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灰かぶりとリトル・ナイト  作者: 七水 樹
5/6

灰かぶりとリトル・ナイト(5)

 

 勢いあまって、袋を通り越してヘンリーの顔にリトル・ナイトはびたん、と着陸する。


「……おっと」


 エラが忠告する間もなく、ヘンリーの目は顔の中心にへばりついたドラゴンに向かっていく。寄り目になった彼は、リトル・ナイトを認めるや否や、絶叫と言える叫び声を上げて暴れ始めた。ベンチから立ち上がり、リトル・ナイトを振り払おうと激しく首を振り、手でばしばしと払う仕草をしていたが、当のリトル・ナイトはすぐにヘンリーの顔から飛び上がり、彼が落としたマシュマロの袋の中でごちそうにありついていた。


「邪悪な悪魔め! 俺様に盾突くとは、いい度胸だな。今すぐ引き裂いて、ぶっ殺してやる!」


 リトル・ナイトから逃げ惑っていたヘンリーは、相手が傍にいないということがわかると、今朝よりもさらに顔を真っ赤に染め上げて、そう喚き散らした。袋に潜りこんだリトル・ナイトを袋ごと踏みつけて捕らえようとしたので、エラは慌ててリトル・ナイトを抱き上げた。食事を邪魔されたリトル・ナイトは暴れたが、しー、とエラが口に手を当てて黙らせると大人しくなった。だが、ヘンリーの方はエラがリトル・ナイトを庇ったことでますます怒りが沸き上がったようで、目を血走らせてリトル・ナイトを睨みつけた。


「……どういうことだエラ。そいつは、ただのぬいぐるみじゃなかったのか」


 殺気立った様子のヘンリーから遠ざけようと、エラはリトル・ナイトを後ろ手に回すが、背中を登ってリトル・ナイトは肩口から顔を出す。けるるる、という威嚇の声が耳に届いた。


「あー……ヘンリー、黙っててごめん。あと、嘘ついたことは謝るよ。だから落ち着いて話を聞いてくれない?」


 エラは猛獣のような恐ろしい顔で近づいて来るヘンリーと一定の距離を保ちながら、彼を両手で彼を制していた。しかしヘンリーはどうも話し合いができそうな雰囲気ではない。嫌いな爬虫類に張り付かれたことに怒っているのか、エラがヘンリーに嘘をついたことに怒っているのか、あるいはその両方か。何にしろこのままではリトル・ナイトが殺されてしまう。エラは焦る心を抑えて、じりじりとヘンリーとの攻防を続けていた。


「この子の名前は、リトル・ナイト。君の嫌いなヘビやトカゲと似てるけど、正確には違うんだ。なんとこの子はドラゴンなんだよ。男の子はみんな好きだよね、ドラゴンとか怪獣とか。ほら、君も昔怪獣のおもちゃ持ってたでしょ? あれと似てると思えば、可愛く見えてこない?」


 気を逸らそうと、幼少期にヘンリーと一緒に遊んだ時のことを思い出しながらそう言ったのだが「あれは父さんと母さんが買ってきたものだ。俺は気にいらなかったから、いつも獲物にしていた」とヘンリーが低く答え、そういえばそうだったね、とエラは顔をしかめた。ヘンリーも少なからず怪獣のフィギュアなどのおもちゃは持っていたが、それは他のおもちゃたちにやられたり、彼に投げつけられたり、引き千切られたりと、損な役回りばかりだったような気がする。


「トカゲだろうとドラゴンだろうと関係ない。俺様は爬虫類が大嫌いなんだよ。口に出すだけでも身の毛がよだつ」


 ヘンリーはいつの間にか、ボールペンを取り出していた。それを握って近づいてくる彼には、凶器を持って迫る殺人鬼のような恐ろしさがあった。ただの文房具が、ここまで恐ろしく見えることにも恐怖を感じたが、彼がそのボールペンで大切な家族に何をしようとしているのかを考えるのも恐ろしかった。


「待って、ヘンリー、お願い待ってよ。殺さないで」


 エラの言葉も底を尽きようとしているところで、ついにエラは壁際まで追い詰められてしまった。逃げ場を失い、迫って来るヘンリーを待つしかない。どうしよう、とエラの頭の中がその言葉で埋めつくされて思考できなくなった時、ずっとヘンリーを威嚇していたリトル・ナイトが動いた。普段とはまったく違う獣じみた低い唸り声を上げて、ヘンリーに飛びかかったのである。ヘンリーの片手ほどの大きさしかないリトル・ナイトだが、すばしっこく動くのでヘンリーには捕らえることができない。ヘンリーは悪態を吐きながら必死でリトル・ナイトを追い払おうとしている。


 リトル・ナイトは、エラがヘンリーに危害を加えられていると判断したのだ。主人を守るために、自分の何十倍もあろうかという相手に立ち向かっていく姿は、まさに小さな騎士そのものだった。


