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空は暗くなり、荒れ地の地平線のほうだけに光が残っている。村の方はもう真っ暗で何も見えない。お城のある方向に星が見えるだけだ。
やっと僕の体が動くようになってきた。思うに、ノッチを乗せたダチョウを逃がした時、何かされたんだ。雷に打たれたような感じ(打たれたことないけど)とか、麻酔を打たれた感じ(打たれたことないけど)のようで、身体が一時的にマヒしてしまったのだと思う。
でもまあ、なんとか動けるようになった。
この妹の方も、泣き疲れただろうし、少し落ち着いたみたいだ。兄の亡骸を木の根元に座らせて手足を折りたたんでいる。埋葬とかそういう習慣はないのだろうか。
ふと、僕のそばにキラリと光るものがあるのに気付いた。なんだろう、と思って拾ってみると金属でできた腕輪のようだった。見るからに高価なもので、細工が美しく繊細でどこから見てもキラリと光るように作られていた。
「あの」
そのお兄さんのものじゃないだろうか、返した方が良いと思うんだけど、妹の方は全然僕の声が聞こえないみたいだ。
「ねえ、これ」
全然こっちに気付かない。
「おーい・・・」
ガン無視?
まあ、今は心が悲しすぎてそれどころじゃないだろうから、あとで見せて聞いてみよう。
妹は兄の首から装飾品を外して、それをじゃらじゃらと集めて袋に入れていた。日よけの布を脱いでわかったけれど、この兄妹の装飾品はかなりの重装備だ。そういう風に飾り立てる種族なんだろうけど、これじゃ重いだろうし、暑いところでは熱いだろうし、寒いところでは冷たいだろうし、もうちょっと考えればいいのに。
空が暗くなり、すっかり夜になったころ、やっと妹は口をきいた。
「おまえ、名前は」
「僕? セバスチャン・光彦・オブライエン」
「・・・」
「君は?」
「・・・」
「名前」
会話しようよー!
通じてるよねえ、言葉合ってるよねえ。
「おまえ、名前は」
通じてない!?
「セバスチャン・光彦・オブライエン。セバスチャンでも、ミツヒコでも好きに呼んでくれていいよ」
「せ、ば?」
「セバスチャン。ミツヒコのほうが簡単じゃない? みんな、ミツヒコって呼ぶよ」
「みつ、ひこ」
「うん、そう。君は? 名前」
「フィヨシュヴュドホル」
うわ、難しい発音。
「フィヨシュヴュドホル? フィヨって呼んでいい?」
「ミツヒコ」
答えようよー!
呼んで良い? って聞いたんだから、良いか悪いか答えてほしいんだけど。まあ、いい。
「はい?」
「お前を砂漠へ連れ帰る。我が民のために働け」
「え? いや、え?」
ちょっと待った。拉致られるのは、色の薄い髪の女の子だよな。
「逆らうことは許さない。さっきわかっただろう」
やっぱり、さっき何かされたんだ。魔法か? まさかスタンガン的なものはないだろうし。
「あの、僕、男だってわかってます?」
とりあえず聞いておこう。間違われてたら逆に申し訳ないし。
「わかっている。私が女だから問題ない」
それって・・・アレ?
「うーん、それって、フィヨはそれで良いの?」
「良いも悪いもない。子孫を残さなければ、我らの民は途絶えてしまう。しかし、兄上の亡くなった今、私がなんとかするしかないではないか」
ああ。それで、女の子が拉致られそうになったのか。なるべく金髪に近い遺伝子を残すために、髪の毛の色の薄い子がさらわれたんだな。うわ、ノッチ、危なかった。
「なぜわざわざ外の国から? 砂漠にも若い人はいるでしょう?」
「いや・・・」フィヨは下を向いてしまった。暗いから表情はよくわからないけれど。「久しく子どもは生まれていない。私たち兄妹が一番若く、あとは年寄りだけだ。年寄りたちはカンミールの恵みに頼るばかりで、自分からは何もしようとしない。族長である兄だけが砂漠の民のために働いていたのだ」
働くったって、人の家に火をつけて泥棒するんだけどね。それでも、食料を得ることはできるということか。
「さあ、今すぐ来るがいい。それとも、さきほどのように痛い目にあいたいか」
暗くなった荒れ地に、フィヨの目が光る。アレをまた食らうのは嫌だ。
「ちょ、いや、待ってよ。僕は」
「さあ!」
僕は男だ。さっきのお兄さんだったらいざ知らず、フィヨはただの少女のように小柄な女性だから、力では負けないと思う。彼女が何かをする前に殴ることもできなくはない。
だけど、僕は、喧嘩をしたことがないからとか、女に手を挙げるがどうとか、そういうことじゃなくて、彼女を殴れなかった。
僕の頭に古文書の文字が浮かんだんだ。まだ先生が解読途中の文献の中にあった文章だ。“金の髪を持つ者を”というところだ。
この“金の髪”というところは先生も疑問を持っている。髪という文字はほかにもあるんだ。それに単なる“髪”に動物の足を示す形が書かれている。
それから“金の髪を持つ者”をどう扱うか、かなり詳細に指示されている。畏れ敬い崇めるように、従うようにと書いてある。つまり、金の髪を持つ者に反抗してはいけないんじゃないだろうか。それが本当に、砂漠の民のことかは僕にはわからないけれど、彼らにたてつくと先ほどのようなことが起こるんじゃないかと思うんだ。だからここは下手に逆らわない方が良いということは本能的に感じられた。
だからと言って、ここで彼女について砂漠に行くわけにはいかない。単に行きたくないんだ。僕はこの村の、デュウの人間になりたいんだ。
だけど彼女は僕に迫ってきた。僕の方に腕を伸ばして、何も持っていない手で僕を指している。ああ、またやられる! と思ったその時だった。
ドドドドと地響きが聞こえた。
荒れ地が揺れているような気がした。音はだんだん大きくなっていった。