17 僕から私への告白
去っていくドロッセルマイヤー先生の姿を呆然と見送っていると、カチンと剣をしまってジーク先輩が抱き上げてくれる。
「医務室はドロッセルマイヤーがいそうだから温室に行く。大丈夫だったか?遅くなって済まない。」
「いえ、怖かったけど間に合いました。助けに来てくださってありがとうございます。」
お姫様抱っこだから顔が近い!先輩が顔を覗き込んでくる。多分私、顔が真っ赤だ。それを見て、心配そうにひそめられていた眉が戻り、嬉しそうな顔になる。先輩が、表情豊かになりつつある?!それにひょろ長先輩のくせに、腕力あるの?なんだか色々頭が混乱して、この状態を人に見られたらヤバいってことにまで頭が回ってなかった。
「重いから降ろしてください。それに見られたら困ります。」
「婚約が正式に成立し次第発表するから構わない。それに全く重くない。」
なんですと?全く重くない?重力制御か重さ軽減の魔法でも使えるのかな?風系統?使えれば重い長剣も持てるかも。大きい敵を倒す時にも応用できるかもしれない。
「目の色がクルクル変わっていく。」
「えっ?――私金色じゃなかったんですか?――あ、でも今、思い出した……。小さい時にネズミ色の目って言われて物置から出してもらえなくなって……それで、わたし、お父様が帰ってくる、まで……」
「大丈夫。もう大丈夫だ。僕達は同志で仲間だろ?一緒にいれば生きられる。」
「――叩かれない?――怖い男は来ない?」
「僕が守るよ。どんな君でも愛してる。――覚悟を決めた、もう逃げない。」
歩くのをやめて、ジーク先輩がギュッと抱きしめてくれる。幸せって、こんな感じだったかな。前世も今世も生みの両親は、こうして抱きしめてくれてた。私とわたしがジーク先輩の抱擁で、一つにまとまっていくみたいに、オデットの小さい時の記憶が、実体験として戻って来る。
私は、オデットに憑依した訳じゃなく、転生してオデットになった。だけど生に希望が持てない日々に、もしかしたらドロッセルマイヤー先生に説明したように、今世でも死にかけたのかもしれない。体だけじゃなくて心も死にかけて、生きる為に多分二重人格になったんだ。その人格の一つが前世の私。
産まれた時は、多分茶色。お母様が亡くなって、継母が来て、いつしかネズミ色になった。ネグレクトされても叩かれたことはなかったのに、あの日倒れ込む程叩かれて、金の目の私が一人の独立した人格として魂の奥から出てきた。成人経験のある私は、継母と同年代だし、女同士の諍いもかわすのは得意だった。
上位存在のネズミ色のわたしの記憶は、下位存在の金色の私には完全には再生できなかった。逆にわたしは、私のことをずっと見て応援していた。そして医務室でドロッセルマイヤー先生にセクハラなのか暴行未遂なのかをされて、今度は私が引っ込んじゃった。私を殺した通り魔は男で、押さえ込まれたのが最後の記憶だったから、それを知っているわたしが、私を逃がしてくれたんだ。
廊下でわたしは頑張った。ジークを好きな私の為に。逃げたかったけど私じゃ耐えられない。諦めないと思ってたわたしも、こんなことは嫌で。ジークを思い出してたら私が自分で戻って来てくれた。ジークを心の支えにして。
私とわたしは一つに戻った。だけど元のオデットには戻れない。茶色のオデットにも、ネズミ色のオデットにも、金色のオデットにも。前世の記憶もある、十二歳までの記憶もある、この学園でジーク先輩と生きてきた私、新生オデットだ。そして私は悟る。ここが教室から丸見えの裏庭であることを。放課後とはいえ、相手がジーク先輩だからといえ、めちゃくちゃ生徒に見られているということを。
「ジ……ジーク先輩」
「瞳は落ち着いたようだ。立てる?」
視線は気にならないのか、その場に私を立たせる。そしてそこに咲くピンクのアスチルベを詰んで、私の前に跪く。
「君は僕の初恋だ、オデット。このジークフリート・ロットバルトと結婚して欲しい。」
「は、はい!――――はい?!?ロットバルト??」
返事をして、花を受け取り、再び抱き上げられてから気付く。ロットバルトって、この国の王族の名前じゃ……温室へ向かうジーク先輩の背中側、校舎の窓から悪役令嬢ズが笑いながら手を振る。
「やっぱり知らなかったのね。世間知らずも大概になさいな。」
「一度受け取った花は返却不可よ!それにしてもあの花、あの子にピッタリ。あの方も、初恋ですって。さっそく……」
ドナドナされて、声が遠くなる。世間知らず……。つまり皆知ってた?なんで教えてくれないの~!?それにてっきり温室に向かうと思ったら、裏門から外に出ちゃった。え?馬車?なんで?まさか??
