4. 夕景
日暮 恵勇 ヒグレ ケイユウ 主人公。
アラネコ あらねこ 相棒。
不動 瑞子 フドウ ミズコ 笑顔が怖いクラスメイト。
和泉 風 イズミ フウ 主人公の隣の席の女子。
和泉 鈴 イズミ リン 風の妹。
藤谷 朱音 トウヤ アカネ 人。
神尾 翔子 カンオ ショウコ 人。
平優 タイラ ユウ 人。
東雲 海人 シノノメ カイト 人?
臙脂棗 エンジナツメ 人じゃない。
僕の仕事についての話をしよう。
僕が事務所なんかを開いて何やらうさんくさい商売を始めたのは高校に入学してからだ。それまでは山奥の山奥、超田舎でのんびりと暮らしていた。
最初はこの町で高校に通うだけのつもりだったのだが、ある事件に巻き込まれ、ハルヌに会い、事務所を開くまでになった。
『相談』の内容は様々だ。厄払いとか、工事の前の祈祷なんてのもやる。個人の心霊相談なんかも受けるし、ちゃんとした霊能者が来るときもあるけど、基本は僕が興味を持った事件の調査だ。要は趣味の延長である。その趣味にのめりこみすぎて学校に行かなくなっていることが知れたら親に半殺しにされそうだ。
今回の件はハルヌから報せを受けた。「お前が好きそうな話だろう?」なんて言われたけど、僕は女子中学生にストラークゾーンを持っているわけではない。彼は情報を売って生計を立てる情報屋だが、ことの顛末を僕から聞くことに主たる楽しみを置いているように見える。実際彼のカフェ(夜はバーに変貌する)は繁盛しているので、恐らくそちらだけで暮らしていけるだろうとは思う。
まんまとハルヌの口車に乗せられて調査に乗り出した僕だが、危険度とは逆に難航を極めている。どこかにヒントが転がっているといいのだけれど…。交番に行けば届いてないかな、ヒント。
学校が終わって片付けを終え、鞄を持って校門へ向かう。プリントは結局半分しか鞄に入らなかった。玄関から校門への道を、夕日が綺麗だなんて思って歩いていると見知った者の声がする。
「恵勇」
見ればアラネコが校門に立っている。尻尾と耳はうまく隠しているみたいだ。それでも彼女の外見は人目を引くので、そこだけ見えない何かがあるように人が避けて通っている。
「どうしたんだ」
「冷蔵庫のニャかにニャにもニャかったニャ」
ニャの四連コンボである。とても聞きにくい(さらに読みにくい)。ナの音や語尾にニャがつくのが彼女の話し方だが、アラネコ曰く「ニャんとニャくそれっぽい」からつけているだけらしく、最初のほうは色々と滅茶苦茶な言葉遣いだった。最近はちゃんとニャが至る所についているが、語尾のニャが付くかつかないかの法則については僕にもわからない。いえ作者のミスではニャく。
しかしもう冷蔵庫の中身が切れたのか。こいつ僕のいない間に盗み食いをしているんじゃないだろうな。明日学校に行く前に監視魔術を使っておこう。
「仕方ない。それじゃスーパーにでも寄って行こうか」
それを聞いてご機嫌に歩き出す猫。尻尾や耳が見えていればしきりに動いていることだろう。彼女とスーパーに買い出しに出かけるのも久しぶりだし。ちなみにアラネコは猫缶やキャットフードは勿論食べるが、人間の食事も食べる。多くの化け猫はそのままキャットフードらしい。蓼食う虫も好き好きというのだろうか。十猫十色である。
「ん?」
スーパーの道も中ほどというところでアラネコが立ち止まる。
「どうした、アラネコ」
「ここの神社…」
彼女が見る先にあるのは地元にある小さな神社である。毎年春くらいに小さなお祭りがあって屋台が出たり、新年には初詣の人で賑わう。和泉は「除夜の鐘と初詣を一緒の場所でやってほしい」なんて言っていたが、彼女は一度神道と仏教の法典で殴られた方がいいと思う。
それにしてもこの神社に一体何があるというのか。何かが引き寄せられるほど魔が集まっているわけでもないし…。全くないといえば嘘になるが、熱心な教徒がいるわけではないので霊的なエネルギーに溢れてはいない。
「逆だよ恵勇。魔がニャさ過ぎるんだニャ」
「うーん…初詣やお祭りから時間が経っているからかな?」
「前はもっとあった気がするニャ…」
放っておいても問題がなさそうな気がするけど、確かに気になることではあるし、今度僕の方でも調べておこうか。
ブルッとアラネコが身震いする。そういえば今夜は冷え込むとテレビで言っていた気がする。昨日まではそこそこの気温だったのに、季節が移ろうのは本当に早い。
「夜が遅くなると冷えそうだ。早く行こう」
そのあとはスーパーに行き、魚肉ソーセージを隙あらばカゴに入れてくるアラネコとの格闘を終えて、僕たちは岐路についた。
寝ぼけ眼と気怠い体を引き摺って登校する。稼働していない脳みそはただ重いだけだ。古くなったコンピュータみたく起動が遅いのでそろそろ初期化したい。えっちなウィルスにも感染してるからね!
