○第十四話 悪の蔓①
「ここ、官舎っすか?」
後部座席で不安そうに辺りを見回しながら、松原栄太はリュウに訊ねた。
反体制派組織、レベリオン・ルージュ=RRの幹部であるリュウは「ああ」と頷くと、特に警戒した様子も見せずに敷地内にバンを乗り入れていく。
正面ゲートを入り、すぐ右折するとそこからは立体駐車場の入口になっていた。
遮断機はなく、リュウたちはクルマごと難なく中へ侵入していけた。
「不用心っすね?」
栄太のテロリストらしからぬ質問に、思わず苦笑を浮かべたのはRRの首領、ノエル。彼は栄太に対して小声で呟いた。
「公務員の身内同士、警戒は不要ってことじゃないかな?」
「それに警備も入りやすいしな」リュウが付け加える。「ここは警察の巡回コースにもなっている」
「はあ、そうなんすか」と応じながら、そこで栄太は顔を傾げた。「でも、大丈夫なんすか、そんな場所で?」
「問題ない」リュウは低い声で即答した。
東と南に面したL型構造のマンション然とした集合住宅。それは2000年代初旬に建てられた公務員住宅だ。建設当時の規制もあり高さは十二階。東向きと南向きそれぞれ十五世帯分の区画に分けられており、間取りは2DKと3DKの二種類。
合同宿舎ということで国家公務員も地方公務員も入居している。とはいえそこにははっきりとした序列が存在していた。建物内部では上層階と低層階向けにエレベーターがバンク分けされているのだが、上層階が国家公務員用であり、上の階にいくほど職位は高くなる。逆に下層階は地方公務員や、国家公務員でもノンキャリアがほとんどである。上層は間取りが広く取られており、下層はその逆。2010年代に林立したタワーマンション以上に、住んでいるフロアによってカーストが分けられているのだった。同じ公務員といいつつも基本的に上層と下層では接点が少なく、待遇にも差がつけられている。ノエルたちが今いる立体駐車場も、使用料こそ無料にしてあるものの国家公務員側に優先権があるため、地方公務員がクルマを所有するためには別場所で駐車場を確保する必要があった。
駐車場内でクルマを停め、一行は静かに外へ出た。
白色灯に照らされた場内を見回すと、整然とクルマが並べられている。駐められているのは小型車から高級大型乗用車まで様々だが、ほぼすべてが新車であり、ボディには傷ひとつない。共済組合からの補助もあり、頻繁にクルマを買い換えていることがそこから見て取れた。
この官舎から霞ヶ関までの通勤所用時間は1時間弱。高級官僚こそ少ないものの、課長補佐以下のキャリア官僚はそれなりに多い。バリバリの現役官僚が相手なら、ノエルたちレベリオン・ルージュ=RRに遠慮はいらない。
「“試運転”で嫌がらせをするにはほどよい感じということか」
「まあそんなところだね」
リュウの独り言に応えると、ノエルは量子デバイスを起動した。
その動作に倣うように、栄太とその子分たちもデバイスの電源を入れてバイザーを降ろす。
公安量子魔法迎撃部隊=QCFの装備とは異なり、バイザーの内側に仮想スクリーン機能はなかった。バイザーは大きめのサングラスのようなものだが、強い光から眼球を保護するというよりも、むしろ顔を隠すために付けられている。
無防備な歩き方をしながら、リュウは駐車しているクルマの中でとりあえず一番高級そうな大型バンを選んだ。
「コイツがいいか」
そして栄太に向かって顎をしゃくってみせる。
「う、ういっす」
緊張を滲ませながら栄太は頷いた。
ゆっくりと、不安げな足取りで大型の高級車へ向かう。
「ア、アニキィ……」
視線をリュウに向けるも、帰ってくるのは沈黙のみ。
栄太は息を吸い、自らを鼓舞する。
「(……やれる。オレ様はやれる……はず……だ!)」
ただそこに存在するだけなのに、高級車は栄太に無言の圧力をかけてきているような錯覚をもたらす。栄太は動こうともしない物体を相手に、勝手にプレッシャーを感じていった。
「(……いや、でもマジ大丈夫か、オレ様? ていうかやたらデカいし、このクルマ……)」
一瞬弱気になってしまうものの、そこで慌てて首を左右に強く振る。
「(……いや、違う違う違う違う)」
視線を床に落とし、自分の両足を見つめる。
微かに震えてはいるが、しかし数歩歩けば気づかない程度の振動だ。少なくともリュウに見とがめられているようではない。
「(……行け、とにかく行くんだオレ様ッ!)」
一抹の不安を抱えながらも両眼を閉じて意識を集中させてから、右の拳を固めて大きく振りかぶった。
「ス、スターダスト・ウィイイイップ~~~」
声を裏返らせながら、栄太は右手を振り下ろした。あたかもその手にムチを持っているかのように。
間抜けな発声にノエルとリュウが脱力した笑声を洩しそうになるその前で、大型バンのフロントグリルがドゴッと音を立てながら大きくへこんでいった。まるで巨大な棍棒で打ち据えられたかのように、ボンネットごとひしゃげていたのだ。
