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偽物の憧れ  作者: 鳥焼火炭
Ⅰ 偽物の憧れ
6/31

6.偽物の憧れ

日暮 恵勇 ヒグレ ケイユウ 主人公。

アラネコ あらねこ 相棒。

不動 瑞子 フドウ ミズコ 笑顔が怖いクラスメイト。

和泉 風 イズミ フウ 主人公の隣の席の女子。

和泉 鈴 イズミ リン 風の妹。

藤谷 朱音 トウヤ アカネ 人。

神尾 翔子 カンオ ショウコ 人。

平優 タイラ ユウ 人。

東雲 海人 シノノメ カイト 人?

臙脂棗 エンジナツメ 人じゃない。

 閉じられた自動ドアにもたれかかって座っている。無機質な冷たさを背中で感じる。何かに背を預けていると楽だし、何よりも安心する。それが動物としての本能なのか、僕個人の感情なのかは判断がつかないが。

 静かな夜の駐車場。まだ人の眠るような時間ではないが、ここには誰も、何もない。視界に映るのは冷えたコンクリートの床と壁と柱。非常口を示す緑のランプと、消火栓の赤いランプ。天井の照明は控えめな橙色をしている。

音がしないのも不安になるものだ。こんな時はアラネコの鼻歌でも聴きたくなる。どこからか覚えたはやりの曲をよく口ずさみながら部屋の掃除をしている彼女を思い浮かべた。きっと今はお気に入りのテレビでも見ながら牛乳でも飲んでいるんだろう。


 数分間の隙間。じっと目を閉じる。


 僕は閉じていた眼を開く。その先に立つ、藤谷朱音の亡霊を見つめる。

「そんなに精巧に化けたら、本人の存在が霞んでしまうよ」

 だから彼女は魔に襲われるようになった。ドッペルゲンガーと同じだ。精巧過ぎる同一の存在は、原典を曇らせる。

 影は揺らいでいる。否定も肯定もしない。イエスマンでもノーマンでもないそれはいったい何と呼ぶべきだろうか。答えを出すまでもなく、答えは決まっている。

 それは、


「偽者って呼ぶんだ」


 その言葉で影は動き出す。踏み出した歩で空気が震える。黒い殺意は一瞬で僕との距離を半分に詰め、鋭い爪を剝き出しにした。

「―――硬く」

 その爪を両腕で防ぐ。ガキン、と高い音が駐車場に木霊する。その反響音を聞かずに、僕は影のわきの下をくぐって距離を取る。

「―――速く」

 それは途轍もなく速い。音さえ置き去りにするような怒りに、汗を流す暇などない。

 打撃は両腕で、斬撃は左腕で防ぐ。小刻みにステップを踏んで、相手の勢いを殺す。爪が頬をかすめ、風は唸り僕の鼓膜を揺さぶる。

 殺気を感じて右の空間に体を投げ出す。僕がさっきまで背にしていた柱に風穴が空いた。見れば、影の両腕に風が渦巻いている。あんなものを体に受けたらひとたまりもない。紛れもなく彼は殺す気で来ている。神の怒りだ。

 僕は知っている、理由を。その衝動の根源を。神が、藤谷朱音として荒れ狂う原因を。


 僕は、知っている。


 藤谷の家は裕福ではなかった。むしろ貧相だったというべきだろう。だけど少女はそのことを悲観せず、たくましく育っていた。

 唯一誇ることのできた手先の器用さ。洋服がほつれれば自分で縫った。あまりものを組み合わせて人形を作った。石と土、授業で余った接着剤を使って、流行りの子供向けアニメのフィギュアさえ作って見せた。

 中学に上がる前に、少女は転校を経験する。父親の新しい仕事が決まり、安く寮に住めるようになったのだ。それは、今までとは違う都会での生活だった。

 その町は特別発展していたわけではない。だけど、新しく通う学校に集まる子供たちは例外なく、皆裕福であった。

 少女がそんな場違いとも言える学校に入れるようになったのは、他でもなく和泉誠一の厚意だった。新しく自分の会社に入る男、その一人娘が自分の苦境を乗り越えるための知恵を彼は見た。

 具体的には彼女が作り出した数々の洋服やキーホルダーに感心し、ぜひ自分の学校に通わないかと持ち掛けた。少女は自分の父親が喜ぶ姿と、母親が和泉誠一に感謝する姿、そして誠一の期待をするような眼差しを順番に見た。

