来訪
フィーナとティータが相次いで誕生してから、
1年後。
執務室で、領主のシゲルの隣という、
ちょっと恐縮してしまいそうな、
私専用にと用意されている机に座り、
領主業務を手伝っていた時。
カズシゲが、
妙にニヤついた顔で私を訪ねてきた。
「大おじい様に、
大切なお客様がいらしてますよ」
「え? 今日の予定に、
来客はなかったと思うのですが……」
私が困惑しながらそう述べると、
カズシゲは、さらにニヤニヤとしながら、
私にヒントを与える。
「大おじい様が、度々島アルクの里へと、
出かけておられたのは、
こういう理由だったのですね。
大おじい様も、隅に置けませんね」
そのヒントで、ある人物がピンと浮かんだ。
「まさか……」
応接室へと少し急ぎ足で向い、
扉を開けた私を待っていたのは、
予想通りの人だった。
「クリスさん!」
私の顔を見たクリスさんは、
満面の笑みを浮かべながら、
私の胸に飛び込んできた。
「ヒデオ様! 私、待ちきれなくなって、
来てしまいました!!」
私はそれをやさしく抱きとめながら、
心配に思っていた点を聞いてみる。
「島の里からここまで、
かなりの距離があったでしょう?
道はどうやって知ったのですか?
いえ、それ以前に、路銀はどうしたのです?」
クリスさんは、幸せそうに私の胸に収まりながら、
その真相を語ってくれる。
「この国の方々に道を尋ねたのです。
そうすると、
あなたは初代様とどういうご関係で?
と、聞かれましたので、
いずれヒデオ様の妻になるものですと、
お伝えしたのです。
そうすると、皆さん、
私の耳を見て納得した様子で、
とても親切にしていただきました。
ヒデオ様は、この国の民に、
とても慕われておいでなのですね」
この話の間、
ずっと私にしがみついているクリスさんの、
その甘い香りにクラクラしっぱなしであったが、
何とか理性を保って対応を続ける。
私達のそのようなやりとりを、
ずっとニヤニヤと見ていたカズシゲだったが、
一言だけ断りを入れて、退室していった。
「ごゆっくり」
室内にクリスさんと二人だけになると、
やがて彼女は、
まるで私を逃がさないとでも言わんばかりに、
両腕で私をがっちりと固定した状態で、
顔だけをこちらに向けて視線を合わせ、
三度目の求婚を始める。
「ヒデオ様。 私、もう待ちきれません。
当面は通いで構いませんから、
式だけ挙げて、私を妻にしてください」
私は、真っすぐに彼女を見つめ直し、
ずっと先延ばしにしていた結論を、
語りかける。
「クリスさん。実は私も、
あなたにプロポーズしようとした事が、
何度もありました」
「では、ヒデオ様!」
「でも、私にはどうしても、
それができなかったのです。
それがなぜなのか、
ずっと分からなかったのですが、
最近、ようやくその理由が判明しました」
彼女を見つめたまま、深呼吸をして、
クリスさんにとって、残酷な事実を口にする。
「私は、どうやら、
他の女性に懸想しているようなのです」
それまでは、
甘ったるい気配のしていたクリスさんが、
とたんに表情を青ざめさせる。
「そ、そんな……。
誰なのです?
