3 視線と脱出と世界の検討
目が覚めたらベッドの上で、朝だった。そして寝ている間に十二才までの記憶が早送り再生される夢を見た。詳しく知りたい部分は、起きてからでも思い出せるようだ。検索のように、その事柄を思いだそうとしなければ、記憶には収納されない。
自分で身支度をして朝食に行くまでに対策を立てなくては。冷やしてないから頬は今日もまだ腫れている。父親、気が利かないな。どうもここは体罰厳禁な社会ではなさそうだ。遅刻は許されない、このまま急ぐ。食堂に行くと、父親と母様こと継母、彼女が産んだ弟と妹が既にいた。記憶にある自分の席に着く。
「おはよう。良く眠れたかい。」
「はい。――お父様、後で書斎に伺ってもよろしいですか?」
「もちろん。」
私、オデットはあの継母がこの家に来てから無口になった。ちょうど良い。人格は今だ融合せず、今までのオデットの記憶がただ再生できる様になっただけだ。ボロが出ないようにこのまま無口でいよう。
継母は実子の前では本性を見せない。いや、実子にとってはいい母親なのかもしれない。オデットは弟妹とは親密になることを禁じられている。あちらも関わらないよう母に言われているようだ。先程からチラチラ私の頬に目を向けているが何も言わない。いつもはこちらに目もくれない継母も、今日はこちらに視線を向けてくる。
気詰まりな朝食を終え、書斎へ向かう。これからプレゼンだ。いや、父に策を授けなくてはならない。
我が家は貧乏子爵家。元騎士の父は、若くして親を亡くして爵位を継いだ。父の昔話によると、見習いに毛が生えた程度のヒラ騎士だった父は、学生時代の座学も不得意。領地経営を学び、引き継ぎを受ける前に親を亡くして途方に暮れた。ただでさえカツカツだった我が家はすぐさま赤字に転落。相談できる家令も執事も既におらず、にっちもさっちもいかなくなったらしい。
体の弱かった産みの母は風邪をこじらせ呆気なく亡くなり、貴族との繋がりを求めた豪商の娘だった継母と、押しかけ女房的に再婚。継母の主張によると、実家の財力と経営手腕で恙無く回るようになったらしい。どんな領地かは知らないが、領民的には悪い話ではなさそうだ。すぐに弟と妹が産まれ、父の存在感も発言力も下降の一途。かくて邪魔者であるオデットの、厄介払いのお見合いが計画されるに至った訳だ。
私はオデットの幼少期の記憶を再生できるけど、その時の感情までは伝わってこない。母の死や父の再婚、腹違いの弟妹達に対して、今の私は非常にドライな感情しかない。しかし今後は違う。私は殴られるのは嫌だし、妙な見合いもお断りだ。私の感情をもって断固拒絶する。相手は継母の実家の取引先である中年男爵。離婚歴あり。結婚は先のこととはいえ、十二才と見合いする相手という時点で嫌悪感がある。
そこで前世の記憶とオデットの記憶が活きてくる。ここが乙女ゲームの世界かどうかは別として、実際この国の王太子殿下は私と同じ十二才。婚約は候補がいるだけで決定されていない。現実的にはなりたいともなれるとも思わないけど、この線で押せば学園を卒業するまでは見合いから逃れられるのではないかと思う。婚約者は無理でも、侍女、女官、友人でもなんでも。誼を結ぶチャンスだ。しかし親しくなるには婚約者持ちでは体裁が悪いのだと。
――というようなことを父から継母に訴えてもらい、なんとか見合い話はご破算となった。弊害として、継母の実家の商家でマナー講座という名の丁稚奉公だ。学園入学までの一年間だし、打算的な継母のことだから、無為に閉じ込めたりはせず実利をとるはずだ。王侯貴族と取引のある豪商だからそれなりのことは学べるだろう。
状況を鑑みるに、ここは未知の世界だ。だからといって無策で飛び込む訳にはいかない。シミュレーションとイメトレ、そして今度こそ実践練習で万全を期すのだ。考える事は成す事の準備に過ぎない。考えただけで本番でも上手くいく訳がなかった。避難訓練もしかり、護身も訓練あるのみ。そして人生設計も考えるだけではだめなのだ。必要なスキルを身につけよう。
差し当たり見合いからも逃げられ、すぐさま家を出されて侍女奉公が始まった。出稚奉公なので自由は少ないが奴隷ではない。閉じ込められもせず、仕事が与えられるようだ。むしろ今までのオデットの生活よりも環境はいいかもしれない。
すべての記憶が断絶なく再生できる訳ではないので理由はわからないが、オデットは殆ど家から出たことがない。そして基本的に部屋からも出ない。侍女もいないし父親も留守がちで、今までは孤独な子供時代だったが、働きはじめれば否応なしに人と関わる。途端にこの世界の情報が増えた。
猶予ができたところで乙女ゲームについて考える。攻略対象者候補は王太子、双子の第二王子、宰相子息、騎士団長子息はベタ中のベタ。隠しキャラ枠も含め、学園の魔法講師、二年後に隣国から留学しにくる予定の王子と今だ独身の王弟あたりがそれっぽい。悪役令嬢は、王太子の婚約者候補である公爵令嬢と第二王子の婚約者候補である候爵令嬢が適任か。
もしもベタな展開ではなく、王様の二人目の側室になったり、不倫がオッケーだったり、すごく年上とか、身分違いもありとなったらもう予測不可能だ。当面はこの線で対策を考えよう。
実際、しがない没落子爵の引きこもり令嬢では、これだけの情報を記憶に持っていなかった。だからと言って、攻略対象者候補全てが、世慣れた世間の皆さんなら当然ご存知の有名人かというとそうでもない。レア情報も含まれている。
