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囚われのリベラシオン  作者: つきしまいっせい
4/17

○第四話 大地① ここにいる理由

 食事を終えて食堂から出て行く大地と舞。

 舞は大地の左腕にしがみつき、体をピッタリと密着させていた。

 歩きづらそうに廊下を進む大地だが、その表情は穏やかだ。

 恋人同士というよりは過剰に仲のいい兄妹という趣で、見ていてどこかほほえましくもあった。だが、そんな光景を快く思わない者もいる。同年代の少年であれば特に。

 しかも愛らしく愛想のいい舞に、勇気を出して声をかけてみたものの素気なくあしらわれた挙げ句に「二度と話しかけてこないでぇ!」と拒絶されてしまった少年であるなら、尚のことだ。

「なにシカトこいてんだよ!」

 すれ違った少年が大地の背中に怒鳴りつけてきた。

「えっ?」

 刺々しい口調に反応して振り返る大地。

「えっと……」

 自分に向けて声を荒げてきた少年に眼を向けるものの、

「(……えっと、誰?)」

 たった今すれ違った相手が誰であるのか、大地に認識することはできなかった。

 公安量子魔法迎撃部隊=QCFの施設内で生活しているエージェントの数は三十人を少々超えた程度。朝昼晩と顔を合わせていれば全員の顔と名前を一致させるのに普通は数日もかからない。だが大地は人の顔を憶えることができなかった。彼が認識できるのは身内と明確な敵。それ以外の他人はすべて顔のない存在として映ってしまうのだった。

 だから大地は余計なコンフリクトを避けるため常に俯いて行動し、できるだけ誰とも眼を合わせようとしない。そしてそのような態度は、意に反して敵対的な人間を生んでしまうことになる。

「テメッ、一週間経っても人のこと憶えてねえとか、ナメてんじゃねえぞゴラァ!」

 無視された上に認識されていないことを知ると、少年は顔を真っ赤にさせて怒りを爆発させた。

「(……なんかすっごく怒ってるから、とにかく謝んないと)ご、ごめんな……さい」

 大地は条件反射的に謝ってしまう。

 元が人との対立から逃げようとする傾向があるので、取りあえずは謝るというというクセがついてしまっていた。しかし、それがプラスに働くかというとそうでないことが多い。特に、今目の前にいるようないじめっ子であれば尚のこと。

「だったら思い出してもらおうか?」

 少年が威圧的な顔を大地に向け、グッと迫ってきた。

「は、は、は……い(……そんなこと言われても!)」

 大地はしどろもどろになって、口をパクパクとさせていた。

「オレ様の名前は、なんだったっけ?」

「えっと、えっと、えっと……(……誰だっけ誰だっけ誰だっけ誰だっけ誰だっけ)」

 それが無意味な努力と知りつつも、とにかく大地は記憶を探っていく。

 とにかくこの場を切り抜けたい。波風を立てずに済ませたい。

 恐慌状態に陥りながらも、大地は無駄に思考を空回りさせていた。

 思い出さなくっちゃ!

 名前を思い出さなくっちゃ!


 少年は一週間前に入ってきたばかりの新入りで、当然のように大地も紹介を受けていた。

 だが顔を憶えられない大地にとって、そのような儀式はまるで意味を持っていない。

 そして顔を憶えられない以上、名前も記憶することなどできはしない。

「ああン?」

 少年は意地悪そうに口を歪める。

「(……どうしようどうしようどうしよう)」

 ちょっと脅しただけで簡単に屈してしまい、小動物のように怯えを露わにする大地。

 そんな大地に対して、少年の歪んだ嗜虐心が増幅されていく。

「こいつはお仕置きが必要ってか?」


「ちょっ、やめなさいよぉ!」

 舞が、小鳥のさえずるような可愛らしい声で抗議する。

「ていうか、誰アンタ? 舞も知らないんですけどぉ」

 少年は舞にとってもまた用のない人間だった。

 だから顔も名前も憶えようとすることはしない。舞の場合はむしろ選択的に少年の存在そのものを記憶の中から排除しているのだった。

 大地のみならず、思い切って声をかけた舞にまで自分のことを記憶されていないという現実に、少年の自尊心は大いに傷ついてしまった。もしここで舞が少年をフォローするような態度を取ることができれば、或いは大地はもっと孤立しないで済むかもしれない。しかし舞はいつもそれとは真逆の態度を取ってしまうのだ。

