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国王ディウルス

 友好の間に行くと、そこにはすでに使者達が揃っていた。荷物も運びこまれている。見送りの人間はいなかった。クラウディス側の人間といえば、荷物を運び終えたばかりらしい兵士が散見しているぐらいだ。そんな彼らもアーニャの姿を見た途端にこそこそと逃げ出してしまった。それに少しがっかりする。他国の者達の前なのだから、ここまで露骨に嫌悪感をあらわにしなくてもいいのに。

 ぽう、と青白い光を放つ魔法陣の上に立ち、アーニャは深呼吸する。緊張、恐怖、期待。様々な感情が入り混じった胸は今にも潰れてしまいそうだった。


「よろしいですか、アーニャ様」

「……はい」


 リットの問いに小さい声で返事をし、拳をぎゅっと握りしめて口をつぐむ。そうしていないと口から心臓が飛び出してしまいそうだった。

 すぐにリットが数人の魔術師達に指示を出す。魔法陣の光がだんだん強くなっていき、アーニャは思わず目を強く閉じた。


*


 次に目を開けた時、アーニャは見慣れない広間に立っていた。大理石の床に描かれた魔法陣は徐々に輝きを失い、青いインクで描かれたただの奇怪な模様になっていく。アライベルの王城に着いたのだ。

 アーニャ達を囲むように、侍女の一団がいる。おそらくアーニャ付きの使用人になった者達と、それとはまた別に手伝いに駆り出された者達だろう。


「お待ちしておりました、アーニャ様。王妃付き侍女頭、アリカ・ユイ・アルジェントと申します」


 彼女達を代表し、一人の侍女が恭しく膝を折った。背が高くすらりとした若い女だ。健康的な笑みからこぼれる白い歯が眩しい。背筋をすっと伸ばして露出の少ない侍女服をきっちり着こなしてはいるが、その笑顔のおかげか堅苦しさはあまりなかった。真面目そうではあるものの、怖いわけではなさそうでほっとする。


「さっそくお荷物をお運びいたします。何かご指示はございますか?」

「あっ、ありがとうございます。では、エバ……わたしの侍女を連れて行ってください。彼女なら、たいていの事はわかりますから」

「かしこまりました。ではエバ、こちらへ」


 短い説明ではあったが、アリカはエバが誰かすぐわかったらしい。アリカがエバに視線を移すと、エバは魔法陣から一歩足を踏み出した。使者団の中で侍女服を着ているのはエバのほかにもう二人ほどいたが、侍女服のデザインが若干異なるのですぐわかったようだ。

 ちゃんと紹介しておけばよかったかな、と一瞬後悔したが、エバとアリカはすでに自分達で挨拶を交わしている。どうやらその心配は無用だったらしい。

 荷物といっても、たいしたものはない。結婚祝いの品を除けば、衣装箱や生活必需品を詰めた箱が二、三あるだけだ。集まってもらった侍女達には申し訳ないが、これほどの人数はいらないと思う。


「シャロン、貴方も後でいらっしゃい。荷物を配り終わったらね」

「はっ、はい!」


 上ずった声を上げ、別の侍女が魔法陣から飛び出した。シャロンと呼ばれた侍女はもともとこちらの侍女のようだが、アリカに呼ばれたという事は彼女も自分付きの侍女になるのだろうか。

 二人の屈強な騎士がシャロンのあとに続いた。三人の共通点は、それぞれいくつもの包みを抱えている事だ。包みは華やかなものから地味なものまで様々だが、中身が何なのかは皆目見当もつかない。


「ミリリさん、リアレアさん。私は宰相閣下に報告をしてまいりますから、アーニャ様を陛下のもとへお連れしてください。陛下は客間でお待ちです」

「かしこまりました。ではアーニャ様、まいりましょう」

「ウィザー、ついでだから貴方もいらっしゃい」


 ミリリがウィザーに目をやると、ウィザーは表情を引き締めた。いつも能天気なウィザーが真面目ぶるなど珍しい事もあるものだ。面白いものが見られたと、思わずアーニャの口元が緩む。緊張が少し和らいだ気がした。


*


「アリカ様ー。荷物、少なすぎません? これじゃ運びがいがないですよ」


 一抱えほどの衣装箱を数人で運んでいた侍女の一人が不満げな声を上げた。一抱えといっても、衣装箱は一つしかない。確かに少なすぎるだろうな、とエバも心の中で同意する。さすがに結婚祝いの品はほかの使用人に運んでもらっていたが、アーニャの身の周りの品々はアーニャ付きの侍女の手だけで十分すぎるほどだった。

 アーニャは昔からあまりものを欲しがらない……というよりも、欲しいものがわからない子供だった。それは彼女が人からあまりものを与えられてこなかったせいであり、彼女の望みを誰も叶えようとしなかったせいだ。

 だからいつしかアーニャは求める事をやめてしまった。一国の王女という地位にありながら、いつも諦めたように笑う彼女の事がエバは不憫で仕方ない。せめてこの国では、もう少しわがままを言えるようになればいいのだが。


「はっ。こまけぇ事はいいんだよ。物なんざ、どうせそのうち我らが陛下がうんざりするほど贈りやがるさ。せっかく嫁ぎに来てくだすったお姫様をほったらかすなんざ、ヴィンダール様とアッシュ様が許さねぇからな。そうなれば、すぐにひいひい言う羽目になるぜ?」

(……あら?)


