3:あれ? ログアウトできないぞ?
ふいに意識が覚醒して、私は自分が寝ていたことに気付く。けれど自分が寝ている場所は柔らかなベッドではないらしく、背中や指先にちくちくした感触。
……草の上に寝てる?
何度か目を瞬かせて、眩しさにもう一度目を閉じる。あれは電気の光ではないから、ここは間違いなく外だ。
外?
私はゲームをしていたはずなので、外に寝転んでいるわけないのだけど……。家も独り暮らしだし、セキュリティだってちゃんとしたマンションなのに。
とりあえず何度か瞬きを繰り返して、私は目を開けて体を起こした。
ふわりと吹いた風が私の頬を撫で、広大な草原が視界に飛び込んでくる。見慣れた、ファンタジックガーデナルの世界だということは一目でわかった。
「――わお」
自分以外に人はいなくて、閑散としている。
「…………うん?」
どうしてだろう。
記憶を整理するために、自分が意識を手放す前のことを思い返す。
「そうそう、私は錬金術師になったんだよ」
その証拠に初期装備だし、ステータスにもちゃんと『錬金術師』と書かれている。それにここは――始まりの塔がある草原だ。
現に、私の後ろには始まりの塔があるし、あるし……? うん?
「どう、なってるの?」
私は立ち上がって、まじまじと始まりの塔を見る。
まっすぐ雲の上までそびえたっているのはいつもと同じだけれど、塔の側面が風化したかのようにボロボロになっていた。
内部へ続く扉は固く閉ざされていて、力を入れて押してみたけれどびくともしない。いつもいるNPCだって、どこにもいない。
「……不具合?」
特にアップデートの予定もないし、メンテだってしたばかりだったのに。
今の私はレベル1だし装備もない。変に動くよりは、ログアウトして再起動するか……運営に問い合わせた方がいいかもしれない。
「【システム画面起動】っと」
私の前にウィンドウが表示され、ゲームシステムはちゃんと動いていることにほっとする。インベントリには転生のときにもらったプレゼントが入っているし、所持金が減っている様子もない。
「さて、ログアウト……とと?」
システム画面を見て、私は首を傾げる。
……おかしいなぁ。
「ログアウトボタン、ないんだけど?」
今までこんな現象は経験したことがないし、聞いたこともない。非常事態だから運営に問い合わせをしたいところだが、運営へのコールボタンすら消えている。
大事な外界との通信関係が全滅って、この手のゲームで一番やってはいけないやばいことなのでは……。
とはいえ、私は別に家族がいるからとか、仕事があるからとか、そういった急いで現実世界に戻る必要はない。
「どうせリアルでやることなんてないし、このままゲームしてればいいや。考えたってどうしようもないから、楽しむのが一番!」
とりあえず初期装備のままよりはましだろうと思い、先ほどもらった装備一式をインベントリから取り出して開けてみる。
見習い錬金術師のナイフ 攻撃力+10
見習い錬金術師の盾 防御力+15
見習い錬金術師のローブ 防御力+10
見習い錬金術師のブーツ 素早さ+5
HPポーション×10
MPポーション×10
キュアポーション×5
いつも通りの見習いセットだけど、錬金術師の女キャラ装備は可愛いから結構人気が高い。それでも錬金術師になるプレイヤーが少ないのは、言っちゃいけないお約束。
「よーし、【装備】っと……ん?」
装備品を手に持ったまま、いつも通り装備するためのコマンドを音声入力してみるが……うんともすんとも動かない。
「どういうこと? 【装備】、そうび、あれぇ?」
おかしいと頭をかきつつも、ふとしたことに気づく。
「なんか、いつもより感触がリアルじゃない?」
布の手触りだけじゃない。
いつも一定間隔で吹いていた風がランダムで吹いているし、回数も多い。地面に触れてみると、土特有の湿り気もある。
「こんなの、まるで――」
まるで、現実じゃないか。
そう言おうとして、口を噤む。だってまさか、そんなことがあるわけない。
私は大きく息をついて、手に持っている装備を自分で着ることにした。幸いなことは、初期装備の上に羽織るだけで済んだということだろうか。
靴は問題ないので、普通に履き替えた。
「さてと、【ステータス】!」
ユイ
レベル1
ジョブ:錬金術師 レベル1
HP:130/130
MP:30/30
装備:
見習い錬金術師のナイフ 攻撃力+10
見習い錬金術師の盾 防御力+15
見習い錬金術師のローブ 防御力+10
見習い錬金術師のブーツ 素早さ+5
「あ、ちゃんとステータスには反映されてるんだ」
今まで手動で着替えるなんて考えたこともなかったけれど、こっちの方が本当の冒険っぽくて楽しいかもしれない。
……戦闘中の装備の付け替えは面倒だけどね。
『きゃうっ!』
「あ、キャトルルだ」
今の私はレベル1だから、キャトルルを一匹倒せばレベルアップできるね。じぃっとキャトルルを見つめると、対象の情報が浮かんでくる。
キャトルル レベル1
HP:7/7
属性:土
「ん、ちゃんと相手のステータスは見れるみたい」
その点にほっと胸を撫でおろす。
プレイヤーは、他プレイヤー、モンスター、アイテムの簡易的な情報を瞬時に見ることができる。
モンスターにアイテムを使えばスキルやドロップアイテムを調べることもできるし、逆にプレイヤーだと情報を隠す手段もゲーム内には存在している。
「よーし、キャトルル覚悟!」
私はキャトルル目がけてナイフを振り下ろし、一撃を与える。すると、ナイフから何かを斬ったという感触が私の体を駆け抜けた。
「――っ!」
『キャンッ!』
思わず後ろに飛びのいてキャトルルと距離を取るが、キャトルルは今の一撃でHPがなくなったらしく光の粒子となって消えた。
残ったものは、ドロップアイテムの『キャトルルの尻尾』だけだ。
《レベルアップしました》
「あ……そうか、倒したからレベルが上がったんだ」
ステータスを見ると、ちゃんとレベル2になっている。
「は――……まさか本当に、本当?」
手に持っているナイフを見て、私はそれを振り回してみる。
ゲーム内では感じなかったナイフの重さに、モンスターに攻撃したときの感触。……どうやらここは、ただのゲームの中ではないということは認めざるを得ないようだ。
そうなると、まず必要になってくるのは身の安全。ここは弱いモンスターしかいないけれど、私の知っているマップと完全に同じわけじゃない。
急いで近くの冒険者ギルドに行って、倉庫からアイテムを取り出す必要がある。それから、一度自分の家にも戻りたい。
「大丈夫、私は転生した強い錬金術師だから……」
ゆっくり深呼吸をして、自分を落ち着かせる。
ゲームなら大好き、むしろこの世界にこれてラッキーなくらいだ。考えたって解決しないんだから、今はこの世界をめいっぱい楽しんでやろう。
「まず目指すのは、始まりの塔から一番近い――『始まりの町』!」