 少年は舞を睨みつける。

 その愛らしい顔に思わず見とれそうになるが、そんなふうに感じてしまう自分の気持ちにますます腹が立つ。

 まさに可愛さ余って憎さ百倍というところだ。

「すっこんでろ、このチビがッ!」

 頭に血が上ってしまい、思わず舞を突き飛ばしていた。

 感情の昂ぶりのせいで手加減ができず、また舞の体躯の小ささもあって、意図した以上に力がかる。

「きゃぁっ!」

 バタンと音を立てて背中から倒れ込む舞。

「あっ……」

 床に倒れている舞の姿を見て、少年は我に返った。

 少々やり過ぎてしまったことに気づき、気まずそうな視線を大地に向けようとした瞬間。

 彼は激しい衝撃を受け、仰向けに倒されていた。

 そして眼を開く間もなく、右の頬を、そして左の頬を次々に殴打されていた。

 突然の出来事にパニックを起こす。

 大地がマウントポジションを取って自分の両手を封じつつも、両の拳で顔面を殴りつけていることに気づくまで、数秒もの時間がかかっていた。

「(……ヤバッ、こ、こ、これは……)」

 そう感じるだけが精一杯だった。

 そして何発殴り続けても大地が攻撃をやめる気配はまるでなかった。

「(……こ、殺され……る……?)」

 次第に遠ざかる意識の中、顔面を打つ衝撃だけが情け容赦なく続く。

 一つ、また一つと繰り返されるごとに、少年の意識は削られていき、遠くへと運ばれていく。

「(……これはマジ、あかん)」


「おい大地、何をやってるッ!」

 少年はそこでようやく救いの声を聞いた。

 QCF隊長、滝山だった。

 滝山は大地の手首を掴むと怒鳴りつけた。

「やめろ、やめるんだ大地ッ!」

 滝山の怒声でようやく我を取り戻した大地は、そこで動きを止める。

 眼下では自分に押さえつけられてグッタリしている少年の姿。

 舞が乱暴されたことで頭が血に上ってしまい、体が勝手に暴力を振るっていたのだ。

「オ、オレ……」

「とにかく、三人とも来い。事情を聞こうか」


 時として感情をコントロールできず、激情に駆られて激しい暴力を振るってしまう。

 しかも最近の訓練の成果もり、見た目に反して結構な攻撃力を身につけていた。

 それは殺傷能力と言い換えていい。

 QCFという組織にあって攻撃性は決してマイナスではない。

 しかし感情の暴走を制御できないというのは大きな問題だった。

 当人たちから一通りの事情を聞き終えた滝山の反応は、しかし予想外に甘いものだった。

「話は分かった。大地、舞、もう行っていいぞ」

 その言葉で大地と舞は椅子から立ち上がり、隊長室から出ていこうとする。

 舞は去り際に少年に向かってイーっと舌を出し、大地は滝山に対して申し訳なさそうにペコリと頭を下げた。

「……ごめんな……さい」

 滝山はやれやれと溜息をつく。

「あんまり面倒かけんな」

 強い口調ではない。むしろ優しさすら感じられる言い方だったが、大地は全身をピクリと硬直させてしまう。

「ご、ご、ごめんな……さい……」

 実に申し訳なさそうにもう一度謝罪を口にすると、またしてもペコリと頭をさげるのだった。


「えっと……」

 暴力を振るわれ、あくまでも本人目線では死にかけた少年からすると、その大甘な対応は理不尽の一言に尽きた。組織内の暴力に対して重いペナルティが課されるどころか、注意にすら聞こえない言葉で終わってしまったのだから。

「もしかして、これで終わり……なんですか?」

 信じられないという顔で少年は滝山に訊ねていた。

「そうだが?」

 問われた滝山も何言ってるんだお前という態度で返す。

「えっと、それってまずくないすか?」

 言われて滝山は両腕を組んだ。

「確かに、組織内の暴力沙汰はよくないな」

「……ですよね?」

 意趣返しのきっかけを掴んだ少年は、そこでようやく勢いを得た。

 事実として自分は大地に暴力を振るわれた。それも数え切れないほどの回数殴られたのだ。

 不覚を取ってしまったが、これでキッチリ仕返しができるはず。

 実力で負けたなら、ルールで仕返しをすればいい。

 学校では逆ギレしたいじめられっ子に対してよく使った手口だった。

 陰湿なイジメをおこない、遂に堪忍袋の緒が切れた相手がやけくそになって暴力を振るってくる。そこで犠牲者を演じることができれば今度は教師が味方になってくれた。卑怯ないじめっ子の常套手段である。少年はその手法をまさに使おうとしていたのだ。

