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二 りんと主水、奈良で阿修羅像と逢う

 さて、りんはあれからどうしただろう。

 話はその年(文禄元年)の夏に遡る。


 りんは柳生谷から京都に帰る途中、主水と古都奈良に遊んだ。

 主水はりんに見せたい物があると興福寺に向かった。


 奈良の興福寺は藤原不比等が大和国高市郡厩坂寺うまやさかでらを平城京に移したもので南都六宗の一つ、法相ほっそう宗大本山である。宮廷を支配していた藤原氏の氏神を奉る春日大社を習合し、鎌倉時代より広大な所領と僧兵を擁し、大和守護職として奈良一国の支配権を持っていた。だが、度重なる戦乱と侵略に疲弊し、信長、秀吉による寺領の没収を受け、単なる学僧の大学という地位に落ちていた。


 前年の秀吉の子、お拾いの病気の時、祈祷の労を認められ、没収された所領を多少回復した直後であった。しかし、まだ散らばった僧、お寺衆が戻らず往時の賑わいはない。他宗の学僧を受け入れ、境内のみが自治領であった。

 これまで、五重塔以下、境内の堂塔は焼失と再建を繰り返していたが、文禄元年の今、五重塔は応永二十八年(1421)に再建され、その周りの堂塔も昔の姿を取り戻していた。


 りん達が壮大な南大門(現代では焼失。跡のみ残る)を入ると右手に五重塔、正面の中門の向こうに修築中の中金堂(同じく現代では焼失、再建中)が見えた。


 主水は南大門を抜けるとすぐ左に曲がった。すると前方に、八角円堂と呼ばれるが常に三面しか見えぬ南円堂が見えた。彼等はその右方の長方形の建物に向かった。


 東西に配された二つの金堂の一つ、西金堂さいこんどうである。


 主水は途中で、向こうから歩いて来た僧を呼び止めた。礼をすると、

「某は上泉主水と申す。西金堂別当の円戴殿にお会いしたい」

 僧は一礼して、

「畏まりました。円戴師は本坊に居ります。ご案内致します」

「いやいや、お手紙を差しあげておりますが、西金堂の緒仏像を拝ませて頂きたいだけなので、その前でお許しをお待ちいたすが」


 僧が本坊の方へ行って暫くすると、共の僧に日傘を差させて柿色の袈裟を着た僧がやって来た。西金堂の日陰の中の主水を見ると目を細めて、

「これはこれは上泉様。お久しぶりで御座います。お手紙を頂いてからいつ来られるかと待ち詫びておりました」


 りんが礼をするとじっと見て、

「ほう。これが例のお方で?」

「丁度、柳生の庄へ行って、この者を連れて来ることが出来た。儂の友、角南りんで御座る」


 りんはちょっと顔を赤くして、主水と円戴の顔を見た。

 主水は自分のことを『友』と言った。自分への恋慕は諦めたのだろうか?


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