○第三話 パーソナリティに問題あり
ノンキャリの刑事が、拘束されたテロリストのこめかみに向けて発砲しようとしたその瞬間。
「なかなか楽しそうなパーティですな」
静かな口調であるのに、やけに大きく、耳に響く声だった。
二人の官僚と刑事が慌てて周囲に視線を走らせる。
「なんだ……と?」
キャリア官僚は思わずそう声を上げていた。
「自分も是非お仲間に加えていただきたいところだが……」
わざとらしくそう呟きながら、そこで編み上げブースの靴音を響かせる。
既に立ち去ったはずの公安量子魔法迎撃部隊=QCFの隊長、滝山がその場に立っていたのだ。
「キサマ……、戻っていったはずではなかったのか!」
滝山はその疑問に応じず、わざとらしく周辺を見やった。
「生憎、今のやりとりはすべて記録させていただいたものでしてな」
わざとらしく天井に眼を向ける。
H型鋼の梁にへばりついているのは、“Gインセクトイド”と呼ばれる昆虫型の小型ロボット。
カサカサと動き回るその背中につけられているのは、身体サイズには不釣り合いなほど大きい高感度CCD。
滝山隊長はキャリア官僚に冷淡な視線をゆっくりと移してから付け加えた。
「映像と音声の双方にて」
「く…………ッ!」
「誰が見ても疑いようのない証拠として」
念を押すように言う。
追い詰められたキャリア官僚はそこで刑事を見やった。「やれ」
自らの地位を危うくする敵に対して取る反応はたった一つ。そのことに忌避感はない。
相手がキャリアでなければ何とでもなる。
殺してさえしまえば、もみ消しも容易だ。
何しろ死人に口はないのだから。
刑事は理不尽な命令に一瞬困惑の表情を見せたが、言われるがままに銃口を滝山へ向ける。
「ほう」滝山はわざとらしく驚いて見せた。「かつての同僚を撃つということですかな?」
刑事が思わず歯噛みする。理は自分たちにない。しかしキャリア官僚の命令は絶対だ。
ノンキャリである自分には逆らうどころか、意見することすら許されない。
自らの立場をイヤと言うほど知らされてきた刑事は、一歩、二歩と後ろに下がり安全な距離を取る。両手に構えた拳銃を、テロリストからQCF隊長へと向けていく。
「大地」
落ち着いたままの滝山がそう呟いた直後、冷たい金属音が倉庫内に大袈裟な響きを立てた。
「――――なッ!?」
刑事の構えた拳銃の銃身から先が、斜めに切り落とされて落下していたのだ。
二人の官僚と刑事が反射的に周囲を見まわすと、正面シャッターのところで掌底を突き出している大地の姿。慌てて反対側を見ると、左掌を構えて自分たちに向けている翼。
最強と言われる量子魔法の使い手二人に挟まれる形になっていたのだ。
滝山は床上に落ちた銃身部を、手袋をはめた手で拾い上げてその断面を無言で見つめる。
切り口そのものが凶器になりそうなほどの鋭さだ。
その銃身を無造作に刑事へ渡す。
「ご覧いただいた通り、彼の斬撃は威力はこの上ないのだが」わざとらしく溜息をつく。「たまにコントロールが乱れることがありましてな」
切り取られた銃身の姿に呆気に取られている刑事をよそに、滝山はキャリア官僚を威圧する。
「的を外して人間の気道を切り裂いてしまうかもしれないし、脳や心臓を撃ち抜いてしまうかもしれない。或いは、手脚を切断してしまうかもしれない」
既に戦闘意欲を完全に失っている官僚に追い打ちをかけていく。
「それともまだ続けますかな? お見受けしたところ、お二人は拳銃の取り扱いが不得手のようだが……」
「隊長?」
咎めるような翼の低い声。
滝山は肩を竦めるとテロリストの男を見やった。
「この男は我々がお預かりする。よろしいな?」
若い官僚は滝山の迫力に圧されたまま、手錠の鎖から手を離した。
それ以上何も言わずに滝山は靴音を響かせ、テロリストを連行して倉庫の奥へと消えていく。
いつのまにか攻撃の構えを取っていた大地も、そして翼もその場からいなくなっていた。
「あの三人はどうなる?」
装甲バンが発進すると同時に、テロリストの男は滝山に訊ねてきた。
車内は左右の側面に沿って二本の長椅子が設置されていた。進行方向に向かって右側には郷、滝山隊長に挟まれる形で男が座らされていた。
「問題なかろう」
滝山はそう即答する。真っ先に仲間、それも自分より遙かに能力の劣るはずの三人の心配をして見せる男に対して、滝山「ほう」と、ごく僅かだが驚いた顔を見せた。
