3.考察
日暮 恵勇 ヒグレ ケイユウ 主人公。
アラネコ あらねこ 相棒。
不動 瑞子 フドウ ミズコ 笑顔が怖いクラスメイト。
和泉 風 イズミ フウ 主人公の隣の席の女子。
和泉 鈴 イズミ リン 風の妹。
藤谷 朱音 トウヤ アカネ 人。
神尾 翔子 カンオ ショウコ 人。
平優 タイラ ユウ 人。
東雲 海人 シノノメ カイト 人?
臙脂棗 エンジナツメ 人じゃない。
翌朝、七時に起きる。まだ寝ていたかったが約束なので仕方がない。窓から差し込む朝日が目に痛い。昼間はこれ以上の強い光の中を歩いていたとしても痛みなど感じないのに、起きたばかりだと目も開けられないほどに陽の光を避けようとするのはなぜだろう。
アラネコはまだ眠っているようで、彼女の分の朝食は準備しなくてもよさそうだ。
ぼやぼやとした視界のままトースターにパンを放り込む。そのままほとんど閉じた目で冷蔵庫から牛乳を取り出しコップに注ぐ。椅子の上でだらっとしながら焼けた食パンをもそもそと口の中に入れ、牛乳をのどに流し込んだ。
寝不足の時って椅子の上で目を瞑っているだけで寝ている気になる。体のあちこちから湧いてくる気怠さを押し込めて支度をした。
相談所の看板がかかっている出口のとは反対の、所謂関係者専用の裏口から出る。朝は涼しいなぁ…。冬でも朝のほうが好きだ。空気がとても澄んでいる気がする。朝のほうが好きだが朝起きるのは嫌いだ(矛盾)。
昨日の和泉との会話を思い出す。問題は、どうやって藤谷朱音から話を聞き出すか、だ。藤谷の家の場所はハルヌからすでに手に入れている。忍び込むなら今夜にでも可能だ。ただし、それは話を穏便に聞き出すことが不可能になることも意味している。できることなら波風を立てずに藤谷から話を聞き出したい…。
街路樹はすでに葉を変色させ、あたりの景色を一変させている。鼻をくすぐる枯葉の香りと、僕と同じように学校へ向かう小学生たちの騒がしい声を聞きながら、思いつきもしない方法をずっと探っていた。
久しぶりの学校だ。特に新しくもないし、古くもないコンクリート構造の建物が見える。
敷地は広いほうだが木が大量に生えているだけで持て余している感が否めない。自転車置き場って毎日何台かはみ出てるよね。
校門を通ってからの道を、在校生なのに懐かしいと感じながら歩く。下駄箱の場所はかろうじて覚えていたので、上履きが埃をかぶっていないか注意してから履き替えた。
階段を上って二階へ上がる。教室棟、四階建ての校舎は下から学年順で、四階は特別教室になっている。最近はほとんどないが生徒の数が多いと使っていない教室が割り当てられるらしい。一年から四階へ上がる苦行を味わうのはうつ病になりかねないし、楽しいはずのクラス替えが祈りを捧げる場になってしまう。廊下の床と上履きが織りなすなんともいえないギュッギュという音を盛大に響かせながら歩く。確か僕の教室は階段を登り切って右に曲がってから三つ目だった気がする。教室の場所を間違えるのだけは避けたい。
擦りガラスと擦ってないガラス(名前不明)が特に規則もなく取り付けられた、予算不足感溢れる窓を通り過ぎる。擦りガラスのほうが安物っぽいが、砂を吹きつける手間がある分値段はそちらのほうが上らしい。絶対に透明だった方がいいと僕はずっと思っている。
教室に入る。クラスメイト達の顔ぶれを見るに、どうやら教室は間違えていないようだ。何人かの生徒が珍しいものを見るかのように僕の顔を見てくる。話したこともなく、僕は顔も名前も覚えていないが、彼らは僕のことを知っているようだ。まぁ不登校気味の生徒がクラスに一人いたら覚えてしまうのは必然なのだろうけど。
