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囚われのリベラシオン  作者: つきしまいっせい
13/17

○第十三話 連雀沙来

「どうしたの大地兄ぃ?」

 食堂に入ってきて、いつものように座った赤羽大地に対して、新田舞が訊ねる。

 というのも今日の大地は量子デバイスを装備し、フェイスガードシールドを降ろしていたからだ。

 公安量子魔法迎撃部隊=QCF内において量子デバイスを装着しているエージェントは珍しくはない。特に入りたてのエージェントにとってまず重要なのは、量子デバイスに慣れることだからだ。また新入りでなくとも、量子デバイスを身体の一部として扱えるよう日常的に使用している者も少なからずいる。

 だが、食事時にフェイスガードシールドまで降ろしている人間はまずお目にかかれるものではかった。

 カフェテリアスタイルの食堂で顔を完全に隠している大地は、従って強烈な違和感を放っており、エリート組からも犯罪者組からも奇異の眼で見られていた。注目と言ってもいいほどだ。当然のように大地がその視線を気にすることなどないのだが。

「まあね……」

 大地はお茶を濁したような返事をしながらも、落ち着かない感じで周囲をキョロキョロと見回していた。

「…………?」

 舞が不思議そうに首を傾げていると、やがて大地は「あっ」と声を出してから立ち上がった。

「憂くんッ!」

 軽い足取りで、食堂に入ってきたばかりの舎人憂に向かって走り出す。

 舞がぷぅっと頬を膨らませているのを尻目に、大地は息を弾ませながら声をかけた。

「おはよう、憂くん!」

 フェイスガードシールドで顎先以外の顔を隠しているエージェントに挨拶され、憂は一瞬驚いた顔を見せる。が、その赤い髪を認めると途端に表情が柔らかくなった。

「あ、おはよう大地くん」

 左の手を挙げると、その動作に合わせて深緋色のミサンガが揺れる。

 反射的に返事をしてみたものの、憂は僅かだが不思議そうに顔を横に傾けた。

「どうしたのそれ?」

 鏡面加工されたフェイスガートシールドが、歪んだ憂の鏡像を映している。

 すると大地は勢いよくシールドを跳ね上げ、優しげな笑みを浮かべた。

「これつけてれば、分かるから」

 言ってから何とも嬉しそうに白い歯を見せる。

 憂は数秒ほど黙考してから頷いた。

「そうか! 前言ってたオーラで、視たの?」

 大地は大好きな主人から褒められた子犬のような素直さでウンウンと頷いた。

「そ、そうなんだ……」

 だが憂は喜ぶ前に若干だが引き気味になっていた。

 というのも彼が食堂に入ってきた時、周囲には結構な数のエージェントがいたからだ。それら集団の中で、彼にはまったく理解できない“オーラ”を見分けて、自分だけをピンポイントで識別できたのだから。それもまだ顔をしっかりと憶えていないはずの自分を。

