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彼らがひるんだすきに、僕はダチョウから飛び降りて、ノッチが入っていると思われる袋に駆け寄った。デコボコしていて柔らかい。
「ノッチ、ノッチだろう?」
『みつひこ』
ノッチだ!
だけど、この袋を開けている時間がない。ノッチの声を確認した時、大きい男の方が殴りかかってきて、僕は横に跳ね飛んだ。
「うっ」
だけど、ここでノッチを連れ戻さなければ、どうなってしまうかわからない。すぐに立ち上がり、がむしゃらに突っかかって行った。
僕は喧嘩をしたことがない。
だからどうしたら良いかわからなかったんだ。だけど、ノッチを取り戻したい。顔や腹を狙って殴るとか、そんなこと考えられなかった。ただ、手足を振り回すしかできない。相手は背も高いし、きっと力も強いだろう。
僕が掴みかかると、案の定その男はひょいと身をかわした。だけど、僕の手には彼の日よけの布が引っ掛かった。バサと布をはぎ取られたその男は、考えていたよりもずっと金色の髪をしていた。肌の色はわりと浅黒いけれど、髪と目は輝く金色で迫力があった。
自分の喧嘩スキルが低いことは重々わかっている。
はぎとった日よけの布をバサバサと振り回して、その男の顔に当ててやった。さすがにこれだけ大きければ、よけきることはできないらしい。
「うわ」
男がひるんだすきに、ノッチの入っている袋を担いだ。
重い!
そりゃそうか。子どもとはいえ、人が入ってるんだ。重いに決まっている。
だけど火事場のクソ力じゃないけど、持ち上げることができた。
「ミドリ!」
とっさにそう叫ぶと、ダチョウがかけてきた。ダチョウの背中にノッチの入っている袋を乗せる。
僕も乗ろうとしたところで、後ろから襟首をつかまれた。
「あうっ」
僕がよろめいて地面に転がると、もう一人の方がダチョウを取り押さえようとしているのが見えた。そうはさせるか。
「ミドリ、行け!」
転びながらダチョウのお尻を押すと、ダチョウはノッチを乗せたまま走り出した。
そうだ。そのまま村へ行け! あのダチョウは賢いから、お城へ帰るだろう。
「砂漠の民に手を出して、ただで済むと思うな」
高い凛とした声と、リーンという鈴の音が聞こえたと思うと、いきなり目の前が真っ暗になった。
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どうしてダチョウのことを“ミドリ”と呼んだかって? だって、僕のダチョウはいつも首に緑色の紐を付けている。僕とおそろいのネクタイだ。もうあの紐がなくてもこのダチョウの顔は覚えた。僕専用のダチョウだ。ダチョウの顔を探す時つい「ミドリ、ミドリ」と思ってしまうんだよね。だから、このダチョウの名前はミドリだと勝手にそう呼んでいるんだ――
ミドリはちゃんとお城へ着いただろうか。ノッチは無事だろうか。
目を開けると荒れ地で転がっていた。空は少し薄暗くなっている。まさか、夕方?
「う」
背中が痛い。手足が重い。舌も重い。
何があったんだっけ。荒れ地、夕方・・・
転がりながら横を見ると、金色の髪の男が隣にいた。荒い息をして苦しそうに顔をしかめている。汗をかき震えている。
「ちょ、」
僕より大丈夫じゃなさそうだ。
「兄上!」
「も・・・こ・・・かえ、れ」
「兄上!」
兄上と呼んでいるのは、女性だ。妹か。
この男と同じ、金色の髪と目をしている。よく似ている兄妹だ。兄の方は相当具合が悪いらしく、もう言葉もほとんどない。
向こうに吐いた跡がある・・・この人、熱中症なんじゃないのかな。
「あの、これ」
僕は寝転がったまま懐から小瓶を出した。自家製の漬物が入っている。
妹の方が険しい目をしている。
「お兄さん、少し、らくに、」
ああ、口が動かなくてもどかしい。一体僕どうしちゃったんだ。
「これで、楽に? どういうことだ」
「塩、」
「塩? これが?」
妹さんは、半信半疑な顔をしながらも瓶を開けて、中から一つ漬物をつまみ出した。
「兄上、これを」
藁にも縋る思いなんだろう。僕みたいな者の言うことを素直に聞き入れるなんて。もうこのお兄さんは手遅れかもしれないけど。
そうこうしているうちに、この男の人は一度大きく体をひきつけさせた。それから力が失せていき四肢をぐったりと伸ばした。力強かった金色の目が色を失う。
「兄上、兄上!」
この妹の高い声が響く。
それを口に入れる前に、こと切れてしまったようだ。
「兄上―――――!」
妹が泣き崩れている。
これが砂漠の民か。火をつけ物を盗む民。神聖な獣を飼い、栄えているという部族。
普通の人じゃないか。砂漠の民と言ったって、兄が死ねば泣くんだ。物を盗みに人の村までやってきて、熱中症で死ぬんじゃないか。
一人になってしまって、この人はどうするんだろうか。一人でもまた村へ入って泥棒をするのだろうか。それとも、すごすごと砂漠へ帰るのだろうか。
僕は今、力が入らないけれど、もしいつも通りだったらどうするだろう。この人を捕まえて、泥棒として裁くためにお城へ連れて行くだろうか。それとも砂漠へ帰るように言うだろうか。自分でもよくわからなかった。