“ウィップ=ムチ”と自称するにはあまりにも質量の大きい攻撃だった。
「ほう」リュウが意外そうに眼を軽く見開いた。
「へえ」ノエルも驚きを隠そうとしなかった。
二人が注目したのは栄太の行使した量子魔法の強さだけではなかった。
大型高級バンのボディとフロントガラスに無数の細かい擦過傷が走っていたからだ。
だが今はそのことについての確認はせずに、視線を栄太に戻す。中立的な立場で成り行きを見守った。
「(……マ、マジかよ?)」
栄太は自らの力に驚き、動きを止めてしまっていた。
「ゴホン」
たった今自分が放った量子魔法の威力に、呆気に取られてしまっていた栄太。そんな栄太を窘めるかのようなリュウの咳払い。
「(……はッ!)」
栄太はリュウとノエルのじっとりした視線に気づくと、慌ててもう一度右手を振り上げた。
「スターダスト・ウィイイイイップ!」
二回目はやや自信を伴う発声。その分上がった威力が高級車を襲う。
ボンネットが吹き飛び、収納されていたスペアタイアが圧壊。フロントガラスは大破してその余波はルーフにも及んでいた。
僅か二撃にして廃車を確定させたのだ。
「す、すげえ……」
今度は口に出してしまう。
それほどまでに、自身が持つ攻撃力の高さに栄太は驚いていたのだった。
破壊された物体を前に、これまでとは異質な、そして奇妙な緊張感が身を包む。
頬は粟立ち、歯がうまく噛み合わずにカチカチと鳴っていた。
「(……メッセンジャーの旦那の言う通りじゃねえかよ!)」
目の前で起こった事象として、ようやく自分に与えられた能力を受け入れ始めることができたのだ。
栄太は、簡単な手術で驚くほど強くなれるというメッセンジャーの甘言に乗せられて安易に手術を受けることになった。今にして思えば、相手は自分を嵌めようとしていたのではと思わないでもないが、誘いを受けた時の栄太にとってそれは、あまりにも絶ちがたい誘惑だった。
しかし、いざ手術前の同意書を目にすると、全力で腰が引けてしまった。
文章読解力に劣る栄太にとっても、その内容は強烈に過ぎるものだったのだ。
なにしろ、頭蓋に穴を開けて脳に直接電極を取り付けるという手術だったのだから。
2050年の日本の量子デバイス開発において優勢なのは、非侵襲的な量子デバイス。つまり、使用者は開頭手術などの身体的な改変を受けることはない。あくまでも使用者の安全を重視するために、微弱な脳波を拾うことでデバイスをコントロールする、ブレイン・マシン・インターフェース=BMIが採用されているのだった。
それに対して栄太の受けた施術は侵襲的なもの。脳を開けることで感染症にかかるリスクも、電極の不具合で脳が損傷を受ける危険性も否定できない。考えるまでもなく死と隣り合わせの選択だ。一方でその手法、つまりブレイン・コンピュータ・インターフェース=BCIは近隣の大国では主流となってもいた。BCIを導入することで簡単に量子魔法が使えるようになる。数少ない適応者を探し出すよりも遥かに効率的だ。隣国においては人命のかかったリスクを差し置いても、ユーザーの適性に頼る必要がない汎用性をよしとしているのだった。
『強くおなりになりたいのでは?』
メッセンジャーのそんな言葉があからさまな挑発と分かりつつも、栄太は同意書にサインをしてしまう。そこまでしても――自らの身体をリスクに晒してでも――栄太には抗えない願望があったのだ。
「(……オレ様は、強くなんねえと)」
松原栄太は、早熟な少年だった。
小学校の高学年では、高校生と見まがわれるほどの身長になり、また体格も一般的な成人よりも逞しいものになっていた。
腕力にものを言わせて、クラスメート全員を自分の子分にするのは造作もないことだった。
周囲の誰もが自分を敬い、ことあるごとに自分にお伺いをたててきた。当時の栄太にとって、世界は自分のためだけに在った。
だがそんな天下は長続きしなかった。
中学に入ったあたりで、彼は異変に気づく。
周囲で彼よりも体格に恵まれた者は少なかった。だが、明らかに彼よりも強い友人が増えていったのだ。それは、肉体的な強度よりも、むしろ精神的な要因によるものだった。
友人たちの言葉を借りれば、栄太には“気合”が足りなかった。
少しでも強そうな相手に直面すると、そのメンタルの弱さから反射的に逃げようとしてしまうのだ。ただ対峙しただけで相手が引いてしまい、戦わずして勝利するという小学校時代の成功体験が足を引っ張る形となり、栄太はズルズルと安易な道に流されていく。
彼は弱い自分と正対することを避け、安易な道を選ぶようになっていた。
そして強い“友人”たちの取り巻きとなって、虎の威を借る狐と化していたのだ。
やがて、小学校時代の子分たちとは関係が完全に逆転するようになり、栄太はパシリにまで身分を落としていく。そしてことあるごとにバカにされるのだ。
――栄太、あの頃は良かったよな?