 なんだかありえないものが聞こえたような。今、アリカがずいぶん蓮っ葉な口調だった気がする。聞き間違いだろうか。


「あははっ、確かに!」

「だけど陛下って、そういうのに疎そうじゃないですか? ドレスも宝石も、よくわかってなさそう」

「それはあるかもね。これをきっかけに女心を学んでくれればいいんだけど」

「シェニラ様とかエリザレーテ様とかが口を出してくれれば少しはマシになるんじゃない? リット様とかルルク様とかもセンスよさそうだし」

「でも陛下って、“あっちの棚からこっちの棚まで全部くれ”、“目録に載っている商品、とりあえずここからここまで全部頼む”って素で言いそうよ? 甲斐性があっていいじゃない」

「やだー! どうせそれ、“面倒だから”か“わからんから”が枕詞につくやつでしょ? ロマンの欠片もないじゃない!」

「あ、やっぱりそう思う? 私も言っててちょっと思った」


 混乱するエバを嘲笑うように、侍女達が可愛らしい声で赤裸々なお喋りを始める。何か口を挟むべきだろうか。しかし四十手前のエバはここにいる侍女の中では最も年かさだし、今日この城に来たばかりなので一応新入りにあたる。その勢いについていけるわけがないし、ましてや止められるはずがなかった。頼みの綱は箱をいくつも重ねて先頭を行くアリカだが、彼女は何も言ってはくれない。


「せっかくの機会だし、ラヴァンカー商会の倉庫を空にしてやりましょうよ!」

「ばっか、そんな事したら城の金庫もすっからかんになるじゃない!」

「そこはほら、ミリリ様の色仕掛けでなんとか」

「あー、それならいけるかも。アルト様、絶対喜んで貢いでくれるわよ」

「いやいや、ルルク様のガードが入るでしょ。ミリリ様の色仕掛けなんて絶対無理だって」

「むしろ私はルルク様の色仕掛けが見たいかも。アルト様に、」

「こらケディー! 変な妄想はやめなさい!」

「巨乳だったら別にミリリ様でなくてもいいんじゃない?」

「わかってないなー。アルト様はただの巨乳好きじゃないのよ。ミリリ様だから好きなんだって」

「ちょっと待って、みんな。大事な事を忘れてるわよ。服飾品を取り扱ってるのは、アルト様じゃなくてイーゼ様でしょう」

「あちゃー。イーゼ様じゃあ色仕掛けは無理ね」


 女が十人近く揃えばかしましいを通り越した何かになる。さすがのアリカも振り返り、


「ほらお前ら、ぎゃーぎゃー騒ぐんじゃねぇよ。エバが引いてるだろうが」

「……え」


 荒々しい口調で注意した。エバは思わず絶句するが、侍女達は慣れているのかぺろりと舌を出すだけだ。

 

「ごめんなさーい」

「でもアリカ様、エバ様はアリカ様の猫が剥がれてる事に一番驚いてると思いますよー」

「ああ?」


 アリカはエバを睨むように見た。しかしすぐに得心したように頷き、


「心配すんなって。あたし達だって姫様の前じゃおとなしくしてるし、仕事もしっかりやるさ。姫様のいないところで素に戻るぐらいは大目に見てくれや」

「そ、そういう問題では、」

「こまけぇ事はいいんだよ。それよか、姫様の心配をしてやったらどうだ?」

「……どういう意味でしょうか」


 警戒心をあらわにして目を細めるエバに、アリカは口角を吊り上げる。


「あの可愛いお姫様、今頃陛下に泣かされてるかもしれねぇな?」


*


 柔和に微笑むリアレアに連れられ、アーニャは城内を歩いていた。磨き抜かれた大理石の床が眩しい。転移先として設定された場所は地下階だったらしく窓の類はなかったが、上の階に出れば夕日に照らされた庭園を窓から見る事ができた。あの広い庭園を散歩できたら気持ちよさそうだ。