「だったら、ここはきちんと示しを付けないと……」

 だがそこで少年の口が止まってしまう。

 滝山の何とも冷ややかな視線に気づいてしまったからだ。

「なにか勘違いしているようだが」

 大地に向けたのとはまるで違う冷え冷えとした口調。諭すようにというのではなく、むしろ突き放す気配がはっきりと伝わってくる。

「まずこのQCFは暴力機関だ。それを理解しなければならない。そして大地はこの組織のエースだ。重要度で言えばお前とは比較にならない。つまり問題があるとすればお前の方ということになる」

「な、なにを…………」

 何を言っているんだこの人は?というのが少年の気持ちだった。

 隊長である滝山は、QCFという組織においては実力があれば何でもありということを明言していたのだから。

「ブタ箱に戻りたくないなら、他人にかまけている暇などないはずだが」

「そんなぁ…………」

「話は以上だ。行っていい」

 問答無用とばかりに隊長室から追い出され、フラフラと目眩をおこしながら廊下で途方に暮れる少年。

 するとタイミングよくそこに通りかかったのは強化外骨格(パワードスーツ)使いにして銀髪の元ヤン、桐丘郷だった。

 少年は郷と眼を合わせた。

 パッと見は物凄く凶暴そうなのだが、ここに入った時には何でも相談してこいと言ってくれた頼もしい先輩だ。頼れる相手は彼をおいて他にいない。

「き、桐丘センパイ~~」

 情けない声で郷に泣きついてきた。

「お、おう? (……えっと、こいつ誰だったっけ?)」

 確か一週間ほど前に入って来た新入りだ。それは分かるが、いかにも見込みなさそうなハンパ者に見えたため話半分で聞いていたせいで、まったく名前を憶えてはいなかった。郷はとりあえず当たり障りのない反応をしてみせた。

