影を出して上に会った魔法陣の魔法出現をキャンセルした。そのまま上に飛んで脱出する。
すると、グレイはまだ出ていた魔法陣を引っ込めた。そしてリリアムの姿を鋭く睨み上げると、その周囲に複数の魔法陣を出現させたのだ。
こうやって、複数の魔法陣に囲ませて、魔法を発動させるなりリリアムを追い払うなりすればいいと考えたのだろう。
よく練られている。賢い。
だとすれば、手早く魔法陣の魔法出現をキャンセルさせてしまえばいい。
今は、魔法陣を出現させて、そこから黒い影を突き刺して、と二段階の動作なのだ。
一旦、リリアムは転移で場所を移す。
その間にどうすればいいか、自分のレベルで出来ることを探る。
また姿を現すと、グレイはやはり魔法陣を複数囲む攻撃をしかけてきた。
リリアムはその魔法陣に直接、自分の魔法陣を被せた。ハンコを押すように、ペタンとくっつけたのだ。
狙いは上手くいった。互いの魔法陣に干渉しあった魔力は、どちらも発動せずに消え去った。
これなら、リリアムにも出来る。出現する魔法陣に次々、自分の魔法陣を重ねていくだけでいいのだ。
普通の人間の魔術師なら、詠唱に時間がかかるので無理だろうが、豊富な魔力と呪文いらずの淫魔なので全然いける。
リリアムは出てくる魔法陣を全て無効化してから、グレイの背中に乗った。
そこでも魔法陣に囲まれるが、全て重ねて消していく。
そこからは、昨日と同じく振り落とそうとするグレイと乗り続けるリリアムという構図になった。
リリアムは攻撃をかいくぐりながら、ブラシを取り出した。
まず、ハードブラシだ。これで毛の汚れをとり、固まった毛を軽くほぐす。
上に乗ったまま、攻撃を避けながらなので、出来るのは首の後ろと背中の一部だけだが、それでも梳いた。
その後は、コシのあるソフトブラシ。これでひたすらにブラッシングをする。繰り返していると、毛が段々柔らかく艶が出てきた。
気が付けば、グレイの攻撃はやんでいて、走り方も緩やかになっていた。
今までのように、めちゃくちゃに走り回って振り落とそうとするのではなく、目的を持って移動しているようだ。
リリアムはある程度、ブラッシングを終えるとグレイの毛にぼふっと顔を埋めた。猫吸いならぬ魔獣吸いだ。
ふかふかの毛皮は、おひさまの香りがした。
これだ。これがやりたかったのだ。
多分、淫魔に転生してから一番満たされた思いでスーハ―しまくる。
リリアムに吸われまくっていることをどう思っているか知らないが、グレイは緩やかに走り続ける。
昨日出会った、川も乗り越えさらに森の奥へと移動している。
川を越えると、空気は清涼になり瘴気が漂う森とは同じ土地だと思えない。澄んだ気配にリリアムは驚いた。澄みすぎて、ちょっと居心地が悪いくらいだ。悪魔向きの場所ではない。
もう少し進んだ後、グレイはある一点でぴたりと止まった。
「ここに連れて来たかったの?」
リリアムが尋ねるも、グレイは真っすぐ前方を睨んでいる。
そして、決心したように走り出した。
次の瞬間、リリアムとグレイは見えない壁にぶつかり、跳ね飛ばされた。
「ぎゃんっ」
「痛っ!」
一頭と一匹は地面に投げ出される。リリアムはその場に転がったが、グレイはすぐに態勢を立て直し前方を睨んだままだ。
これは、きっと見えない壁にメンチをきっているのだろう。
「何、これ。結界?」
そういえば、結界には近づくなと子爵夫人に最初に忠告されたと思い出す。
グレイがぐるる、と唸った。
「外に出たいの? 向こう側に行きたい?」
「ガウ!」
グレイがはっきり返事をした。
しかし、よくよく探知してみると、この結界はとんでもない物だった。
まず、どこから始まってどこまで囲っているのかも分からないほどの巨大な結界だ。
それに、とんでもなく頑丈で壊せないし抜け出せない。
リリアムが魔法陣を展開して黒い影を突き刺してみたり、魔法陣そのものを張り付けて無効化を狙っても、びくともしなかった。
それならばと、一旦妖精界に転移してから結界の向こう側へと移動しようとする。
すぐ近くなら、どんな扉や壁があろうともこの方法で移動することは可能だった。
だが、結界の向こう側へは移動出来なかったのだ。
「ぎゃっ! 痛い……これ、魔力ある者は人間じゃなくても、魔物や悪魔でも外に出れないようになってる?」
グレイがぐるる、とまた唸った。
「この結界、何百年も建ってるって言ってたけど、リソースはどっから来てるんだろ。こんなに巨大な永続結界が出来るなら、王都とかそれこそ王宮とかでも張られてるだろうに。ノートの命でとか? いやでも、あれは瘴気を送り込まれてるっぽいから結界とは関係なさそうだし。そもそもなんで結界が張ってあるんだろ」
うーん、と悩んでも分かるリリィにわけがない。推理物コンテンツはネタバレされてもいまいち理解しきれないタイプだ。
まあ、分からなければ子爵夫人に聞けばいいだろう。
ザックが。
ザックがちょっと夫人を撫でて甘いことを言えば、夫人は口を割るに違いない。
リリアムはグレイに言った。
「今は壊せないけど、通れるようにならないか聞いてみる。迂回してもいいなら、森を突き抜けて屋敷の方から回り込むとか出来ないかな」
しかし、その言葉にグレイは鋭く唸った。
屋敷の方を睨みつけているから、そっちには行きたくないらしい。人里から離れた所に住む魔獣なら、そっちには近づきたくないのかもしれない。
リリアムはグレイににじり寄って言った。
「じゃあ、協力するからナデナデさせて」
グレイが更に鋭い目になって睨みつけた。
「なんでー? ちょっとくらいいいじゃん」
「ガウ!」
近づくな、と言わんばかりに目を逸らさず距離を取られる。
「モフりたいよー! 撫でさせてー」
嫌だ、と態度で伝えるグレイ。
一匹と一頭の空気が緊迫したその時に、ザックの声が頭に響いた。
『聞こえるか』
『あ、うん』
『森の主を見つけた』
『森の、主?』
思わずグレイを見つめた。




