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黙って笑え。それ以外は望まない  作者: ほねのあるくらげ
第五章

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決断の時

「なっ……!?」

「本当ですか、アーニャ様! バルトロイ陛下もきっとお喜びになると存じます!」


 ディウルスは目を見開く。自分の耳が信じられない。しかし使者は勢いよく頭を上げてアーニャに何度も感謝の言葉を述べている。騎士達も呆然としていた。聞き間違いではなさそうだ。


「アーニャ、本気で言っているのか?」

「もちろんです。本気でなければ言いません」


 きっぱりと言い切り、アーニャはじっとディウルスの目を見つめた。色彩の違う瞳はどこまでもまっすぐで澄み渡っている。


「ディウルス様の妻になりたいと思う気持ちは変わりません。ですが、ディウルス様をはじめとしたアライベルの方々が傷ついてしまうのは嫌なんです」


 ガルガロンと戦えば、アライベルも無傷では済まない。勝算は五分五分といったところか。ガルガロンも、できるならアライベルと戦いたくないと思っているだろう。

 だが、それはあくまで皇帝ヴィーザルの話だ。国の利害を考えない皇子トールなら、アライベルの参戦すらも障害の一つとしてしか捉えないに決まっている。

 そんなトールに、ヴィーザルが与するとは思えない。しかし、実際にガルガロンからは挑発的な書状が届いている。トールが何らかの方法でヴィーザルを騙したか、あるいはシアルフィがヴィーザルを操ったのか。いずれにしろトールはクラウディスを恫喝した。アーニャがトールのもとに嫁がなければ、トールは報復を行うだろう。

 果たしてどれだけの犠牲が生まれるのか。戦火は三か国にとどまらない。ガルガロンやアライベルの同盟国も参戦すれば、それはやがて大陸中を巻き込む大きな炎に変わるだろう。アーニャの決断で、多くの命が失われる。

 この肩には人の命など重すぎて乗せられない、なんて泣き言は言っていられない。アーニャは王族だ。クラウディスにいたころならばいざ知らず、このアライベルに来た時点で民の命を背負う覚悟はしている。だからアーニャは、正しいと信じた道を行く。

 それはアライベルを去り、トールの花嫁になることだ。そうすれば、間近に迫った戦争を未然に防ぐことができる。


「……花嫁の取り換えは、アライベルがガルガロンに対して花嫁を奪われた報復をしないための策略か。俺はアーニャと婚約を解消して新たな婚約者を迎えたのだから、アーニャがトールに嫁いでもトールに対して文句を言えないようにするための……」


 そこまでしてアーニャが欲しいか。ディウルスは小さな声で吐き捨てた。アーニャの何がトールをそこまで駆り立てるのかはわからない。だが、その執念がただ不気味だった。

 アーニャの決断の意図が読み取れないディウルスではない。ディウルスは王としてそれを受け入れるべきだ。アーニャを手放せば、流れる血を見なくても済む。戦で民を疲弊させることも、土地が荒れることもない。国を想う為政者であろうとするなら、ディウルスはアーニャをトールに譲るべきだ――――だが。


「いいだろう。俺も覚悟を決めてやる」


 自分が下した決断が、すべてを丸く収めてくれることを願って。

 腹はくくった。ディウルスは厳しい眼差しで使者を見下ろす。


「おい。ガルガロンの使者はアーニャの引き渡しに期限をもうけたのか?」

「え、ええ。来月にまた来るのでそれまでに、と」

「つまり、猶予はあと三週間か」


 ディウルスとアーニャの結婚を早めたところで解決にはならない。トールは激昂し、戦争が始まるだけだ。開戦を阻止するには、その間にトールの馬鹿げた要求をはねのけなければ。


「ディウルス様、わたしは……」

「アーニャ。お前が自分を犠牲にする必要はない。そんなことをしなくても、戦争は始まらないんだからな」

「……え?」


* * *


「だいぶ集まったな。これほどの国が被害に遭っていたとは、わかっていても信じられん」


 ディウルスにとっての勝負の日は、クラウディスの使者が来てから二日と経たずに訪れた。

 円卓を囲む諸国の王を見回し、ディウルスは感慨ぶかげに呟いた。その中にはアライベルの元宗主国にして永遠の好敵手、イストロア皇国の王の姿もある。しかし今は争っている場合ではない。エスラシェの王とどす黒い笑みをかわし合うロイドを見習い、ディウルスとイストロアの王も一瞬睨み合うだけにとどめた。

 

「もうガルガロンの好きにはさせん、ここにいるのはそういった気概のある者ばかりだ。これだけいれば、我々の望みもたやすく叶えられるだろうさ」


 ディウルスの隣に座るロイドは楽しげに言う。もっとも、目は欠片も笑っていないが。


「今日はわざわざ集まってくれて感謝する。まどろっこしいことは嫌いだから早速本題に入らせてもらおう」


 アライベルの王宮、リークブルク王宮に招いた六人の王達が着席したのを見計らい、ディウルスは告げる。円卓を囲む椅子は全部で七つだ。空席が一つだけあるが、そこに座るべき王は途中から来ることになっている。彼は内密でアライベルに来るため、色々と調整が必要なのだ。


「今日集まってもらったのは、ガルガロンの第二皇子トール・クリスツ・ブルーデンについて話し合うためだ」


 ディウルスがトールの名前を出した途端、四人の王が殺気立つのがわかった。ここにいるのは、クラウディス王バルトロイという例外を除けば、かつてトールが滞在していた国々の王達だ。クラウディスの使者の発言が真実であると裏づけが取れたのでバルトロイを招いたのだが、バルトロイは少し居心地悪そうにしていた。

