○第十五話 悪の蔓②
反体制派テロリスト集団レベリオン・ルージュ=RR。その首領ノエル、幹部のリュウ、構成員になったばかりの松原栄太とその子分3名。彼らは公務員住宅の立体駐車場に乗り込み、車両の破壊行為をおこなっていた。開頭手術によって電極を脳に埋め込まれた松原栄太とその子分たちの量子魔法の試運転として。
そこに現れた、巡回中のパトカー。
リュウは栄太に命じた。赤色灯を灯しながら近づいて来るパトカーを攻撃しろ、と。
「オレさ……、いや、アッシが?」
まさかのムチャ振りに狼狽する栄太。
リュウは警察の車両を見据えながら低い声で応じた。
「楽勝だろう?」
「そそそそ、そんなッ!?」
栄太が逡巡している間にもパトカーは近づいてきて、車中の警官二名はやがて彼らの所業を視認する。助手席の警官が数秒間無線でやり取りをしていたが、すぐに端末をコンソールパネルに戻す。と同時に左右のドアが開いた。既にウィンドウは降ろされており、警官たちはクルマのドアを盾代わりとすると一切の躊躇なしに拳銃を構えるのだった。
「いきなり抜くんだね」
どこか他人事のように呟くノエルは警官の様子をじっくりと観察していた。
銃を構え、不安げに視線を動かし続けている警官たちは怒りに駆られているという顔をしてはいなかった。むしろ不安げでさえあり、職務上やむなく銃を向けているといった方がよさそうなくらいだ。
「現場判断というよりは、事前通達済みといったところだな」
そう告げるリュウの声はひどく客観的にすぎていて、他人事のようにすら聞こえてしまう。
量子魔法を行使するテロリストが相手の場合、公安量子魔法迎撃部隊=QCFに委ねるのが鉄則。所轄の警官に、いきなり交戦体制に入るような独断が許されるはずはなかった。そもそも実戦レベルに達した量子魔法使いと警察官とでは戦闘力の開きが大きすぎるのだ。
「見つけたら即交戦って決まりだったってことだね」
「ムチャしやがる」リュウは言ってから栄太に視線を移した。「どうした、やらないのか?」
リュウの声を聞き、それまで固まっていた栄太はビクンと体を震わせ、思い出したかのように顔を上げた。
「(……やんなくっちゃ、ここでやんなくっちゃ……)」
自分の力に酔い始めた矢先に現れたパトカー。
しかも乗車していた警察官は自分たちを認めた途端に銃を取り出して発砲体勢に入ったのだ。
そしてそんな警官に対して、リュウは攻撃を命じてくるのだった。
「(……やってやる、やってやる、やってやる)」自身に暗示をかけるべく、栄太は心の中で繰り返していた。「(……たかだか警官2匹、オレ様の敵じゃあねえッ!)
自分に檄を飛ばし、無理矢理両眼を見開いた栄太は奇声を上げながら前に出る。
ノエル、リュウの幹部二人を背にして栄太は右手を振り上げた。
何かを握っているような形を取る右手。それを上段に構えてから声を絞り出す。
「ス、スススススス……スターダスト、ウィーーーー」
――パン
鼓膜に響く軽い発砲音。それに続くのは背後でコンクリート壁が剥落する乾いた音。
「……へ?」
勢いはどこへやら、栄太は思わず背後を振り返ってしまう。
彼の視界を捉えたのは、動ずることのないノエルとリュウではなく、その先にあるコンクリートの窪み。そして飛び散ったコンクリート片少量。
「警告ナシでズドンか?」意外そうに声を洩すリュウ。
「……というわけでもなさそうだけどね」ノエルは銃撃した警官を見据えて冷静に語る。
「あわあわあわ……」
警官の一人は、栄太の攻撃モーションを見て、つい反射的に引き金を引いてしまっていたのだった。激しい焦燥を見せる警官からはそんな心情が丸見えだった。そして片割れの警察官はというと、突然の発砲を前に、撃った本人以上に狼狽しているという有様。
特にこれといった感情を外に出すこともなく現状を確認し合うノエルとリュウ。
「初心者にはほどよい相手だ」
リュウはそう判断すると、栄太に行動を促すべく視線を向ける。
しかしその松原栄太は……。
「ヒ、ヒィイイイイイ」
銃を構えている敵に対して尻を見せる格好でしゃがみ込んでいたのだ。
それも両手で頭を抱えるという何とも情けない姿で。
無防備にもほどがあるというものだ。
相手に明確な殺意があったら、とっくに絶命を免れ得なかった。
「えっと……」
ノエルが正直に感じたのは意外感だった。
いくら相手に恐怖を感じたからといって、これはない。さすがにない。
それはリュウにとっても同じだったようで、彼は眼を閉じながらこめかみを指で押さえた。
「こんな動物、どっかにいたよな?」
