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国王改造計画進行中

 ――――話は、アライベル王国に未来の王妃が到着する二週間前にさかのぼる。



「ディウルス! 今日という今日は逃がさんぞ! おとなしくそこに直るがよい!」

「……朝から騒ぐな、ヴィンダール。そう怒鳴らなくても聞こえている」


 アライベル国王ディウルス・ヴァン・アライベル・レッケンベーア。この国の頂点に立つ男は、無造作に伸びてもさもさになった赤い髪を掻きむしりながら来訪者を睨みつけた。

 髪と同じく手入れのほとんどされていないひげは見るからに固く痛そうだ。燃え盛る炎のような赤色というかもうボリュームからして炎そのものと言ってしまっていいようなひげは、もみあげ、あご、口回りを完全に覆っている。いわゆるフルビアードだ。一応体裁としてそういう形はしているものの、丁寧に整えられているわけではないためいささか見苦しいものになっているが。

 仕立てのいい服はだらしなく着崩されていて、本来醸し出しているはずだった気高さなどは見る影もない。彼を一目見た者は、みな彼の事をどこかの盗賊の頭だと思うだろう。そんな容貌のディウルスには、王としての気品などは欠片もないが強者特有の威圧感だけはあった。

 だが、来訪者のほうもそれでひるむたまではない。そんな事でひるむようなら最初から一国の王の執務室に怒鳴り込みはしないのだ。

 国王付き侍従にして王の乳兄弟であるヴィンダール・シャル・セトラは仁王立ちの体勢を崩さないまま、主君を迎え撃つよう睨む。先に屈したのはディウルスのほうだった。

 ディウルスはため息をつきながら、手にしていた書類に視線を落とす。朝食後すぐに執務室に来たのは、この溜まった仕事を片付けるためだった。


「で? 何の用だ? 今日中にこの書類の山を片付けなければ、またリットの『拷問』に招待されてしまうのだが。お前のせいで仕事が遅れたら、連座でお前も巻き込むぞ?」

「ふん。そんなもの、そなたが書類を溜めておるから悪いんじゃろう。第一、今のリットは『拷問』を始めるほど機嫌が悪いわけではないし、書類の決裁にしたって急を要するようなものもないはずじゃ。確かに今日が提出期限のものもあるじゃろうが、あのリットが本来の期限をそなたに言うと思うか? どうせ余裕をもたせた締め切りを伝えておるに決まっておる。……そもそも、今日の予定についてはリットも承諾済みじゃ」


 恨みがましいディウルスの呟きを鼻で笑い、ヴィンダールはつかつかと執務机に歩み寄る。そしてディウルスが逃げるよりも早くひげを掴み、


「今日という今日こそは! このむさっ苦しいひげと髪をどうにかしてもらうからのう!」

「おっ、おい! やめろ、ひっぱるな!」


 慌ててヴィンダールの手を振り払い、ディウルスはひげを押さえる。結構痛かった。

 じっとしている事の苦手なディウルスにとって、散髪など自ら進んでやりたい事だとはとても言えない。それでいいのかという非難の声も聞こえてくるにはくるが、ディウルスはそのすべてに耳を塞いでいた。そのため、山賊の頭領と見紛うような風貌になってしまったのだ。


「安心せい、すでに理容師は呼んでおる。アッシュも向こうで待機しておるぞ」


 だが、いつまでもそれでいいわけがない。早急に彼の容姿を、せめて堅気の人間だと言い張れる程度には見苦しくないよう整えなければいけない事情ができたのだ。自分にはその責任があるのだ、と使命感に燃えるヴィンダールを止める事は、ひげを力いっぱい引っ張られたせいで涙目のディウルスにできるはずがなかった。


「そなたら、陛下をお連れせよ!」

「「はっ!」」


 ヴィンダールが部屋の外に呼びかけると、たちまち屈強な五人の側仕えが現れた。ディウルスを理容師のもとまで連行しに来たのだ。ディウルスはもがくが、さすがの彼もいくら自分より体格がわずかに劣る者達とはいえ五人がかりでは敵わない。ディウルスは引きずられるようにして執務室から連れ出された。


*


「少しは見られるようになったな。盗賊の首領から冒険者ギルドの腕利きぐらいにはなったんじゃないか?」


 なんとか体裁は整えられた。ひげを綺麗に剃られて髪も短く切り揃えられたディウルスを見ながら満足そうに頷くのは、ディウルスの散髪が終わるのを理容室の前で待っていた騎士団長のアッシュ・ラディオ・ディローゼスだ。ディウルスはむすっとしているが、アッシュは気にせずにからからと笑っている。


