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黙って笑え。それ以外は望まない  作者: ほねのあるくらげ
第四章

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告解

「……ああ、守られるだけのか弱いお姫様はやめたのね。それとも、最初からそんな過保護な扱いは望んでいなかったのかしら」


 ディウルスとともにやってきたアーニャを見てセレスティアはくすりと笑った。きっと彼女も知っていたのだろう。ディウルス達がアーニャを過剰なくらい神経質に扱っていた事を。


「で、今日は何の用? そんな真剣な目で見られても、あたしの頬が火照っちゃうだけよ?」

「なに、姫に自分の境遇を理解してもらおうと思ってな」


 ふざけるセレスティアには取り合わず、ディウルスは淡々と告げる。今日セレスティアのもとを訪れた具体的な理由は、実はまだアーニャも聞かされていない。口下手な俺より直接セレスに言ってもらったほうが早いから、そう言ってディウルスが譲らなかったのだ。自分に関係のある事なのだというのはわかるが、それにどうセレスティアが絡んでくるのだろう。


「ふぅん。……アーニャ、これから貴方にとっては話しづらくて聞きづらい話をするわよ? 嫌になったら部屋を出て行っても構わないから」

「いいえ、わたしは大丈夫です。ですから聞かせてください」


 けれどどんな話をされる事になろうとも、ひるむ理由はない。すべてを受け入れる覚悟はできている。アーニャの決意が固いと悟ったのか、セレスティアはそれ以上前振りを引き延ばそうとはしなかった。お茶を淹れていた少年を退出させ、セレスティアはじっとアーニャを見つめる。


「そう。じゃあ単刀直入に言いましょう。アーニャ、貴方は生まれた時から呪われてるわ」


 ああ、その事か。セレスティアの言葉を聞き、アーニャの心は不思議と凪いだ――――ついに真実を口にする時がきたのだ。


「……それは知っています。この目は呪われた証だと、」

「そういう概念的なものじゃないわよ。貴方は本当に、呪法魔術にかかってるの」


 セレスティアはアーニャの言葉を遮る。だが、アーニャは静かに首を振った。

 不義の果てに生まれた呪いの娘。母の報いを受けて生まれた子。人々はこの異形の目を見てそう言った。それはアーニャにとってはいわれのない中傷ではあるが、そのすべてを嘘だと断じる事はできない。


「――ですから、知っています。悲劇の王妃サリエッタ様はその命をもって自分を陥れた者達を呪いました。わたしは……いえ、わたしの瞳はその象徴です」

「「……え?」」


 背後で重なった呆然とした声はエバとウィザーのものだ。きっと彼らはアーニャが知っているとは思っていなかったのだろう。振り返る事もせず、アーニャは自嘲気味な笑みを浮かべる。


「わたしの母、現クラウディス王国第三王妃のネルは不貞の罪を犯しました。すでに三人の妃を娶っていた王を誘惑し、自分も王妃の一人となるべく自分の女主人であった元第三王妃サリエッタに濡れ衣を着せて処刑させたのです」


 クラウディス王国では、王妃と呼ばれる地位になれるのは三人までだと決まっている。それ以外の側室はただの愛人で、公的な権力などないに等しい。かつてサリエッタの侍女だったネルは国王に見初められたが、彼女は側室という立場で満足できる女ではなかった。だから彼女は女主人を裏切り、その身に王の子を宿し、そして女主人を追いやる事で新たに第三王妃の座に座ったのだ。


「けれどサリエッタは生まれつき強い力を持つ魔術師で、恐らくクラウディス一と言っていい実力の持ち主だったんです。ネルは、サリエッタを反逆の意思を持つ魔女として糾弾しました。それを自分に対する挑戦と受け取ったサリエッタは、ネルのお腹の中にいた子供を媒介にして強い呪いの魔術をかけたんです。それがわたしです。だからわたしは生まれつき呪われていますし、その呪いをもって周囲を不幸にしてきました」


 しばらくの間誰も何も言わなかった。アーニャとともに教会についてきたのはエバとウィザーだけだが、ディウルスはアッシュとルルクを連れている。けれど誰一人として口を開かず、驚いたような目でアーニャを見ている。セレスティアさえそうだった。


