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囚われのリベラシオン  作者: つきしまいっせい
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○第十話 メガネくん

 番町。市ヶ谷駅から麹町駅へと通じる商店街を睥睨する百五十メートルの超高層ビル。それは在京キー局の所有する複合施設であり、番町地区再開発を先導したランドマークだ。その派手な建築物の裏手にあるのが公安量子魔法迎撃部隊=QCF本部ビル。かつては科学技術系の独立行政法人が所有していたその建物は、立方体の左下四分の一を切り欠いた形状と幾何学的な壁面を有する独創的な建造物だ。築数十年を経て外観の劣化は否めないが、内部は完全なリノベーションが実施されており、見た目さえ気にしなければ機能に問題はない。

 そのビルの最上階はエージェントたちの居住区になっている。エージェントの過半数はかつて量子魔法を用いた犯罪に手を染めた若者たちであり、観察保護下にある彼らは基本的に任務以外でビルの外に出ることは許されていない。そのため彼らの生活はビル内部で完結する必要があり、当然のように衣食住すべてを賄う設備が整えられている。

 いかにも社食という趣のカフェテリアもそんな設備の一つだ。

 縦六人の向かい合わせで十二人が使用できる長テーブルを並列して九本置いてもまだまだ余白がある。百人を余裕で呑み込むことのできる規模だ。

 最も大きい会議室を急場凌ぎで割り当てたせいで、内部に窓はなく、味気ない白壁に四辺を囲まれるという殺風景な構造になっている。正面奥の中央に配膳用のカウンターがあり、中には賄いの従業員が一人だけ。とはいえ実際の調理と盛り付け、食器洗い、清掃等は機械がすべておこなうので、実質的にマシントラブルの対応要員のために配置されているというところだ。

 入口から見て右端のテーブルを使用しているエージェントの集団と、反対に左端に陣取っているエージェントの一団がそこには存在している。両者は決して交わることなく、たとえ同じスペース内にいたとしても挨拶を交さないどころか眼も合わせようとしない。両者の環境があまりにも異なっているため、接点の持ちようがないからだ。

 右側の一団はキャリア官僚の第二子以降がコア層を占めている。第一子と違って高級官僚への道は約束されていないものの、一流大学、一流企業へと進んでいくことが最低限保証されている。疑いようもないエリートであるのだが、その恵まれた境遇で満足することなく、更に高い地位を求めてQCFのエージェントとなっていた。時に生命を危険に晒すという任務に就くことで、通常では獲得できないほどの社会貢献ポイントを稼ごうとする、極めて野心的な若者たちだ。彼らは陰でそのままの名称、エリート組=E組と呼ばれている。

 対して左側は元犯罪者で逮捕歴のある者たちの集団だ。貧困層出身が大半で、キャリア官僚を中心とする公務員たちが経済弱者を搾取する“官製貧困ビジネス”の被害者であり、またそんな体制に反旗を翻した者たちだった。犯罪者組、或いはC組と呼ばれている。不本意ながら彼らが公安のエージェントになっているのは、対テロ活動という“奉仕行為”を通して社会貢献ポイントを稼ぐことによって刑罰を帳消しにするためである。

 両者はそもそもお互いを敵同士と認識していたクラスター同士なので、互いが融和するはずもなく、かといって組織内の立場のせいで表だって対決することもできず、冷たい関係が続いているのだった。

 それら二集団どちらにも所属することのできないグループ。それが大地や翼の属するチームだ。赤羽大地と新田舞は養護施設出身であり、桐丘郷は母子家庭の出で低所得者層専用の住宅に住んでいた。三人ともつい数か月前までは反体制派組織に入っており、その意味では犯罪者組に他ならない。しかし同じチームにいる高島翼の存在が、その立ち位置を微妙なものにしていた。

 翼は財務高官を父に持つ。彼女が今通っているのは基本的にキャリア官僚の第一子しか入学が許されない都立の名門高校。キャリア官僚への登竜門とされる永田町高校だ。しかも翼は再編前のQCFにおいて抜群の実績を上げ、反体制派のテロリストたちを震え上がらせていた存在でもある。その事実だけをもってすれば、翼は犯罪者組にとっては敵以外の何者でもない。