だが、その言葉では不十分だと分かったのかこう付け加えた。
「一連の行動を記録された上で彼らを始末したとなれば、直接責任を問われることになる」
するとフェイスガードシールドを下ろしたままの郷が吐き捨てるように呟く。
「自分がクビになりそうなことは、ヤツらはゼッテェにしねえ」
「つまりはそういうことだ」
「……そうか」
滝山と郷の言葉に納得したのか、男はそこで安堵の息をついた。
「で、これはいったいなんなんだ?」
反対側の椅子に並んで座っているのは大地と翼。
脱装した郷の強化外骨格を前方に置いているためスペースが圧迫されてはいるのだが、それ以上に大地と翼が不自然なまでに体を密着させた形で座っているのだった。
しかも大地の右手は翼の左手をしっかりと握っている。
指と指を絡める恋人つなぎというやつだ。
フェイスガードシールドを下ろした状態で恋人同士のように体をくっつけ合っている二人の姿に、テロリストの男は呆れかえっていたのだ。
「ま、気にすんな」何事もないかのように郷が応じる。「いつものことだ」
「いつものこと……なのか?」
絶句するとテロリストの男はうなだれた。
「“世界線”は、やはり有名なのか?」
しばらく続いた沈黙を破ったのは郷だった。
「ああ」テロリストはゆっくりと応じる。「あの霞治郎を斃した量子魔法遣いだ。反体制派の中で知らないヤツなどいないだろう」
「……なるほど」
「何十人もの官僚貴族を殺害してきた最大の反体制派組織、ノース・リベリオンの“世界線”がなぜ裏切って霞治郎に敵対したのか、あれこれと憶測が流れていたのだが……」
男は恋人然とイチャついている大地と翼を醒めた眼で見つめていた。
「これがコトの本質ということか。……身もフタもない話だな」
惚れた女のために主義主張をあっさりと変遷させる。無法者たちの集まりにあって、決して珍しいことではない。だから男は目の前で繰り広げられている光景をあっさりと受け入れようとするのだった。
「いや、そう単純なことじゃあないぜ?」郷がそれを否定する。「いろいろとワケありでな」
「そうあって欲しいものだ。真剣に闘っている者たちのためにもな」
その言葉に郷も頷く。「そうだろうよ」
「で、話は変わるが」
「……なんだ?」
「ノース・リベリオンの“世界線”以外に誰を知ってるんだ? ていうか誰が有名だ?」
男は訝りながらも郷の質問に答えてみせた。
「そうだな。霞治郎事件の共犯となった“幻影”は言うまでもないだろう。ネット上の動画で顔まで見せていたしな。逮捕された今でもオレたちにとっては崇拝の対象だ。あの美貌もあってアイドル視する輩も多い」
「ふうん」
郷が頷いてみせる。ぎこちない冷静さを装いながら。
「で、……他には?」
「知らんな」テロリストはあっさり答えた。
「そ、そうか……」郷がガックリと肩を落とす。
地味にショックだったようだ。
「その“幻影”を止めたのが誰かとかは……?」
弱々しい郷の質問は、しかしテロリストの男に黙殺されてしまった。
以後、気まずい沈黙が車内を支配したまま、装甲バンは警視庁麹町警察署の前で停止した。
後部ドアが開き、警察官数名が待ち受ける中、テロリストの男がゆっくりとバンから降りていく。途中振り返り、大地に何かを言おうとして口を開きかけるが、そのまま声を発することもなく進む。
そして滝山がバンのドアを閉めようとした時に、男は俄に大声を上げた。
「もう二度と会うこともないだろうから言っておこう」
背中越しに郷へ向かって、テロリストの男は声を響かせた。
「キサマの強化外骨格の操作は、噂に聞いていた以上だったぞ、“ハイドロ”!」
ノース・リベリオンという反体制派組織に所属していた当時、郷につけられていたコードネームが“ハイドロ”。
男はその名を呼んだのだ。
「オマエ……最初からわかってやがったのか?」
「いや、途中で思い出しただけだ」
そう言い放つと、男は高笑いしながら警察官に連れられて麹町署の中へと入っていった。
「なんだよ。知ってんなら、知ってるって最初から言えって……」
郷は独り言を口にした。
走り出した車内で量子デバイスを外すと、凶悪そうな顔が露わになる。
吊り上がった切れ長の眼と、剃り込みの入った細い眉。鋭い眼光。
鋭利な顎先には無精髭。
完全に脱色してから銀色に染めた頭髪は眼がチカチカするほどの銀色に光っていた。
