○第十二話 悪の芽
都内ニア・イースト、上野駅近くの古いマンション。
その一室にいるのは反体制派組織レベリオン・ルージュの幹部四名。
「一人欠けているようだが」
190cmを超え、レスラーを思わせる強靱そのものという体躯。野太く通りのよい声。質問するというのでなく、非難するというのでもなく、リュウはただ現状を確認するかのような落ち着いた口調でそう呟いた。
「彼女、マジェスティは……」
やや言いづらそうに応じたのはノエルだった。眉目秀麗ながらも線が細く、優男と呼ぶに相応しい少年だ。戦闘とはほど遠い優しそうな表情はその場においてかなりの違和感を発していた。言われなければ彼が反体制派組織の首領などとは、誰も想像することができないだろう。
「ちょっと力を使いすぎてしまってね」
他の幹部二人の視線がゆっくりとノエルに向かう。
「サイコダウンか?」
リュウの問いに、ノエルは申し訳なさそうに頷いた。
しかし咎める者はその場にいなかった。
「あの女と何やら動いているようだが」リュウは視線をノエルに向けたまま、まるで独り言のように呟いた。「まあ無理のない範囲でな」
「ああ、すまない」
「それはさておきだ」
リュウが話題を変えようとしたその時、まるでタイミングを計っていたかのように遠慮がちなノックが響いた。
「し、失礼しますです」
お盆を手に入室してきたのは松原栄太。かつてノエルとリュウがニア・イーストの錦糸町界隈でスカウトしようとした量子魔法使いだ。しかしいざ対面してみると魔法能力が極めて弱い上に性格的にも見込みなしと判断し、捨て置かれるところだった。だが、手下にしてくれと必死に懇願され、リュウが引き取ると言ってしまったのだ。
「ど、どうぞ」
馴れない手つきで茶飲みをテーブルに並べていく栄太。
かつての不遜さも、錦糸町のごく一部限定でオラオラ言っていた当時の威勢の良さも、今や最初からなかったかのようなしおらしさだ。
「おう」
栄太を黙殺する幹部たちの中で、ただ一人反応してみせたのがリュウだった。
「ア、アニキィ!」
子犬のように満面の笑みを浮かべる栄太に対して、リュウは渋面を見せるのだった。
「どうしたの、浮かない顔して?」
栄太が退室した後、こめかみを押さえたままのリュウに対してノエルが訊ねた。
「いや……」リュウはボソリと応じた。「想像以上の使えなさだったものでな」
「彼?」
ドアを親指で指しながらノエルが問う。
無言で首肯するリュウに向かって、ノエルは控えめに笑った。
「でも珍しいね」
「なにがだ?」
「リュウが彼のような人間を引き入れるなんて、ちょっとないかなって」
軽い溜息を返すリュウ。
「気の迷いだった」
そんな言葉に、ノエルは嫌みのない笑声を上げた。
栄太という役立たずを手下に加えてしまったのは、本当に気の迷い。単なる、そして一瞬のノスタルジーがもたらす錯覚でしかなかった。しかし組織に入れてしまった以上、そのままクビにするというわけにもいかなかった。何しろその場にいる四人はレベリオン・ルージュの中枢メンバー。自分たちの顔を知ってしまった人間を野に放つわけにはいかないからだ。もっとも、追い出そうとしようものなら、栄太が泣き出しながら哀願してくるのは目に見えている。それはそれで面倒な話だった。
使い道がないのでやむを得ず雑用を命じているのだが、正直に言えば不要な存在。それは幹部たち全員が一致した考えだった。しかも栄太一人ではなく子分が三人もついてきている。ただ役に立たないどころか、費用面でも地味に負担になっているのだった。
「さて、そろそろ時間かな」
ノエルが壁時計に眼を向けながら呟くと、幹部二名が立ち上がった。
会合に臨むのはノエルとリュウの二人。
自分たちにとって重要な相手でも、できるだけメンバーは晒したくない。
それが幹部であれば尚更だ。
反体制派組織レベリオン・ルージュ=RRは、秘匿性を守るための措置を惜しまないできた。些細なことでもそれがきっかけになって公安量子魔法迎撃部隊=QCFに手がかりを与えかねないからだ。そのしきたりを遵守するように幹部二人は栄太の子分三名を連れてマンションから離れていった。
「お客様が来ましたです」
栄太の声を聞いてから、ノエルとリュウは用心のため待機していた量子魔法を解除する。
「入れ」
リュウの声を待ってから、栄太がドアを開けた。
「やや、どうもどうも」
栄太に続いて入室してきたのはいかにもサラリーマン然とした中年男だった。
地味な細身のダークスーツに薄型のソフトアタッシュケース。
背は高からず低からず。どちらかと言えばやせ気味と言えたが、貧弱というほどでもない。
中庸を絵に描いたような男だ。