私のヒデオ様の心を横からかすめ取った、
泥棒猫は、どこのどなたです!?」
「私の里の、祭司長様です」
クリスさんが、ヘナヘナと崩れ落ちる。
しかし、それでも私を離したくないのか、
ずっと両腕は私の背中で結ばれている。
私は、それに引きずられるようにしながら、
彼女を支え、両膝立ちになった。
「そんな……。
それでは、
その憎い女の寿命が尽きるまで待つという、
最終手段も取れないではありませんか」
彼女は、未だに私の胸に顔をうずめながら、
プルプルと震えている。
彼女を泣かせる結果になるのは、
とても申し訳ないのだが、
自分の気持ちに嘘はつけない。
しばらく、そのままの状態が続いたが、
やがて、少しかすれたような声で、
クリスさんが確認を始める。
「では、もう求婚なさったのですね」
「いえ。まだです。
と、言いますか、しても無駄でしょうね」
私が、思わず少し自嘲気味にそう応えると、
クリスさんは急に活力が湧いた様子で、
ガバッと顔を上げ、私を問い詰める。
「それは、なぜですか?」
「おそらく、祭司長様は、
私を異性としては、
見てくれないだろうからです」
私が、そう簡潔に理由を説明すると、
彼女は、獲物を追跡する、
獰猛な鷹の目になりながら、
私をさらに問い詰める。
「どういう事です?」
「私を育ててくれたのは、
もちろん、里の皆ですが、
一番身近で世話してくれたのが、
他ならぬ祭司長様だからです。
ですから彼女は、
私を息子としては愛してくれるでしょう。
ですが、夫として意識してもらえるとは、
どうしても思えないのです」
私がそう言うと、クリスさんは、
決意も新たに宣言する。
「では、私にもまだまだ可能性がありますね。
ヒデオ様。
私は、必ずあなた様を篭絡してみせます。
覚悟してくださいね」
どこまでも前向きな彼女の姿に、
その強さに、私の胸がトクンと跳ねた。
「もしかすると、あなたに篭絡されてしまうのが、
誰にとっても、
幸せな結末なのかもしれませんね」
「そうですよ」
そこまで語り合うと、
彼女はますます私に密着してゆき、
だんだんと妖艶な気配をまとい始める。
ちなみに、この間、
クリスさんはずっと、
私にしがみついたままである。
私は再び、頭がクラクラしてきた。
顔と頭がとても熱い。
あ、これはダメなパターンだ。
「ク、クリスさん?」
「なんでしょう?」
「私も一応、健康な男性ですから、
ずっとこの体勢というのは、
か、かなり、
ま、まずいと、
い、い、いいま、す、か……」
私が動揺しまくりながらそう伝えると、
彼女はフフッと短く笑い、
さらにその色気を増幅させていく。
両膝立ちの私に、
シナを作るようにして寄りかかる。
「私を押し倒したくなりますか?
何一つ、我慢する必要はありませんよ?」
クリスさんは余裕の様子で、ウフフと笑う。
その色香に完全に当てられた私は、
もはや、ぼうっとしてきた頭で、
彼女を熱い視線で見つめ始める。
思わずゴクリと喉が鳴る。
吐息でさえも、熱を帯びてゆく。
その変化を、彼女は敏感に感じ取ったようで、
どんどんと色っぽさを増してゆき、
私をさらに追い詰めていく。
私の頬を、右手でやさしく撫で付けながら、
体をますます押し付けてくる。
「私の心の準備は、とっくにできております。
さあ、私と子をなしましょう。
あなた様の心に巣食った悪い女の影を、
私が完全に消し去ってみせます」
そう言って、
ほんのりと色づいた顔を見せつけるように、
私の体との間に少しだけ隙間を開け、
熱い視線と吐息を合わせてくる。
しかし、そのおかげで少し体が離れたため、
恐ろしく強力な魅了の魔法が多少なりとも弱まり、
私は慌てて体を引きはがした。
深呼吸を何度も繰り替えし、心を落ち着かせる。
「あ、危なかったです……。
まさか、こうまで簡単に、
篭絡されそうになるとは……」
クリスさんの篭絡ミッションが、
秒単位でコンプリートしそうであった事実に、
私は愕然とする。
そんな私の様子を、
彼女は余裕の笑みで見つめながら、
続きを語る。
「あら、残念。
私も少し焦りすぎて、詰めを誤りましたね。
でも、急ぐ必要はどこにもありません。
私の魅力は、十分以上にヒデオ様に通用すると、
判明しましたもの。
これからは、じっくりと時間をかけて、
骨抜きにして差し上げますね」
クリスさんは、半ば以上勝利を確信した様子で、
そう宣言した。
私は、あっという間にそうなりそうだなと、
感想を抱きながら、それに返答する。
「そういう未来も、良いかもしれませんね。
私が言うのもおかしな話ですが、
頑張ってください」
「ええ。もちろん。
いつか必ず、私は、
ヒデオ様の子供を産んで見せますわ」
非常に強い一面のある彼女であれば、
強引にでも、
望む未来を手繰り寄せる気がしてならない。
しかし、その様子を少し想像してみれば、
(それはそれで、とても幸せな未来ですね)
とも思う。
これはもう、時の流れに身を任せるしかないなと、
考える事を放棄した日であった。