 憂にとってそれは、理解しがたく得体の知れない力にも思えた。

「……どうしたの?」

 反応の薄さが気になったのか、大地が訊ねてくる。

 憂は慌てて掌を横に振った。

「なんでもな……」そう言いかけてから言い直す。「ううん」

 正面から大地の瞳を見つめながら、憂は真摯に応えた。

「正直、すごいなって、思ったんだ」

「すごい?」意外そうな表情をする大地。

「だって、」憂は頭の中を整理しながら説明する。「周りに人がいっぱいいた中で、ボクの体から出る微弱な電波だけを見分けたんでしょ?」

 大地は、すると当たり前のように頷いた。

「うん。だって一番確実だから!」

 何でもないようにそう告げる大地。

「そうか。オーラって人それぞれなのかな?」

 大地はしっかりと頷く。

「ふうん。みんなそれぞれオーラに個性があるってことなんだね」

「ほとんどねえよ」

 感心している憂にツッコミを入れたのは郷だった。

「あ、桐丘先輩。おはようございます」

 おうよと応じた後で、郷は続けた。

「そいつぁ大地にしかわからねえ」

「はあ」

「前、可視化したオーラのイメージってやつを見たことがあんだけど、オイラにはさっぱり分かんなかった。たぶん、舞もおんなじだ」

「そうなん……ですか?」

「ああ。でもどういうわけだか大地にだけは分かるみてえなんだよな」

「へえ」

「ま、かなり特殊な能力だ。オイラにも、たぶんテメエにも縁のねえもんだろうな」

「ははは、そうですね。……でも、それで大地くんがそれでボクのこと分かってくれるなら」

 うんうんと頷く大地。

 だがそこで眼が合うと、二人は何となく黙り込んでしまった。

「一緒に食うんだろ?」

 なにげない郷の誘い。

 しかしそれは大地と憂の二人にとっては何ともありがたい言葉であった。

 実のところ、憂は大地と食事を一緒にしていいものか判断しかねていた。舞の存在もあるが、そこまで大地に踏み込んでいいものか自信がなかったのだ。

 一方、大地は大地で憂を誘いたいものの遠慮の方が強かった。それにヘタに誘って迷惑だったらと思うと、どうしても前に踏み出せなかったのだ。

「さっさと行こうぜ」

 そんな二人の心情など気にもせず、郷は歩き出した。

 

 三人で配膳口に行き、食事を載せたトレイを受け取る。

 当たり前のように席に着く郷の隣に憂は座った。

 正面は大地。その横は舞。

 舞はぷうっと頬を膨らませたまま、憂を睨みつけていた。

 傍から見ている分にはかわいらしいことこの上ないのだが、睨まれている憂にだけはその負の空気がじんわりと伝わってくる。

「(……彼女、思ったより怖い人なのかな)」

 だが、それ以上に憂は気がついてしまう。

 大地たちが普段使っているのは、九本並ぶ十二人掛けのテーブルの中でど真ん中に位置するものだ。入口から見て右側でまとまっているエリート組とも、左側に固まっている犯罪者組からも離れた“中立地帯”とも呼べる場所だ。

 そしていざその席についてみると、自分が奇異の視線に晒されているという事態に直面する。

 これまで意識したことはなかったが、広い食堂のど真ん中で犯罪者組からもエリート組からも離れたこの場所は視線を集めやすい。しかもそこにいるのはQCFでただ一つ実戦に耐えうるレベルにある小隊。大地、郷、そして舞はあの霞治郎が率いていた反体制派組織“ノース・リベリン”の元メンバー。そして小隊を率いるのは財務高官の娘にして名門都立永田町高校に通う、未来のトップエリート。エリート組であれ犯罪者組であれ、様々な思惑を含んだ視線がそこにぶつけられている。

「(……大地くんたちって、いつもこんなふうに見られてるんだ)」

 そんな“爆心地”に迂闊にも入り込んでしまった憂は、周囲からの狙い撃ちに遭ったかのような視線の集中砲火に曝されていたのだ。落ち着かないことこの上なく、食事も喉を通ってはいるものの味を感じる余裕は微塵もなかった。

「(……迂闊だったかなあ)」

 逃避気味に視線を外に向ける。

 その先で眼があったのはストレートの黒髪を横分けボブにした地味系の美少女。

 エリート組の陣地の端っこに座っている彼女は一瞬だけクスリと笑ったものの、すぐに視線を外してしまい、二度と憂の方を見ようとはしなかった。

 憂はやれやれと溜息をついたが、そこで気を取り直す。

 そして小声で大地に話しかけるのだった。

「あのさ、大地くん……」


* * * * * * * *


「こんなふうになってたんだ」

 大地は驚きながらも周囲をキョロキョロと見回していた。

「大地、ここ通るの初めてだものね」

 ミッション終了後、きっちり十五分の経過を告げるキッチンタイマーが鳴り出すと大地と翼の長いお別れの儀式が終了する。その後翼は地下通路を通ってひとり自宅へと戻っていく。保護観察下にある大地にはQCFの本部から無断で出ることは許されておらず、ただ見送ることしかできない。だが今、大地はその地下通路を翼と二人で歩いていた。

「行きましょう」

 低い声でそう言うと、翼は大地の手を取ろうとした。

 その瞬間、強烈な気配を感じてしまい、反射的に動きを止めてしまう。

 背中からピリッとした視線を感じるのは、気のせいだと自分に言い聞かせる。

 実際は後方で新田舞が怨嗟の視線を全開で投げつけているのだが、翼は気づかない振りをしてその場をやり過ごすことにした。彼女の見ている前ではいろいろと問題があるからだ。

