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中庭で空を仰いでいたオンブリカルは、僕の声に気付いたのか客間の雰囲気に気付いたのか、とにかくこちらを向いた。どこかからリーンと鈴の音が聞こえる。
「オンブリカル、いったいどうしたの」
オンブリカルは泣いていた。目から涙をパタパタと落としながら、こちらを向いてそして言った。
「見てください。本当に美しいんです」
オンブリカルが何を見ているというのだろう。僕たちは急いで廊下へ出て、中庭の上にあるものを見た。中庭は明るく輝いている、明るいなんてもんじゃない、眩しいほどだった。
オンブリカルは中庭からこちらに上がってくると、なぜか僕の手を取った。
「ミツヒコ、これがカンミールです」
なんだって!? カンミールって、聖獣の、カンミール!?
まさか本当にいる動物なの? てっきり目に見えないものなのかと思っていた。ちょっとした“しるし”があるだけで本体は見えないものだと勝手に思っていたんだ。それなのに、中庭には確かに何かが下りてくるのが見えた。鈴の音はますます大きくなった。心地よいリーンという音が、僕の気持ちを落ち着かせた。
それはまばゆく光りを発していて、とても大きい動物だった。逞しさと美しさを持った凛々しい顔立ちをしていて、顔から上半身全体に髪の毛というか、輝く金のたてがみが覆っていてなびいている。足には大きくて鋭い爪が生えていて、ちょっと鳥類のようにも見える。全体的にはライオンっぽいけれど、日本の龍のような雰囲気のある動物だ。いかにも神々しくて、確かに神聖な動物といのは理解できた。
「カンミール!」
みんなが叫んだ。そうか、やっぱりみんなその姿を知っているのか。
「なぜ、ここに」
みんなは中庭にくぎ付けなのに、フィヨだけは顔を青くして少し後退った。
「フィヨ、どうしたの」
「うそだ。洞窟に閉じ込めたはず、なぜここに」
首を振りながら後退るフィヨ。閉じ込めたって、カンミールを?
『フィヨシュヴュドホルよ』
その時、鈴の音が大きくなり、その中に低い女とも男ともつかない不思議な声が聞こえた。ああ、鈴の音はカンミールの音なんだということにやっと僕は気づいた。
声をかけられてフィヨはその場で立ち上がった。だけどみんなのように前に出ていくことはできず、その場で直立しただけだった。
『族長である兄ブロンエテスピエグルが亡くなり、今は族長となったフィヨシュヴュドホルよ。兄が亡くなってからお前たちに加護が無くなったことに気付いていたであろう。それなのに、そのことを他の一族に伝えずいつまでもカンミールの恵みを受けていられると思ったか』
カンミールの加護がなくなった?
つまり、彼女はあの変な力は今は使えないということだろうか。
確かに、お兄さんが亡くなってからは彼女が力を使っているのを見ていない。いつもふんぞり返って威張っているものの、手を出して力を示そうとしたところで何か邪魔が入っていたような気がする。それって、彼女が戸惑っていたわけじゃなくて、力がないから発せられなかっただけなのだろうか。
「そ、そんなはずはない。私は兄上の装飾品をすべて持っている。カンミールの恵みは私のものだ。カンミールよ、今すぐこのデュウの村を焼くが良い。そして、ミツヒコを砂漠に連れていけ!」
『もう砂漠の民に恵みはない。フィヨシュヴュドホルよ、最後の族長よ。心を入れ替え、畑を耕し、種を植え育てよ。さすれば、もう一度砂漠の民にも恵みは降り注ごう。しかし族長の恵みは去った』
「どうして、どうして!」
フィヨは大声で叫びながら、彼女の荷物からたくさんの飾りをぶちまけた。お兄さんの亡骸から外したものだ。
「カンミールの“しるし”があるだろう! 言うことを聞け!」
『そこにはない』
カンミールがそういうと、フィヨは大声で泣き叫んだ。そこにある形見の装飾品を掴んでは投げ、大暴れしている。それが投げ終わると中庭に走って降りた。
「私のものだ! 力を返せ!」
『小さなフィヨシュヴュドホルよ、力はお前のものではない。今は他の者に移った』
「他の者?」
『その男は“しるし”を拾い、お前に返そうとしたが、お前が気付かなかった。それで、お前には資格がなくなった。なぜお前はこれほどに大事な“しるし”に気付かなかったのだ。愚かな娘だ』
カンミールの“お前に返そうとした”という言葉を聞いて、僕はハッとした。あの腕輪だ。フィヨのお兄さんが落としたのだろう。あとで返せば良いと思っていて、まだ持ったままだった。懐を押さえると、腕輪のあるところが妙に熱く感じた。
恐る恐る懐から取り出すと、腕輪は光を発していた。
その光りにみんなが気付いた。みんなの視線がこちらを向く。そしてこっちを向いたフィヨの顔は怒りに満ちていた。
「お前か、泥棒め」
すごい勢いで中庭から上がってくると、僕に掴みかかろうとしてきた。スローモーションでその手の動きが僕の持っている腕輪をもぎ取ろうとするのが見える。指先には鋭い爪が生えているのではないかと錯覚するほどに力がこもっている。
それが今、腕輪に触ろうとしたとき、バチンと大きな光りと音を立てて、フィヨが後ろにすっ飛んだ。