廊下窓側の自分の席に座る。休んでいた間のプリント類がわんさか入っていた。わざわざ捨てずに入れておいてくれた隣人に俺を言おうと左を見たがそこには誰も座っていない。
僕は結構ギリギリの時間に来たので来ていないことは考えにくい。鞄だって置いてあるので欠席の線もなさそうだ。それに彼女が何か先生から大役を任されるような立場だということもなさそう(とても失礼)なので、トイレにでも行っているのだろう。と、見当をつけて鞄の中身と机の中身、つまりは教科書類とプリント類を入れ替える。
入れ替えたのに厚みが同じくらいになった。これ持って帰れるのかな…どうせ明日から一週間ここに来ることになるから少しずつ持ち帰ればいいか…。
「あ、本当に来てたんだ」
「僕は約束を破るやつだと思われているのか」
不動に話しかけられる。酷い言い草だ。まるで僕が約束を守らない人間みたいだ!約束は自分に利がある場合のみ忠実に守る。これほど信用に足る人間がほかにいるだろうか。
「ところで、僕の隣人はどこに?」
「あー…和泉さんはどこかでふらついてると思うよ」
僕がいない間に彼女は浮浪癖を発症したのだろうか。
「そんな自由気ままな生き方をしていたかな…」
「妹のことであれこれ聞かれるのが嫌なんだってさ」
なるほど、確かにクラスメイトの妹が事件に遭遇すれば野次馬だって湧くだろう。直接聞く下世話な人間は少ないだろうが、教室にいればいやでも噂話が聞こえてくる。決して彼女が精神病を患ったわけではなさそうだ。
「ホームルームには戻ってくると思うよ」
「じゃあお礼はその時でいいかな」
「お礼?」
僕は黙って不動に鞄の中身を見せる。
「わ。これって休んだ分のプリント…?」
「ああ。いつも不動が机の中に詰めておいてくれるんだ」
「へぇ…それにしてもすごい量だね…ちゃんと全部目を通さなきゃだめだよ」
「気が向いたらね」
目を通す気は全くない。裏側をメモとして利用させてもらおう。重要そうなものだけ後で抜き出しておくか…。
「そろそろ私は戻るね」
自分の席へと戻る不動に手を振りながら、プリントの束を物色していると、
「日暮じゃん、珍しい」
「あ、おはよう和泉」
ホームルームが始まるほぼ直前になって和泉は席に戻ってきた。金に染められた短髪に、気崩した制服。これで肌が土色だったら完全に新宿や渋谷に生息する学名『ギャル』と呼ばれる新生物である。剣呑な雰囲気をいつも放っているが、素行は悪くないので張りぼてに過ぎない。
「アンタ失礼なこと考えてない?」
妹と違う釣り目が本当に怖い。鷹のように鋭い、敵から立ち向かう勇気というものを根こそぎ奪いとる狩人の目である。
「失礼なこと考えてるでしょ」
詰め寄られる。あ、まつげ長いな。とか、妹と胸の大きさまでそっくりだな。とか、顔まですらっとして小顔ローラーも裸足で鳥取砂丘を走り出すだろうな。とかいろいろ考えたけど、そのどれかを口に出して半殺しにされるのは絶対に嫌なので、
「い、いや。プリント机の中に入れてくれてありがとうって言おうと思ったんだけど」
「本当に?」
「いやぁすごい剣幕で睨むもんだから吹っ飛んじゃって…」
「そう。ならいいけど」
別にお礼なんていいよ。と、顔を前に戻しながら和泉は言う。こういうサッパリした性格なので和泉が隣の席でよかったと心から思う。
「アンタこの二週間何してたの?」
「僕は二週間も学校に来ていなかったのか」
「…」
呆れるような目を向けられる。とっくにホームルームは始まっているので、二人とも顔は前に向けたまま話を続ける。担任は時候の挨拶のようなよくわからないことを言っている。時候の挨拶に適当に一つ俳句を詠んでもバレそうにないと常々思う。
「いつもの仕事だよ」
「好きだねそれ」
「最近は色々立て込んでてね」