 角を曲がって視界から逃れると、翼はようやく大地の腕に抱きつくのだった。

 大地の右手を自分の左手にからませて、右腕は大地の二の腕あたりをしっかりとホールドする。完全に捕獲したという状態だ。

 無駄に密着しすぎていて歩くのも困難なくらいだが、そのもどかしさがむしろ嬉しい。

 無味乾燥な地下通路を物珍しそうに見回している大地を引っ張りながら、翼は前へ進んでいった。突き当たりの扉を抜けると登りの階段になっており、ひとフロアほど上った先には跳ね上げ扉があった。その扉を押し上げると事務所らしい部屋の一画に出る。デスクが数個並んでいるが中にいるのは事務員風の女性一人だけ。彼女は翼と眼を合わせると、無言のまま控えめに頷くだけだった。翼は部屋のドア脇にあるモニターを注意深く見つめ、外側の通行人が途絶えたタイミングで大地を室外に連れ出した。

 出た先は雑居ビルの廊下だった。通ったばかりの部屋のドアには有名な進学塾のサテライトルームという看板が貼ってある。当局の用意したダミーなのだが、そこから制服姿の翼が出てきても違和感のないにという公安量子魔法迎撃部隊=QCF当局による配慮であった。

 雑居ビルは麹町駅の地下通路に直結していて、翼はいったん駅構内を抜けてから出口に向かった。

 階段を昇りきると、そこは在京キー局の名前を冠した二車線の道路だ。

 出口から市ヶ谷方面を見ると、道は短い下り坂になっていて、その先の信号を越えると今度は上り勾配になっていく。交差点を右に曲がると昔の川筋だったと思われる道路が英国大使館の方まで続くが、そこでは曲がらず真っ直ぐに進む。

 前方ではテレビ局の保有する超高層複合ビルが、道行く人々を睥睨するように屹立していた。

 

 2050年の東京は、本質的に2010年代の東京と大差はない。

 それは1980年代の東京と2010年代の東京がパッと目に変わらないのと同じだ。

 もちろん一目で判る変化も部分的にはある。

 建物は幾つもの画地を統合して大型化する傾向があるし、また31mを超えた高さのビルは目に見えて多くなっている。。

 同時に昔ながらの建物も残っていて、築五十年以上ありそうな古い建物が最新のインテリジェントビルのすぐ隣に残されていてミスマッチ感を醸してもいる。

 常に新しさと古さが同居しており、昔の匂いを引き摺りながら少しずつ変化しているのだ。

 

 一方でソフトウェア、通信インフラ面では大きな進化が成されていた。

 エンベロープ化という言葉がある。

 産業ロボット工学において、ロボットが意図された通りに機能する三次元空間のことをエンベロープと呼ぶが、そのエンベロープが街中に広がっているのだ。

 そこかしこを移動しているのは背の低いオートマタだ。

 140cm程度の小柄なボディに、女性を思わせる曲線的なフォルム。

 人に似過ぎないように、不自然なまでに大きくされた瞳と、胸の辺りに付けられたモニター。

 手脚はなく、移動は下部に付けられたウィールでおこなう。

 人型ロボットというよりは巨大なボーリングピンいう趣だ。

 困っている人がいると近づいてきて話しかけてくるし、違法駐輪をおこなおうとした人間には警告を発してくる。落とし物があれば自動で回収して近くの交番まで届けてくる。

 

 急患や犯罪、危険物の恐れなど、自動で処理できない問題が発生した時には操作がマニュアルに切り替わる。コントロールをおこなうのは警視庁の管制センターにいるオペレーター、つまり警察官だ。

 交番も、中にいる警察官も制度として廃止されてはいないのだが、それはあくまでも犯罪抑止という目的のためであり、市民へのサービスは多くがオートマタに代行されていた。

 導入費用こそ高価だったものの、メンテナンスさえきちんとおこなえば文句は言わないし、夜間でも従順に働いてくれる。

 緊急時に管制センターでマニュアル操作をおこなう警察官は一人で数台のオートマタを担当するので、人件費と市民サービスという費用対効果は極めて高くなった。

 自動化によって安心安全が高められているのだ。

 もっともこのようなインフラが東京全体をカバーしているかというと、そのようなわけではなかった。

 旧千代田区の中心部から成る特別行政区(ディストリクト)にあたるこの界隈では完備されているエンベロープ化も、貧困層の多い行政区では滞っている地域が多く、場所によっては最初から計画にすら入れられていない。住民たちの支払う税金の多寡によって、メリハリという名の開発格差が適用されているのだ。