上履きがひどく冷たい。足元から昇ってくる冷気に震えながら階段を上り教室へ入る。朝は段々と寒くなってきたがまだ暖房をつけるには早い季節だ。こういう微妙な気温の時ほど風邪を引くので気をつけねばなるまい…。まぁまだ半袖のままの僕が言うべき言葉ではないですが。
教室は人が多いのでその分温かい。他愛のない話をBGM代わりにして課題のプリントを開く。昨日単位補填に必要な課題の量を確認したらマウンテンなアマウントだったので休み時間や授業中もやろうと大量に持ち込んできた。なおこの意気込みは五分ほどで廃れます。
「おぉ、学校に来ているという噂は本当だったか恵勇」
「おはよう東雲」
大男に声をかけられる。およそ1.5ページ前に紹介した数少ない友人Aだ。190に差し迫る高さと強靭な肉体を併せ持つ。強靭なる精神が宿っていそうだ。デスサイズ!
「いつもギリギリまで練習していないか?珍しいな」
まだホームルーム開始まで10分ほどある。この男は大変な陸上バカなのでホームルームに参加しなあったりするほどだ。たまに授業にすら遅刻する。
「今日は集中が切れたから教室で柔軟に変更する」
「通行人の邪魔はするなよ」
こんな人間なので教師たちはあまり注意をしない。結果は残しているし、「集中して走りこんでいたら授業が始まっていた」なんていう間抜けな言い訳を疑う人間もいない。僕だって彼が朝席にいなかったとしても何も疑うことをしないだろう。
「昨日は大会だったのか?」
そもそも学校にいなかった覚えがあるのでそう問いかける。大男は首肯して、
「つっても記録会みたいなもんだな。優勝はしたがトロフィーはもらえなかった」
この男はいくつ杯を持っているのだろう。ホステスがピラミッドのようにグラスを積み、上からワインを注ぐパフォーマンスをトロフィーでやってしまえるのではないかと思える。勿論それに意味はないけどね。
というか、僕は学校に来るだけで噂になるのか。なんだかショックである。特に話もなかったのか東雲は桃上げ運動をしながら廊下へ出ていった。トレーニングをしていないと死にそうな男である。マグロか。
そう言えばマグロが泳いでいないと死んでしまうことから常に活発な人間に対して『マグロ』と言うが、全く動かない人のことも『マグロ』という。まぁこっちは隠語だし『冷凍』って単語が省略されているんだけど。あ、よい子は調べちゃだめだよ。つまりマグロは矛盾をはらんだ存在であり、宇宙そのものである。何を言っているのかわからなくなってきた。マグロ。
手元のプリントを見る。今日明日と学校に来ればひとまず休みになるので、気合を入れなおした。
解く、己の全身全霊を込めて。解く、雑念など介入する余地はなく。そして解く、たとえその身が終わりを迎えようと。
もう飽きた。やりたくないよ~。なんなのこのプリント~。自分の中の天使が「サボったツケだ」と囁く。悪魔と共闘して二度と口が利けぬ体にしてやった。
「アンタ何してるの…?」
どうやら和泉に天使が雁字搦めになっている落書きを見られたようだ。
「いやプリントが多すぎてさ」
「サボったのアンタでしょ」
和泉、君も悪魔なのか。いや天使か?言っていることは先ほどボコボコにした天使だが、僕にとっては悪魔だ。正に矛盾。和泉、君はマグロだな?