「えっと後輩クン!」

「宇喜田ですぅ……」

「(……そんな名前だったか)で、どうした?」

「実はですね……」

 ことの経緯を一通り、かいつまんで説明した後で、少年は当然とも言える反応に遭っていた。

 つまり、郷に首を締め上げられ、壁に激しく叩きつけられていたのだ。

「テ、テメエ……」

 圧倒的な膂力で締め上げられ、少年はその日二度目の死を観念していた。

「(……こ、殺される……)」

 騒音を聞きつけたのか、隊長室のドアがバタンと開いた。

 中から出てきた滝山隊長はその光景を目にすると、ボソリと呟いた。

「静かにしろ、郷」

 そしてそのまま部屋に戻ってしまったのだ。

「(……っえ?)」

 少年が呆然となる中、郷はほんの少しだけ手を緩めた。

「大地に手を出すってことは、このオイラを敵に回すってことだ。分かったかアアン?」

 いかにも凶悪な顔で凄まれると少年は、またしても縮み上がる。

「…………ッ!」

「分かったかって聞いてんだよ、アアンッ!?」

「ひゃい……」

 辛うじて情けない声を上げるだけだった。

「今回は初回特典で見逃してやるが、次はねえゾ」

「ひゃ、ひゃい」

 胸ぐらを掴む手を離すと、郷は踵を返した。

 そして数歩歩いたところで突然振り返る。

 その挙動に少年はビクリと反応し、声を震わせた。

「な、なんれしょうか?」

 郷は据わった眼で少年を見やる。

「もう一つ……」

「ひゃいッ!」

「オイラたち犯罪者組は、役立たずになった途端にブタ箱戻りってことになってる」

「は……い……」

「だがそうつには続きがあってな」

「続き、ですか……」

「ここは知っての通り機密組織だ」

「は……い」

「で、オメエは既に国家機密を知っちまっている」

「…………?」

「ここを追い出されるってこたぁ、その機密を知った人間をそのままブタ箱に送り返すってワケだが、そんなことあると思うか?」

「そそそそそそ、それは……」

 少年の額をイヤな汗が流れ出てきた。

「運がよければおんなじ境遇のヤツらと一緒にされて」

「されて……?」

「長期間の拘束を受けることになるだろうな。外部との繋がりを一切絶たれて、シャバに出られるのが何年後か、何十年後になるかは知らんが」

「ひっ……。そ、それで運が悪いと……?」

「精神疾患扱いされて病院で一生クスリ漬けだろうな」

「…………ッ!?」

「ま、正気を失った方がマシって考え方もあるがな」

「そそそそ、そんなぁ! ここに入る時ダレもそんなこと言ってくれなかったし」

 郷は軽く肩を竦めて見せた。

「蟻地獄に引き摺り込もうってヤツが、ホントのことなんて言うわけねえだろうが」

「…………ッ!」

「他人にくっだらねえちょっかい出してる暇があったら、生き残るのに必死になりなってこったぁ」

 現実逃避気味に遠い眼をして表情を失った少年に、郷は話を続けた。

「めいっぱい頑張って、頑張って、頑張って信頼されれば、役立たずになっても温情で補助スタッフくらいにはしてもらえるかもしれねえしな」

「は、はあ……」

「そっちの方がいくぶんマシってもんだろう?」

 郷は少年に背中を向けて歩き出す。

 独り言のように呟きながら。

「もっともオイラなんかをスタッフに使おうなんて人間、ひっとりもいねえだろうしな」

 だから郷は、常に前線に立ち続けなければならない。

 前線で闘って、闘って、闘って。

 自分の価値を示し続けなければならないのだ。

 そして大地と一緒に社会貢献ポイントを返済していく――自分の分だけでなく、アイツ(・・・)のためにも。


* * * * * * * *


 いちに、いちに、いちに、いちに、いちに…………

 ランニングマシン上でリズムに合わせて走り続ける。

 右、左、右、左、右、左…………

 短いタイミングで息を二回吸って、二回吐く。

 走ることそのものは苦痛ではない。

 だからといって、特に好きというわけでもないのだけど。

 でも、走っている間は何も考えずに済む。

 だから大地はマシンの上でよく走ることにしていた。

 もしかしたら外で走ればまた違った感覚になるのかもしれないが、大地は一向に気にしなかった。重要なのは考えないことであって、走ることそのものに大した意味はないのだから。

 最近は訓練のせいで心肺機能も上がってきており、その分だけ走れるようになっている。

 大地は速度を上げ、負荷を高めた。走ることそのものに集中するために。

 マラソン選手並とまではいかないが、一般レベルでは結構な速度域だ。

 右、左、右、左……

 先生に言われた通り、呼吸や腕の動き、姿勢、そして足の裏に伝わる感覚に意識を向ける。

 突然灯りを消されても何一つ揺らぐこともないくらいに、走るという行為そのものに集中する。

 右、左、右、左……

 ひたすら走ることそのものに没頭していくと、自分が何者でどこにいるかすら忘れてしまえる。

 神経が研ぎ澄まされ、意識が外側に広がっていく。

 いい感じ。自分のことが忘れられて、どこか落ち着ける気がする。

 このまま体力が尽きるまで走り続けていられそうだ。

 だが、そんな感覚は外部で起きた変化によって中断されてしまう。

 自分の歩幅と同じリズムで振動が伝わってきたのだ。

「あ、郷さん!」

 いつの間にか、すぐ隣で郷が同じように走っていた。

 長身の郷が同じペースで走るということは、自分よりも速い速度を出しているということだった。

「暖まってっか?」

 ほぼ呼吸を乱すことなく、郷が訊ねてきた。ニカッと笑いながら。

「うん!」

 大地の、心底嬉しそうな笑みが弾ける。

「歯磨きも終わってるか?」

「うん!」

「おし。じゃ、やるか」

 二人はマシンの速度を少しずつ下げていった。


 胸、背中、腕、腹、腰、腿……

 訓練施設にあるマシントレーニングは一通り、すべて限界の負荷でおこなう。

 全身が筋肉痛でパンパンになった状態でようやく本番が始まる。

 大地と郷はヘッドギアとグローブを装備した。肘と膝にもプロテクターを巻くが、これは自分の身を守るためというよりは、相手に与えるダメージを軽減させるためのものだ。

 円形のレスリングマットの中央で、二人は右の拳を合わせる。

 近接戦闘の訓練開始である。

「よし来いッ!」

 そう気合いを入れた桐丘郷は、身長185cmの長身。

 細マッチョな体型は鍛え上げられたボクサーのそれを感じさせる。

 典型的なエリートヤンキーの郷はご多分に漏れず運動神経が抜群だ。体育の授業や運動会では常に主役的な立場にあった。陸上競技も球技も、もちろん格闘技も常にトップクラスのパフォーマンスを見せてきていた。