 その翼という存在がチームリーダーを務めている。そのため大地たちの所属するチームがエリート組と犯罪者組のどちらにも近づけないという状況を生み出していた。

 もっとも、肝心の本人たちが孤立を気にしているかというと、決してそのようなことはなかった。

 赤羽大地の価値観は極めてシンプルで、自分の身内と一緒にいられればそれでいいというものだ。ただ、大切な身内の一人である豊島茜という少女が当局に捕らえられているということが大地にとっての重しになっており、今彼が最優先にしているのがその茜の解放だ。そのために危険な任務を厭わず、自身の身を危機に晒しながらも日々社会貢献ポイントを稼ぎに勤しんでいる。

 新田舞も似たようなものだが、彼女の場合は大地と一緒にいることにより重きが置かれている。茜も大切だが大地と一緒なら基本的に問題はなく、反面でそれ以外の人間に興味をまったく持っていない。

 高島翼の頭にあるのは大地を幸福にさせるということだけだ。そのために彼女は敢えて他に友人を作ろうとしていない。他者への接近を忌避しているのだ。

 そして桐丘郷は、ある意味傍観者的な立ち位置ではあるが、彼自身が無頼漢という質であり、周囲との関係を気にすることはなかった。もっとも、ヤンキー内でリーダー的役割を果たしてきた性格から、犯罪者組のエージェントとの関係は悪いものではなかった。


「ごちそうさま」

 その日の夕飯を食べ終えた大地は、トレイを持って立ち上がった。下げ膳口にまで食器を運んでいくと、

「やあ」

 気さくな感じで声をかけられた。

 相手は自分と同い年くらいの少年だった。

 体型はやせ気味で身長も170cm程度。見た目の圧迫感はなく、優しそうな感じのする若者だ。視力矯正の手術を受けていないのか、細身のメガネをかけいている。優男系の美少年ではあるが、真面目な印象を強く漂わせていた。

 類型で言えば大地と似た雰囲気があった。

「ど、ども……(……えっと、誰、だっけ?)」

 大地は気弱そうに返事をしてみせた。オドオドと相手を見るが、それが誰かは分からない。大地は人の顔を憶えることが病的なまでに苦手なのだ。身内と認めた人間のことは細かすぎるまでに観察できてしまうのだが、それ以外の人は顔と名前ごとすぐに忘れてしまう。面と向かい合っている間は辛うじて認識するのだが、すぐに記憶から排除されてしまうのだった。

 本人に悪気は一切ないとしても、あっさり忘れられてしまった相手からしてみれば、自分が無視された、否定されたというネガティブな印象を強く感じてしまう。しかも大地のいかにも弱々しい見た目と言動によって、怒りはむしろ増幅されていく。そのため、大地は小学校、中学校とずっと孤立してきた上、随分と酷い目に遭ってきた。

 実際、先日はQCFに入ったばかりの若者にからまれたばかりだった。もっとも、舞に手を出されて逆上した大地が、相手をボコボコにしてしまったのだが。

 声をかけてきた少年は、しかしさほど気に障った様子を見せなかった。むしろ自分が認識されていないことを最初から承知していたような気配すら感じられた。

「わざわざトレイを下げにくるなんて、几帳面なんだね?」

 控えめながらも爽やかな笑みを向けてくる。

「……えっと」

 大地は口ごもった。相手が好意を示しているのか、それとも悪意を向けるための前段階なのか、うまく判断できなかった。

 固まっている大地の視線を受けて、話しかけてきた少年はそこでテーブルに視線を移した。

 使い終わった食器をそのままに立ち去るエージェントたち。テーブルにこぼしたスープはそのまま、口を拭いた後にまるめた紙ナプキンが床に落ちても拾おうとすらしない。

 誰かが食堂を後にしたことを確認したオートマタが近づいていき、食器を持ち上げ、ゴミを拾い、テーブルをダスターで拭いてから消毒していく。周囲を一通り確認すると、大地たちのいる下げ膳口へとゆっくり接近してきた。