黒縁のメガネをかけているがレンズに度は入っておらず、その代わりフレームに情報処理機構が備わっている。流行りの“アイウェア型”情報端末である。本人のIDと連動して決済をおこなったり位置情報サービスを提供したりする。また、会話相手とプロフィールのやり取りができる他、いつどこで会ったかといった過去のログを参照することができるのでビジネス用途でも重宝されている。生体認証をおこなわなければ起動しないため悪用される心配がなく、エリート層には人気のアイテムだ。それなりに高額なツールであるため、持っているというただそれだけの理由で男の懐事情を察することができた。
「さっそくですが」男はカバンを開け、中からタブレット状の情報端末を取り出した。「そろそろこの場所も怪しくなってまいりましたので、引っ越しをお願いしたく」
「ま、潮時だろうな」
予期していたのだろうか、リュウはディスプレイを見ながらどうでもいいような感じで応じた。
「それでいつまでに?」
ノエルの質問に対して、メッセンジャーと名乗るその男はシレッと返答した。
「できれば明日中には」
ノエルは肩を竦めてリュウと眼を合わせる。
「相変わらず急ですね」
「痕跡を完全に消すのに時間がかかってしまうものでしてね」
メッセンジャーは悪びれもせずにそう返してから、付け加えた。
「既に何回かご説明した通り、髪の毛一本どころか遺伝子のカケラさえ残すわけにはいかないものでして。完璧なクリーニングをおこない、かつ誰かが最近まで居住していたように細工を施すにはかなりの日数を要するわけで」
言外にカネがかかると主張しているわけだが、ノエルもリュウも動じることはなかった。
「分かりました」ノエルは抵抗なく応じる。「すぐに支度をしましょう」
「ご協力感謝いたします」
メッセンジャーは機械のように平坦な愛想笑いを浮かべた。
「続きまして物資の補給についてですが……」
量子デバイスを始めとする武器弾薬。必要な資金、予備の偽造ID等々。反体制派活動に必要な物資の受け渡しについてメッセンジャーは粛々と説明していった。時折混ぜる奇妙な愛想笑いがノエル、リュウともに不快な印象を与えるが、二人は表情を殺して説明を受けた。
「栄太、見送りだ」
会談後、リュウからの命令に栄太は背筋を伸ばして「ハイ、アニキ!」と元気よく返事をする。
「さささ、こちらです」
そう言いながらメッセンジャーを外へと案内していく。
「ではまた後日に」
メッセンジャーは含むところを隠そうとしない不自然な笑みを浮かべて立ち去っていった。
「いつ見ても信用ならないヤツだ」
リュウが吐き捨てるように言うと、ノエルは苦笑いしながら頷いた。
「確かにある種の怪しさは否定できないね」
リュウは「やれやれ」と溜息をつく。
「でも、実際問題あの男、というかその先にいる“篤志家”からの援助がなければ我々はやっていけないわけだしね」
不機嫌そうに鼻から息を吐き出すリュウ。彼自身その事実を分かってはいた。
「だがどうにも胡散臭くてかなわん。それに篤志家とやらも信用に足る存在なのか怪しいものだ」
「まあね」
「なんでも健康食品で大儲けした実業家って話だが」
「それに何年か前には保守系新党の起ち上げでスポンサーになったっていうし」
「“愛国の士”ってやつか?」
ノエルはその言葉に皮肉混じりの笑みを返した。
反体制派組織を率いているからこそ、“愛国”などという言葉には却って敏感になってしまう。条件反射的にその言葉に潜んでいる裏の意図、そして悪意を疑ってしまうからだ。
「とはいえ今はそいつに頼る他はない……か。せいぜい気をつけるしかない、と」
リュウはメッセンジャーが通っていったドアを軽く睨む。
栄太を出口まで案内させたのは単なる礼儀などではなかった。
メッセンジャーが確実にこのマンションから離れていくのを確認させるためだった。
すぐに戻ってくるだろう幹部二人を見られたくないというのが理由のひとつ。
完全には信用していないというポーズを明示するためなのがもう一つ。
それに、もし何かあっても栄太が相手なら失うものもない。
その突き放した考えが、リュウの犯した第二の過ちであると知る故もなく。
「ややや、これはご丁寧にありがとうございます」
マンションの出口までアテンドされ、律儀に礼を言うメッセンジャー。
栄太は「おう」と言いかけてから慌てて言い直す。「いえいえいえ。お疲れさまでございますです」
相手が組織のスポンサーからの代理であると聞かされていた栄太は、失礼のないように頭を下げた。
一見すると屈強そうな男が見せる、やたらへりくだった態度にメッセンジャーは慌てて掌を横に振った。
「いえいえいえいえ」機械仕掛けのような愛想笑いを見せる。「わたくしごときに、もったいないお言葉、痛み入ります」
「あ、いや」妙に恐縮されて、逆にどう反応していいか混乱する栄太。
「しかし……、」メッセンジャーはそこで眼を天に向けながら、何かを思い出そうとする仕草をして見せた。「あ、そう! 松原栄太様でしたか」