見た目だけでも“狂犬”と呼ばれるのに十分な凶悪さだ。
しかも無駄のない細マッチョ体型。
ただいるだけで一般人なら身の危険を感じるほど凶暴な空気を纏っている。
「って、ああん?」
だがその凶暴さが一瞬にして消えてしまう。
目の前で大地がニコニコしながら自分を見つめているのだ。
「よかったね。郷さんのことも有名だったみたいで」
同じように量子デバイスを外していた大地は、中性的で整った顔に満面の笑みを浮かべ、眼に眩しいほどの赤い髪を揺らす。深緑色の瞳をイタズラっぽく輝かせながら。
「テ、テメェ! 聞いてやがったのかよ?」
郷は大地の首を絞めようと両手を伸ばすが、その手を翼の手刀がビシッと弾き返す。
「イ、イテッ!」
「郷さん!」
郷をキッと睨みつける翼。
直視した人間にある種の緊張を強いるほどに整った顔立ち、真っ黒な瞳。
何があっても絶対に大地だけは守るという強烈な決意を前面に押し出して、翼が郷に立ちはだかっていた。
迫力に圧され、郷が後退ると、
「はは、はははははは」
大地が笑い出していた。
そのどこまでも無邪気な笑顔に郷は毒気を抜かれてしまう。
「ははははは」
郷は同じように笑い出していた。
「ははははは」
郷は笑いながら、大地を愛おしそうに見つめている翼に声をかける。
「仲直りだ、翼」
「そうですね、郷さん」
翼が郷に顔を向ける。
どこか緊張した顔つきで決して笑ってはいない。むしろ怒っているようにすら見えてしまう。だが表情が僅かに緩んでいるのが郷には分かった。
彼女はうまく笑えないのだ。
それ以外の感情も外に出そうとしない。
どこか、ポジティブな感情を表出させることを忌避しているようにすら見える。
常に緊張しているせいで、表情はいつも硬い。そのせいで他人との接触を拒んでいるかの印象を与えてしまう。
だから氷の女王とか氷人形などと揶揄されることが多い。
ただ一つの例外が、大地と一緒にいる時だけだ。
大地と接している時、彼女の表情は少しだが緩む。もっとも見慣れた人間にしか分からない程度の変化ではあるが。
そしてある程度付き合っていると、彼女が決して冷たい人間ではないことが分かる。
むしろ大地に対しては優しすぎると評しても、まだ不十分なくらいだ。
だから郷は彼女が無愛想そうに見えても、それについては何も言わないし気にもしない。
「よかった」
大地がそっと呟いた。
周囲の誰ともケンカなどできないのではと思わせるほど、優しい声だ。
十五歳の少年にしては、頼りなさすぎるほどか細い声だ。
「二人が無事で、ケガしなくて、ホントよかった」
「ああ、そうだな」
大地の赤い髪をクシャッと撫でながら郷は笑う。「オイラも、オメエら二人が無事でよかったよ」
気持ちよさそうに眼を細める大地を見て、郷はニカッと笑う。
「仲間全員が無事で笑って帰る。これが一番だな」
大地、翼、そして郷。この三人は、それぞれにパーソナリティに深刻な問題を抱えていた。
皮肉なことにそれが、量子デバイスを操る力の源泉でもあるのだ。
そしてそのような若者ばかりを集めているのが公安量子魔法迎撃部隊=QCFという組織であった。
* * * * * * * *
QCFの本部は麹町署から車で五分もかからない場所にある。
建屋は二番町にあり、汐留に本社がある在京キー局の保有する超高層複合ビルの裏手に位置している。
以前は科学技術関連の独立法人が入っていたビルである。
立方体の左下四分の一を切り取った奇抜な形状と幾何学的なファサードを備えるその建造物は、完成当時こそ未来的なデザインが評価されたものの時の流れには逆らえず、外装の老朽化はかなり進行している。とはいえ内部は十分なまでにリノベーションが施されていて、機能面にはまったく問題がない。見た目は古く、中身は新しくというのがこの2050年における官制建築物の特徴であるが、QCF本部もその様式を忠実に体現していた。
大地たちを乗せた装甲バンは正面入口から左の駐車エリアを通り抜け、その奥にある、関係者専用という看板の立つ遮断機の前で一旦停止した。搭載されたIDを識別すると遮断機が上がり、バンは中へと進んでいく。進路の左右に並ぶ駐車スペースを無視して一番奥へと向かうと、そこで右へと曲がることができた。できるだけ隠蔽したいという意向の顕れか、関係者専用駐車場の一番奥は左右とも、常に2トントラックが駐められている。トラックを回り込むように右折すると大きめのシャッターが閉ざされていた。