「……お前は本当に、知っていたんだな」


 最初に沈黙を破ったのはディウルスだった。アーニャは小さく頷く。

 寝苦しい夜はいつだって恐ろしい何かが上にのしかかっていた。あれは無実の罪で処刑されたサリエッタの亡霊だ。首を絞めて、憎しみを語って。幼いころからそうだったのだ、その内容は嫌でも覚えてしまう。


「毎夜毎夜、恨み言を聞かされていましたから。この国に来てからは、それもほとんどなくなりましたけど……もしかして、なんらかの守護の魔術が働いていたのでしょうか」


 側近達を見ると、ルルクが小さく反応した。やはりそうだったらしい。となると、彼からもらった夜心香の力だろうか。


「いつから……いや、どこまで知っているんだ?」

「わたし自身にいくつかの呪いがかけられている事、それは今まで色々な人を不幸にしてきた事、わたしが死ねば祖国も滅ぶと信じられている事、その勘違いのおかげでわたしの命は守られていた事、けれどすべての呪いは他国では効き目がない事。……サリエッタ様の呪いについてなら、大まかな把握はしている……と、思います」


 汚い手段を使ってまで得た王からの愛を早々に失い、離宮で病に倒れて孤独に死んだ母。約束されていたはずの出世が何故か叶わず、左遷されたり不慮の事故に見舞われたりした重臣達。アーニャが生まれてから国と民を襲ってきた数々の災害。すべてアーニャにかけられた呪いのせいだとは言えないが、そのほとんどにサリエッタのかけた呪いが一枚噛んでいる可能性は否定できない。

 比喩でも何でもなく、アーニャは本当に呪われている。その事を知っている人間は少ない。けれどその奇異な瞳と血なまぐさい出自ゆえに、すべての不幸はアーニャのせいにされていた。だから人々は次第にアーニャを疎み遠ざかり、すべての真実を知る王や一部の重臣の警戒も相まって隔離の用意が整っていく。

 何も知らない人々が噂する、呪われた目を持つ姫君の話。それはある意味では真実で、だからこそ呪いに巻き込まれて不幸になる犠牲者を―アーニャが行動を起こさずとも―抑える事ができた。そもそもアーニャがサリエッタの呪いを自覚したころにはもう、アーニャに好んで近づくのは何故か呪いが効かないエバとウィザーしかいなかったが。


「……俺達は、いらない気ばかり回していたという事か。俺達はお前を何も知らない哀れな女だと思い込み、お前を傷つけまいという名目でお前から真実を遠ざけていた。そしてお前も、真実を知っていたにもかかわらずその茶番に付き合ってそんな女を演じていた、と」

「陛下、そのような言い方は、」

「構いませんよ、アッシュ様。事実ですもの」


 咎めるアッシュをアーニャが遮る。そのやり取りで自分の言葉がきつかった事に気づいたのか、ディウルスははっとした顔をしてもごもごと弁明の言葉を口にする。


「すまん、悪気はなかった。もっといい言い方があっただろうに……これだから俺はだめなんだな」

「陛下が謝る事ではありません。むしろ謝るべきはわたしのほうです」


 アーニャはすくりと立ち上がった。背後に控える側近達に頭を下げる。顔を上げるよう声が飛んできても、アーニャはそれには従わなかった。


「……ごめんね、エバ、ウィザー。わたし、本当は全部知っていたの。あなた達の……いいえ、アライベルの皆さんがしてくれた気遣いも含めて、わたしは全部無駄にしてしまっていた」

「姫様……」

「そんな、じゃあ、自分達がしてた事は……」


 クラウディスにいたころにはエバとウィザーが、それに加えてアライベルに来てからはディウルスと新しい側近達が。いつだってアーニャを守ってくれていた。アーニャがすべて知っているなど知りもしないから。だからアーニャは言えなかった。自分のためにわざわざ心を砕いてくれている事は申し訳なかった――――けれどそれ以上に、どうしようもなく心地よかったから。