 その自信に裏打ちされているせいか、グローブを構えて立ち塞がる姿は異様なまでに迫力に満ちている。

 一方の赤羽大地はというと身長160cmに満たない細身の体型。

 訓練の成果は出つつあるものの、貧弱な印象が強く残る。

 運動は好きではなかった。特にチームワークが求められる球技は大の苦手。

 そんな二人が同じマット上で対峙している姿は、どこか不自然な印象を与えていた。

「はぁああああああ――――ッ!」

 先制を試みたのは大地。

 右のパンチをあっさりと躱し、アウトボクサーのように距離を取りながら、反撃に移る郷。

 牽制気味の左ジャブを大地はダッキングで避ける。

 そして自らに有利な距離を取るために、小刻みに続けるフットワーク。

 二人の格闘は簡単な突きやローキックといった、反撃を受けにくい攻撃がほとんど。

 与えるダメージが大きくなくとも、確実に防御を取れる手法を選んでいるからだ。

 自然、戦い方は地味なものに見えてしまう。

 回し蹴りや踵落としといった見栄えのいい大技はまるで無縁だ。

 だがその見かけとは裏腹に、心身ともに激しく消耗する闘いであった。


「はあ、はあ、はあ、はあ…………」

 大地は荒い呼吸の中、集中の度合いを高めていた。

 ベルトコンベアのようなマシン上を走っていると気が紛れる。

 でも、郷との訓練はもっといい。

 相手がどう仕掛けてくるか懸命に読み、必死になって対抗する。

 どうやって裏を掻くのか瞬時の判断を巡らせる。

 真剣になって集中しないとあっという間にやられてしまうから、極度の緊張を続けなければならない。

 他に考え事などしている暇など、一瞬もない。


 そんな格闘をぶっ通して一時間。

「おい、いい加減にしとけよ」

 巡回に来た滝山隊長が大声で叫ぶ。

 同時に落とされる訓練室の灯り。

 怒鳴ったくらいではなかなか格闘を止めない二人を強制的に終了させるための措置だ。

「ういっす」

 ぞんざいな返事をしながら、郷は朦朧としている大地にムリヤリ給水をさせる。

「明日もあるんだ。無理するんじゃない」

 滝山のそんな注意も、郷は「へいへい」と適当にいなす。

 そして大地を肩で担いで居住区画へと向かっていった。


 QCF本部の最上階はエージェントたちの居住区画となっていた。

 元はこのビルを使用していた独立行政法人が、研修用の宿泊施設としていたものをそのまま使用しているのだ。公務員および準公務員向けのものだったため、一部屋のサイズはゆったりとした作りになっている。中にはベッドと机、書棚やタンスなど一通り揃っていて、生活する分に不自由はない。