「じゃろう? これで少しは真人間に近づいたはずじゃ。これなら姫に余計な恐怖心を与えずに済む」

「冒険者ギルドも、品のいい者ばかりだとは言えないのであるがなぁ……。どれだけ取り繕ったところで美姫と野獣だと、揶揄されぬとよいのだが」

「お前にだけは言われたくないな。美女と豚だと散々笑われたのはどこの誰だ?」

「ふん。リアレアはこの肉も含めて吾輩を愛してくれているのである。貴公もせいぜい姫君に愛想を尽かされぬようにな」


 財務卿のレキウス・ロウ・レートはじろりとディウルスを睨みながら、手にしていた書類を押しつける。レキウスはこれを届けるためにディウルスの執務室へ行こうとしていたのだが、ディウルスは理容室で散髪中だと聞かされたために終わるまで待っていたのだ。


「おい、こんな時期にまた仕事か?」

「こんな時期でも仕事は仕事なのである。忙しいのは重々承知、何も今すぐに目を通せとは言わぬ。手が空いた時にでも判を押してくれ」


 レキウスはそれだけ言って、脂肪のたっぷり蓄えられた腹を揺らしながら去っていく。どすどすという足音がいつもより早く遠ざかっていったのは、それだけ彼も忙しいという事だろう。財政の責任者である彼は、急に決まった婚約発表のための夜会や婚礼の宴などにかける予算の調整をするべくいつも以上に仕事をこなしているはずだ。

 ディウルスが異国の王女を妻に迎えると決めたのは、わずか二週間前の事だった。他国との同盟を結びたいクラウディス王国、その同盟締結の餌に王女を花嫁として迎えるというものがあったのだ。クラウディス王家の娘達はみな美しいらしいから、外交に利用できると踏んだのだろう。

 そして、まっさきにそれに乗ったのがディウルスだった。というか、ディウルスの側近達だった。これを逃せばもう主君に婚期は訪れないと、彼らはわかっていたのだ。

 もうこいつ一生独身なんじゃね? と、貴族や臣下はおろか民草の間ですら早くも諦めムードが漂っていた国王の、電撃婚約発表。それはすべてのアライベルの民にとって衝撃的な知らせだった。

 そろそろ王妃を迎える事も視野に入れたいと思っていた宰相やその補佐官、そして財務官達のおかげである程度の準備はしていたが、婚約期間がわずか半年で、婚約決定から一か月後には未来の王妃がアライベルにやってくるというのは同盟を打診した直後に決まった事だ。嬉しい知らせである事には違いないが、戸惑いと焦燥も大きかった。そのせいで、国内は上も下もてんやわんやだ。


「ほら、ディウルス。むくれてないで次にいくぞ。面倒だからってもう後回しにはできないんだ。これでも予定を詰め込んであるんだからな」

「はぁ?」

「よし。あとはそなたらに任せたぞ、アッシュ」

「ああ。もうルルクとリットが準備しているからな。私達がこの筋肉馬鹿を教育してやろう」


 いぶかしむディウルスを、アッシュはぐいぐい引っ張っていく。ヴィンダールは二人を満足げに見送ってから、ディウルス不在の穴を埋めるため仕事に戻っていった。


*


「なあアーニャ。お前はどうして、そんなに美しいんだ?」


 甘く低い声で愛を囁く青年の瞳は淫靡な熱を帯びていた。一方の手で女性の腰にあたる部分に手を回し、もう一方の手で彼女のあごらしき部位を掴みながら青年は微笑む。人間離れした美貌に浮かんだそれは人の理性を狂わす蠱惑的な笑みだった。


「……おかしいな。これでも口は回るほうだと思っていたんだが。お前の前だとこんな陳腐な事しか言えない。これもお前の、その魔性がそうさせるのか?」


 彼の名前はルルク・メスティア・ストレディス。紫蝶の君と謳われる、社交界きっての遊び人だ。今日もその名と外見にふさわしく、彼はとある女性を口説いていた。

 それ自体は、ディウルスもよく目にする光景だ。夜会のたびにルルクが女性を口説いたり、多くの女性に囲まれたりしている光景はもう見慣れている。いつもと違うのは、普段以上に女性と密着しようとしている事ぐらいだろうか。

 彼がどこかの令嬢と肩を寄せ合って会話しているところは見た事がある。だが、抱き合っているところはさすがのディウルスも見た事はない。


「ふふ、照れた顔も愛らしい。ほかの男の目に触れないよう、どこかに閉じ込めておきたいくらいだ」


 しかし今のルルクは、女性を抱き寄せて甘い愛の言葉を囁いている――――問題は、その抱きしめた腕の中に誰もいない事だったが。


「ええい、やめろ!」


 耐えきれなくなってディウルスは叫んだ。何故友人が女性を口説く場面、しかも相手のいないそれを見せつけられなければならないのか。


「えー? ここからがいいところだったのになぁ。ねえフィーちゃん」


 ルルクは不満そうに虚空を見つめる。しかし残念ながら、つい先ほどまでルルクの相手役を務めていた、そのフィーちゃんなる女性はどこにもいない。いや、いるにはいるらしいが、彼女の姿を捉える事はディウルスにはできないのだ。この場にいる、リットとアッシュにもそれはできないだろう。