「なんだか卑猥だな」
「突然気持ち悪くならないで」
怒られてしまったので大人しく自分の持つシャープペンシルの先に視線を戻す。と、その時後ろの席の会話が聞こえてきた。
いつもの僕なら大して耳を傾けたりせず、内容は頭に入ってこなかっただろう。だけどその時は偶然―――必然かもしれないが―――その声が透明な音を携えて僕の耳元までそよいできた。
「おい、臙脂棗神社の話、知ってるか?」
「あん?そんな名前の神社あったっけ」
「毎年棗祭りやってるだろ。ほら、春にさ。いつも行くじゃん」
「ああ、あそこ。そんな名前なんだ」
それでどうしたんだよ、と男子生徒は続きを急かす。臙脂棗はエンジナツメと読む。臙脂色は濃い赤を指し、棗は赤い木の実のことだ。つまりは真っ赤に熟れた棗のこと。夏に目を出すから棗なのだが、何故か春にお祭りをする。ちなみに神社には棗の気が植わっているわけではない。昔はあったらしいけれど。
「ご神体が消えたらしいぜ」
その言葉に嫌でも体が反応する。アラネコが「魔が足りない」と言っていたのはご神体がなくなったからなのだろうか。
「それがただ盗まれただけじゃなくて消えたらしいぜ」
「消えた?」
「ああ、なんでも扉が開けられた跡もなくて、鍵もかかったままだったみたいなんだ。神主が毎月の蔵の掃除をしようとしたらなかったことに気が付いたらしいぜ」
「なんだか怪談みたいだな」
「季節は随分と外れてるけどな」
僕はじっと考えていた。何かが当てはまる気がする。違和感が喉の奥にへばりついている。呑み込めないその噂話は、じっと息をひそめて喉の奥からこちらを見ている。
手を止めてその授業の間頭をひねっていたけれど、違和感はずっとそこにあったままだった。
「ふむ、ご神体が」
コーヒーを啜りながら僕は頷く。チェック柄のネクタイを締めたタキシード風制服姿の老人は、棚に並んだワインのボトルを順番に拭きながら僕に問いかける。
「お前はそれが今回の件に関係あると思うのか?」
「断言はできないけど、多分」
ハルヌは考えるような素振りを見せる。カフェの他の客は思い思いに飲み物や軽食を楽しんでいる。まだ六時頃なのでアルコールの摂取に勤しむ会社員はおらず、店の中は静謐な時が流れている。
「ご神体が盗まれたのではなく消えたのなら、それは神が外出したと考えるべきだな」
「外出?」
ハルヌの発言に疑問を返す。神って神社に留まっているものじゃないのか。
「神はそんなに立派な存在じゃあない。気まぐれ、好奇心、なんとなく…そんな感情で動く、人間たちと何ら変わらない存在だ。日本の神話にも、海外の神話にもロクなやつはいないだろう?」
そう言われればそうかもしれない。女の子に結婚を迫ったり、嫉妬して嫌がらせをしたり、喧嘩の腹いせに糞を置いて行ったり、妻がいるのに何度も浮気をしたり…。『人間がもし余計な力を持っていたらこんなことになるだろう』と言うのを鏡に映したような者たちばかりだ。中には立派な神様もちゃんといるけれど。
「わざわざご神体を伴って外出したのなら、余程興味のあることでもあるのだろう」
どんな事柄かはわからないが、と彼は拭き終わったワイン瓶を棚に戻しながら続けた。
神が全力をふるうことができるのは自分の敷地内、言い換えれば結界の内側のみだ。それの外では能力が限られる。その結界を広げる道具となるのがご神体だとハルヌは言っていた。ただしそれは弱点となるとも。
「それに身を宿すことは実体を持つということだ。ご神体には榊の枝葉や御札、土や木の人形、石まで様々だが、その多くは脆い」
木や葉なら炎に。土や石なら衝撃に。確か臙脂棗のご神体は木の人形だったような…。
「ただし心得ておかねばならないことがある」
僕の目を見据えて彼は言う。
「もしもこの事件を解決するにあたって神と戦うことになるのなら、相応な覚悟が必要だ。いかに君が神と同じ力を持っていようと、本当の神とは文字通り格が違う」
たとえ落ちぶれた、さびれた社の主だとしても。人間とは決して同じ土俵に立ってはいない。故に、彼らは崇められる。
だけど白いひげの老人は含みを持つようにこう告げた。あるいは彼は既にこの事件の全てを見通していたのかもしれない。
「ただしそれが、本来の神の道の上の存在ならば」
翌日。やはり学校。気持ちがついてこず気怠い。本当のことなら全く行きたくはないが、約束というものが効力を発揮しているので仕方がない。完敗。とここまで書けばラーメンの食レポっぽいかしら?