 後片付けはすべて自動化されている。しかも相手は機械なので気を遣う必要は一切ない。

 だから大地のようにわざわざ食器を載せたトレイを下げにくる者は皆無だった。

「なんとなく……悪いかなって……」

 大地は自信なさげに答えた。

 相手が認識できない人間でも、訊かれたことにはとにかく答えようとする。それも、できるだけきちんと説明しようとしてしまう。基本的に素直で従順なのだ。ただ問題は、不慣れな相手に対して過剰に緊張してしまうため、うまく意思を疎通できないことだった。それで無駄に誤解を与えてしまう。

「ふうん……」

 少年は興味深げに唸ってから、「うん!」と強く頷いた。

「じゃあ、ボクもこれからそうするよ」

「?」

「やっぱり、自分の後片付けは自分でしないとね」

 ニッと口角を上げる少年。

 押しつけがましさのない、自然な笑みだった。

 大地が少しだが緊張を解くと、その空気を察したように少年はまた口を開いた。

「今日もこれから訓練?」

「うん」今度は抵抗なく答えられた。

「そうなんだ」少年は爽やかに笑ったまま。「いつも頑張るんだね」

「……そ、そうでも、な、ない……よ?」

 期せずして褒められてしまい、またしても大地はうろたえてしまう。

 少年は大地の呼吸を待ってから続けた。

「ううん。君はいつも頑張ってるよ」

「え?」

「いつも、スゴいなって思ってるんだ」

 自分のことを正面から見つめて、はっきりと口から出された言葉に、大地はますます戸惑ってしまう。

「じゃあねっ!」

 しかしそれ以上話を続けることはせず、最後まで感じのいい笑みを見せたまま少年は左手を挙げた。手首に巻かれていた深緋色のミサンガが揺れる。

「赤い……」

 翼が長い髪をまとめるために使っている真っ赤なリボン。そのリボンと同じように、少年が付けている濃い緋色のミサンガはどこか不自然で浮いた感じがあった。まるで鮮血を流しながら笑っているかのように場違いな空気を醸している。その違和感が、大地に強烈な印象を刻み込む。

 少年はゆっくりとした足取りで立ち去っていった。奇妙な余韻とともに。

「どうしたの、大地兄ぃ?」

 いつまでたっても下げ膳口から戻って来ない大地を心配したのか、舞が近づいてきた。

「なんかヤなことでも言われたのぉ?」

 大地は慌ててかぶりを振る。

「ううん、そんなんじゃないから」

「そう? ならいいけどぉ」

 舞が大地の手を取って先に進み始めた。その瞬間、いくつもの嫉妬の視線が大地に向けられるが、大地が意識することはなかった。認識できない人間は存在しないのと同じこと。そして、存在しない者の視線は気にする必要がないのだ。そのような判断を、大地は無意識のうちに下してしまっている。周囲から孤立してしまうのは、大地自身にも問題があるとも言えた。


* * * * * * * *


 訓練場で入念にストレッチをしながら、大地は郷の到着を待っていた。

「やあ、お疲れさま!」

 突然声をかけられ、周囲を見渡してみる。

 自分以外は近くにおらず、それが自身に向けられたものだと判断して、大地は顔を上げた。

「えっと……」

 困惑する大地に対して、銀縁のメタルフレームのメガネをかけた少年は笑っていた。

「本当に人の顔を憶えるのが苦手なんだね」

「ご、ごめんな……さい」

 反射的にペコリと頭を下げる大地に対して、慌てて掌を横に振る。

「こちらこそゴメン。からかったわけじゃないんだ」

 挙げられた左手の手首に巻き付いているものが大地の意識を捉える。

 流れ出る血の色を思わせる、深緋色のミサンガだ。

「あ、さっきの!」

 顔はとっくに忘れてしまっていたが、それが先ほど食堂で自分に話しかけてきた少年であると、大地は思い出した。

「そういえばさっき名前言ってなかったね」

 自分が認識されていなかったことをまるで気にもせず、少年は話を続けていった。

「えっと、ボクは 舎人(とねり)(ゆう)

