○第十七話 新メンバー
赤羽大地たちが豊島茜との面会に行った翌日。
彼ら公安量子魔法迎撃部隊=QCFのS1隊エージェントは滝山隊長からの招集を受け、ブリーフィングルームへ向かっていた。
「えっと……」
入室した大地は、そこで待っていた人物を見て戸惑い気味に声を上げた。
部屋の奥、中央で座していたのは滝山隊長。ベレー帽と口ひげでそう判断できる。
その右隣にいるのは自分と同年齢くらいの少年と少女。メガネをかけた少年を前にして大地はもしやという思いと、間違えてしまったらという怖さに体を引き攣らせてしまう。
「(……えっと、もしかしてもしかしてもしかしてもしかして)」
滝山のすぐ隣にいる少年を見ながら結論を出せないでいた。
「(……でも間違っていたら間違っていたら間違っていたら)」
量子デバイス越しにオーラを見れば一発で分かるというのに。デバイスを装備してこなかったことを激しく後悔しながらも口をパクパクと動かしていた。
「あれ、メガネくんかよ?」
大地の迷いをよそに、銀髪の元ヤン桐丘郷が明るい声をかけていった。
「あ、どうも……」
優男という表現がそのまま当てはまる整った顔立ちをしていながら、その魅力を一切合切台無しにしてしまう古くさい昔ふうのメガネ。舎人憂は郷にぺこりと頭を下げると、視線を大地に向けてニッと笑いながら左手を振ってきた。「大地くん!」
その動きに合わせて深緋色のミサンガが小気味よく揺れていた。
「……やっぱり、憂くんだったんだ」
大地は安堵しながら緊張を解く。それだけでヘナヘナとしゃがみ込んでしまいそうな脱力っぷりだ。
身内以外の人間は顔も名前も憶えるのが極端に苦手という大地にとって、友人をきちんと識別できるかどうかは大きな問題だった。憂については、まだ一目で自信をもって特定できる域には至っていない。とはいえ大地は、自分のそのような性向が相手を不愉快にする、時によっては傷つけてしまうということも分かってはいた。だから確信のない状態で迂闊に声をかけられなかったのだ。それだけ憂に気を遣ってしまう一方で、すぐ隣で苦笑する少女の様子は眼に入ってもいなかったのだが。
「もしかしてそうかなって、思ったんだけど……ごめんね」
素直に謝罪する大地に憂は、
「気にしなくていいから。大地くんの苦手なこと、わかってるし」
「……うん」
そこでようやく安心して笑みを浮かべる大地。
すると、あからさまにぶすっとしながら新田舞が部屋へ入ってきた。舞にとって、大地と親しげにしている憂は好ましからざる対象なのだ。
メンバーが揃ったところで滝山は口を開いた。
「それでは始めるぞ」
滝山は改めて全員を見まわす。
S1隊で入室時にまともな敬礼をしてきたのは高島翼のみ。大地は憂に気を取られてそれどころではなかったし、郷と舞に至っては敬礼など期待するだけ無駄であった。
諦念しつつ、しかしおくびにも表情には出さず、滝山は鋭い声を響かせた。
「既に面識はあるかもしれないが」言いながら自分の隣にいる少年と少女に眼を向けた。「本日よりS1隊に追加メンバーとなる二人だ。とはいえまだ実戦レベルには至っていない。しばらくは研修生としてミッションに立ち会ってもらう」
滝山が顎をしゃくると、二人の男女がスッと立ち上がる。
「舎人憂です」
「連雀沙来です」
「メンバー入りねえ……」郷は意地悪そうに笑って見せた。「いのか、メガネくん?」
「……?」
「後ろ付いてくるだけでも結構ヤバイぜ、オイラたちのミッション」
「理解してるつもりです」
「へえ?」郷はわざとらしく挑発的に訊ねた。「家族はそれでいいってのか?」
確認しようというのか、挑発しようというのか、傍からは判別しにくい郷の態度に、憂は落ち着いた返答をしてみせた。
「ボクはエリートの子どもではないので問題はないです」
ごく自然な表情で応じきった憂に、郷は拍子抜けした声を出す。
「そうだったのか?」
「まあ一般家庭の子ですよボクは」そして強調するように繰り返す。「一般家庭の」
