7
この村にきてどれだけの日数が経っただろう。
僕のイタリアでの就職は、もうきっぱりとあきらめた。だいたい、あんなふうに命を狙われたなんて経験したら、もうあそこには戻れないていうか、戻りたくない。置いてきてしまったバゲージはちょっと悔しいけれど、執事の仕事に必要な僕の宝物たちはバックパックに入っているから、まあ、良いとしよう。
日本にもイギリスにも家族はいないし(親戚はちょっとくらいいるけど)まあ、連絡がつけられなくてもその点はあんまり気にしない。だけど、友だちはどうしよう。
友だち、恩師……しょせん他人とはいえ、やはり今までの僕の人生を共に過ごしてきた人たちだ。蔑ろにはできない。少しくらいなんとか連絡がつけられないものか、このごろよく考える。
この村に来てどれだけの日数が経っただろう、って思ったけれど、具体的にはたぶん3か月くらいは経っているはずだ。
3か月も異文化の中にいれば、かなりのことは吸収できるようになる。まず言葉は、ずいぶんと覚えたと思う。生活のことを中心に、農業のこと、それからその他の産業のことはずいぶんとわかるようになった。だけど、わからないこともあるし、文化が違いすぎて理解できないこともある。
それより最近気になるのは、季節のことだ。
僕が就職しようとしたイタリアの町は、田舎とはいえ、イタリアの普通の気候のはずだ。長靴の形をした半島の真ん中より少し上あたりで、どちらかというと西の方。つまり何が言いたいかというと、四季がはっきりしていてわりと乾燥しているところが多いってことだ。
だけど、僕が今いる村は、僕が来た時夏の終わりであったはずなのに、3か月経った今も、ずっと夏の気候のままだった。日差しは強く湿度が高い。
湿度が高いってのもまた気になるところだ。(最初のころはあまり気にしていなかったけどね)
だけど、3か月経ってもそのまま。
秋は来ない。
秋が来ないと、畑仕事はずっとある。畑を耕して、種をまき、水をやって、花が咲いて実がなって、収穫。そして畑を耕す。
そのサイクルがくーるくる。
四季はどうしちゃったの? ずっと夏って、どういうこと!?
まあ、考えても仕方がないのかもしれない。
僕にとっては、農作業の手伝いができることは、仕事があるということだから、ここで生きていくには都合がいい。いつでも、どこの畑でも人手を欲しているから、手伝わせてほしいと言えば、みんな喜んで使ってくれる。そして、一日の終わりにはその日の報酬として何かをもらうことができる。それは、野菜や豆や穀物のことが多いけれど、時には調理済みのスープだったり、パンのようなもの(お菓子なのかもしれない)だったり、場合によっては農具、工具なんてこともある。
面白いよね。なんでも物でやりとりする。
だけど逆に、僕には何も持っているものはない。だれかにあげられるような物はないんだ。その日暮らしっていうのは、なんだか心もとない。
物にあふれた日本で育ったせいかもしれないけれど、そんな気持ちはいつもどこかにあった。
ある日のお手伝いは、仲良しのヤマミャシメさんの畑だった。ヤマミャシメさん(略してヤマさん、ってまた日本人っぽい!)のご主人は僕より少し年上くらいで、良い兄貴みたいな感じだ。
朝、僕が歩いていると
「ミツヒコ、今日はうちの畑をやってくれるか?」
と声をかけてくれた。
「ヤマさん、おはよう。いつもありがとう」
そう言って、ヤマさんの畑に入る。ここは何度も来ていて慣れているから、自分で農機具を準備したりすることもできるようになった。そうするとヤマさんも、もっと違う仕事を教えてくれるし、報酬もよくなった。
「今日はここを耕そう。これを使うんだ」
「うん」
見せられたのは、牛が農地を耕す時に引くような鋤っていうのかな。ちょっとよくわからないけれど、それの小さい版。って、人力ってことか!
でも手作業でえっちらおっちら耕すよりはずっと効率が良いということがわかった。
わかったが……結構な重労働だった。効率の良さを分かったというよりは、牛の気持ちが分かったのかもしれない。
「おーい、今日はそこまででいいぞ! お疲れ様!」
と、ヤマさんが声をかけてくれたのは、午前中が終わるころだった。
「え、まだ午前中だよ?」
「いやいや、この作業を一日中やらせたら、お前さんぶっ倒れるぞ」
「あー、うん。そうだよね」
というくらいの重労働だ。さすがに半日で切り上げてくれて助かった。
広い畑の半分くらいは耕せたから、良いのかもしれない。
「ミツヒコ、ズボンが切れている」
「あ、本当だ」
これは困った。
僕は、着替えが一着しかない。バックパックにひと揃え入れておいてよかったけれど、それしかない。
「そいつは悪かった。これ、おまけしてやるから┌|∵|┘┌|-.-|┐」
と、かなりたくさんの野菜と穀物をもらった。って、どういう意味? 久しぶりに知らない言葉が出たけど。
「うん。じゃ、またね」
とりあえず、報酬はありがたくいただいて、その日は帰った。