 やがてリアレアはある部屋の前で足を止める。どうやらこの中に国王ディウルスがいるらしい。こほんと咳ばらいを一つし、ミリリがドアを叩いた。


「アーニャ様をお連れいたしました」

「……ああ、入れ」

「失礼いたします」


 滑らかにドアが開く。室内には三人の青年がいた。一人掛けのソファに腰かける青年と、彼から少し下がったところで両脇を固めるように佇む騎士服と侍従服の青年達だ。


「そなたら、大儀であったぞ。姫、よくぞいらした。我らアライベルの民は、クラウディスより来たる未来の王妃を歓迎しよう」


 侍従服の青年が優しく笑う。その笑顔はどこかリアレアに似ている気がした。髪と瞳の色が同じだから余計にそう見えるのだろうか。


「ヴィンダール。その台詞は陛下がおっしゃるべきものだぞ?」


 そう言って苦笑したのは騎士服の青年だ。カナリア色の髪と群青色の瞳のコントラストが目を引く。彼にたしなめられ、ヴィンダールと呼ばれた青年は小さく肩をすくめた。


「それは申し訳ない事をした。しかし我らが王は、夜の女神のあまりの美しさに黙り込んでしまっているのでな。代わりに言わねばと思ったまでじゃ」


 だが、そんな様子はアーニャの意識の外にある。彼女の視線は、黙したまま椅子に腰かける赤髪の青年に釘づけだった。彼こそがこの国の王、ディウルスなのだろう。


「ん……。ああ、悪かった」


 ヴィンダールの視線に気づいたのか、ディウルスはおもむろに立ち上がった。巨体が背後の窓を塞ぐ。マントを邪魔そうに払いのけながら、ディウルスはのそのそとアーニャに近寄る。

 大柄な男だった。身長差はアーニャの頭三つ分はあるだろう。アーニャは決して背が高いわけではないが、ディウルスがこの場の誰よりも大きい事を考えると基準(じぶん)が低すぎるわけではない、と思う。

 自らの近衛騎士であろう青年よりも屈強な王の眼光は鋭く、視線だけで人を殺す事ができてしまいそうだ。服の上からでもわかる筋肉は男らしさを通り越して野生の獣臭さを感じさせる。眉間から左頬にかけて走った深い刀傷は、歴戦の勇士の証であると同時に彼の迫力と威圧感を増加させていた。

 アーニャは身じろぎできなかった。目をそらしたくとも、あまりの恐怖に固まってしまってそれすらできないのだ。


「俺がこの国の王、ディウルス・ヴァン・アライベル・レッケンベーアだ。呼ぶときは好きに呼べ」

「ア……アーニャ・クラウディスと申します」


 声は上ずっていないだろうか。身体は震えていないだろうか。顔は青白くなっていないだろうか。上手に笑えているだろうか。この怯えを悟られてしまえば、それは不敬どころの話ではない。何とか隠し通さなければ。


「アッシュ、ヴィンダール。お前達は席を外せ。ミリリとリアレア、それとそこの騎士もだ。俺は姫と二人で話がしたい。お前達がいると口うるさくて敵わん」


(えっ!?)


 ぎょっとする。ディウルスと二人きりになって、恐怖に耐えられる自信がなかった。取って食われはしないだろうか。不安のあまり涙がこぼれそうだった。

 いや、彼は自分の婚約者だ。ゆくゆくは王妃として彼を支える事になるのだから、今からこの程度の事でつまずいていたら話にならない。

 それに、人は見た目で判断できないものだ。話をしてみれば案外優しい事がわかるかもしれない。何事も挑戦してみる事が大事です、とアーニャは心の中で呟いて自らを鼓舞した。


「……よろしいのですか?」


 リアレアの問いはアーニャに向けられたものだろう。アーニャはこくりと頷き、「わたしもお話ししたいと思っていました」と微笑む。そのおかげか、微妙に困っていたような側近達の表情が少し明るくなった。


「では、そのように。陛下、くれぐれも……」

「わかったわかった。そう何度も同じ事を言わなくていい。そういうところがお前達は面倒なんだ」


 おそらく彼がアッシュだろう。騎士服の青年は意味ありげな視線をディウルスに送った。ディウルスはそれを煩わしげに振り払い、さっさと出ていけと不機嫌そうに告げる。怒らせて大丈夫なのだろうか。しかし慣れているのか、側近達はすぐに部屋からいなくなってしまった。


「まあその、なんだ。とりあえず座れ。慣れない国に来たばかりで緊張するのはわかるが、そう気負う必要はないぞ」

「は、はい。失礼いたします」


 萎縮しながらもソファに座る。ソファはふかふかで柔らかかったが、その座り心地を楽しむほどの余裕はなかった。

 ディウルスもソファに座った。アーニャが部屋に来た時と同じ、一人用のソファだ。応接室にはその小さなソファのほかに向かい合って並べられた二つの長いソファがあるが、そこが彼の定位置なのだろうか。


「最初に言っておこう。これはお前を王妃として迎え入れるにあたって最も重要な事だ」


 そう言ったディウルスの目は真剣そのものだ。彫りの深い顔はみじんも笑っていない。アーニャも固唾を飲んで彼の次の言葉を待った。


「いいか、姫。余計な事は何もしなくていい。お前はあくまで飾りだからな」

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