「ふうん」にわかには納得できなさそうに口を曲げる郷だが、すぐに切り替える。「ならいいか。遠慮はいらねぇな」
言いながら、物言いたげな視線を滝山に向けていく。
滝山はそんな郷を黙殺した。
将来の出世を目指して血気盛んなエリート組のエージェントたち。その気概とは裏腹に、QCF上層部にとって彼ら彼女らは保護すべき対象でもあった。万が一怪我を負わせてしまったり、生命の危険に晒してしまったりした場合、QCF自体が責任を問われることになる。まして親が実力者であった場合、組織そのものの存在すら脅かされかねない。
いきおい、高級官僚の子女についてはできるだけ安全な任務に着かせ、取りあえずの箔付けだけさせておくという力学が働きやすくなる。
幸いと言うべきか、実戦レベルに至っているエリート組のエージェントはまだ登場していなかった。しかしそれも時間の問題と言えた。確実に戦闘力を高めているエリートの子女は一人二人ではない。やがて彼らも実戦に出たがるだろう。QCFの上層部にとっては、頭の痛い問題でもあった。
今回、QCF入りして間もない舎人憂と連雀沙来が期待値込みとはいえS1隊へ配属されたのも、家庭環境という要素が大きかった。即ち、二人とも官僚貴族の子ではないのだ。だから危険なミッションに投入してもQCF的に不安要素は少ない。
そんな事情を知ってか知らずか、郷は含みのある視線を隊長の滝山に向けていたのだ。
郷と滝山の間で交される無言のやり取りに気づきもせず、大地は憂に駆け寄っていった。
「よかった」大地はモジモジしながら言った。「新しく人が入ってくるかもって聞いてたけど、憂くんでよかった」
憂は破顔する。
「ボクも大地くんと一緒でよかったよ」
「ワタシもいるんだけど」
ごほん、とわざとらしく咳払いをしてからの醒めた声。
さっきからずっと憂の隣にいた連雀沙来だ。
「ご、ご、ご、ご、ごめんな……さい」
言われてようやくその存在に眼がいく。同時にこれまでまったく彼女を意識していなかったことに気がついた大地は、そこで萎縮してしまうのだった。
「ま、いいわ」
言葉とは裏腹に、むしろ挑発的な瞳。
「改めてよろしく……」
しかし連雀沙来の眼はただ一人の相手にしか向けられてなかった。「高島翼さん」
翼は、その視線を正面から受け止め、「こちらこそ」と応じた。
穏やかとは言いがたい雰囲気に、会議室はにわかに沈黙と緊張に包まれていく。
その空気に圧された大地はまず翼に眼を向け、次いで沙来を見た。
切れ長の瞳、低めの鼻、小振りな唇。
地味で控えめな造作ながらも整った顔立ちの和風美人である。
黒髪をストレートの横分けボブにして額を出し、毛先は顎のラインで綺麗に切り揃えられていた。
中学校時代は高島翼と同じクラスにいたが、二人の接点はほとんどなかった。
翼の記憶の中で彼女は、額どころが眼まで隠しそうな前髪のセミロングヘアをしていて、性格も控え目という印象だ。級友から声をかけられるといつも愛想よく応じていて、お人好しという雰囲気もあった。
しかし今はまるで別人のように堂々として、また表情一つとっても不安は微塵も感じられない。
以前までの自信のなさ、そしてそれ故の臆病さをどこかに置いてきてしまっているようだった。
何より翼に対する対抗意識を隠そうとすらしていない気持ちの強さがはっきりと分かる。
無言のまま視線を合わせあっていた翼と沙来。
「あっ……」
大地はそこでパンっと手を叩いた。
彼の中である記憶がつながったのだ。
「憂くんの彼女さんだッ!」
思い出せたことが嬉しくなって、つい大きな声を上げてしまう。
「大地くん……」脱力気味に声を洩す憂は、掌を額に当てた。「その話は今はちょっと」
空気をまるっきり読まない大地の言葉が、高まっていた緊張を一瞬にして解消していた。
「ちょっ……」
好戦的とも見えた連雀沙来が、今ではすっかり頬を赤くしていたからだ。
早々に学級崩壊の体を見せ始めたミーティング。だが滝山は収拾しようとする態度を示そうともせずに立ち上がった。
「早速だが今から任務にも同行してもらう」
「はい」