 2050年の東京にユニバーサルサービスという概念はない。

 均一な行政サービスを支えるだけの財源がないからだ。

 そして高負担に耐えられる者だけが満足度の高い市民サービスを享受することができる。

 その結果東京は、開発されている場所と取り残されている場所が混在する、パッチワーク状の都市となっていた。

 

 大地と翼が二車線の道路を市ヶ谷方面へと向かい、テレビ局保有の超高層ビルを右手に見ながら歩いて行くと、通りの左側にそのカフェはあった。

「ここみたい」

 翼の低い声に、大地は建物を見上げた。

 築数70~80年といったところか、相当に老朽化が進んだビルだった。

 憂に指定されたカフェは、ビル正面から見て右側にある専用階段を上って行くようになっていた。故意に古くささを出そうとしているのか、階段も壁面も退色した木材が貼られていた。

 階段を一歩上ると、ギシリという軋んだ音が耳を突く。

 二階につくとドアは開いたままで、店内の様子が見て取れた。

 中にいる客は一組のみ。

 大地であっても迷いようがないはずなのだが、大地はそこで立ち止まってしまった。

 先客は少年少女のカップル。

 少年は憂に見えなくもないのだが、大地にはいまひとつ確信が持てなかった。

「大地」

 翼が先を進み、テーブルの前に立つ。

「やあ、大地くん」嬉しそうな憂の声。「それに高島さんも」

 促されるままに席につく大地。しかし翼は立ったままだった。

連雀(れんじゃく)……沙来(さら)さん?」

 憂の隣にいた少女が視線を上げる。

 美少女と呼んで支障ない整った顔立ち。

 しかし彼女にはどこか“華”がなかった。

 細めで鋭さを帯びた瞳と血色の悪そうな頬は、男好きするという雰囲気から遠いもの。

 だがそれ以上に彼女からは目立ちたくないという空気が感じられ、どこか周囲に埋没してしまっているのだ。

「お久し振り、高島さん」

 見た目の地味さとは反して、口調はしっかりしたものだった。

 どこか翼と共通点を感じさせる、抑揚に欠きながらも力強さのある声だ。

 沙来は大地へ視線を移さず、そのまま翼を見据えていた。

 翼が大地の右手に指を絡めたまま、しっかりと握っていることはとりあえず気づかない振りをして、言葉を続ける。

「意外だわ。あの高島さんが私のことなんかを憶えていたなんて」

「連雀沙来さん」翼はもう一度少女の名を呼ぶ。「小学校三年の時に引っ越してきてから中学を出るまで同じクラスだった」

 翼の反応に、沙来は軽く眼を瞠った。

「えっと、彼女も……」

 尚も突っ立ったままの翼に対して、憂が声をかけた。

 言ってから慌てて周囲を窺う。

 カフェのマスターが洗い物をしていてこちらを見ていないことを確認してから憂は続けた。

「彼女もお仲間ってことで」辛うじて聞こえる程度の小声。

「一週間前から」沙来が付け加える。

「まだ高島さんには紹介されてなかったみたいだね」憂は普段の口調に戻っていた。

「そう」

 そこで翼はようやく席に着く。

 沙来が部外者であればすぐに立ち去るつもりだったが、QCFのメンバーであると分かったので警戒する必要はないと判断したのだ。

「じゃあ、改めて」仕切り直すように憂が紹介をする。「連雀沙来さん。ボクと同じ高校のクラスメート」

 そして憂は翼と沙来を交互に見てから言った。

「二人がおんなじ中学だったなんて、ビックリしたよ」

