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黙って笑え。それ以外は望まない  作者: ほねのあるくらげ
第四章

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伯爵令嬢レスクヴァ

 アーニャとディウルスがレンブリック連合王国に発ってから五日が過ぎた。クルーブ公国の伯爵令嬢はすでに迎賓館で暮らし始めているが、さしたる問題は起こしていない。少なくともヴィンダールが知っている限りでは、だが。

 ヴィンダールは侯爵家の次男でディウルスの乳兄弟という事もあり、周囲からもそれなりに信頼されている。さすがに王の政務を肩代わりする事はできないが、ともに国に残ったリットと協力してディウルス不在の穴を埋めていた。

 しかしそれもさして大変なものではなく、むしろ手のかかる案件がほとんどないのでちょっとした休暇気分ですらある。唯一の懸念は異国の伯爵令嬢レスクヴァ・ピアロースの事だが、ヴィンダールとしてはそこまで警戒する必要を感じていなかった。レスクヴァとは彼女がこの国に来た時に一度会ったきりだが、何の脅威も感じられなかったのだ。

 レスクヴァを見た者達は口々にその美しさを述べた。彼らの言葉通り、可憐な少女だとは思う。北国出身らしく肌は抜けるように白く、つややかな髪は海の色をしていた。あの大きな翡翠の瞳でじっと見つめれば、それこそ有力者の一人や二人は容易にとりこにできるだろう。ヴィンダールの好みではないが。

 彼の好みはもっと艶やかで肉感的で、傾国の色香すらもにじませるような退廃的な美女だ。浮かべる笑みが蠱惑的なものだとなおいい。そのうえたれ目がちの青い瞳なら文句のつけどころはなかった。その好みを語り出すと、ディウルス辺りから必ずうるさいと言われる。

 無口でおとなしい娘。それがヴィンダールの、レスクヴァに対する第一印象だった。儀礼以外でヴィンダールがレスクヴァと交流したことはないが、今日にいたるまで彼女の言葉は一言たりとも聞いていないし、彼女につけられた騎士や侍女達もそうらしい。意思疎通は身振り手振りか、彼女が自国から連れてきた側近達が代わりに喋ることで行われているとか。もしかすると彼女は口が利けないのかもしれない。

 ディウルスやリットの心配もあり、レスクヴァには大げさなくらいの―もちろん本人には悟られないようにだが―対策が取られている。何かアライベルに不利益をもたらすような品を持ち込んでいないか宮廷魔術師達が検査し、精霊と意思の疎通ができるロゼルが常時レスクヴァに監視用の精霊を張りつかせ、それと気づかれないような監視の兵をレスクヴァの周囲に配置できるようアッシュとリットが手を回した。数は少ないとはいえレスクヴァが連れてきた従者一人一人にまで監視の目がついているのだ。いくつか気になる魔道具を宮廷魔術師達が預かったと言うが、これほど厳重な警戒の中でレスクヴァが何かできるというなら逆に見てみたいとすら思える。もちろんこんな大掛かりな警戒態勢はずっと維持できるものではないので、なるべく早くレスクヴァを穏便に国に返したいというのが本音ではあるが。

 国王不在のアライベルで目下一番の不安の種であるレスクヴァの事を考えながら、ヴィンダールは小さくため息をつく。そのまま彼は片付けていた書類を脇に寄せて小さく伸びをした。

 そろそろ休憩してもいいだろう。気分転換に庭園の散策でもしようかと思い立って部屋を出たところで、彼は城内の騒がしさに気づいた。いや、空気が騒めいているとでも言ったほうが正しいだろうか。

 大声が響いているわけではないし、行きかう者達にも異変はないようだ。だが、何かがおかしい。一部の騎士が苛立たしげに普段より早足で歩いている。一部の侍女が困惑とも不安とも取れる表情で右往左往している。平静を装って周囲に悟られないようにして、何の異変もない者達に溶け込もうとしているようだが、ヴィンダールは彼らの発するぴりぴりとした緊張感と焦燥を敏感に読み取った。まるで何かを探しているような。