 その日から彼女の劣等感を抱く日々が始まる。

 手作りの品を持っている人などいない。裕福な家に生まれたお嬢様ばかりだ。自分をこの学校に入れてくれた和泉誠一には感謝をしているが、彼の娘である和泉鈴は気に入らなかった。

 誰とでも仲が良く、才能が有り、優しい。家の裕福さを鼻にかけず、それでいて優雅だった。朱音にはそれがどうしても堪えられなかった。

傲慢であってほしい。高潔で同時に意地汚くあってほしい。せめて、自分には醜悪な面を見せて欲しかった。この学校の中で誰よりも恵まれていなかったとしても、何か一点、自分が優れていると思っていたかったのだ。

 ある日の帰り道に、少女は寂れた神社を発見する。町の中心部から外れ、参拝する客などいない。その神社に、親近感に似たものと感じた。

 願いなどなかったけれど、毎日その鳥居をくぐった。抱いた悔しさの安らぎに少女はその社を選んだのだ。両親には言えない。言うことなどできまい。だってこれは、ただのわがままだ。和泉鈴に抱いていた感情は端から見れば年相応の、思春期の少女が抱く当たり前の嫉妬だったが、それを理解することのない藤谷朱音は、自分に対して大きく失望していた。

 劣等感に苛まれて控えていたモノづくりも再開した。気まぐれで訪れた洒落たデパートで見つけたキーホルダー。ウサギをかたどった銀色の時計。簡素でありながらも見るものを引き込むそのデザインに、一目惚れをした。父の仕事は順調で、十分に一般家庭と呼べる裕福さを手にしていたが、そのキーホルダーは入っているデパートの格もあってか、女子中学生にとってはやや高価だった。

 学校の先生に頼み、余りものの金属をもらう。時計やベルト部分は百円ショップのもので代用した。工学室の扱いにくい機械も、学長である和泉誠一は彼女に対して使用することを許可した。彼は彼女の才に期待していたのだ。和泉誠一とは、そういう男だった。

 一週間ほどかけてキーホルダーは完成した。朱音自身は気にしていなかったが、和泉が認めていた通り、彼女のモノづくりの才は相当なものであり、全力を挙げて作ったキーホルダーは、本物と遜色のない作りになっていた。

 そして、和泉鈴たちがそれを売りものと同じだと勘違いしても仕方のないことだった。

 九月の八日、事件は起こる。和泉鈴が何者かに襲われた。


 藤谷朱音だけが、その原因を知っていた。


「お前だったんだ、臙脂棗の神」

 日暮恵勇は目の前の影をにらみつける。


 藤谷朱音は、喧嘩をして飛び出した途中で神社に寄る。いつものように。いつもと同じように。

 そしていつもと同じように祈る。

 いつもと同じでなかったのは、祈りに中身があったことだ。

 悔しい。自分が苦労して作り上げたものを、彼女たちは一瞬で手に入れて見せる。自分が作り出したものが、私の全てがただの贋作に過ぎないと見せつけられる。和泉鈴たちの善意は、藤谷朱音には絶望に見えた。

 神はその願いを聞く。たった一人の少女とはいえ、何か月も欠かさず通い詰めたその『信仰』は落ちぶれた神に力を与えていた。

―――偽物の尊厳を。

 それはほかでもない、偽物である藤谷朱音の願いだった。影となって復讐する。不気味なほどに存在を似せる。他のどんな妖にも不可能なほどに彼女に成る。形成への固執。藤谷朱音に対する感情を、少女たちの持つ銀のウサギを破壊する。だからこそ同じものを持っている和泉風も襲おうとしている。彼女が悪意とみなすものをなくすために。