「……ダチョウのこと?」
既に戦闘を忘れたかのように神妙な顔を見せるノエル。
一方で、警官二名も相変わらず硬直したまま。
「ま、仕方ないかな」
心身ともに人殺しの訓練をさんざん受けた後に実戦投入される軍人とはわけが違う。
いきなり殺せと言われて反応できる人間などいるはずもなかった。
「覚悟がない者同士では埒が明かないな」
リュウのセリフにふっと――ノエルが無言のまま笑う。
それが合図になった。
リュウは警官二人を順番に見定めながらゆっくりと前に出た。
無言のまま一歩、また一歩と。
歩を進めるごとに強烈な威圧感が、じわりじわりと場の空気を満たしていく。
人の意思さえも超越したようなその圧は、見る者によっては神威とさえ映る。
「あわわ…………ッ!」
リュウの接近がトリガーとなり、正常な判断力を失った警察官二人がほぼ同時に引き金を引いた。
闘争心からほど遠い、現実逃避でしかないヤケクソの暴発。
「ッ~~~~~~~~~~~~~ッ!!」
とても人間のものとは思えない大音声の雄叫びを上げるリュウ。
両の拳を握り締め、軽く肘を引き絞って胸を前に突き出しながらの咆吼。
瞬間、リュウの前方で圧倒的なまでの衝撃波が円錐状に広がっていき、触れる物すべてに未曾有の振動を与えていった。
「――――ッ!」
警官たちの放った二発の銃弾が着弾することはなかった。
それらはリュウの放出した振動波の、桁違いなまでに高い周波数に飲まれて粒子状にすりつぶされた挙げ句、空気圧の激しい抵抗を受けて燃え上がった末に塵と化してしまったのだ。
反体制派テロリスト集団レベリオン・ルージュ=RRのナンバーツー、リュウの放つ量子魔法、“戟震”。
龍の逆鱗に触れてしまった愚か者が我が身に受ける破滅の報い。
迂闊にも禁を犯してしまった咎人に対する、超然者の神罰。
そんな彼の量子魔法を目撃した人間は、誰もがその猛威を伝説の神獣に喩えた。
彼が龍と呼ばれる所以である。
戟震の強さは距離の四乗に反比例する。
眼前の銃弾をすり潰すことはできても、数メートル先の物質を分解するまでには至らない。
だが、そうであっても警察官二名の心臓を凍りつかせるには十分にすぎる威力があった。
二人の警察官は腰を抜かして両手を後ろについたまま、ジリッジリッと後ずさっていく。
既に勝敗は決していた。
だがリュウは更に数歩を詰め、再度戟震を起こす。
二度目の強振により、警察官がシールドとしていた左右のドアも、そのジョイント部が想定外の激震によって破損を起こしてしまい、ついには重力に抗えなくなっていった。
ガゴンと耳障りな音を立てて、左右同時に落下する。
コンソールとドアに接続されていた各種配線が露わになり、それらもやがてドアの重力に耐えきれずに引きちぎられていった。
「…………ッ!!」
圧倒的という表現でさえ生ぬるく感じられる戦力差に、警官は恐慌を来たし完全に自制心を失ってしまう。
両手と両足を不器用に動かしながら、とにかく本能に従ってその場から少しでも距離を取るように心許ない離脱を図る。
戟震の構えを解いたリュウは、そこで両腕を組んだ。
だがそれは攻撃の終了を告げるものではない。
プレイヤーが交代したというだけの話である。
彼のすぐ横ではノエルが右掌を天にかざしていた。
ゆっくりとかかげた掌を力強く握り締め、そして肘から下へと降ろしていく。
「――――ッ!!」
既に降参状態にあった警察官たちは完全に顔色をなくした。
ノエルの量子魔法、超重力。
パトカーのフロントエンジン直下に発生させた重力源が、コンクリートの床面ごと巻き込んで周囲の物質を球形に圧縮していった。不吉な悲鳴を上げながらゆっくりと形を崩して一カ所に引き寄せられていく車体。
この重力は六次元空間で生成されたものであるため、威力は距離の五乗に反比例する。
そのため強烈な重力が発生していながら、数メートルの距離では影響を受けないという奇妙な現象が発生する。
しかしそんな仕組みを知っていたところで、無力な警察官たちに為す術はない。彼らは痴態を晒しながらも後退することしかできないのだ。
十分な距離を取ったと思ったのか、二人がほぼ同時に立ち上がろうとした。
しかし震える脚のせいで途中、何度も手を突いてしまう。
それでも逃走することを優先し、お互いに気を遣うことすらできないままにとにかく逃げ惑う。
背後で不吉な悲鳴を上げながら潰されていくパトカー。
まるで大型の重機でも操っているかのような破砕音は、二人の警官をその意思に反して振り返らせるのだった。
「あわわわ……」
二人が眼にしたのは、実に奇妙な光景だった。