 何かあったのだろうか。思わず呼び止めようとしたとき、彼は気づいた――――様子のおかしい者達はみな、迎賓館勤務でレスクヴァの担当に抜擢された者達だ。


「そなた、ここで何をしておる?」

「ヴィンダール様! ちょうどご報告に上がろうと思っていたんです!」


 騎士の一人に声をかけると、騎士はほっと肩を撫で下ろした。しかしすぐに気まずげに視線を落として告げる――――レスクヴァの姿が見当たらない、と。

 レスクヴァには精霊がついている。王宮で精霊と意思の疎通ができるのは半精霊のミリリやルルク、あるいは精霊術師のロゼルだけだが、レスクヴァにつけた精霊はそれなりに上位の存在だという。人間と意思の疎通ができなくても、彼らは自分でレスクヴァに“やらせていいこと”と“悪いこと”の判断がつけられるらしい。たとえレスクヴァが何をしようとも、いざというときは精霊が止めてくれるはずだ。

 だが、人間側の心情としてはそうもいかない。精霊の監視があるとはいえ、自分達の目の届くところにレスクヴァがいてほしいと願うのは当然だろう。精霊の妨害はもちろん結界魔術も張られている王宮の敷地内で、レスクヴァが自由に入れる場所は多くはない。だが、得体のしれない国からの来客にうろつかれてはいい気はしないし、そもそもレスクヴァが純粋な迷子ならば早めに見つけなければならない。

 騎士の話では、十分ほど前にレスクヴァは庭園の散策中にいなくなったという。庭園と一口に言ってもかなり広い。順当に考えれば今も庭園をさまよっているか、歩き疲れて迎賓館に戻ったか。場所次第では迎賓館より王宮のほうが近い場合もある。

 何にせよ範囲が広いので、今はレスクヴァの従者が総出であちこちを探しているそうだ。ただ、レスクヴァが王宮内の機密情報を漁ったり、上位貴族に接触して不穏なやり取りをしたりするという最悪の可能性を考慮しているため、庭園にはあまり人を割かずに王宮を中心に探しているという。

 自分一人が加わったところでどうにかなるものではないだろうが、何もしないのも落ち着かない。自分も探すと伝え、ヴィンダールはくるりと彼に背を向けた。


(望んでアライベルの者を撒いたのか、偶然はぐれてしまったかはわからんが……アライベルの騎士に節穴はおらんはずじゃ。侍女も()()()訓練を受けた者ばかりだったはず。レスクヴァ嬢が自らの意思で姿を消したとみるのが妥当じゃろう。じゃが、何のために……)


 護衛対象が騎士を撒こうとする。普通なら、迎賓館に案内される客にそんな破天荒な者はいない。だが、レスクヴァが何をするかわからないということで、騎士達は特別目を光らせていたはずだ。それすらも突破してレスクヴァは姿を消した。おとなしい娘を前に油断していたというのもあるかもしれないが、どうやら騎士達よりレスクヴァのほうが一枚上手だったようだ。

 それなりの人数がレスクヴァを探しているが、いまだ見つかる気配はない。それならば、探されていない場所(ていえん)にいるという可能性が現実味を帯びてくる。当然のことながら庭園に機密事項などはないが、そこが貴族何某との密会の場であることは考えられるはずだ。ヴィンダールは迷わず庭園に向かった。


*


 植え込みにあふれる区画、彫刻の並ぶ区画、憩いの場として整備された区画。歴代の王達が戯れに手を入れてきたため、王宮の庭園は統一感があまりない。

 王の一声で模様替えが行われる事もままあるので、“自分が今どこにいるか”は把握できても“どこをどう行けばどこに辿り着くのか”はわからない時代もあったという。先王やディウルスはそういうものに興味がなかったので、庭園の様子はヴィンダールが生まれた時から一切変わっていないが。

 少年時代、ヴィンダールは幼馴染み達に引きずられる形で庭園を駆け回っていた。ヴィンダール自身は身体を動かすことが嫌いなのだが、脳筋と付き合う以上ある程度は仕方ない。そう割り切っていた。

 だからヴィンダールは迷わず庭園内を効率よく回る事ができる。それこそ他人がおいそれと近づこうとしない場所でさえも、ヴィンダールは覚えていた。まさかディウルスやアッシュに振り回されてきた経験がここで生きるとは。

 何が役に立つかわからないと妙な感慨にふけりつつ、ヴィンダールはレスクヴァの名を呼びながら庭園の外れにある森に向かった。庭園はすべて見て回ったが、どこにもレスクヴァの姿はなく、あとはもうこの場所しかないからだ。