「こっちも立て込んでて大変だよ」
「うん、聞いたよ。休み時間は毎回放浪してるのか?」
「基本はトイレだけどね」
「七十五日も続かないといいね」
人のうわさがそんなに長く続いたのをあまり聞いたことがない。一季節しか噂話なんて続かないだろうという意味らしいが、あだ名がうまく定着した時くらいしか七十五日も続かないと思う。余程の恨みがあるか、しつこい人間でなければそこまで粘着しないだろう。
それにしても、休み時間に毎回トイレに籠ったりしていたら臭いが染みつきそうだ。…便器女なんてあだ名をつけられたら、彼女の見た目からして別の意味にとらえられそうだ。もっとわかりやすく言うと、2chやまとめサイトの広告によく出るアレである。紳士諸君はよくお分かりだと思う。退魔忍とかね。
「はーいじゃあ授業頑張ってね~」
すごい適当な感じにホームルームは終了する。時候の挨拶よりも中身に力を入れるべきだと常々感じる。次の授業はすぐに始まるので席を立つ人は一部のおしゃべりやトイレに立つものだけで多くはなく、和泉もこの時間は電子辞書なんかをいじっている。
学校に来るのは久しぶりだ。数えていなかったがどうやら二週間も来ていなかったらしい。
この学校は特殊なので、学校を欠席していても課される宿題や小テストを提出し、毎学期ごとのテストである程度の成績さえとれば単位は確保される。僕のような人間にはぴったりの制度だ。最も、この制度はクラブ活動や病欠した場合の救済措置である。
数少ない僕の友人である東雲海人は陸上の大会にあちこち出ているのでこの制度の恩恵に授かっているのだが、彼曰く「そんな理由で利用する奴はお前以外いない」らしい。学校に行かずに単位が出るのならそれに越したことはないと思うのだが…授業に出るか課題をこなすかの違いは僕にとっては大きい。一度依頼が舞い込めば解決するまでそれにかかりっきりになってしまうので、学校に行っている暇なんてない。ないはずなのにどうして僕はここにいるんだろう。
授業の間ずっと、僕は授業以外のことを考えていた。数学の間は時々和泉が僕に助けを請うてくるので考え事は中断されたけど。
今回の事件が妖の仕業だと仮定すれば、考えられる状況は三通りだ。
一、藤谷朱音に因縁を持つ妖が嫌がらせをしている。
二、藤谷朱音の代わりに復讐をする妖。
三、愉快犯のような妖。
このうち三は考えにくい。ただの気晴らしに襲った相手が偶然、藤谷朱音が喧嘩した相手というのはあまりにもできすぎている。
一か二だとすれば人に化ける妖だ。これなら何体か見当がつく。一番メジャーなのはドッペルゲンガーだが、アレは本人に化け、色々な場所で目撃されるというだけである。本人がそれと会ってしまうと取って代わられるという恐ろしいものだが、自ら人を襲ったりはしない。…藤谷朱音が生粋の殺人鬼だったら話は別だけれど。
ほかに人気どころといえば狸や狐の妖だが、こんな街中でわざわざそんなことはしないだろうし、あいつらはもっぱら食べ物をくすねるための悪戯として行うので除外。
藤田に朱音に恩を感じている妖が彼女と喧嘩した相手に復讐をしているのだろうか。それなら付喪神なども考えられる。それほど強力なものならちょっとした化ける術くらい使えると思う。だけど、
「影の形というか、放っている雰囲気というか、臭いっていうのか、その影の全部が…朱音ちゃんと同じもののような気がしたんです」
と、和泉妹は言っていた。それほどまで精密に化けることはできないと思う。見た目を似せたり幻覚を用いるわけでなく、ただ影の形だけでそう見せる。そんなことができるのは高位の存在。例えば神とか…
「さっぱりわからん」
そのうち僕は考えることをやめた。