62
自分がどこの誰でもないということを突き付けられて、気持ちが沈んでいく。感傷に浸る、そんな暇は与えられなかった。
中庭とは逆の廊下からドタンバタンと大きな音がしたのだ。
「おやめなさい、アルジャメッロ」
「いいえ、もう我慢なりませんわ!」
どうやら廊下には、ポワルドゥルキャロットの長の奥さんとアルジャメッロが控えていたらしい。それが分かった時には、襖が大きく開けはなたれ、鼻息を荒くしたアルジャメッロがすごい形相で入ってきた。
「これ、アルジャメッロ!」
ポワルドゥルキャロットの長と長の息子がたしなめるが、アルジャメッロはそちらには向かず、フィヨを見つけるとキッと睨みつけた。もともと美しい人だけあって、こういう顔をすると般若のようですごい迫力だ。
「人の土地と人の物を傷つけた挙句、領民までも傷つけるとは族長の風上にも置けません! 今すぐ砂漠へお帰りなさい」
「帰りますとも、さ、ミツヒコ」
いやいやいや、今まで理性的に事を運ぼうとしていたのに、アルジャメッロの登場で途端に会議が女性のきゃんきゃんとした声に変わってしまった。感情が高ぶった女性ってのは怖いと、男性陣が全員引いている。
「ミツヒコはデュウの村の者です、あなた一人でお帰り!」
「いいえ、ミツヒコは砂漠の民じゃ、見ればわかるであろう」
そこでアルジャメッロはいきなり、にやりと笑った。そして少しよそ行きのような声でこう言った。
「たとえ砂漠の民であったとしても、結婚の意思だけは邪魔できなくってよ」
「「結婚!?」」
フィヨも含めて、全員がいきなりの単語に面食らった。だけどメッロだけは勝ち誇った顔をしていた。
「そうよ。結婚は当人同士の意思が尊重されるわ。誰にも縛られないの。だから、私とミツヒコが結婚すればあなたがどんなにミツヒコを連れて行きたくても、ミツヒコはあなたのものにはならないわ」
僕がメッロと結婚!?
いやいやいやいや、ちょっと待って。そういう話なの、これ?
いや違う。こういえばフィヨには口が出せないということだ。フィヨを見ると、見るからに悔しそうに唇をかんでいる。
「そういうことだから、あなたは大人しく砂漠へ帰りなさい」
「いいや、それを言うなら、ミツヒコは私のムコになるのじゃ! そういう話だったな、ミツヒコ」
ええ? そうだっけ? いや、そうかも。子孫を残すために連れていかれるんだ、そんな話もあったはずだ。
「そういう話なら、デュウの村でもミツヒコと結婚したい女性はたくさんいるぞ。カワさんなんか、かなり積極的に」
カワさんだって!? ちょっと待ってー。
「ミツヒコ、アルジャメッロは砂漠を捨ててここに留まってもかまいません。どうぞあなたの伴侶にしてください」
メッロがひざまづいてきたー!
そりゃ、彼女のことは好きだよ。すごく美人だし、裏表のないさばさした性格、賢い立ち回り、何もかも完璧だ。
「悔しかったらあなたも求婚してみたらいかが? それで、振られて、さっさと砂漠へ帰ったら?」
メッロはフィヨを挑発している。
あの気位の高いフィヨが“求婚”なんてできないとわかっているのだ。できるのは、せいぜいがとこ命令だけだ。
ところが、驚いたことに、フィヨは僕の前に片膝をついたのだ。そして真剣な顔、というか、ちょっと怖い睨むような眼をして、顔を真っ赤にしながらハッキリと言った。
「ミツヒコ、砂漠へ来い」
それ、プロポーズですか? 男前すぎる・・・
そんなことを感心している場合じゃない。これ、僕どうしたら良いのさ。
デュデュはなんだか楽しそうに笑っているし、ほかの男の人たちは目を丸くしているだけだし、なんとかしてください。
「ここは、ミツヒコの意思が尊重されるなあ。さ、ミツヒコ、好きな女性を選んで良いんだよ? なんだったら、今すぐ村へ行ってミツヒコのお嫁さんになりたい人を募ってこようか? ああそうそう、砂漠はどうだか知らないけれど、デュウの村もシユウの村も、ポワルドゥルキャロットでもお嫁さんは何人いても大丈夫なんだよ。なんなら、欲しいだけ」
デュデュー!! 何を言ってるんですか!
目の前には真剣な顔をした女性が二人、僕の答えを待っている。
他の女性でも構わないらしい・・・
だけど、決断するのは僕だ。
どうしたら良いんだ。アルジャメッロは僕が砂漠に連れていかれないために知恵を絞ってくれたのだろう。もしかすると結婚は言い訳で、フィヨが帰ってしまえばこの話はなくなるかもしれない。でももし万が一、本気だったら引っ込みがつかない。それにメッロを選んだ時のフィヨのことを考えるとすごく怖い。
だからと言ってフィヨのことを選ぶことはできない。もちろん、こんな風に“求婚”されれば、必要とされているんだとわかるし、別に彼女のことも嫌いではないけれど、だけど今は、砂漠には行きたくない。このお城やノッチたちと別れたくないんだ。
ふと人影に気付き、中庭を見た。
この村の建物は、どの部屋からも中庭が見えるようになっている。中庭から明かりを取るから大切なんだ。そして中庭には誰でも入れる。
そこには、空に向かって両手を広げているオンブリカルがいた。なぜ今、こんなところに。しかもそのポーズで?
「オンブリカル」
僕が呟くと、部屋にいたみんなが「え!?」と素っ頓狂な声をあげた。
違う違う、オンブリカルを選んだんじゃないからね!