○第八話 殊勲者
「うわぁあああああああああ――――ッ!!」
パワードスーツの使い手、桐丘郷が恐怖の絶叫を上げ、機体ごと背中から倒れる。
ガンッという低く重い衝突音が地面を揺さぶった。
「郷さんッ!?」
大地は遮断していた視聴覚情報の復旧を急いだ。
その網膜に映るのは真っ黒に塗られたフェイスガードの裏側。下部から地面に反射されてくる室内光がやけに眩しかった。
自身の両眼から送られてくる電気信号がカットされる。
まず桿体細胞に該当するセンサーが起動し、白黒の世界が脳内に投影される。
続いて12種の錐体細胞と同じ働きをおこなうセンサーが機能をし始め、大地の目の前に色鮮やかな光景が戻ってくる。
大地が想像した通りの光景が視覚野に広がっていった。
叫びながら昏倒している郷。
構えられたままの対物ライフル。
そして飛び散る鮮血。
大地は走り出した。
眼を見開き、無言のまま全力で疾駆する。
そして、息を止めて飛翔。
倒れ込んだ郷をそのまま飛び越えると、対物ライフルを構えたままの敵パワードスーツへ迫っていった。
「――ッ!?」
想定していた動きに従って掌底を敵の顔につきつけ、降伏を促す。
斬撃はいつでも発動できる状態だ。
だが、左前腕部の外側に裂傷を走らせ、鮮血を撒き散らす敵に戦闘意欲はもはやなかった。
あまりの激痛に量子デバイスのコントロールを失い、強制停止=デコヒーレンスが発生していたのだ。
大地は敵の無力化を見て取った。
それでも万が一の反撃に備えて斬撃の構えを維持する。
「オメエ……」倒れていた郷がゆっくりと起き上がった。「ラッキーだったな」
郷はゆっくりと、そして無造作に近づいてきた。
「撃ってたら、切り傷だけじゃあ済まなかっただろうよ」
言ってパワードスーツのアームで対物ライフルを上から叩く。
と、銃身の上半分が甲高い音を立てて剥落していった。
「ひっぃ……」
そのまま発砲していたらどうなっていたのかリアルに想像したのだろう、敵パワードスーツの使い手は恐怖に頬を引き攣らせ、声にならない声を震わせていた。
郷が敵の量子デバイスを外し、逃走できないよう捕縛する。
その横で大地が止血処置を施しながらも敵に「ごめんなさい」と謝っていた。
「銃身だけ狙いたかったんだけど……」
対物ライフルという圧倒的な威力を持つ銃器で自分たちを脅かしていた相手に対して、大地は何度も何度も頭を下げ、フォームスプレーを患部に吹き付けていった。消毒効果を持つスプレーは塗布されるとすぐに凝固し始め、流血を強制的に止めていくのだが、緊張のせいか申し訳なさのせいか大地の手は震えていて、フォームが裂傷に対して蛇行するように吹き付けられていた。
そのなんとも気の弱いさまに郷は拍子抜けするが、すぐに思い出す。
思い出してしまうと、大声を出して訴えずにはいられない。
「つーか、ビビったわッ!」
大地や郷が装備しているボディスーツ。その上部は首全体を覆う構造になっている。反応速度を最速にするための構造を有しているものの、防御機能は気休め程度でしかない。その表面が郷の左頸部で薄く斬り裂かれていたのだった。傷は浅く、郷の皮膚までには至らない。斬撃が当たった時の感覚としては、軽く何かが触れた程度の微かな感触でしかなかった。しかし大地の斬撃が持つ殺傷能力をよく知る郷としては決して看過できるものではない。そのインパクトは何百倍、何千倍にもなって研ぎ澄まされた触覚に襲いかかってきた。
何かが触れたと感じた瞬間に、悲鳴を上げずにはいられなかったのだ。
「マジ、当たったかと思っちまったじゃねえあよ、アアン?」
冗談半分に郷は凄んで見せた。だが、大地はというと何故かそこで照れ笑い。
「って、え?」
いつもの大地なら、すくみ上がってオドオドしていたところだろう。
しかし今の大地は完全に自然体。恐縮している素振りさえ見えなかった。
それはつまり、斬撃が完全に大地が狙ったとおりの軌道であったということなのだ。
郷はマジマジと大地を見つめる。
「オメエ、そんなに自信あったってのか?」
大地はうん、と力強く頷いた。
「だって、郷さんが信じてくれてたから……」
真っ直ぐな眼を向ける大地。フェイスガードシールド越しに、素直すぎる深緑の瞳が分かってしまうような明るい声音だった。
「オメエってヤツは……」
郷は思わず相好を崩していた。
「ははは、しょうがねえな」