 何日か前にスタッフによって紹介はされていたはずだ。

 しかし憂と名乗る少年はそのようなことが最初からなかったかのように自己紹介をしてくる。

「オ、オレは……」

「赤羽大地くん。もちろん知ってるよ」

「と、舎人……くん?」言われたばかりの名前を繰り返してみる大地。

「憂でいいよ。えっと、“ゆう”は優勝とか優秀の優ではなくて、憂鬱とか憂国の憂。変わった名前でしょ?」

 ニッと笑う憂。

「そ、そんなこと……」

 ないよ、と言いかけたところで大地の口が止まってしまう。

 その隙間を憂の優しい口調が埋めていく。

「ねえ、大地くんって呼んでいいかな?」

「え?」

 これまでにない状況に、大地は戸惑っていた。

 彼を最も混乱させていたのは、それが決して悪い感情によるものでなかったという点だ。

 大地は大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。

 たかがその程度のことであっても、大地には大きな緊張をもたらすのだ。

「ゆ、憂くん……?」

 自信なさげに、蚊の鳴くような声でそう呼びかける。

「うん!」

 憂は笑った。一点の曇りもない、心から嬉しそうな笑顔で。

 その笑顔に釣られて、大地も笑ってしまう。

「ははははは」思わず洩れる二人の笑声。

「改めてよろしくね、大地くん!」

 それは、どこまでも、どこまでも真っ直ぐな瞳だった。

「う、うん。よよよよよ、よろしくね、ゆゆゆ憂く……ん?」

「うんっ!」

 憂はよほど嬉しかったのか、思わずという感じで大地の手を取ってきた。

 女の子のように柔らかい掌だった。ふだん手を繋いでいる翼や舞よりもさらに柔らかい気がした。

「(……憂くん、か)」

 大地は憂の名前を心の中で呟く。その名と顔を憶えられればいいなと、弱々しく思いながら。


「待たせたな!」

 むしろ恫喝と捉えた方がいいくらいの怒声が広い訓練場内に響き渡る。

 完全に脱色してから染めた、眼がチカチカするほど眩しい銀色の短髪。精悍な顔つきを更に際立たせる顎先の無精ひげ。鋭利な刃物のような鋭い眼。一見すると細身だが筋肉がびっしりと詰まった細マッチョ体型。そして何よりも、全身から放たれる“舐めんなヨ”的なオラオラ系のオーラ。

 ただそこにいるだけでエリート組、犯罪者組を問わずプレッシャーを与えてくる強烈な存在感。

 狂犬と謳われる元ヤン、桐丘郷が大地に近づいてきた。

「あ、郷さん!」

 大地は嬉しそうに振り返った。

 憂に見せたのとは異なる、緊張のかけらもない純粋な笑顔だ。

「すまねえな。メンテに時間がかかっちまってよ」

「ううん!」

「よっしゃ、おっぱじめっか」

 と言いかけて、郷はすぐそばに立っているメガネの少年に眼を向ける。

「(……コイツ確か、エリート組に入ってきたばかりの)」

 つい先日QCFに入ってきた新入り。

 憂は一応、郷の記憶には残っていた。

 とはいえ自分とは無関係な存在と、特段意識を払わずにいたのだ。

 すると憂は郷に視線を向けてきた。

 犯罪者組=C組でも郷と眼を合わせて平然としていられる者は少ない。

 エリート組=E組であれば、反射的に眼を逸らしてしまうのがほとんどだ。中には意趣返しとばかりに郷が存在しないかのように振る舞う者もいるのだが、それすらも郷に対する恐怖心を隠しきることはできていない。

 それなのに、目の前にいる舎人憂はしっかりと郷と正対していた。

 銀縁のメガネの奥は、やけに落ち着いた瞳があった。

 まるで、このような存在との接触にすっかり馴れきっているかのようだ。

「お疲れ様です、桐丘先輩」

 軽く会釈する憂。

 緊張したというふうでなく、嫌々というふうでもなく。ごく自然な挨拶だった。

「お、おう」

 意外な顔をする郷に対して、憂はニッと笑ってさえ見せた。

「じゃあ、ボクはもう上がりますので」言ってから再度、軽く頭を下げる。「失礼します」

 そして振り返ると大地に対して左手を挙げ、深緋色のミサンガを揺らして見せた。

「じゃあね、大地くん、また明日!」

「う、うん……」

 大地は戸惑いながらも手を振る。すぐ隣に立っている郷でさえ聞こえないほど小さな声で「お疲れ様」と言いながら。

「E組のくせに変わったヤツだな、あのメガネくん……」

 郷は独り言のようにそう呟き、大地の柔らかい赤髪をクシャッと撫でるのだった。

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