声を揃えたように規律のある返事をしてみせる憂と沙来。
滝山はそんな反応に奇妙な新鮮さを感じてしまうのだった。
「(……いや、これが当たり前なのだが)」
そしてかぶりを振る。そうだ、普段が異常なのだと。
リーダーである翼以外は規律というものとはまるで無縁なエージェントたち。
困ったことにそんな彼らの実力に依存しているのが今のQCFの実情だ。
銀髪の眩しい郷と、キラキラと輝く金色の髪をツインテールにしている舞。
そして意思疎通に難がありすぎる赤髪の少年、赤羽大地。
手綱を握るには余りにも難しすぎるが、戦力としては疑いようのないモンスター級の実力者。
そんな三人を無表情に見つめた後で滝山は呟いた。
「舞は配置につけ。あとは全員ついてこい」
* * * * * * * *
「それが本日の巡回ルートですか?」
装甲バンの中。運転席から隔離された後部収納スペース。
滝山の持つ情報端末を覗きながら連雀沙来が訊ねてきた。
「これか?」
「はい……」
やや緊張を帯びた表情で頷く沙来。
ディスプレイで展開されているのは走行中のバンを中心としたマップ描画。
その向かう先にいくつかのマーカーが記されている。
「これは舞が算出した予測ポイントだ」
「予測ポイント……」
装甲バンで出撃したS1隊エージェントと違って、ただ一人本部内に残っていた新田舞。
彼女は大地が使用しているものと同種のインターフェイスを用いて大型の量子コンピュータに接続していた。そして量子アニーリングタイプのコンピュータが得意とする組み合わせ最適化アルゴリズムに、一つひとつの要素――量子魔法テロリスト集団・レベリオン・ルージュ=RRの起こした破壊工作の場所・日時・推定所要時間・破壊活動の規模といったパラメータを算出条件に組み込み続けていた。
その組み合わせ最適化から算出された予測発生ポイントが数十点。
日々変動を見せるこれら候補のうち、比較的場所と時間が近い地点を五カ所ピックアップして効率的に偵察するルートを策定していたのだ。
また、設定されたルートの近隣にある予測候補ポイントには舞の操作する無人航空機=UAVから射出された昆虫型監視装置“インセクトイドG”を配備して捜査網を一回り、二回りと拡げていく。インセクトイドGはカサカサと天井や壁面を這い回りながら身を隠す場所を見つけるとそこに潜んでじっと待つことのできる半自律型ロボットだ。そのカメラ機能はオフにしたまま、前方に長く伸びる二本の触覚型センサーで量子コンピュータによる空間の破れ、つまり量子魔法の反応を待つ。量子魔法という事象を感知し次第、本部の舞に信号を送るという態勢を取っている。
予測ポイントという言葉に軽い緊張感を見せる沙来とは異なり、昔ながらのボロボロのメガネをつけたままの舎人憂は、別の意味での緊張を強いられていた。
車内後部スペースには、側面に沿って二本のロングシートが設置されている。
進行方向右側に座っているのが、前方から隊長の滝山、沙来、そして憂。
目の前では、すぐに出撃できるようエンハンスド・エクソスケルトン=強化外骨格を装備した状態で四つん這いになっている桐丘郷。
その向こう、反対側のロングシートでは赤羽大地に不自然なまでにピッタリと体を密着させている高島翼の姿があった。
恋人同士であったとしても、任務中にここまで男女が親密な態度を維持しているということに、そして誰一人として突っ込みを入れないという事実に軽い目眩を感じるのだが、今そこは憂にとってさしたる問題ではなかった。
量子デバイスのバイザーを上げたままの翼はうっとりと大地を見つめているのだが、時折思い出したかのようにキッと冷たい視線を憂に向けてくるのだ。
それは、普段新田舞が自分に向けてくる敵対的な視線に限りなく近いものだった。
翼が、自身に向けて対抗心を隠そうとしない沙来を睨みつけるのは、分からなくはない。
ほとんどケンカを売っているような相手に敵意を抱いたとしても、誰が責められるというのか。
だが、現実に翼が敵意を向けているのは沙来ではなく憂。
なぜ自分に?
