15
朝早くにノッチと一緒に山へ行き、帰ってくると糸を紡ぐようになった。ノッチは小さな手で器用に糸を紡ぐ。僕もそんなに苦労したことがない。
「あなたたち、本当にうまいわね」
ハタさんに褒められて、ノッチはとても嬉しそうな顔をした。
「ねえミツヒコ。あなた本気でここに弟子入りしない? ここの暮らしも仕事も慣れてきたでしょうし、これだけ器用に糸を紡げるんだもの」
「え、でも」
僕は言葉に詰まった。
ここの仕事が嫌なわけじゃないけれど、僕は何かを作り出すことよりも、誰かに仕えること、誰かの手伝いがしたいんだ。ハタさんの手伝いだって悪くないけれど、そうじゃなくて、もっと人と関わりたいっていうか。
でも、僕はこの土地の考え方がわからないし、僕が望むような仕事はないのかもしれない。だったら、ここでハタさんの手伝いをし続けるべきなのか。
「だいたいの人はね、まず山に入ることができないの。それに、糸を紡ぐための、この揉み作業ができなくて、あとこの糸をひっかけるところもできなくて、イライラしてやめちゃうのよ。みんな、私のこと忙しいってわかってくれて、時々手伝いに来てくれるけれど、いざ弟子入りを考えると、やっぱり無理なの。だけど、あなたは今までやった作業はみんなそつなくこなすし、楽しそうじゃない。ね? 向いていると思うの。弟子入り、考えてみてくれない?」
ハタさんが忙しいのは僕にもわかる。
ひとりで全部この作業をしているんだ。僕がまだ知らない作業だってたくさんあるし、大変だってのはよくわかる。
「僕……」
「あはは、べつに今すぐ答えなくて良いのよ。あなたの布を織るまでまだ時間はあるし。ちょっと頭の隅にでもおいといてくれない」
「はい」
僕が答えられないでいると、ハタさんはひらひらと手を振って向こうへ行ってしまった。
そばでノッチが心配そうな顔をして僕を見ていた。
次の日は、ノッチはいなかった。(お休みの日らしい)
僕が山から帰ると、ハタさんが腕まくりをして待っていた。
「今日は糸を作らなくていいわ。それより、今日は整経作業をするわよ」
なに!? なんか気合入ってるけど、どういう作業?
「せいけい作業ってなんですか?」
ハタさんがいつもと違う機械に僕を手招いている。ちょっと大きい機械だ。
「布はね、経糸と緯糸でできているの。その経糸を作る作業よ。布づくりはここが一番大事なの。経糸がちゃんとできていないと、緯糸がうまく織れないのよ」
と言いながら、なにやらずらりと並んだボビンを見せてきた。ボビンにすでに糸が巻かれている。
「あなたたちが紡いでくれた糸はすごく上手だったわ。ほとんど手直しが必要なかったくらいよ」
ということは、ハタさんはあの糸をすべてチェックしたってことか。ひええ。
「ボビンの番号と同じ番号の穴に糸を通して整える作業をするわ」
「はい」
って、穴、小さい。そして細かい。うわあ。これ、今日中に終わらない気がするよ。言われた通り小さな穴に糸を通していく。向こう側でハタさんが同じ作業をしているけれど、明らかにスピードが違う。しかし、適当にはやれない。こういう作業をきちんとするのは日本人の気質かもしれない。
丁寧に手際よく糸を通すにはどうしたらいいか、頭の中で考えながら作業をする。どっちの手でどの指で、そんな細かいことも効率にかかってくるから、ひとつひとつを自分なりに考えてだんだん手際が良くなっていくのは実は楽しい。
僕が200本くらい通したところで、ハタさんは向こうの作業を終えた。僕の倍くらいはできていると思う。
「じゃ、これ回してね。最初はゆっくり」
「はい。うんっ!」
かなり大きくて重いレバーをゆっくりと回す。ていうか、重すぎてゆっくりしか回せない。見かけによらず重労働だ。
するとその機械に、今通した糸が巻かれていく。その手前でハタさんが櫛のようなものをもって、糸が巻かれる手前で糸を整えている。
「ここでちゃんと張っておかないと。ちょっとこっち来てごらん」
「え。こっちは?」
「そっちは手を放しても大丈夫よ。惰性で回るから」
なるほど。
ハタさんは足で何かを踏んでいる。足踏みミシンの足の部分みたいなやつ。それを踏み続けると、回転を調節できるらしい。
ハタさんの手元はかなりきっちりと糸が張られている。
「よく見て。こう、こうね?」
ハタさんは櫛の入れ方を僕に覚えさせている。ていうか、これ見るだけじゃ無理でしょ。
「まだわりとゆっくりだから、今のうちに一度やってごらん」
「は、はい」
難しそう~! できる気がしない。
しかも“まだわりとゆっくり”ってことは、このあとこの回転が速くなるってことか。
櫛を使って糸を整えると、指先に引っ張られる感覚が伝わる。その中で時々、糸が緩んでいるのや、ほんの少し糸の太さが違うのか感じられる。全体的に糸は木綿よりも絹に近い感じで、つるつるとして感じられた。
「張りの強さが変わらないように、ここで踏みながら回転を操作して」
そうか、それで足踏み式になってるのか。ハタさんが足を離したので僕がそこを踏む。かなり重い。
細い糸だけど、一本一本に表情があるように感じられる。それをなだめすかすようにして、櫛で揃えながら大きな糸巻きに巻き付けていく。無理に整えようとすると糸は途端に言うことを聞かなくなる。指の中でバサバサに乱れようとする。
優しく。丁寧に。
「そうそう。うまいね」
ハタさんがそばで何かを言ってるけど、なんか耳に入らない。それくらい集中していた。
糸は硬そうに見えて、少し弾力があることもわかってきた。だから無理に引っ張らなくても、時々手のひらで撫でるようにすると、すんなりと櫛の中に吸い込まれていく。
「へえ……」
ハタさんが感心したように息を吸っている。
気が付くと、もう日が暮れようとしていた。
整経の仕事は二人で一日がかりだ。その日は集中していたのもあって、すごく疲れてすぐに眠ってしまった。