「ほへっ?」
組織にとって重要な物資を供給してくれるメッセンジャーが自分の名前を知っていた。
普段は幹部連中から空気扱いされている栄太にとって、実に意外なことだったのだ。
オレ様……と言いかけてから慌てて言い直す。
「アッシのこと、知ってると?」
「もちろんですとも」メッセンジャーは満面の笑みで応えた。「錦糸町界隈で名を馳せた松原栄太様のご高名はかねてから……。その松原様がご加入なさったとは、組織もますます盤石というところですな」
「あは、あはははは」
まんざらでもなさそうに照れ笑いを浮かべる栄太に対して、メッセンジャーはさりげなく続けた。
「スターダスト・ウィップでしたっけ? たいそう破壊的な量子魔法をお使いになるとお聞きしておりますよ」
「いやいや、わはははは!」
実際にはこけおどしに過ぎない栄太の量子魔法も、一般人からしてみれば十分な脅威には違いない。弱者限定ではあっても自分が優位に立てるという状況を久し振りに味わい、栄太は次第に調子に乗っていった。
「それに見事な体格もなさっている。さぞかしお強いに違いない!」
たたみかけるようにメッセンジャーは褒め言葉を連発していった。
「いやあ、誉められてもなんも出ねえって」
「ははははは」控えめに、乾いた笑声を洩らすメッセンジャー。
承認欲求に飢えている人間は、あからさまなお世辞でも本気で反応してしまう。傍から聞いている分には、何を歯の浮くようなセリフをと思ってしまうような見え見えのおだて方であっても、本人にしてみれば待ち焦がれていた言葉なのだ。
「それに三人もの屈強な部下をお持ちだとも」
「いやいやいやいや、あんなの、ただの役立たずどもですわ」
口ではそう言いながらも、喜色満面の栄太。
すっかり舞い上がってしまっているのが子どもでも分かるくらいだ。
「しかし、……それにしてももったいない」
メッセンジャーは一転、神妙な顔で嘆いてみせた。
「は……?」
「松原様ほどの強者が最前線に立っていらっしゃらないとは、機会損失も甚だしいかと」
「いやいやいやいや……」
謙遜する振りをしながらも栄太は顔を更にニヤケさせる。だが、
「――ッ!」
気がつくとメッセンジャーの顔がすぐ近くにまで迫っていた。
それまでとは打って変わって底知れぬ不気味な雰囲気を漂わせながら。
彼は声を低くして、栄太にだけ聞こえるように訊ねた。
「量子魔法の力を飛躍的に高める方法があることはご存じで?」
「そ、それは――!?」
「簡単な処置で量子魔法の適性値を一気に向上させるという、夢のような手法がつい最近に開発されたものでして」
「そんなことが!!」
量子魔法は才能だけで決まる。栄太はそう信じていた。
QCFの赤羽大地や高島翼、そして新田舞たちはパーソナリティ面で深刻な問題を抱えている。その心の空白こそが極端なまでの“心の囚われ”となり、強烈な集中力を生み出す。量子コンピュータの処理スケールはその集中力によって左右されているのだ。
ただ栄太にはそこまでの知識はなかった。彼は単純に天賦の才だけが量子魔法の実力を決めると思い込んでいた。しかし、その才能を乗り越えられる手法ができたというのだ。
「ちょっとしたことで格段に強くなれる。興味はございませんか?」
「…………」
どう反応すべきか判断できず、息を詰まらせる栄太。
メッセンジャーはそっと囁く。
「お強くなれるのですよ。そう、例えばリュウさまのように――」
もし第三者がその場に立っていたら、その言葉は悪魔の囁きにしか聞こえなかっただろう。
そして多少なりとも栄太と個人的なつながりがあるならば、そんな虚言には耳を貸すなと忠告していたことだろう。
だが、そこにいるのはメッセンジャーと栄太の二人のみ。
メッセンジャーを止める者などいるはずもなく――
ノエルとリュウにあっさりと敗北し、懇願したとはいえその軍門に降ってから日々蔑視され続け、自己嫌悪の中でずっと過ごしてきた栄太。彼にとって、それは救いの言葉にしか思えなかったのだ。
ごくり。
生唾を嚥下する。
「そんなことがいったいどうやっ……」
弱々しい栄太の言葉をメッセンジャーが遮った。
「もちろん松原様のご意志次第、ではありますが」
「オレ様、次第……?」
「ええ」
メッセンジャーの眼が冷たく光った。
仕掛けた罠にまんまと引っかかった獣をこれから屠ろうとする、狩猟者のような眼で。
数日後、新しい隠れ家に松原栄太が“戻って”きた。
頭に手術痕を付けた状態で、子分三人を引き連れて。
「アニキ!」
それまでとは打って変わって自信満々な表情。
錦糸町で初めて会った時と同じような不遜な顔だ。
「松原栄太とその子分三名!」
堂々たる声をリュウたち幹部に向かって響かせる。
「強くなって戻って参りやしたああああ!」