憂は理不尽な境遇に惑う。
助けを求める視線を大地に向けたところで、そこに意味はなかった。
翼のすぐ隣で、まるで緊張感の欠片もなく弛緩した表情を晒している赤羽大地。
任務というよりは、遠足に向かう子どものように楽しげですらある。
QCFのS1隊。そこに配属される前に、エージェント全員がパーソナリティにかなり深刻な問題を抱えているということは説明されていた。しかしいざその場にいると、こう実感せざるを得ない。
見ると聞くとでは大違いであるということに。
加えて先ほどから続く、事態を更にややこしくしそうな沙来の言動。
その反動がどういう因果か憂一人に向けられているように思えてならないのだ。
それまでの憂であったなら、とっくにやっていける自信を喪失しつつあったところだ。
思わず内省的になってしまう憂。しかしそんな彼の思索はクルマにかかる急制動で妨げられてしまった。
イヤフォン越しに何かを聞き取りながら、瞬時に指示を出していく滝山。
「分かった」
返事と同時に音声がスピーカーから出されていく。
『目的地を変更します』
装甲バンは、既にその地点へ向けてハンドルを切っていた。
滝山はそこで翼たちに簡単に説明をする。
「舞の設置した“インセクトイドG”が量子魔法を検知した。これからそこへ向かう」
つまり、これから戦闘があるということである。
『鳴らしますか?』
赤色灯とサイレンを使用するかという助手席からの問いには否と応じる滝山。
「できるだけ目立たずに向かう」
正面突破ではなく奇襲。
『了解。通常走行にて現場に向かいます』
返事とともに装甲バンは始めかけた加速を止め、周囲の流れに同調しながらの運行に戻っていった。
緊急走行という形を取れない分、途中で信号による停止もやむを得ない。
窓のない後部スペースからは、クルマの加速と減速によるgと、走行中の振動だけが移動状況を伝えてくれる情報だ。そしてその作用は次第に望ましくない方向に向かっていった。
装甲バンは渋滞に巻き込まれていた。
2050年の発達した交通管制システムにおいて、渋滞は一時的に発生するもののすぐに解消される。しかし僅かとはいえQCFのエージェントたちにとって貴重な時間であることに変わりはない。レベリオン・ルージュの見せてきた破壊活動は基本的にヒットアンドアウェイ。破壊工作現場に長く留まっていることはないため、その徴候を見つけたら早急に向かわなければ逃げられてしまう。
だが、ここで焦ってサイレンを鳴り響かせて向かえば、それは敵に存在をわざわざ伝えるようなもの。
攻撃手段をはっきりと把握できていない相手には奇襲という形を取りたい滝山にとって、それは悪手に他ならなかった。
ジリジリと沸き上がってくる焦りを無理矢理に押さえつける滝山。
不自然に長く感じられる停止から、ようやく加速を感じられるようになった車内。
その時、後方からサイレンの音がいくつも響いてくるのだった。
「オイオイマジかよ?」
郷が呆れ半分で溜息を洩らした。
一時的に発生した渋滞は、このパトカーの走行を優先させるための措置だったのだ。
『隊長?』
判断を求める運転手の声に、滝山は淀みなく答えた。
「後ろに張りつけ」
指示の直後、装甲バンの運転手が強引に車線を変えて、パトカーとパトカーの間に割り込んでいった。
後尾につく形になったパトカーが何やらガナリたてている。非常識な運転に対して、道を譲るよう要求するものだ。
車内にかかる激しい横揺れを受けながら、滝山は騒音を無視して思考する。
郷のパワードスーツに大地と翼を載せて先行させるというのも一つの案だった。
研修生の新入り二人を車内に置き去りという形になるがそこに実害はない。
しかし、そう考えてから滝山は判断に到る。こうなってしまった以上、そこまでする必要もないだろう、と。
既に現場へ向かっている警察車輌は他にもあるはずだ。
となれば、彼らがある程度時間を稼いでくれることも期待できる。
かつて自分が所属していた警察組織に対して、滝山はいつの間にか冷淡な態度を取っていた。
その、自身の変遷ぶりに、滝山は内心で苦笑してみせる。
そして憂と沙来を見やった。
「落ちるなよ」
滝山がそう言った直後、装甲バンの後部ドアがゆっくりと押し上げられていった。
視界の先へ流れていく路面。
そのすぐ先には赤色灯を派手に回しているパトカーが数台。
「じき現着だ」
滝山にそう告げられた憂は、頷き観るように車内を見まわす。
郷、翼、そして大地の三人はいつの間にか量子デバイスのバイザーを降ろしていた。
静かに、そしてごく自然に戦闘態勢に移行していた三人の落ち着き払った態度。
それはすぐ後に始まろうとしている闘いの予兆に他ならない。
量子魔法戦、それはつまり命と命のやりとりに他ならない。
憂は高まる緊張に、ごくりと生唾を呑み込んでいた。