 だが、リトル・ナイトがヘンリーの耳に噛み付こうとしたのを見て、やめて、とエラは叫んでいた。両者の間に割って入って「リトル・ナイト、ストップ! もう大丈夫だから」とヘンリーへの攻撃をやめさせる。牙を剝き出しにして、瞳孔を細めていたリトル・ナイトはエラの言葉に、すぐさま落ち着きを取り戻し、愛らしい顔で小首を傾げた。


「ありがとう、小さな騎士くん。私を守ろうとしてくれたんだね。でも、大丈夫だから、少しだけ向こうへ行っててくれるかな」


 エラが庭の木の方を指差すと、リトル・ナイトは心配だと言いたげにエラを見つめていたが、頷いてやると大人しくその願いを聞き入れた。少し距離のある木の方へと飛んでいき、そこに降り立つ。


「ヘンリー、大丈夫? 怪我はない?」


 エラは、リトル・ナイトの襲撃に転ばされてしまったヘンリーに、しゃがみながらそう問うた。爪で引っ掻かれたりしていないだろうか、確認しようと伸ばしたエラの手を、ヘンリーは跳ね除けて拒絶する。


「……あいつは一体何なんだ」


 一応激高は収まり、冷静になった様子のヘンリーはじとりとエラを睨みつけた。あいつ、という言葉の後にヘンリーは木にとまっているリトル・ナイトを見据える。エラは一度リトル・ナイトを振り返ってから、ヘンリーに答えた。


「神さまからの贈り物、とでも言えばいいのかな」


 予想しない単語に、ヘンリーは拍子抜けしたように「はぁ?」と言ってエラを見つめた。エラは、実は私もよくわからないんだよね、と苦笑する。


「あの子は、少し前に空から落っこちてきたんだよ。まるで、流れ星みたいに。正体はよくわからないし、もしかしたら宇宙人……とかなのかもしれないんだけど、でも今は私の大事な親友で、それから家族なんだ」


 エラの話を、ヘンリーは柄にもなく神妙で、複雑な顔をして聞いていた。だが、唐突にこんな話をされても信じられるわけがない。エラは話を今日の出来事への謝罪へと変えた。


「君の顔に飛びかかっちゃったのは、悪気があったわけじゃないんだ。リトル・ナイトの好物はマシュマロで、それをすごく食べたがってたから思わずで」


 そう言ってから、ヘンリーがすっと目を伏せたことにエラは気づいた。ヘンリーは、エラがマシュマロを食べたがっていたと思っていたのだ。そしてエラのためにマシュマロを用意してくれた。一緒に食べようと、勘違いであったとしても彼は楽しみにしていた。あの時否定しなかったことを今更になって否定するのは、申し訳なさを感じる。ヘンリーは無遠慮で、がさつで、暴力的だが、根が悪いわけではない。週末の試合観戦に誘ってくれたことも、荷物を代わりに持ってくれたことも、マシュマロを持ってきてくれたことも、彼はすべてエラが喜ぶだろうと、そう思って行動しているのだ。迷惑な時もあるが、むしろそんな場合の時の方が多いが、それでも彼の行動の根幹にあるのは、エラへの好意である。


「……ごめん、ヘンリー」


 心の底からの言葉は、ヘンリーに届いたのだろうか、とエラは眉を八の字にした。静かになってしまった彼は、傷ついているのがわかる。元気と自信だけが取り柄の彼をここまで追い詰めてしまったのは紛れもない自分自身だと、エラは胸を痛めながらも、これだけは、とヘンリーに言葉を続けた。


「今日の埋め合わせは必ずするよ。マシュマロのお礼も。だからヘンリー、リトル・ナイトのことは他の誰にも秘密にしておいてもらえないかな」


 ヘンリーはちらりとエラに視線を向けた。


「誰にもリトル・ナイトのこと、言ってないんだ。パパにも……。だから、私たちだけの秘密にしてほしい」


 再び目を伏せたヘンリーは何かを考えている様子だったが、ふっと、目を上げた。それからしょぼくれていた顔が急激に悪人面へと戻っていく。にやりと口の端を釣り上げたヘンリーの顔に、エラは本能的に危機を感じ取り、ヘンリーから離れようとしたのだが、時すでに遅しで、素早く体の向きを変えたヘンリーに、エラは両肩をがっしりと掴まれていた。


「いいとも。二人の秘密ってことにしてやる。ただし、条件が一つある」


 史上最悪の凶悪犯のような顔をして、ヘンリーはエラにぐっと接近した。


「じょ、条件?」


 何かな、とエラは引き寄せられる体に抵抗して、ぐぐ、と後ろに体重をかけるも、ほとんど意味は成さなかった。ああ、と頷いたヘンリーは、見事なほどに悪い顔をして告げる。


「俺様に、キスしろ」


 はあ、と声を上げるのは、今度はエラの番だった。



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