「憂くんの彼女さん?」

 突然、ど真ん中のストレートボールを放ってきたのは大地だった。

 或いは、ビーンボールと形容した方がいいかもしれないが。

「――――ッ!?」

 呆気に取られる憂。

 すると憂の驚いた顔が余りにも間抜けだったのか、沙来は声を上げて笑い出した。

「おっかしい」

 糸目にして笑う沙来は、それまでの硬さが取れてどこか親しみやすさを感じさせた。

「ええ?」眼をぱちくりさせながら憂が訊ねる。「そういうふうに見えるの?」

「う、うん……」逆に聞き返されて、大地は落ち着きをなくしてしまう。「そそそ、そんなこ……と……」

 思ったことをそのまま口に出してしまったのだが、その直後に自分の失言を後悔し出したのだ。

「ははははは」憂はイヤミのない笑い声を上げてから俯いた。「まあそうなんだけど」

「すごい!」素直に感心する大地は、全力で憧れの眼を向けていた。「付き合ってる人がいるなんて、憂くんホントすごいんだね!」

「ちょっ、憂……」

 顔を赤らめる沙来。

「髪、短くしたのね」

 甘くなりかけた空気を遮ったのは、翼の冷静な言葉だった。

「――――っ!」

「それに額も出してなかった」

 軽く絶句する沙来。

「いつもみんなと一緒で、楽しそうに笑っていたのを憶えてる」

「そう……、ね」

「でも、今はどこか雰囲気が違うみたい」

「そうかしら?」

 翼と沙来は無言のまま眼を合わせていた。

 数秒の沈黙。それを破ったのは沙来の方だった。

「確かにそうね」微かに浮かべる自嘲気味な笑み。「私、媚びるのやめたから」

 翼は表情を変えず、ただ首を傾げた。

「高島さんと違って、私のうちは地方公務員だから」

「そう」

「父がたまたま中央に出向になって、あの学校へ行くことになったけど」

「……」

 翼と沙来が通っていたのは麹町第三中学校。区立とはいえ実証実験校という扱いで生徒数は極端に制限されている。幼稚園、保育園、そして小学校が同じ敷地内にあり、多くの生徒は幼少時から同じ環境で育っていく。実質的にエリート公務員の子女専門という一貫校であるが、近隣の超がつく高級マンションの住民を除けば無条件で通える子どもはほとんどいない。当然のように越境通学など許可されておらず、排他的な校風となっている。しかも一学年一クラスという構成であり、同級生は即ちクラスメートということになる。

 そこではキャリア官僚の子供、それも第一類と呼ばれる嫡子が生態系のトップに立ち、次いでキャリアの第二子以降、ノンキャリ、地方公務員という序列になっていた。地方からの出向者は底辺に近い扱いで、それより下は民間人という構造だ。ちなみにどんな金持ちで社会的に成功している人間の子であっても、その学校においては最低ランクの扱いが運命づけられている。官尊民卑――民間は、ただそれだけの理由で劣った人間と見なされるのだ。

 連雀沙来は地方公務員の子。

 本来なら彼ら超エリートのサークルに入ることなど許さるはずもなかった。

 たまたま彼女の家族が学校の近くにある官舎に越してきたため、翼と同じ学校に通うことになってしまったのだ。

 とはいえ、官舎の中でも陽当たりが悪く、狭くて古い最低ランクの部屋であったのだが。

「私はなにをされても、どんなにイヤなことを言われても愛想良くニコニコしているしかなかった。将来を約束されていて、特別視されていた高島さんと違って、他の子たちに合わせるしかなかったの」