 自分が何かしたわけではないのに、生まれつき呪いという名の枷を押しつけられて。いつだっていないもののように扱われて。罪悪感と自責の念しか持つ事を許されなくて。少しぐらい自分の事を考えてくれる人がほしかった。自分のために何かしてくれるごく一部の例外(エバとウィザー)に、離れていってほしくなかった。だから理由が必要だった。彼らが傍にいてくれる理由が。

 嘘はついていない、と思う。彼らの気遣いを否定したり、己の呪いについて積極的に口にする事をしなかっただけだ。アーニャに対する気遣いからか、彼らは呪いについて言及しようとはしなかった。だからアーニャもそれに合わせ、きっと彼らがしているであろう勘違い――――アーニャは無知で無力でか弱い存在だ、という彼らの思い込みを利用した。

 今それを打ち明ける事にしたのは、呪いの話を直接セレスティアに言われてしまったからだ。きっと遅かれ早かれセレスティアは伝えただろう。アーニャにかけられたサリエッタの呪いについて。それを「知らなかった」事にすれば、嘘になってしまう。それはできない。呪いについて自分から喋らない事(気づいていないふり)はできても、呪われていると思わなかったと言う事(知らなかったふり)まですればぼろが出るだろう。だから先手を打つ事にした。最初からすべて知っていたと、白状する事にした。

 それに、アーニャ自身が無償の献身に耐え切れなくなっていた、というのもある。何もせずとも傍にいてくれる事を望んでたけれど、きっと理由がなければ誰も傍にいてくれない。彼らが尽くしてくれる限り、尽くす理由がある限り、自分から離れていく事はないだろうが、“自分達がいなくてもアーニャは一人で大丈夫だ”と判断した途端、彼らはどこかへ行ってしまうだろう。けれどアライベルの王妃として、彼らに胸を張れる自分になるためにはこの関係を断たねばならないと思った。彼らが思い込んでいた“か弱い姫”と、これからアーニャが目指す“強い王妃”は決して相容れない存在なのだから。

 滔々と語るアーニャの告白を、誰もが黙って聞いていた。きっとこれですべてが終わってしまうだろう。向けられるのは軽蔑の眼差しか。けれどこれでいいような気がした。これで重荷が一つとれるのだから。


「わたしがどれだけ卑怯な女か、これでわかっていただいたと思います。……わたしはあなた達の心を踏み躙って利用していたんです。ですから、これ以上の弁明はしようとも思いません。どんな非難も甘んじて受け入れましょう。国に帰れと言うのなら、」

「それがどうした? いいから頭を下げるのをやめてくれ。いつまでもそんな姿勢でいられたら困るんだ」


 その言葉と同時に、くい、と顎を持ち上げられた。ディウルスだ。言葉で言ってもわからないと思ったのだろうか。ディウルスを咎めるような声がルルクとアッシュから漏れる。彼らに向けて「他にどこを掴めばよかったんだ……髪を引っ張らなかっただけましだと思え」とぶつぶつ言いながらもディウルスはぱっと手を離した。アーニャから目をそらしながらディウルスはひとりごつ。


「姫は案外したたかな娘だったんだな。人は見かけによらないという事がよくわかったぞ」

「……」


 アーニャは小さく唇を噛む。確かにディウルスの言う通り、この見た目はとても頼りなくて弱々しいものだ。何もできない、何も知らないと思い込んでしまうのも無理はないだろう。アーニャもその思い込みを逆手に取っていたので、真実が暴かれた今反論できる事などなかった。


「かけられた呪いやお前に取り憑く魔の物についての説明はセレスにさせたほうが早いと思って、ここまで来たんだが……セレス、悪かったな。忙しいところ無理に予定を空けさせてしまった」

