三 阿修羅像を奪う者
さてここから飛んでもない設定になっていると思われる読者もおられると思います。でも興福寺にメールしてこんなのどうでしょうか?と聞いたら、その対応して頂いた方は「荒唐無稽かも知れないが面白いのではないでしょうか」との事。合掌。
主水とりんはその夜、西金堂の隣の小子房という長屋の宿舎に泊まった。
学僧が泊まる所であったが、武士の身分の者にも許された。隣り合った別々の小部屋をあてがわれた。
深夜、ふと人の気配で目を覚ますと表が騒がしい。主水様、と声を出し剣を取って寝間着の儘、外に出た。
すると西金堂の縁に火が見える。まだ小さいが火事のようだ。
僧達が長刀や棒を持って走って行った。
主水が駆け来る僧兵に叫んだ。
「何事じゃ!」
「蓮華王院の者達が仏像を狙って来たので御座います!」
蓮華王院とは京七条大和大路にある三十三間堂を擁する天台宗の寺である。後白河法皇の発願により平清盛が造進した。
西金堂の前に行くと、金堂の石縁の上に壊された戸や板塀が積み重ねられ薪の様に燃えていた。その火に照らされて、黒い帷子に胴着小具足を着け、頭に灰色の布を巻いた者達が、大槌をもって中央の扉の鍵を打ち壊そうとしていた。
その石縁の前に数十人の鉄枠の付いた六尺棒を持ち、大刀を佩いた僧兵様の者達が仁王立ちに立っていた。駆け付けた興福寺の僧兵が、木槍や棒を構えて睨み合っていた。
主水が駆け付けて、武装した僧達に呼ばわった。
「これは何の真似ぞ!」
中央の体の大きい僧兵が大声を出した。
「この寺は既に朽ちかけている。御仏像をそれに相応しい場所にお移し申し上げる!」
興福寺は過去、平氏の乱があるごとに火を射掛けられて来た。そして京都の蓮華王院は平氏の寺なのである。
三十三間堂の仏像も同じく度々の被災に合い、過去に興福寺の別当がその修復に尽力したこともある。だが、僧兵達はお互いの支配を嫌い、事あるごとに争ってきた。
特にこのときの蓮華王院は秀吉から篤く保護され、興福寺の凋落と対局にあった。
千体と云われる千手観音は別格として、観音二十八部衆等の仏像は興福寺のそれらと対比出来る。
古今の間、藤原氏の権力を背景としてきた興福寺に及ぶのは相国寺、一向宗の石山本願寺ぐらいであった。
だが、戦乱に疲弊し、僧兵も居なくなった今、蓮華王院の血気盛んな上級僧等は興福寺の宝物に目を付けていた。