例に漏れず考え事をしながら過ごす。和泉は僕が三日連続で来ていることに少し驚いていた。僕は七日連続で来なければならないので、そうなったら彼女はどんな反応をするのだろうか。きっと四日くらいから気にしなくなると思う。人間そういうものだ。
昨日は結局事件が起こった日の新聞記事を集めて読んでいるだけで終わってしまった。進捗なし。
「この問題の証明は…」
今は数学の授業。高校の数学なんて半分くらいは国語みたいなものだ。最近あまり計算らしい計算問題が出ていない気がする。色んな人がしきりに読書を勧めてくるのはここらへんに理由がありそうだ。高校から読書を始めてもあまり身に付かなさそうではある。
昔は植物図鑑なんかをよく読んでいた。映画になった方ではない。内容はほとんど読んでいないが、毒がある植物や、南米にしかない花、禍々しい色をした木の葉など、説明文を写真とともに眺めているだけで楽しかった。今は滅多に開かない。どうしてだろうか。いつの間にか息子の話を始めている教師の声を聞きながら、僕は目を閉じた。
まどろみの中。僕の影が伸びている。それは僕の足元を離れて独立する。
やがてそれは僕の顔をして息を始める。連れ戻そうと手を伸ばしてもつかめない。それは僕の思想と相反する考えを持っているようで、破滅的だ。いや、僕の意識しない意識の底だろうか。信じたくはなかったのだけれど、僕にはそういった欲求が眠っていたのかもしれない。とにかく、そんな影が意思を持って動き出す。僕はその影を追うけれど、どんどんと距離が離れていく。まるで、自分から意識が乖離していくかのように。
そして、影が夢の中の和泉風を切り裂いたところで目が覚めた。
じっとりとした嫌な汗をかいている。いつの間にか休憩時間になっていた。どうやら僕は授業終わりの挨拶すらすっぽかして眠っていたようだ。気怠さが増している。
そこでふと視線を感じる。
「…和泉?」
視線の方向を見ると和泉がこちらをじっと見つめている。良かった。現実の彼女は切り裂かれていなかったみたいだ。
じっと見つめられる。な、なんだろう…。僕だって居眠りくらいするぞ…。
「悪い夢でも見てた?」
彼女に悪いことをしていたわけではないけれど、そう言われるとなんだかバツが悪い。
「いや…悪夢ではなかったと思う」
目を逸らしながらそう答える。逸らした先には筆箱につけられたウサギのキーホルダーがあった。妹と、その友達と合わせてそのキーホルダーを買ったのだろう。和泉姉妹は仲がいいのだろうか。病室での話が蘇り、また影が這うような感覚がする。
咄嗟に否定したけれど実際には悪夢だった。僕自身よくわからないまま心配をかけるのはよくないと思ったので否定をしておく。彼女が心配してくれるかはわからないけれどね。
「そ。家でちゃんと寝ときなさいよ」
ぶっきらぼうにそう言って、弁当を持って教室を出て行った。そういえば四限が終わったのか。僕はパンでも買ってこようかな。銀のウサギが頭の片隅に残る。
ついでに冷たい飲み物を買って、汗の嫌悪感と気味の悪い不安を拭い去りたかった。
あの夢は何かの予言だったのかもしれない。そう思ったのは随分と後のことだったけれど、考え直せば自然とそう思われた。
学校帰りの僕は一人の少女と出会った。それも、僕が探していた相手と。
夕日が照っている。その光が届く限りのすべてを赤く染める沈みかけの太陽。住宅はさながら地球最後の日のようだ。赤色は光の中でエネルギーが小さい色らしいけれど、この景色を見ていると全然そんな気はしてこない。普段はすました青をしている空でさえ燃え滾っている。
学校が終わった後のやる気の削がれた僕の目にもその赤は飛び込んでくる。もう少し控えめに照らして欲しいものだといつも思う。強い光に大きく引き伸ばされる自分の黒い分身。子供のころは自分の何倍にも伸びる影で遊んでいたものだけれど、今そんなことをしていたら間違いなく職務質問に遭う。懐かしさに浸るためだけにそんなリスクは冒したくない。
