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すっ飛んだフィヨは目をぱちくりしている。だけどすぐに我に返ると、また僕に掴みかかろうとしてきた。
「ちょ、ちょっと待って、返すから、ほら」
僕は腕輪をもった腕を精一杯前に出して、反対の手で目を押さえた。だって怖いんだもん。
フィヨは僕の手から腕輪を取ろうとしているのに、どうしても腕輪に触れない。彼女が腕輪に触ろうとするとバチンと火花が散って壁でもあるかのように跳ね返されてしまう。彼女の力が強いほど大きく跳ね返ってしまうのを彼女もわかったようだ。今度は力を込めてゆっくりと押してくる。
「返せ!」
そ、そうだけど。僕にはどうしようもない。
しばらくの間、フィヨは一人で戦っていて、そしてどうしてもこの腕輪が僕からとれないことにやっと気づいた。
『砂漠の民は、我が“しるし”を放棄した。よって“しるし”は湖の民に戻そう。腕輪所持者には湖の民の族長として、守りと力と繁栄をもたらそう』
湖の民は、長兄の民だ。茶色い髪の種族で湖のほとりに住み、12人兄弟の中で一番栄えていたという。
「放棄などしていない、腕輪を返せ、カンミール!」
フィヨはまだあきらめていない。カンミールに向かって叫んでいる。だけど、カンミールはもう、フィヨのことなど相手にしていなかった。
『砂漠の民の族長フィヨシュヴュドホルよ、これ以上は言わぬ。最後の生き残りとして、立派に生きよ』
このカンミールの言葉に、フィヨは打ちのめされた。
「最後の? ああ!」
カンミールの守りがなくなったことで、フィヨの力はなくなった。それと同時に砂漠にいた者たちへの守りもなくなってしまったのだろう。働くこともせず、何もせずにただカンミールの恵みだけに頼って生きてきた者として当然の最期だったのかもしれない。それでもフィヨにとってはかけがえのない家族であり民であり、彼らを守るために生きてきたのだ。
何もかもを失って、フィヨはどうしようもなかったのだろう。胸を押さえてよろめきながら部屋を出ていこうとした。
彼女はどうなるんだ。
ここを出て村へ行けば、袋叩きに会うかもしれない。いや、デュウの村の人はそんなにひどいことをする人はいないかもしれないけれど、でも、冷たい目で見られるくらいのことはあるだろう。今の彼女にその視線は耐えられないに違いない。
もしうまく村を抜けることができても、その先にあるのは広大な荒れ地だ。そこから砂漠までどれくらいの距離があるのかは僕にはわからないけれど、荒れ地も砂漠も何もないことに変わりはない。そんなところで、何の力もない女の子が一人で生きていけるはずがないんだ。
どこへ行っても、彼女はもう生きられない。
そう考えた時、僕は彼女を追いかけた。
「フィヨ、待って」
よろよろと廊下にぶつかりながら歩いている彼女の腕を掴む。フィヨの手は細く、貧しい暮らしをしていたことがうかがえた。それに、打ちひしがれて生きる気力もない。
「待ってフィヨ」もう一度言うと、フィヨは僕の方を向いた。「君は砂漠の民の族長だ。これからどうするの」
慰めようなんてことは考えられなかった。彼女は誇り高い砂漠の民だ。哀れみなんて鬱陶しいだけだろう。
僕の言葉に彼女はキッと目を吊り上げた。
「何もかも私から盗んで、さぞ満足だろう。これ以上辱めようというのか」
語気は鋭いものの、弱弱しい声だ。
「辱めているわけじゃない。だけど、そうなるかどうかは、これからの君しだいだ。フィヨ、君はこれからどうするの」
「そんな、こと」彼女は泣きだした「私が聞きたい!」
フィヨは僕の胸をどかどか叩いた。胸に頭を付けて泣きながら、僕を叩いた。
小さい、まだ子どもじゃないか。今だけは、僕は彼女の兄のような存在でいよう。彼女には人の優しさが必要だ。そっと背中に手を回し柔らかく包むと彼女はさらに泣いた。
「フィヨ、君は族長だ。だけど、まだ子どもだよ。誰かに甘えたって良いんだ。井戸丸の12人兄弟はみんな親戚じゃないか」
フィヨは僕の胸で首を振っている。
「それにね、君は自由だ。何にも縛られずに何でもできる。自分がどうやって生きたいのか、考えてごらん」
そう言うと、彼女の嗚咽は少し収まった。それから顔を上げた。
「どうやって生きていったらいいか、わからない。ミツヒコ・・・助けてほしい」
気位の高いフィヨには辛い一言だったかもしれない。だけど彼女はやっと「助けてほしい」という言葉を絞り出した。人に頼むことができたんだ。
「うん、助けるよ」
僕はフィヨを伴って、部屋へ戻った。
部屋ではカンミールが神々しい光を放っているのが見えて、そして鈴の音が聞こえていた。
『彼が新しい湖の民の族長となる。カンミールの加護は彼に宿る。あとの10の民には今まで通り、夜の休息と明かりの守りを授けよう。赤毛の民には今まで以上に、困難な歩みの中の守りを約束しよう』
デュデュをはじめ、族長たちがカンミールに向かって頭をさげていた。
『湖の族長の言葉を聞き、彼に従え』
そう言うとカンミールは首をもたげ、その力強い両足で地面を蹴った。中庭にすごい風が吹き、カンミールはあっという間に空に昇った。そして、星のように煌めいて消えてしまった。