「王族なんて聞いてません。私、私には無理です!」
「ドラジェ嬢も言ってたじゃないか。返却は不可だよ。」
抵抗虚しくジーク先輩は、私を抱えたまま馬車に乗り込む。
「庶子だって、言ってましたよね?正妻を刺激しないようって……」
「母は側室だ。正妻は王妃。」
「そ、そんな。――侍女も護衛もなしで、給金も払えないって……」
「護衛代わりに、私が影ながら見守っておりました。」
馬車の窓から逆さまの顔が覗く。
「忍者?!」
「おや……いにしえの呼び名をご存知で?」
急に声の調子が低くなったのが怖くて、ジーク先輩に抱きつく。
「脅かすな。可哀相だろ。」
「いやお熱いことで。しかし面白いお嬢様ですね。それにジーク様が王族だと知らないなんて……」
笑いながら屋根の上に消えて行った。もう何も聞く気になれなくなった。だって上にいるし。私が黙っていると、事情聴取のことを聞かれたので黙って天井を指差す。ジーク様は変わったリズムで壁を叩くと、もういないから大丈夫と言って先を促した。
内容が恥ずかしいけど、大まかに説明する。聞いてるうちに、ジーク先輩の顔が険しくなっていく。「あいつ……」とつぶやいて抱きしめられ、「僕の結婚の申し込みが間に合ってよかった」とため息まじりに言われた。
廊下でのことを言い淀んでいると、後であいつに聞くから良いとおっしゃる。なんか先輩、先生に対して急に態度が……。もちろん私は先生に対して怒っています。ただ、セクハラ発言は存分に受けたけど、触られたのは手と頬と髪だけ。サラシ緩め問題は別として。前世的にはセーフだし、あれがなかったら新生オデットにはなれなかったかもしれない。
それに今思えば、廊下でのことは……明らかに進め方が遅かった。私をおちょくる為だったにしても勿体振ってた感じ。わたしには分からなくても私には分かる。というか、先輩が来るのを待ってた?――まさか!?
「医務室でのことも、廊下でのことも、ドロッセルマイヤー先生は私に興味はなく、何か別の目的の為にあんなことをした可能性はありますか?」
「――僕も問い詰めた。というか殺しかけた。医務室でのことは、僕の君への気持ちを自覚させる為だったと言っていた。落ち着いてからちゃんと説明しようと思っていたが……。すまない。僕が早く思い切らなかったせいで、辛い思いをさせた。ただ、服を緩めたのは女性の影がやったことだ。やつが君の手や頬に触れただけでも許せないが……翌日では手遅れだったのだから、あの日に求婚できたことだけは褒めてもいい。」
「服の件はとても気になっていたので聞けてよかったです。医務室でのことは……いつかちゃんと話せるといいのですが……心が死んでしまう程の負荷がかかり、瞳の色が変わったのだと思います。」
「――やはりそうか。その点については、ドロッセルマイヤーも悔やみ、反省していた。そしてそうさせたのは僕が不甲斐ないせいだ。どう、償ったらいいか……」
「いいえ。気持ちは他人の思い通りになるものではないのです。今回はたまたま上手く行きましたし、私自身の長年の問題も偶然解決しましたが、本来気持ちを操って作為的に動かすことはすべきでないと思います。先輩も被害者ですよ。」
「そうか……。操られ、駒の様に動かされるのが当然と思ってきたから、その意見は鮮烈だ。」
「私達、いつか過去の心の傷について、お互い話し合えるといいですね。」
「そうだな。――それで、君の瞳の色の変化に気付いたドロッセルマイヤーは、戻す方法に心当たりがあるから、放課後の事情聴取の後に君を迎えに来るように言ったんだ。それがまさかまたあんな……くそっ!」
「それで、でしたか……。まあ先生の読みは当たっていたんでしょうね。あんなこと、二度と御免ですが。――それにしても先生の手管は、相手が嫌がる絶妙な言葉選びと少しの仕草で最大の効果というか……。先生自身、過去に私のような目にあっていた、というようなことはありませんか?」
「!!――君という人は本当に……。恐らく、そうだろうと僕も思う。しかしこの件は……。」
「もちろん、ジーク先輩とご本人にしか、いえ、障りがあるのであれば、ご本人にも言いません。ですが、私達のように、先生も過去の傷を話せた方が気が楽になるということもあるかもしれません。ご判断はジーク先輩お任せします。」
「僕の奥さんは聡明だな。――ところでその、センパイ、というのはどういう意味だろうか。」
「えっ?!あ、あの……。年上の方という意味です。先と後で、先輩後輩。同学年なら同輩ですね。」
「ああ、成る程。今日初めて呼ばれたから、不思議に思ってたんだ。」
「そうでしたか?実は心の中ではずっとそう呼んでいました。――これからは、ジークフリート様とお呼びした方がいいですか?」
「ジークでいい。」
「では、ジーク様で。――というか王族とは聞いてない、私には無理だというお話はどうなりました??」
「すまない、時間切れだ。これより陛下に謁見する。」
「は、はぁ~??」