 そして、その怒りは今、己を『偽物』だとのたまう魔術師へ向いていた。

「…私は本物だ」

 唸るような声。だがそれは、藤谷朱音のものだと思えた。

「お前は勘違いをしたんだ。似せ過ぎだよ」

 自分も本物でありたかったのだ。願いを叶えるだけの存在。人の信仰に、崇め奉られることでしか力を保つことのできない不安定な自己の存在。

 依り代がなければ完全ではいられない偽物。

 願いを、抱いた。

「お前は道を踏み外した。神として、曲がり過ぎたんだ」

 本物でありたいと、何にも縋らずに生きていける存在になりたいと、神は願いを持った。英俊の神。かつてはそう呼ばれた者だからこそ。

 トウヤアカネを奪おうとした。

「私は本物だ」

 前よりもはっきりとした声。これ以上は危険だ。彼が、まだ偽物である内に。

「―――硬く、速く」

 鋭く地面を蹴る。

 しかしその瞬間、神の体が波打ち衝撃波が打ち出される。受け身を取ることはできず、吹き飛ばされて全身を柱に打ちつけた。

「…っ」

 強化を施してなお、骨に鈍く響く。息をつかずにぐっとこらえ、前方へ転がる。影はすでに姿を似せるのはやめ、鋭い爪を抜き出しにして突進してくる。

「お前は美しさを切望しているだけだ…!」

 爪の斬撃を右下に屈むことでかわし、左足を踏み込む。懐に入られたことで本能的に距離を取ろうとした敵に、振り上げた左腕を振り下ろすことで打ち払う。影はその威力を認識していなかったのか、こらえることはできずに弾き飛ばされた。だがすぐに立ち上がり、空気の波を両手に携える。

 右のわき腹が痛む。見れば、赤い染みが広がり始めていた。相手も簡単に引き下がる気はないらしい。日暮恵勇は風弾に備えて左腕を前に構え、重心を低く構えた。

 撃ち放たれた衝撃波を受け流すが、勢いを殺しきれずに床に転がる。攻撃を受けた左腕は骨が折れている。これ以上戦っても、この影を倒すことはできないだろう。

 呼吸を荒くしながら立ち上がる。僕にこれ以上の足掻きが不可能であると判断した黒い神は、再び爪をぎらつかせる。


 彼は藤谷朱音の美しさに心を奪われている。

 彼は藤谷朱音の美しさから目を背けている。

 彼が、彼女から願いとして汲み取ったのは負の感情だ。才あるが故の苦悩。自分が偽者などではなく、本物であると思いたい。その思想の妨げになるものはなんであろうと破壊する。

 そんなのは勘違いだ。彼女の美しさは別の場所にある。

 彼女は最後にこう言ったのだ。

 自分の醜さも、その意地汚さも。自身の自負や欲望が、嫉妬と羨望で彩られた濁る藍色だと認めてなお、涙と嗚咽と後悔と絶望の中でなお、美しく少女はこう叫んだのだ。

「本当は、」


「友達になりたかった」


 惨めな偽者の矜持など捨て、生まれ変わりたいと。私が贋作に過ぎないのなら、本物の輝きを知っていたいと。そう言った。

 偽しか作り出せぬ者と。

 偽の存在である者と。

 そして僕自身も。


 それは紛れもなく、偽物の憧れ。


「君の願いはなんだ?」

 …結局これに頼ることになる。僕は二人の…いや一人と一柱のことなど言っていられるほど立派な人間ではなかった。自分に辟易する。

 問いを告げると同時に、視界が金に浸食されていく。

 景色が遠くなる。音が遠ざかっていき、僕には見えていたものが見えなくなり、見えなかったものが視えるようになる。剥き出しのその感情を隠そうともせずに、藤谷朱音を象った神は叫んだ。

「偽者なんて消えてしまえばいい!!!」

 魔力を使っているわけではないのに、体の芯が熱くなる。呼吸が苦しくなり、肺胞が働きを停止している音が響き渡る。それとは反対に血液の循環は速度を上げて視界が揺らぐ。その身に宿した神の力に全身が侵食されていく。

 目は逸らさない。逸らせばきっと、元には戻せない。凛、と。光が少年を中心として一度脈打つ。

 君は、藤谷朱音にはなれない。

 高潔なる偽者よ。


「君の願いを叶えよう」


 その言葉が伽藍堂の夜のビルに響き渡ると同時に、まさにこちらに飛びかかろうとしていた影が足元から崩れ去っていく。

「ぐ…ああ…」

 その声はもう藤谷朱音のものではない。僕は願いを叶えたのだ。藤谷朱音の偽者はこの世界では存在できない。その力は絶対で、落ちぶれた神に覆すことなどできない。

 ボロボロとその身は崩れご神体の中へと還っていく。

 影がすべて掻き消えた後には、木の人形が一つ転がっているだけだった。


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