小学校時代がお前のピークだった。
そんな侮蔑を込めて、過去を揶揄されるのだ。
小学校当時はまともに名前さえ憶えていなかった、最弱ランクのクラスメートにさえ栄太は“さん”付けと敬語を強要されていた。しかし、それがどんな屈辱であっても、栄太には受け入れる以外にはなかった。
不良たちの仲間から外れてしまえば、今度はただのいじめられっ子に転落してしまう。
そんなことになったら、普段威張り散らしている真面目な級友からも報復を受けかねない。
栄太は、己の地位に連綿としながらも屈辱にまみれていた。
彼を慕うのは、幼馴染みの三つ子だけになった。
「(……オレ様がこんなに強くなれるなんてッ!)」
初めて自分に量子魔法の適性があると知ったときは、有頂天になったものだ。
それが取るに足りない貧弱さだと気づきもせずに、一般人を相手に好き勝手をやらかすようになった。
やがて、自分の城を手に入れた。
ちょっと見た目はアレだが、少女二人を侍らせることもできるようになった。
これから自分の天下が始まる。
そんなふうに思い始めた直後、栄太の世界はあっさりと破壊されてしまった。
レベリオン・ルージュ=RRのノエルとリュウによって。
そこで栄太はかつての道を繰り返す。
泣きつくことでRRの権威にすがろうとしたのだ。
「もう一度……、スターダスト・ウィイイイイップ!」
大型高級バンは正面から見てV字に潰され、その足許からはまるで失禁したかのように液体が漏れ出る。バッテリー液、ブレーキフルード、ウィンドウウォッシャー液といった液状物質がコンクリートの床面で混ざり合っていった。
「いいだろう」
リュウの低い声で、栄太は動きを止める。
リュウはかがんでから、床に散らばってる砂状の粒子を指でつまんだ。
「これは……」
そこで眉をしかめてみせる。
するとノエルも同じようにして、その粒子の感覚を確かめた。
「レゴリスのようなものかな」
「レゴリス?」
ノエルの言葉に対して、リュウがオウム返しで訊ねた。
「月の砂とか……」ノエルは自分の考えをまとめようとしながら話を続ける。「地球みたいに雨や風の影響を受けて風化することがないから、こんなふうに角が尖ったままみたいだね」
「うむ」
このレゴリスのような砂状物質が敵の眼や呼吸器に入り込んだら、かなりの威力となるだろう。リュウはすぐにそう考え、ゆっくりと頷いてから立ち上がった。思っていた以上の攻撃力が期待できそうなのだ。
「よかったじゃねえか」
リュウが栄太の肩をドンと叩く。
「あ、ありがとうございますッ!」
恐縮して頭を垂れる栄太。
するとリュウはすぐに視線の先を変えた。
「次は三兄妹、オマエらだ」
「ウイッス」「ウイッス」「ウイッス」
栄太の子分その1、その2、その3が同時に声を出し、リュウの指差した先にあるクルマへと歩き出す。その時、
「ほう?」
リュウの視線の先にあるのは、無音のまま赤色灯を点しているパトカー。
「ルーチンより少し時間が早いね」
動揺の気配を微塵も見せることなく、ノエルが囁いた。
リュウは再び栄太に眼を向け、親指でパトカーを指す。
「おい栄太、やってみろ」
「へっ?」
間抜けな声を上げる栄太に対し、リュウはもう一度低い声で命じた。
「アレをブチ壊してみせろ」