 庭園の外れに造られた森は、紛うことなき森だった。一応結界魔術が張られているので森の外は安全なはずだが、森の中には狂暴な獣が放たれている。何代か前に狩りが好きな国王がいて、その趣味のために造られた場所だというが、結局その国王は箱庭の森にすぐ飽きてしまってそれ以降手つかずになっている。

 造られた当初はもう少し明るく開放的で、人工的な匂いを感じさせる場所だったらしいが、今ではその面影もない。木々がうっそうと生い茂る、正真正銘ただの森だ。()の王も、この森を前にすればきっと満足しただろう。

 森自体はさほど広いわけでもないし、結界のおかげで決められた範囲外に木や枝が伸びるのも獣が逃げ出すのも防げる。潰すのも手間だということで、この森は今の今まで放置されていた。

 獣を恐れて庭師もこの森には近づかない。人の手からほぼ離れたこの場所に近づくのは、結界の補強に来た魔術師か果実や薬草を求める酔狂者、あるいはよほどの向こう見ずぐらいのものだ。ちなみにルルクは一番目、ヴィンダールは二番目、そしてディウルスとアッシュは三番目に該当している。残る幼馴染み、リットとレキウスがディウルス達に騙される形以外でここに来た事はないし、きっとこれから先もここに来ることはないだろう。

 ヴィンダールは難なく木々の隙間を通り抜けて森に入る。結界が張ってあると言っても、それはほとんど森の中から外へ出ようとするものを封じるためのものだ。それに人間は該当しないよう設計されているし、森に入ることに制限がかけられているわけでもない。こと人間の場合は、森への出入りは自由だった。めったに人が近づかないここは、密会にはうってつけだろう。ここなら他人に見咎められる事はまずない。警戒するべきは獣の襲来だけだ。

 あらかじめ用意しておいた獣除けのハーブをいぶし、気配を消したヴィンダールは慎重に進む。発せられる細く薄い煙は人間には無害無臭のものなので、大きな音を立てない限りは気づかれないだろう。もしレスクヴァが何某と密会していたとしても、物陰から証拠を押さえることぐらいはできるはずだ。後はそれを突きつければいい。もちろん、実際にそんな場面に出くわしたなら、だが。


「……何故、そのようなところにおるのじゃ?」


 そんな風に警戒しながら森を歩いていたヴィンダールは、何気なく空を見上げた瞬間に肩透かしを食らった。視線の先には大木と、高い枝の上で縮こまっているドレスの少女。ぐるぐると頭の中を巡っていたいくつもの不穏な可能性が霧散していく。


「だ、だって、猫が……」


 蚊の鳴くような声が降ってきた。それに被さるように、みゃあと小さな鳴き声がする。少女――――つい先ほどまで行方不明になっていたレスクヴァ・ピアロースの腕には白い毛玉が収まっていた。


「なんじゃ、喋れたのか」

「はぁ!?」


 思わず漏れた独り言にレスクヴァが耳ざとく反応する。ただそれだけなのに、それまでの印象が一変した。もう一度言ってみろと言いたげにすごむその顔からはもう無口でおとなしい娘だなんて評価は下せない。事態に混乱しているのか、それともこれが本性なのかはわからないが、つくづく人は見た目では判断できないものだ。

 何も言っておらんと適当にごまかし、ヴィンダールは小さくうなった。精霊達が止めなかったという事は、木登りをするレスクヴァには危なげが一切なかったのだろう。獣を追い払ったのは精霊に決まっているし、さすがに傷だらけになりながら木によじ登っていたら精霊達も止めるはずだ。精霊達が動くまでもなくレスクヴァはひょいひょいと木に登ったに違いない。

 いざ登り切って猫を確保してみたはいいものの、予想以上に枝が高い場所にあって臆してしまったというところか。それにしても、よくドレス姿で木登りなどできたものだ。


「精霊殿、どうにかできないのかのう?」


 当然ながら返事はない。声が聞こえないのは仕方ないとしても、小枝を揺らすだの木の実をぶつけるだの何かしらの反応ぐらいくれればいいのにとヴィンダールは腕を組む。何もできないのか、あるいは逆にレスクヴァを傷つけそうでためらっているのか。いずれにしろ、精霊達の助力は得られなさそうだ。


(……仕方あるまい)


 人を呼びに行きたいが、もし目を離した隙に無茶なことをされても責任はとれない。精霊がいるのでレスクヴァの安全は保障されているが、レスクヴァはそんなことは知らないのだ。最悪、見つけておきながら見捨てられた、ヴィンダールが全面的に悪いのだと周囲を言いくるめにかかる可能性はゼロではなかった。