装甲バンはシャッターの前でまた停止する。
ほどなくすると警備員が現れてきて、車輌と運転手を目視にて確認した後にIDの照合をおこなう。規定の確認作業が済んでようやくシャッターが開かれ、バンは入構を許された。
車が完全に構内へ入るとすかさずシャッターが下げられ、完全に閉じたところでようやくバンの後部ドアが開かれる。ここでようやく大地たちは車から降りることが許されるのだ。
QCF関係者、特に戦闘を担うエージェントは、本部への出入りにできるだけ人目に晒さないように配慮がなされている。これはエージェントのほとんどが未成年であるため、彼らのプライバシーを守るというのが建前である。だがその本音部分はというと、エージェントの半数以上が元犯罪者であり、その事実を隠蔽するためであった。
大地と郷はかつて反体制派組織に所属しており、高級官僚暗殺というテロ行為に荷担していた。その当時はQCFと交戦することもあり、つい数ヶ月前までは大地と翼は敵対し、お互いの生命を奪い合う死闘を演じてさえいたのだ。
量子魔法を悪用した犯罪から国民を守るというのがQCFの目的であるが、その活動を支える戦闘エージェントの半数が元テロリストという内情は国民の理解を得がたい。だから当局はエージェントの個人情報が露見しないよう、万全を期しているのだった。
「じゃあ大地、あたし行かなくっちゃ」
名門都立永田町高校の制服に着替えた翼は、大地との別れを惜しんでいた。
教師推奨の膝丈スカート。着崩し感がゼロで、まるで様になっていないブレザー姿。
一言で表現すれば垢抜けない女子高生そのもの。
しかし、そんな格好の悪さすら気にならなくなってしまうほどの美貌の持ち主だ。
真っ黒でツヤのある長い髪をポニーテールにまとめ、眼にも眩しい真っ赤なリボンで結んでいる。
大きい瞳を際立たせる、真っ直ぐに切りそろえられた前髪。
翼は大地の手を取ると、少女にしてはやけに低く抑揚に欠ける声で訊ねた。
「なにか必要なものはない?」
「うん、大丈夫」
「そう。でも欲しいものがあったらいつでも言って。買ってくるから」
「うん。ありがとう翼」
ふんわりと、透明な笑みを浮かべて大地が応じた。
翼は両手で握り締めた大地の手を、名残惜しそうにゆっくりと離していく。
「じゃあ、明日ね」
「うん」
まるで今生の別れかのように、いつまでも立ち去ろうとしない翼。
そしてそんな翼を透明な笑みで見守っている大地。
「ご飯、しっかり食べてね」
「うん」
「お風呂もちゃんと入るのよ」
「うん」
「郷さんにいじめられたらいつでも言って」
「おい!」
郷のツッコミはなかったかのように無視される。
「あと歯磨きもちゃんと……」
ピピピピピピピピ
十五分の経過を伝えるキッチンタイマーが鳴る。
手にしているのは郷だ。
一連のやり取りを無表情のまま見守っていた郷は、そこでタイマーの音を止める。
「じゃ、元気でね……」
翼は未練を断ち切るように踵を返すと、出口に歩いていった。
うっすらと眼に涙を浮かべながら。
透明ガラスの自動ドアが翼のIDに反応して開く。
大地は思わず後を追いそうになるが、ハッと気づいて立ち止まる。
彼のIDがドアに近づくとセキュリティシステムが稼働してしまうのだ。
3mの距離で警告音がなり、2m以内になると全館に警報が鳴った上で、周囲の出入り口が完全に閉鎖されてしまう。
大地は右手を伸ばしながら、翼の後ろ姿を眼で追う。
彼女が地下通路の向こうへ消え去っても、もしかしたらすぐ戻ってくるかもしれないと期待の眼を向けながら。
ようやく翼が立ち去った後で、郷が声をかけてきた。
「じゃ、メシにすっか」
「うん……」
毎回繰り返されるこの儀式を我慢強く見届けた郷は、しかし不平を漏らすことなく大地の肩に手をかけた。
「さ、早くしねえと食堂閉まっちまうぞ」
「うん……」
「腹、減ったか?」
「うん!」
「だよな」
「カレーだといい……よね?」
「そうだな」郷はニカッと笑う。「ていうかオメエ、ホントカレー好きな」
「カレー……大好き。郷さんは?」
郷は顎先に延ばした無精髭を指先で撫でる。
「ああ、オイラもカレー好きだな。カツが乗ってるともっといい!」
「だよね!」
大地はいきなりタタタと走り出した。
