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通いとはいえ、ノリーナさんとノッチがハタさんに弟子入りしてくれたことで、僕も仕事をたくさん覚えることができた。それに、お城の注文の布はとても時間のかかる高価なものだけど、それもハタさんと僕だけではできないようなものを、毎日少しずつ織り進められていった。
真夜中だった。
ドンドンと音がする。木の扉を叩く音だ。
この村ではあまりカギをかける習慣はないけれど、ハタさんの家は山に近いせいか、一応かんぬきをかけている。就寝中だけは扉は開かない。
ところが、真夜中だというのに外から誰かが扉を叩いているのだ。
真っ暗闇で起き上がると、ハタさんが灯篭(ということにしておく。あの不思議な明かりのことだ)を持って扉を開けに行くのが見えた。僕も扉に向かった。
「はいはい、なんですか」
ドンドンとひっきりなしに鳴らされる扉のかんぬきを開けながら、ハタさんは眠そうに言った。
外からは、高い声が聞こえる。
「ミツヒコ!」
僕を呼んでいる。
僕を呼ぶのは、ノッチしかいない。どうしたんだろう。
ハタさんがかんぬきを開けると、ノッチの小さな影が見えた。その後ろに灯篭を持っているじいさんが立っている。
「ノムさん、ノッチ。どうしたの」
「ミツヒコ、o(炎_炎)oo(炎_炎)o!」
ノッチが大きな声で叫びながら、家に入ってきた。そのままいつもの作業場に行くと、手あたり次第ボビンを抱え込もうとしている。
「ノッチ、どうしたの」
「森の向こうがわで、火が出とる。マシュコの家が焼けた」
ノムさんは落ち着いているけれど、家が焼けたと聞いて背中がざわついた。火事があったんだ。森の向こう側ってことは、ノムさんの家とかなり近いはずだ。
「ノムさんの家は大丈夫なんですか」
「うちは平気じゃ。だけど、ノッチが逃げるといってきかないんじゃよ」
ノッチは持てる限りのボビンを持って、今度は外へ行こうとしていた。
「お山に逃げよう! ミツヒコは糸の機械を持ってきて!」
無茶言うなよ。そんなに重い物じゃないけど、あんなもん持って山を上れって、どんな罰ゲームだよ。
するとハタさんは、ノッチの言うことをちゃんと受け入れて、僕に指示を出した。
「私はそれを持つから、ミツヒコはあの糸の束を持ちなさい。絡まないように気を付けて持つのよ」
「はいっ」
マジで!?
だって、火事って言ったってこのあたりは煙の臭いすらしないのに、なんで逃げる必要があるのさ。僕は腑に落ちなかったけれど、ノッチの剣幕と、それを応援するノムさんやハタさんに従わないわけにはいかなかった。
僕たちは布づくりに必要なものをかごに入れて背負い山へ入った。夜の山は暗いけれど、ノムさんとハタさんが灯篭を持っていたから、そのほんのりとした明かりを頼りに上ることができた。
岩場のほうまで登って、やっとノッチが落ち着いたようだった。荷物をそこに置き、山から遠くを眺めていた。
「ふう、みんな大丈夫?」
ハタさんがみんなの足元を照らしながら、荷物を見て回っていた。
僕はノッチのそばにいって、ノッチが眺めている方を見てみた。遠くの方がかすかに赤く光っているけれど、大したことはない。きっと火事ももうおさまったことだろう。
「ノッチ、もう大丈夫そうだよ」
僕がそう言っても、ノッチはまだ火事の方を見つめていた。
「ここんとこ平和だったが、時々砂漠の民がやってきて農作物を奪っていくことがあるんじゃ」
ノムさんがノッチの頭を撫でながら僕に教えてくれた。
「砂漠の民?」
砂漠って言ったよな? 聞き間違いかと思ったけれど、どちらにしろ略奪のようなことがあるということは確かなようだった。
「たいてい夜中に火をつけて、騒ぎが起こっているすきにやられるんじゃ。わしらはそれをよく知っとる。だから火事があったら皆逃げるんじゃ」
「え、逃げるんですか?」
いいのか? だって、やられっぱなしってことじゃないか。応戦とまではいかなくても、ちょっと抵抗するとかないんだろうか。
「下手に抵抗すると、殺されるからな。向こうの方の国じゃあ、戦争になっちまったこともある。凶暴な連中なんじゃよ」
そうか。それでノッチが血相変えて逃げてきたんだ。しかも、逃げるために布づくりの道具を持ちだそうとしていたなんて。ノッチは、本当にこの仕事が好きなんだな。
だけどそうなると、いざ本当にその砂漠の民だか強盗だかが来た時に、ちゃんと持ち出せないと困るよなあ……
これを機に、僕は避難道具について真面目に考えることにした。さすがに大きな機織り道具は持ち逃げることはできないけれど、最悪の事態になった時に、避難してからも布が作れるかどうかを考えればいいんだ。
僕のいた日本では地震や台風の被害が大きくて“非常用持ち出し袋”みたいな考え方が定着している。それを参考にすればいいんだ。
(余談だけど、その話をハタさんにしたらえらく感心してくれて、本当に有事の際に僕たちが何を持ち出すべきかを話し合うことができた。)
だけど、今回の一件でわかったのは、こんなに平和で豊かに見える村でも、略奪にあうようなことがあるんだってことだ。しかも向こうの方にも国だか村だかがあって、戦争もあるってことだから、もしかすると、今の平和はたまたまなんじゃないか……なんてちょっと恐ろしいことも考えてしまった。
どうぞ、この平和が長く続きますように。