ではどうやって情報を入手したかというと、私の奉公先の豪商の店先で、私と同級生になるらしい女子二人がしていたおしゃべりを、ほんの十分盗み聞きして得た情報だった。家政婦も侍女も、盗み聞きスキルは必須のようだ。
情報が揃ったところで注意が必要なのは、ハッピーエンドになれるなら誰ルートでもいいって訳じゃないってことだ。
私が思うに、悪役令嬢ものが王道になりつつあるには理由がある。まず婚約者同士身分が釣り合っていること。幼少期より相応しい努力をし、その努力が報われるのを読者が願っていること。略奪、婚約破棄は客観的、倫理的に悪であること。当然、それにあてはまらない自堕落で悪辣な悪役令嬢にはざまあが望まれるが。
逆にヒロインが努力家で、善良であり、攻略対象者の男の強引さと手腕があって、ヒロインとの結婚エンドが成立したとして。略奪者と本来の婚約者、どちらが社会的に正しいかは自明のことだ。悪役令嬢が真実重犯罪者でない限りは。
政略結婚が主流の世界では、惚れた腫れたでは立ち行かない。本来、子供のイジメやマウンティング程度では国公認の契約は覆らないところに無理を通すのだ。その後の貴族社会では、努力では補いきれない生来の身分や見識、作法によって、また理由などなくとも、つまはじきにされるのは必至だろう。
仮に高位者の気分次第で契約や法、倫理感を押しやってでも好きにしていい社会だとしたら、ハッピーエンド後に強制力が切れて相手の男の熱が冷めれば、ヒロインの立場は足蹴にしてきたライバルと同じになる。
むしろ元々の身分が本来の婚約者より低いのだから、周りの庇護も期待できず、どん底まで落ちるだろう。
本来の婚約者の周りの庇護を剥ぎ取り、相手の男との結婚を阻む者を懐柔し、男の心変わりに備えて保険をはるシステムが逆ハーだと思う。ヒロインが結婚エンドを望まず、男を侍らせちやほやさせ、快楽と豪遊、実権を求めるのであればそれもいい。
しかし貴族は血を重視する社会だ。権力を持つ嫡男は、嫡子をもうけねばならない。確実な親子判定ができない以上、あきらかに複数の異性交遊がある女性の産んだ子供を実子とはできない。もし確実に夫の子供のみ産める状態だとしても、その他の逆ハー要員である権力のある貴族は、血を継がなくてはならず婚姻が必要で、それと釣り合う相手の女性にはまた別の権力と思惑がついてくる。
夫唯一人と婚姻し、離婚や高貴な側室を阻む。そういった協力を確実にさせるだけの逆ハー要員を、色仕掛け以外でキープし、その親族をも黙らせ続ける。そこまでできればもはやヒロインというか魔女というか女帝というか……。そんな疲れるハッピーエンドは私は嫌だ。
そこまでしてもまだヒロインの人生は長く先がある。例えば王太子と結婚エンドを迎えるとする。例え一旦高位貴族に養子に入って婚姻したとしても、不釣り合いだ、血筋がなどと言われるに違いない。
国内の高貴な側室は阻めても、周辺国からの王族の輿入れを阻むにはどれだけの逆ハー要員が必要だろうか。姫が迎えられれば、正妃の座は確実に取られ、産んだ子供の魔力の高さ低さは元より、政治バランスで継承権争いは必須。
自分が国母を望まなくても、この世界、絶対の避妊は今だない。先に産んでしまった場合、隣国のように長子相続制であれば暗殺も警戒せねばならない。
相手が王族ではなくても、上級貴族嫡男であれば同様の争いは不可避だ。権力と争いは切っても切れず、攻略対象者はおしなべてスパダリだ。嫉妬の渦に揉まれるのは誰を選んでも同じ。果たしてその結末はハッピーなのだろうか。困難を共に乗り越えたいと思えるだけの相手を対象者の中から選べばいいのか。身分相応の相手が何故対象者にいないのだろう。
結婚はゴールじゃない。ついでに大学入学もゴールじゃない。新卒入社も社会人生活の始まりに過ぎない。――脱線した……。
結婚後の生活が充実して楽しく、後悔ないよう日々幸せに過ごせるならばいい。ただ長生きできればいいってものではないように、走り切った後の死の瞬間に悔やんだり、「疲れた…やっと終われる…」みたいな最期は御免被りたい。
バットエンドなら尚のこと。ざまあで処刑、牢獄、娼婦落ち、監禁、庶民落ち、国外追放などなど。苦痛に満ちた早死にを避けるため、練るべき対策は考えきれない程ある。
この世界が乙女ゲームなのかWEB小説なのか漫画なのか、実は何の関係もないただの異世界なのかわからない。でも、ご都合主義のエンディングのその後までは、都合良く用意されてはいないだろう。あるかもわからない続編に期待はできない。
それに創作世界が元になっていたとしても、この世界は三次元の現実で、モブにも意志がある。王道ルート通りにしてもハッピーエンドが迎えられるかすら定かではない。
検討したって好ましいルートも存在しない。悪役令嬢ものが人気の昨今は、ヒロイン的にはむしろルートに乗ること自体を回避しないと危ないのかもしれない。
父親は「暴力ダメ絶対」じゃない環境で育ったひょろい脳筋です。ただただ甲斐性なしで鈍感なだけの、運動方面以外に気も目も配れない残念な人で、決して悪人ではありません。騎士時代は本能で脊髄反射的に事件に対処していました。
一方ヒロインは頭の中で考えすぎて行動に移せない、やってみても上手くいかないタイプ。
ちなみに亡き母親は、おっとり微笑んで座っているだけ。必要な時でも深刻に考えません。
足して3で割れば完璧な親子です。