そういいながらマニピュレータの指を開いて大地の頭をグリグリと撫でる。
「ははは」大地は屈託のない笑い声を洩していた。
「ホント、たいしたヤロウだぜ、大地よぉ!」
「はははははは」
が、その時、
「郷さん――――っ!!」
固い金属同士が激しくぶつかり合ったような、キンと響くヒステリックな悲鳴。
慌てて振り返ると、真っ白いボディスーツを纏った細身の少女が肩を怒らせながら突進してくる。
「それで大地の頭撫でるの禁止――――――っ!」
冷血そのものと言われる普段の顔をかなぐり捨て、郷に向かって絶叫。
真っ赤なリボンで留められたロングのポニーテールを左右に激しく揺らし、今にも襲いかからんばかりの勢いで高島翼はビシッと天井を指し示した。
「さっさと一掃してきて!」
「お、おう」
勢いに圧されてそのまま返事をしてしまう。郷は姿勢良く回れ右をすると残存勢力を殲滅すべく、敵拠点内部を単身突っ込んでいくのだった。
「カンベンしろよ……」
封印していたはずの口癖を残して。
量子魔法使いがこれ以上存在しないことが郷によって確認されると、機動隊員が動員され、拠点内の敵全員が捕縛された。最近急速に台頭しているテロリスト集団、レベリオン・ルージュ=RRを追っているさなかに浮上してきたこの拠点ではあったが、RRとのつながりはついに見つけられなかった。ただ一つの懸念は、フルスペックに近いエンハンスド・エクソスケルトン=強化外骨格が一体“出荷済み”となっていた点だ。しかも移送先が巧妙に改竄されているようで、追跡は困難を極めるものと思われた。
「振り出しに戻るってところか」
公安量子魔法迎撃部隊=QCF隊長の滝山は一人溜息をつく。
そのすぐ隣では何とも甘ったるい光景が繰り広げられていた。
「大丈夫だった、大地?」
「うん。翼は?」
「あたしが着いたときにはもう、終わってたから」
「そう、よかった。翼が危険にならなくて」
「大地……。そういえば物騒な銃が落ちてるみたいだけど」
「うん。なんか壁壊したりして、すっごく怖かった」
「そんなことが――っ!」翼は声を震わせた。
「でも郷さんがオレのこと、信じて……」そう応えようとした大地だが、
「大地、頑張ったのね」翼が遮った。
そして繰り返す。
「大地、頑張ったのね」
「郷さ――」
郷さんも舞も頑張ったよという大地の言葉は封殺されていた。
今にも抱きつかんばかりだった翼が、ついにガマンしきれずに抱きついてしまったからだ。
それも機動隊員が確保したテロリストを次々と連行していくという殺伐とした状況の真っ只中で、である。
緊張感のなさはもちろんのこと、普段とのギャップのあまりの大きさに滝山隊長は大げさな吐息をつくと、肩を竦めて視線を横にずらす。
桐丘郷と眼が合ってしまった。
「お疲れだったな」
そう言って郷の肩に手をかける。
「ういっす」
無愛想に応じる郷。しかし滝山はそこで考える。
確かに大地の斬撃は見事なものだった。神業と讃えても大げさではないだろう。だが、本日最大の功労者はこの桐丘郷に相違ないと。
そう考えると、何だか郷が気の毒に思えなくもない。
「(……対物ライフルと斬撃に挟まれて死ぬかと思ったってのに!)」
「(……ていうか盾がぶっ壊れてヤラレるかっと思ったってのに!)」
「(……ていうかそんな中、さらに前進しろとかオニかってのッ!?)」
「(……ていうか実際、大地の斬撃が当たったかと思ったっつーのにッ!)」
「(……それ以前に敵のパワードスーツ掃討したのオイラだし)」
何となくだが、郷の心の呟きが聞こえてしまったような気がした。
「今日は、カツカレーな」
特にこれといった言葉が考えつかなかったせいか、滝山はそんなことを口走っていた。
「ういっす」
あくまでも無愛想な郷の反応。
そこで滝山は思い直す。
「(……ガキ相手じゃあるまいし、自分はなにを言っているのだ?)」
だが続く郷の言葉に滝山は不意を突かれた。
「あざぁっす」
不思議なものを見るような眼を、滝山はしていた。
郷が自分に向かって礼を口にするなんて滅多にないことだから。
滝山は密かに右の口角を吊り上げる。だがそこで普段の口調に戻った。
「撤収だ」
上空でホバリングしながら警戒態勢をとっていた無人航空機=UAV。公安量子魔法迎撃部隊=QCF本部の新田舞が操るその機体は、大地に抱きついたまま離れようとしない翼の頭上で不機嫌そうな旋回を見せると、本部に向かって一直線に飛行していった。