 それは翼が見てきた沙来とは違う顔付きだった。

 いつも気が弱そうで、それでいて愛想ばかりはよかった彼女とは、まったくの別人に思えるほどに。

「でも、キャリアの子がいない高校に通うようになって」沙来は横にいる憂を見ながら言った。「わかった気がするの。たぶん、周りの空気に流されてただけだったのね」

 憂からそっと眼を離して翼に向ける。

「なにより、高島さんみたいに強くなかった」

 強い瞳。その意思に呼応するかのように、翼は語り出してしまう。

「そう。……あたしは第三類だから、死にものぐるいで頑張るしかなかった。友だちなんか作ってる余裕がなかっただけ」

「第三類って?」

 不思議そうな顔を見せる沙来。第三類とはキャリア官僚の第三子以降の子ども等を指し、通常ならキャリアを目指せる立場にはないのだ。

「でも、あの財務高官、高島家の一人娘なんでしょう? だったら普通にエスカレーターに乗って第一大学、財務省って進めるんじゃないの?」

「あたしは養女だから」

 これ以上なく簡潔な説明。

 公務員の世界を知る沙来にとっては、それだけで十分だった。

 2050年の日本において、高級官僚は実質的に世襲制となっていた。

 そこで重要視されるのは、キャリアの嫡子であるかどうかということ。親による強い意向がなければ第一子が家督を継ぐことになる。第二子となると途端に狭き門となり、第三子より下はほぼ絶望的だ。そして第三子以降の子どもは一括りに第三類と呼ばれている。その中には養子縁組による子も含まれていた。たとえ一人っ子であっても、直接の血を引かない子どもはエリートたる資格なしと判断されているからだ。

「あたしは五歳まで、大地と同じ養護施設で育てられていた。親の顔も知らない」

「そんな……」

 沙来の中で作られていた、翼に対するイメージが音を立てて崩れていく。

 彼女の知る翼は、誰とも連まない孤高さと高潔さを持ち、常に冷静で努力を怠らない、まさに生粋のエリートだったからだ。あの財務高官の一人っ子ということで、周囲の誰もが彼女を特別視していたし、実際翼は人付き合いを除けば全てにおいて秀でた俊才だったのだ。

「だから、キャリア官僚になるために死に物狂いで頑張るしかなかった」

 翼にとって、それは珍しい独白だった。

「誰よりもいい成績をとって、誰よりも社会貢献ポイントを稼がなければならなかった。友だちなんて、作っている余裕はなかったの」

 初めて交した翼との会話。

 それは沙来にとって想像したことすらない事実の連続だった。

 だが沙来は訊かずにはいられなかった。

「それで……、エリートになって、あなたはどうしたいの?」

「大地を幸せにする」

 翼は即答した。

 親しくもない沙来と憂であっても、そのことを口にするのに抵抗はない。

 彼女の心は、大地を幸福にするということで満ちているのだから。

 静かに、冷静に翼は宣言した。

「そのための手段は選ばない」

 憂と沙来は、控えめな口調の背後に存在する、決意の強さにしばし圧倒されていた。

 他人との接触を極端なまでに拒み、感情を一切表に出さず、氷人形とさえ呼ばれている高島翼。

 しかし彼女の胸中には熱すぎるくらいの情熱が迸っているのがはっきりと感じられるのだ。

 それは、或いは病的なまでの執着と言っても支障ないほどの激しさでもあった。

「すごい……。そこまで一人のことを想えるなんて」

 感慨深そうに話す憂は、そこで思いついたままの言葉を口にしていた。

「二人は、将来結婚するんだね」

 何気なく漏れ出た言葉だったのだが、

「…………ッ!!」

 大地と翼の耳が面白いくらいに真っ赤に染まっていくのだった。

 あり得ないほど挙動不審になった大地と翼。

 二人は一瞬眼を合わせると、反射的に互いに顔を背ける。

 つい先ほどまでしっかりと指を絡ませていた手を慌てて外し、同じようにモジモジし始めたのだ。

「けっこん、けっこん、けっこん、けっこん……」禁忌に触れてしまったかのように結婚という単語を繰り返す翼。

「あわわわわわ」今にも泡を吹き出しそうに口をパクパクさせ、眼を泳がせている大地。

 憂はくすりと笑うと、何とも優しげな視線を二人に向けた。

「(……もしかしてこの二人、そんなことまるっきり意識してなかったのかな?)」

 目の前にいる二人のちぐはぐさに、奇妙な好感を抱いていたのだ。

「(……それに、高島さんて、ビックリするくらい純情だったんだなあ)」

 変に感心している憂の隣で、沙来が脱力気味に溜息をつく。


 大地と翼がカフェを出た後も、憂と沙来の二人は店内に残っていた。

「で、どうだった“ホワイト・メア”の印象は?」

「高島さんがQCFに入ったって、中学の時に聞いてたけど。まさか彼女があの“ホワイト・メア”だったなんて、さすがに知らなかったわ」

「ボクも、よりによって沙来と彼女が同級生だったなんて、知らなかったよ」

「今日は私、本当に驚いてばかりだわね」

 そんなセリフとは裏腹に、沙来はまるで今から真剣勝負をするかのような引き締めた表情を、憂に見せていたのだった。

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