 自分がどうにかするしかないか。ヴィンダールは小さくため息をついて袖をまくった。低い枝に手をかけて()()に足を乗せる。

 頭上からレスクヴァの戸惑う声が落ちてきたが、それを無視してヴィンダールは上を目指した。身体を動かすことは嫌いだ――――だが、苦手であるとは言っていない。


「失礼するぞ」

「え、ちょ、」


 目的の枝まではあっさりと到達した。レスクヴァを横抱きにし、落ちたら危ないのでしっかり抱きかかえる。猫のほうはレスクヴァがちゃんと押さえてくれるだろう。もっとも、猫の運動能力ならこの高さから落ちても平然と着地できそうだが。

 ヴィンダールはそのまま枝から飛び降りた。じん、と足が痺れる。しばらく動きたくはなかったが、レスクヴァの手前微動だにしないわけにはいかなかった。何とも言えない痛みをこらえながらレスクヴァを下ろして立ち上がる。

 レスクヴァのことは儀礼的行事に参加しているときにちらりと見た程度なのでよく知らなかったが、思ったよりも背が高くて肉感的だった。非常事態とはいえ密着して申し訳なかったと謝罪するが、レスクヴァは恥ずかしさと気まずさからか赤い顔をして俯いている。

 レスクヴァの様子を間近でまじまじと見て、ヴィンダールはふっと微笑んだ。どうやら怪我などはしていないようだ。安心した。異国から預かった令嬢が傷つくのはぞっとしないし、怪我人を作るのは本意ではない。


「なっ、なに、笑ってっ」

「そなたが無事でよかったと思ったまでじゃ。よいか、もうあのような危険な真似をするでないぞ。いくら猫が枝に上っておったといっても、無鉄砲にもほどがある」

「うう……」


 そう諭すと、レスクヴァは赤い顔のままヴィンダールを睨みつけた。言い返さないのは反論材料が見つからないからか、何を言っても論破されると思っているのか。相手が静かなのをいいことに、迎賓館に向かって歩きながらヴィンダールはこんこんと説教を続けた。口調と説教臭さは育ての親である老爺譲りだ。兄とともにうつったそれは治そうと思っても治せない。

 叱りながらもヴィンダールは何故レスクヴァがあんなところにいたのかを聞きだした。彼女曰く、いつも傍にいられて息が詰まりそうだったので逃げ出したとか。庭園を当てもなく彷徨っているうちに森に入ってしまい、そこで猫を見つけたのだという。

 いったいどんな知恵を使って騎士達を撒いたのかはどうあっても教えてもらえなかったが、把握しておかなければ再犯の可能性もある。騎士達にはきちんと説明して、気をつけるように言っておかなければ。

 レスクヴァの話が嘘であるとヴィンダールは思っていなかった。密会だの諜報活動だののために監視の目をすり抜けたのに枝の上で震えながら丸まっているなんて、そんな間抜けがいるはずがない。早々にヴィンダールの接近に気づいたレスクヴァが、そこまで考えることを見越してとっさに木に登ったなら話は別だが。そこまでいったら、もう手放しで称賛してもいいだろう。


 何事もなく迎賓館に辿り着き、やきもきしていた侍女に事情を説明する。侍女はぱっと顔を輝かせ、レスクヴァ発見の知らせを拡散しに行った。目を三角にしているクルーブ公国からの従者達に囲まれて迎賓館に引っ張られそうになりながら、レスクヴァは最後にヴィンダールを見た。


「ねえ、待って! あたし、まだ貴方の名前を聞いてない!」

「ヴィンダール。ヴィンダール・シャル・セトラじゃ。次に会うことがあるならば、そのときはあんな肝を冷やすような場面でないことを願うぞ、レスクヴァ嬢」


 ちょっとした気分転換で外に出たつもりがどっと疲れた。それを承知で自分から首を突っ込んだこととはいえ、仕事を再開する気にはならない。ちょうど片付いている書類が財政関連の者なので、それを届けるついでにレキウスとお茶でも飲む事にしよう。そう思いながら、ヴィンダールはあっさりと踵を返した。

 そんな彼が気づかなかったのも無理のないことだろう。迎賓館に引っ張り込まれる瞬間まで、レスクヴァはヴィンダールの背中を目で追っていたなんて。

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