パトカーが重力源に向かって収縮していく。
その動きは均一なものではなく、重力源に近づくほど動きが加速されているのだ。
ブラックホールに飲まれようとする物体が潮汐力によって引き裂かれる“スパゲティ化”。そのスモールバージョンとも言える事象だ。やがて、かつてクルマを成していた物質は球体へと圧縮されていった。
ドスン。
二人の警官は示し合わせたかのように腰を抜かし、その場で硬直したまま動けない。
「霞治郎みたいな感じにはいかないものだね」
嗤いながら超重力魔法を操り、敵を一瞬にして米粒よりも小さいサイズにまで“圧縮”したという、史上最悪のテロリスト――霞治郎と自分自身を比べて、ノエルは肩を竦めてみせた。
潰された車両はサッカーボール程度のサイズへと丸められている。
それでもノエルにとってその力はまだまだ足りないというのだ。
もっともノエルの声に悲壮感はなるでない。端から霞治郎の領域まで至ることが可能などと思ってもいないのだ。
ノエルは諦めたように溜息をつきながら重力を解除する。
鉄塊は丸まったままだが、非常時に備えて搭載している内燃機関用のガソリンが床面に溢れ、特有の匂いを周囲に漂わせていった。
そこでリュウが無表情のまま火を放つ。
引火したガソリンが目映いまでの炎と暴風を巻き起こすのだった。
「あ、ああ……」
燃えさかる炎が作り出す二つの影から眼を逸らすことができないまま、栄太が声を洩す。
二人の姿は爆煙をまともに浴びながらも、むしろ弛緩しているとさえ思えるものだった。
「強ぇえ、なんて強ぇえんだ……」
つい先ほどまでうずくまっていた栄太は、組織のトップ二人が見せつけた強さに呑まれていた。
そして自分の“城”ともいえた錦糸町の廃墟でこの二人に負かされた時のことをひしひしと思い出す。
「(……あん時、二人はゼンゼン力を出していなかったんじゃあ)」
手加減ということさえ生ぬるいほどに、相手にされていなかった。
あの時の二人は、今見せつけている力の百分の一すら行使していなかったのだ。
「(……これが、兄貴と大将の実力……ッ!)」
そう思い始めるが、慌てて首を横に振る。
「(……イヤ、そんなモンじゃねえ。この二人の力は、そんなモンじゃあ……)」
全力、いや半分の力でさえどこまで破壊的なのか、栄太には想像すらできなかった。
ただ感じられるのは、彼我の間に横たわる超えられない壁――別次元、別世界としても尚遠いその距離。
「(……適わねえ。追いつくどころか、足許にさえ及ばねえ)」
諦めることさえ許されない、不条理なまでの実力差。
しかし栄太は、そこで願う。願ってしまう。
それでも、それでも。
――この二人に認められたい。
――この二人に必要とされたい。
栄太の心象風景が映し出す、小学校の頃の自分。
力尽くとはいえ、自分はクラスメートから必要とされていた。
みんなから頼られていた。
心の底から認められていたのだ。
リュウとノエルの頼もしい後ろ姿を見つめながら、栄太は気がつく。
「(……オレ様は、強くなりたいんじゃない。そうじゃなかった。そんなんじゃなくてオレ様は……)」
無意識のうちに、栄太はリュウへ向けて手を伸ばしていた。
認められたい。
重要な一員であると、認めて欲しい。
今はまだ、遠く及ばなくとも、二人に必要とされる人間になりたい。
強くなって、RRに不可欠な戦力としてみんなから一目置かれたい。
もう、情けない中学生時代を繰り返したくない。
一人前の漢として見られたい。
「(……そうか。そうか。そうか。オレ様は)」
「どうした?」
奇妙な姿勢を取ったままの栄太に向かって、リュウが訝しげに声をかけた。
そのただならぬ様子に、ノエルは発しかけていた言葉を止める。
栄太は、手を伸ばしたまま真顔になっていた。
「アッシ、アニキたちに一生ついていきやす!」
ハンパ者なりに見せた必死の決意。
その思いの強さを見て取ったリュウは、
「バカだな、オマエ」
身内を見るような瞳で。
震える栄太の方をポンポンと叩きながら、そう呟いた。
「バカだ。大げさだ」
言葉とは裏腹に笑っているリュウの姿に、栄太は救われた気持ちで満たされていく。
「ア、アニギィイイイイイイ」
リュウは肩を竦めると栄太の二の腕を掴み、ゆっくりとクルマの中に押し込んだ。
「とっとと帰るぞ」
「ヘ、ヘイ! アニキッ!」
自立できない蔓性の植物が支えを求めるように、松原栄太はリュウに頼りない蔓を伸ばす。
そしてリュウはその手を向けてしまっていた。
それが、それこそが自身最大の過ちであることを、今のリュウはまだ知らない。