 エスラシェ王国、イストロア皇国、イレニス帝国。彼らの国でも見目麗しい令嬢が旅人に泣かされている。その旅人の正体はもはや言うまでもない。中には既婚者や王族の娘に手を出されたところもあるというので、王の怒りはとどまるところを知らなかった。恋に浮かされた娘が国家機密を漏らした可能性すらもあるというので一大事だろう。

 だが、それとは別にもう一つ、各国に共通する不審な動きがあった。ほとんど同じ時期に、国内の傭兵団がいくつか姿を消しているのだ。

 これは各国の傭兵ギルドがそれぞれの宮廷に報告している現象だった。ギルドからの依頼を受けていないはずの傭兵団が、今日にいたるまで姿を消している。どこぞの貴族が傭兵を私兵として囲い込んだからではないか、と、どの国の傭兵ギルドも考えていたが、それで片付くはずがない。

 同様の報告はアライベル内でもあった。かつてディウルスがアーニャとともにニーケンブルク宮殿に滞在した時、囮として使った馬車が襲われたのだが、襲撃者はアライベル内の傭兵だった。どうやら何者かに襲撃を依頼されたらしい。それと同時期に、姿を消した傭兵団がいくつかあった。彼らは別の依頼を受けて、アライベルを去ったのではないだろうか。

 消えた傭兵、ガルガロンの兵にひっそりと制圧されたクラウディス。しかしガルガロンが大規模な挙兵を行ったという報告はどの国の間諜もしていない。

 トールはアーニャを襲撃する計画を何度も立てていた。その中の一つに、足がつかないよう現地の傭兵を利用したものがあった可能性もある。おまけに傭兵団の消失はトールの滞在時期と重なっていた。考えられるのは、トールが傭兵を内密に雇って私兵としている可能性だ。

 傭兵とはいえ、正式に国から認可されたギルドに所属する者が、ギルドの許可なく他国の侵略に加担しているなど許されない。クラウディスに潜む傭兵には厳罰が下されるだろうが、ギルドの目を盗んで彼らを雇った依頼主にも相応の咎めが必要だ。

 トールの被害に遭った少女の中には、トールに高価な贈り物をしていたどころか金銭的な援助をしていた者までいた。ヴェリエの商人という仮初の身分を使っていたせいか、彼の商隊から使いもしない高額なものを買った少女もいたらしい。

 商隊はおろかおおもとの商会ですらトールの味方だったのだから、商隊そのものがトールの姿を隠す偽りのものだろう。トールが受け取ったものはもちろん、商隊が扱っていた商品の売り上げすらもトールの私財として扱われていた可能性が高い。

 これだけトールのせいでこうむった損失があれば、諸王が重い腰を上げるには十分だった。あとはこの損失を補填できるだけの利益をガルガロン帝国からむしり取るだけだ。


「ですが、どうやってあの若造を引きずり出すのですか? トール皇子の非を認めれば、ガルガロンの名にも傷がつきますわ。それに腹違いとはいえ弟です。ヴィーザル王は必ずトール皇子を庇うでしょう」


 それぞれの現状を改めて共有し、集った目的を確認したところで、イレニス帝国の老女帝が尋ねる。そう、それが今日集った王達の一番の問題点だった。老女帝の発言を皮切りに、王達も口々に疑問を呈し始める――――だが、それは集められた側の持つ疑問でしかない。


「それについては問題ない。そうだろう、ディウルス」

「ああ。……そろそろ来るころだろうな」


 ロイドとディウルスは顔を見合わせた。なにも二人はなんの見通しもなしにこの場を設けたわけではない。

 ソー・ロックバルドという商人の正体がガルガロン帝国の皇子で、レスクヴァがディウルスの味方についた時から、ディウルスはこの日の実現のためにせっせと根回しをしていた。そう、クラウディスの使者がアライベルに来る前からだ。全七か国―七か国目であるクラウディス王国の参加は予定外だったが―の国主が揃うこの会談の準備こそ、ディウルスが忙しかった一番の原因だった。

 話し合うべきは、トールが起こした不祥事の落としどころだ。皇族の不始末は国の不始末。帝国には制裁を。そしてそこからいかに自国(おのれ)の利益を搾り取るか。各々の思惑を胸に秘め、王達はこうして同じ卓についている。

 円卓の間の扉が開いた。現れたのは、端正な顔立ちに濃い疲労の色を宿した青年だ。肩に流れた癖のないまっすぐな髪は綺麗な紫色をしている。濃い緑の瞳は憂うように伏せられていた。


「途中から参加する非礼を詫びよう。非公式でここまで来たせいか、国を出るのにずいぶん手間取ってしまった」

「なっ!?」

「ま、まさか君は……!」

「嘘でしょう? いつの間にここまで話を……」


 三人の王はそろって絶句する。過剰に反応しないのは彼を招いたディウルスとロイド、そして大陸の国とは縁のなかったバルトロイだけだ。


「一応紹介しておくか。こいつはヴィーザル・デルマン・エルトデッセン。ガルガロンを統べる者としてこの場に招かせてもらった。……さあ、これでお前達の一番の憂いは取り除かれただろう? 腹の探り合いは抜きだ。望む償いと、それをトールに要求するための手段を講じようじゃないか」


 アライベル王国、レンブリック連合王国、クラウディス王国、エスラシェ王国、イストロア皇国、イレニス帝国、そしてガルガロン帝国。これで七つの国の君主が揃った。のちの世でリークブルクの七帝会談と呼ばれる論戦、その知られざる前哨戦はこうして幕を開けた。

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