7 床ドンに壁ドンでどん底
この世界が何なのか。これについてはちょっと混乱をきたしたので保留にする。無表情先輩の事情も詮索しないことにした。差し当たり、毎日ランチを一人前づつ食べられる程度には平穏な日々を送っている。
最近はお互いの食事中も会話をするようになった。私が勉強について質問し、先輩が答える。私が読書傾向について質問し、先輩が答える。ただし、温室の外から見ても楽しそうに見えないように、お互い無表情かつ視線を合わせない。それから私は、給金の出ない出稚奉公時代に始めた自作リリヤンを、木箱に座ってハイスピード内職している。
先輩のノートのお陰で時間のできた私は、放課後日用品を買いに行くことにした。世間体のため、最低限の身の回りのものやノートなどを買うお金は実家から毎月送られて来ることになっている。いつ打ち切られるかわからないそのお金の足しになるように、同時に雑貨店に内職品を売るのだ。
内職品を売って文房具を購入後、古着のワンピースを購入して着替える。私は制服と寝間着しか持ってきていなかった。実家にある洋服は出稚奉公に出る前からきつかったし、奉公先でも制服と寝間着しか着なかったから手持ちの服が全くなかったのだ……。しかし掘り出し物を買うことができたので気分はいい。自称ヒロインボディを隠す為に通常装備のサラシも、学園外なので久しぶりに巻いていない。それが失敗の素だったようだ。
ザ・チンピラという方々が、「おぅおぅ姉ちゃん」と絡んでくる。仕込みですか?ほくそ笑む悪役令嬢がいないかと周りを見回す。令嬢どころか目を合わせる人もいない。三つ編み眼鏡への需要は悪役令嬢くらいにしかないだろうにと不思議に思っていたら、「意外といい体してんじゃねえか」と答合わせをしてくださる。
失敗した。開放感とか感じてる場合じゃなかった。この体は自称ヒロインクオリティなのだ。腕を掴まれた時点で震えがくる。路地に引っ張られ壁に押し付けられる。前世は通り魔に床ドン、今世はチンピラに壁ドンでルート外バッドエンドか。現実逃避してる場合じゃないけど、嘘みたいに体がガタガタ震えて、声も出ない。
前世私は高校時代チャリ通だったので、友達が電車で痴漢にあったと聞いても、助けを求めればいいのにって思ってた。知らぬが仏ってやつ?恐怖で声が出ないこともあるんだ。経験してみないと分からないことだったけど、もっと親身になって話を聞いてあげればよかった。喉が引き攣れて、息も上手く吸えなくて朦朧とし始めた時、助けの声がかかった。
「何をしている!?」
なんだか聞いたことのある声がして、チンピラに手を離されると私はへたり込んでしまった。バタバタと何人もが入り乱れ、男の悲鳴が聞こえる。騎士達に切り付けられ、血を飛び散らせるチンピラを見て、前世の自分の惨状を思い気が遠くなる。と同時に思った。過剰防衛じゃ……
「大丈夫か?」
地面に倒れ伏す前に抱きかかえてくれた人が声を掛ける。壁に擦られて三つ編みは解け、眼鏡がずり落ちたまま、無理矢理顔を上げさせられた。――そこにいるのはどアップの第二王子と、佇む騎士団長子息(推定)だった。
「?!――あんたは、あの人の……」
「――殺してしまったのですか??血が……剣で……」
「拘束するために切ったが、死ぬような怪我じゃない。酷い目にあったのに、犯人の心配か。あいつらには余罪が……」
「血が……」
「――そうか、恐かったんだな。」
眼鏡を外され、ギュッっと第二王子に抱きしめられた。おぉう……。ドラジェ様に申し訳ないけど、立てないくらいにガタガタ震えてたので、圧迫されるのはありがたかった。チンピラが拘束されて連れて行かれるまで、王子はそのままでいてくれた。
「あの、ありがとうございました。もう帰ります。」
「その足じゃ歩いて帰れないだろう。それに服も髪も酷い状態だ。」
「じゃあ、家に来い。王子、ここからならすぐです。」
「いえ、これ以上はもう……それに眼鏡も返して……」
十三歳では体格的に無理だったのか、王子のイケメン護衛騎士様が抱き上げて下さった。心のゆとりが出てきた私がちょっとうっとりしかけたところ、いきなり馬に乗せられて、声なき悲鳴あげた。イケメンに見とれた罰が当たったのだろう。騎士団長宅は馬で駆ければすぐの距離だった。
騎士団長子息カラボス様にはお嫁に行ったお姉様がいて、その子供時代の服を湯浴みの後に着せられた。髪もハーフアップに結われ、はっきり言ってヒロインクオリティの仕上がり。非常にマズい。しかし、仁義を切らねばならない。この家の事情は全く分からないので、執事とおぼしき男性に相談すると、家人は皆不在なので坊ちゃん方にお礼を言えば良いとのことだった。顔を伏せたまま、自己紹介を避けた口上を述べる。
「王子殿下、並びにカラボス様。この度はお救いくださり誠にありがとうございました。また、このような素敵なお洋服をお貸しくださったお姉様にも感謝いたします。使用人の皆様も手厚くお世話頂きましてありがとうございました。図々しくもこれ以上の長居は致しかねますので、眼鏡をご返却頂き次第、お暇いたします。」
「姉の衣装はやるよ。それに治安を維持すべき我が家が、犯罪者取り締まるのは当たり前のことだ。気にするな。」
「そうですか……。下賤の者が身につけた物など返されてもお困りでしょう。有り難く頂戴いたします。それでは王子殿下、眼鏡をお返しくださいませ。」
「その前に顔を見せよ。」
仕方なくそろりと顔を上げ目は伏せる。近づいてきてきた王子が、私に眼鏡を掛けながら囁いてきた。
「あんたはあの人の何なのだ?」
「先日あの方が説明された通りです。」
「――俺のものになる気はないか?」
「申し訳ございません。在学中はあの方のお側に控える所存ですので……。失礼いたします。」
眼鏡を返されたので、すかさず退出しようとすれば腕を掴まれ、一緒に学園まで馬車で帰ると言われる。確かに道は分からないし仕方ないか。馬車に乗る時に手を貸してくれたのが、さっきのイケメン騎士様だったので、小声でお礼を言っておいた。眼福!攻略対象以外のイケメンなら、愛でてもいいよね。
馬車に乗った私はすかさず髪を三つ編みに結い直し、化粧も拭い落とした。王子に何故かと問われたので、侍女の身分で華美に装うと寮内で攻撃にあうと言ってやった。特にあなたの婚約者候補にね、というのは言わずとも伝わったようだ。私は一人、学園の門手前で降ろしてもらえた。理由は問われなかった。