だがそこで、こちらに向かって走ってくる少女に気が付く。そして少女の背後に迫る白い靄にも。僕はその靄に向かって駆け出した。足元に躓き、少女はそのまま転倒してしまった。お約束だ。
「───速く」
身体強化の魔術を使用する。極めて初歩的だがそれ故に扱いやすく、単純な強化を施す。右足で地面をけるとともに周囲の景色がぶれる。その勢いを殺さずに跳躍し、少女の頭上を飛び越えて背後の靄を左手で掴み取った。
「っ…」
そのまま着地とともに地面に叩きつけたが、手ごたえはない。すぐさま右に反転し、転がる。僕が先ほどまで立っていた地面が鋭く切り裂かれる。靄は僕に狙いを移したようだ。巻き込んでしまわないように、僕は声をかける。
「離れていて!」
少女は何とか身を起こし、こちらを心配そうに窺っている。
靄は相変わらず宙に浮いている。僕は先ほどアレを掴んだ左手に目を落とした。手だけではなく、腕まで鋭利なもので切り裂かれたような傷があった。まだ僕が衣替えをしておらず半袖でよかった。ずぼらな自分に感謝をする。長袖を着ていたら制服が大変なことになっていた。制服の心配をしている僕に苛立ったか、それとも痺れを切らしたか、靄は強い風を纏って襲い来る。
脚力の強化はまだ続いている。風の刃を全力で屈むことでかわす。頭上を通り抜けた風に向かって立ち上がりながら身を翻し、左腕で薙ぎ払う。傷が痛んだが、その代償のお陰か、風の塊は払った先の民家の塀に叩きつけられ霧散した。
「なんだよその腕…」
そう言い残して靄は消えた。ふぅ、と息を吐きだす。
カマイタチ。一昔前に人気になった妖怪だ。風に乗り、人を切り裂く。風に魔が宿ることで発生する低級かつシンプルな怪異だが、危険でもある。
なんとか倒すことはできたので僕は少女のほうへ歩いて行った。なるべく恐怖を与えないように話しかける。
「怪我は、ないかな」
精一杯のスマイル。どこぞのファストフード店でも金をとっていいレベルの笑顔だ。通報されたらたまらないからね!最近そういうの多いし!…まぁ僕が笑っても意味がないんだけど。
「だ、大丈夫です…で、でも」
彼女は僕の傷のことを心配してくれているのだろうか、僕の腕に目を落としている。
「大丈夫だよ。気にしないで」
傷はもう治っているし、そもそもカマイタチにつけられた傷から血は出ない。
少女は驚いたようだが、同時に安心もしたようでほっと息をついた。
僕はこの少女を知っている。ただし写真で見ただけなので、知っているのは一方的だ。
「えっと…私、藤谷朱音って言います。えっと…」
胸が跳ねる。探していた少女が目の前にいるという興奮を相手に悟られないように抑えつつ僕は極めて平静に自らを名乗る。
「僕は日暮恵勇だよ」
「さっきのって…」
「カマイタチ。妖怪だよ」
こんなことを言って信じてもらえるのだろうか。確かに目の前で起こったことだけれど、常識的に考えれば信じられないと思う。常識外にいる僕が言うのはおかしいと重々承知だ。
だけど女の子は顔を伏せている。そのことに何かを察した。
「君は魔に襲われる原因に心当たりがあるのかな?」
「…」
もっと顔を伏せてしまった。ショートカットだが前髪は長めで、そんな風に伏せてしまえば栗色のキノコのようになってしまう。セーラー服のショートカットって至高だと思うのだけれど、皆さんはどう思いますか?そんなことを考えている暇じゃない?あ、はい。その通りです。
「できれば聞かせて欲しいんだ。君の知っていることを、全部」
追い打ちのようなことはしたくないが、彼女の後ろめたい感情は消し去っておいた方がいい。負の感情は魔を引き寄せる。今の彼女は、何故かはまだわからないが悪いものを引き寄せやすい状態にあるようだ。
「私は…」
「願ってしまったんです」
僕は、そこですべてを知った。
この物語を上下構成にするならここまでが『上』の扱いになります。
ここまでが登り。ここからが折り返し地点になります。
お付き合いいただきありがとうございました。引き続きお楽しみください。