 とはいえ、それはフィーちゃんがルルクの想像上の人物だからではない。フィーちゃんというのは、不可視の存在である精霊の女性なのだ。精霊の姿を見るためには精霊との親和性が高くなければいけない。ルルクやその姉のミリリは精霊達の姿が見えるらしいが、一般人では無理だった。ルルクに見えている世界は、常人の世界とは少し異なっているのだ。

 そのためルルクは『よく何もいないところに向かって話しかけているちょっと危ない人』という評価が下されている。しかしそれと同時に、ミステリアスな雰囲気と退廃的な色気、そしてほのかに悪を感じさせる危険な香りが素敵だと評判らしいが。こんな男でも異性に人気があるのだから、これが顔面格差なのかと恐々とせずにはいられないディウルスだった。


「おや、お気に召しませんでしたか? ではルルクさん、プランその二をお願いします」

「了解。じゃあフィーちゃん、もう一回よろしくね。ちょっとこっちに来てくれる?」


 リットが手にしていた書類の束を机の上に置き、別の束に手を伸ばしながら改めて指示を出す。ルルクは虚空に向かって手招きした。フィーちゃんは快く了承してくれたらしい。フィーちゃんを誘導するような形で壁際に歩み寄り、ルルクは軽く咳払いをする。そして壁に勢いよく手をつけてフィーちゃんを見下ろし、


「王である俺をここまで溺れさせるなど……お前は本当に、罪深い女だな」

「いい加減にしろっ!」


 すかさずディウルスは怒鳴った。これ以上は見ていられない。


「これもだめ? まったく、ディウルスはわがままだな」

「お前が台本を読まないから、こうしてルルクが実践してやっているんだろう? 一体何が不満なんだ」


 演技をやめたルルクが、赤みがかかった美しい金色の髪をかき上げながらうんざりした顔で振り返る。アッシュも呆れ顔でやれやれと首を振った。


「すべてに決まっているだろう! 誰がそんな事を頼んだ!? 何故俺がそんな事を口走らなければいけないんだ!」

「確かに、頼まれてはいません。しかし私達は貴方の忠実な側近であり友人であり、この国の未来を思う者です。貴方がこれから迎えるであろう結婚生活を、よりよいものにするべく手を回すのは当然ではないでしょうか?」

「そうそう。愛の一つでも囁かないと、すぐに愛想を尽かされちゃうよ。お姫様が逃げちゃったら元も子もないんだ。もうほかに王妃のあてはないんだから、大事にしないと」


 ディウルスを手で制し、リットは笑顔で告げる。ルルクもそれに追従した。ディウルスがうっと言葉に詰まると、すかさずアッシュがリットの机の上に載っていたいくつもの書類の束を次々とディウルスに押しつける。それはディウルスのためにリットとアッシュ、そしてルルクが徹夜で作成した台本だった。今、ルルク達はそれをもとにディウルスに演技指導を行っていたのだ。

 どう好意的に見ても恐ろしいディウルスの印象を少しでもよくしよう、ついでに夫婦仲も円満にしようというのが目的だった。肝心のディウルスは、自分がそんな事を口走らなければいけない未来に対して全身の鳥肌が収まらない状態だったのだが。


「しっかり読み込んで、姫様のご機嫌取りをしてくれよ。お前が最初からこれの練習をしてくれれば、私達も文句はないさ」

「アーニャ姫の男性の好みがまだわからないので、台本はすべて暗記してくださいね。彼女の好みに合った台詞回しをお願いします」


 クラウディス王国王女アーニャ・クラウディス。それがディウルスの未来の花嫁の名前だった。もっともディウルスは、彼女の名前と顔立ちの噂ぐらいしか知らないが。

 押しつけられた台本を、ディウルスはうんざりしながら見下ろす。確かに王妃は必要だと思ったが、アーニャ・クラウディス個人が欲しいわけではない。ディウルスが求めているのは、アライベル王妃の肩書を持つ事ができる他国の高貴な女性だ。その条件さえ満たせるのなら、どこの誰でも構わない。数いる女性達の中でアーニャがディウルスの婚約者になったのは、いわばただの偶然だった。

 国王と王妃、その役割さえ果たせればいい。愛想を尽かすと言ったって、自分達の結婚は国と国との約束なのだ。逃げられる事は万に一つもない。それなのになぜ、わざわざアーニャの機嫌を取らなければならないのだろう。まったくもって理解に苦しむ、とディウルスは苦々しくため息をついた。

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