 しかしその部屋のサイズが、毎晩問題になっていた。

 エレベーターから降りた郷は、燃え尽きてほとんど意識のない大地を肩で担いだまま大地の部屋へと辿り着いた。

 大地のIDに反応してスライド式のドアが開く。

 そこで郷は大地を背中から支えると、息を大きく吸い込んだ。

「おりゃあああああああ――――ッ!」

 気合いを入れて全力で背中を押すものの、力がまるで足りない。

 大地はフラフラと三歩歩いてから、床の上に倒れ込んでしまった。

「あ~あ……」

 郷が情けない声を上げ、その目の前でドアが閉ざされていく。

 本当ならベッドに寝かしつけてやりたかったところだが、それはできない相談だった。

 大地の部屋に入ることができるのは大地だけ。

 他者のIDを検知するとアラートが鳴り、職員が駆けつけてくるからだった。

 これは若い男女が住んでいる施設内で問題を起こさないためという理由によるが、同時に元犯罪者同士の謀議を防ぐという意味合いもあった。

 エージェント同士の接触はパブリックスペースのみに限られていた。

 そしてパブリックスペースはすべて監視下にあるのだ。各員の行動は映像と音声ともに二十四時間体制でチェックされている。

 一方で各個人の部屋はモニタリングされていないという建前になっていた。

 もっとも郷はそれすら疑っているのだが。


 力及ばず床上に倒れ込んだ大地を見送ると、郷は自室へと向かう。

「おっとっとっと……」

 限界を超えていたのは郷も同じ。

 それまでは大地を部屋に届けるという目的があったので集中を保てていたのだが、いざ一人になると激しい筋肉痛が情け容赦なく襲いかかってくる。

 倒れないように壁に手をつき、よろよろと歩く。

 自室までの僅か数メートルの距離がやたら遠く感じられた。

 いっそこのまま廊下で寝入ってしまった方がよほど楽だ。

 諦めかけたその時に、

「…………ッ!」

 郷を支える、140cmにも届かない小柄な体躯。

 郷は苦痛に顔を歪めつつも、口には笑みが浮かぶ。

「ハッ、すまねえな、舞」

 身長差40数センチ以上をものともせず、舞が郷を腰の位置で支えていた。

「…………」

 舞は無言のまま、郷を横から押してくれる。

 やせ我慢すらできない郷は、そのまま舞の補助を受けて、辛うじて自室まで辿り着くことができた。

「じゃ、頼む……」

 舞は無言のまま背後に回り込むと、全力で郷を突き飛ばすのだった。

 郷は苦鳴とともに脚をもつれさせながらも五歩、六歩とよろめき、しかし何とかベッドへとダイブすることができた。

「サンキュウな」

 郷がそう言うと、たぶん照れているのだろう、普段快活な舞からは考えられないほどの小声が返ってくる。

「いつもありがとね、……郷さん」

「おうよ」

 郷は、返事と同時にだらりと伸ばされた腕の先で親指を立てて見せる。

 スライド式のドアが事務的に閉められた。

 郷の一日がこうして終わる。

 その姿を見届けて、ようやく舞の一日も終わる。


 翌朝。大地が目を醒ましたのは六時少し前。

 十六歳という年齢を考えると、そのまま二度寝してしまうのが普通だ。

 しかし大地は、一旦目を醒ましてしまうともう寝付けることができなかった。

 心配事が多すぎるせいで。

 不安が強すぎるせいで。

 もう眠ってなどいられなくなってしまう。

 起き上がった大地は時計を見る。

 訓練施設が閉まるのが夜の十一時。すぐに郷が自分を部屋へ連れてきてくれたはずなので、睡眠時間は七時間弱。

「ありがと、郷さん」

 郷が猛烈な訓練に付き合ってくれるおかげで、毎晩大地は気絶するように眠ることができる。

 それがなければ、恐らく一睡もできていないだろう。

 大地はベッドで仰向けになった。

 眠れないのは分かっているが、体を休める必要性は認めている。

 だから横になった姿勢を保つようにしていた。

 はめ殺しの磨りガラスは朝の光で直視できないほど眩しい。

 窓の向こうは中庭だ。植栽やガーデンテーブルが並べられていて瀟洒な雰囲気を醸しているのだが、大地はそこに出たことがなかった。彼のIDでは立ち入りが禁止されているからだ。

 大地は手を伸ばし、ベッドサイドに置かれていたフォトフレームを引き寄せる。

 そこに写っているのは、アマゾネスを彷彿とさせる日焼けした少女の姿。

 情熱的な瞳と、ウェーブのかかった黒髪のショートボブ。

 彼女の膝枕で耳掃除をしてもらった甘い記憶がふいに甦る。

茜姉(あかね)ぇ…………」

 か細い声でそう囁く。

「ゼッタイ助け出すから、ゼッタイ。だから待ってて茜姉ぇ」

 大地は画像に映る少女を食い入るように見つめ続ける。

 彼女の名は豊島茜(とよしまあかね)

 大地と同じ養護施設出身で、一つ年上の少女だ。


 史上最悪と言われる『霞治郎事件』。

 事件は七日間にして五十二人もの死者をもたらした。未成年者八人、高齢者五人、そして妊婦二人が被害者に含まれるという未曾有の無差別テロだ。

 このテロ事件において豊島茜は主犯である霞治郎の潜入、逃走を手引きした共犯者として当局に拘束されていた。彼女はテロ行為を正当化するためにWEB上に動画を上げ続け、体制への反乱を扇動してもいた。十七歳という年齢を考慮しても、また中毒性の高い薬物を投与され、マインドコントロール下にあったという情状を酌量しても重罰は免れ得ない。

 そんな茜を大地は解放したいと願っていた。

 そしてそのために必要なのが膨大な社会貢献ポイントだ。

 大地は金額に換算すると何十億円にも達するポイントと引換えに、量子魔法を使ったテロリストを討伐するという取引を当局とおこなった。

 それが大地が、そして郷と茜がこのQCFという組織に属している理由である。

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