「早くしようよ郷さん。舞も待ってるはずだから!」
「ああ、そうだな」
「あ、大地兄ぃ!」
金色に染めたツインテールを左右に揺らしながら駆け寄ってきた少女は新田舞。
140cmにも満たない身長とフラットすぎる細身の体型は、シルエットだけならば小学生にしか見えない。だが、年齢は十五。中学三年生である。
卵形の顔に丸い額、円らな瞳は明るい茶色。綺麗な弧を描く眉。
QCF内において翼と双璧をなす美少女である。
翼が人を寄せ付けない冷たさを感じさせる麗人であるのに対し、舞は癒やし系の妹系。
その幼すぎる見た目から妹エンジェルなどという、本人にとってありがたくない二つ名がつけられている。
アイドルのような愛らしい空気を強烈に放ち、これまでの習慣のせいで無駄に愛想を振りまいてしまう。その結果、周囲の少年たちに幻想を与え続けているのだが、本人にその気はまるでない。そしてそんな彼女の態度が、実は大地の人間関係に少なからず悪影響を与えているのだが、そのことは本人もそして大地自身も気づいてはいなかった。
「お帰りぃ」
舌っ足らずな声を出しながら大地に抱きついてくる。
「ただいま、舞」
大地は違和感なく舞を抱き留めると、優しく囁いた。
「さっきはありがとな」
「うん!」
「すごく怖かったけど、舞のおかげでなんとかなったよ」
「うん、よかったぁ!」
「って……」そこで郷が声を上げる。「なんだ、さっき舞のアシスト受けてたのか?」
「うん」大地は嬉しそうに頷いた。「あの、でっかいナイフ持ってた人……」
「ああ、アイツん時か」
「そう。……いつ振り下ろしてくるかと、どう斬ってくるか、舞が計算してくれたから」
「……なるほどな」
郷がテロリストの左手によるナイフ攻撃を阻止した時、既に大地の両手は男の右手首を掴んでいた。これも普段の特訓によるものかと密かに感心していたのだが、実のところは舞のサポートに従っての対応だったのだ。
他人が計算した行動予測に従って防御するというのが郷にはうまく想像ができなかった。
実際問題、郷は単独の能力で相手を止めることができる。
それだけの運動神経も動体視力も操作能力もあるから、自力だけでこと足りるのだ。
一方大地はというと、見るからに華奢な体格の通り運動は苦手なほうだ。
しかも性格的に肉体による闘争を忌避する傾向があるので、戦闘には不向きと言える。
しかし、数多の行動パターンから導き出された予測があれば、敵からの攻撃を先読みすることが可能だ。そして大地にはそのツールを使いこなすだけの適性を有しているのだ。
郷の持たない適性――非言語領域におけるSync5交信によって、大地と舞はその情報をやり取りしているのだった。
「そうか。頑張ったんだな、舞」
「郷さんいたの?」
舞はぐっとテンションを下げた声で応じた。体温が数度ほど下がったかのような、事務的な反応だった。彼女は本当に、声をかけられるまで郷の存在に気づいていなかったのだ。
「ていうか気づけよ……」
ボソリと呟く郷。
聞こえないのか、意識に届かないのか、或いは単に無視しているだけなのか。舞からはそれ以上の反応はなかった。
「それでね、それでね大地兄ぃ……」
今の彼女は大地とのやり取りに夢中なのだ。
郷はやれやれと軽く溜息をつく食堂のカウンターへ向かい、自分の食事を受け取った。
「ごちそうさま……っと」
とっとと食事を終えると郷は立ち上がった。
すると大地があれっという表情を向けてくる。その顔がみるみるうちに不安そうになっていった。
「いつものメンテだ」郷はすぐに大地の疑問に答える。「すぐ終わるさ」
「そう……なんだ」
「ああ、だから先に訓練室に行っててくれ」
その言葉に大地の表情がパァッと輝いた。
「うん! 先に行って待ってるから!」
「じゃあな」
言いながら郷が舞の頭を撫でると、その手をペシッと払われてしまった。
大地との大切な時間を邪魔するなという意思表示である。
郷は肩を竦めると食器をテーブルに残したまま歩き出す。
去り際、ぼそりと呟いた。
「ほんと、翼といい、舞といい……。オメエら二人とも大地のこと好きすぎるだろ?」
寸暇を惜しむかのように大地との触れあいを求め続ける翼と舞。
しかしそれが恋愛感情であるかというと、少し違う気がする。
ではそれが何であるのか。郷にはまだうまく定義することができないでいた。