「まったくね。今度からはちゃーんと話し合ってからにしなさい」


 ぽりぽりと頬を掻くディウルスにセレスティアは苦笑を向ける。彼女はちらりとアーニャを見て、小さい声で呟いた。


「ま、あたしも自分の見る目のなさには反省したいところよ。……ごめんね。貴方の事、ちゃんとわかってあげられればよかった」

「……え?」

「姫。俺は前に、お前の事がさっぱりわからんと言っただろう?」


 アーニャが聞き返すより早く、ディウルスが口を開く。アーニャを見下ろす赤い瞳は相変わらず威圧感に溢れていたが、決して冷たいものではなかった。

 彼が言っているのは、ニーケンブルク宮殿に滞在していた時の事だろう。劇場に赴く馬車の中でそんな事を言われた記憶があった。


「あれから日が経ったが、少しお前の事がわかった気がする。俺が口下手なのと同じように、お前の場合は生きるのが下手なんだな」


 ぽん、と乗せられた手は大きくて温かい。繊細なレースの青いリボンで編み込まれた髪型を崩さないように力加減に気をつけているのか、アーニャの頭を撫でようとする手つきは少しぎこちなかった。


「細かい事は気にするな。余計な気を使うな。もっとわがままになれ。他人を振り回すぐらいの勢いでいい。……いいか、そう何度も言わせるな。言いたい事があるならはっきり言え、この国では無理をするな――お前がどんな人間であれ、俺はそれを受け入れる」

「あ……え……で、でも……」

「……冗談じゃないっす」


 ディウルスの言葉に困惑するアーニャの意識を引き戻したのは絞り出したような声だった。睨むように鋭いウィザーの瞳がアーニャを射抜く。


「自分達の忠義は、そんなもんだって思われてたんすか!? ちょっと隠し事してたら幻滅する程度のものってぐらいに!? ふざけないでほしいっす! そんな程度で姫様から離れていくわけないじゃないっすか! 大体、姫様にお仕えするのに理由なんていらないんすよ! 自分もエバさんも、姫様のためなら命だって惜しくないっす! それなのにわかってもらえなかったなんて……自分達の事を信じてくれてなかったなんて、いくら姫様でも許せねぇんすけど!?」

「姫様。たとえ姫様がどう思っていらっしゃろうと、私達は最初から姫様に生涯を捧げるつもりでした。姫様は、自分が真実を知っていた事が暴かれれば私達が貴方から離れていくとお思いのようですが、そんな事では私達が職を辞す理由にはなりませんし……そもそもこの調子では、姫様にはまだまだ私達がいなければならないようですけどね?」


 兄のような騎士の。母代わりだった侍女の。誰よりもアーニャの傍にいて、誰よりもアーニャを守ってくれていて、誰よりもアーニャに無償の愛を注いでくれていた二人の諭すような叱咤は思いがけないほど優しい言葉だった。


「そもそも、アーニャ様が気に病む事はないのではありませんか? 子供は無条件で愛されていいんです。それを信じられないまま育ってしまったかたがいるのは悲しい事ですが……だからこそ、使う手段がどうであれ、愛情を確かめる行為と愛情を繋ぎ止めようとする行為を咎めるのはきっと誰にもできません」

「そうそう。昔は僕も姉さんも、祖父(じい)様の気を引きたくて色々やってたんだ。アーニャのやってた事なんて、あれに比べれば可愛いものさ。……人の善意に縋った程度の君が罪悪感なんて覚えてたら、縋るどころかそれを蹴っ飛ばしてまで人様に迷惑しかかけなかった僕らはどうなるんだって話だしね?」


 アッシュに賛同するように、ルルクはそう言ってへらへらと笑う。きっとこちらが素の口調なのだろう、口調の切り替えとそれを咎める者がいない事に何か意味はあるのだろうか。


「お前の呪いはもうセレスが解いている。お前に取り憑いている魔の物……サリエッタの悪霊だったか? あれは完全に祓えたわけではないそうだが、もうお前に悪さはしないだろう」


 そうだな? というようにディウルスはセレスティアを一瞥する。セレスティアがこくりと頷いたのを確認し、ディウルスは言葉を続けた。


「お前がどこにいようと、アライベルはもちろんクラウディスが不幸に見舞われる事もない。俺達もお前に気を使って余計な隠し事をしなくていいし、お前も気づいていないふりをする必要もないんだぞ。……それでいいだろう? お前が苦しむ必要がどこにあるんだ」

「……本当に、いいんですか?」

「ああ。それともお前は納得できないのか? まさか俺達から責められて拒絶されたかったなんて、寝惚けた事を言い出すわけじゃないだろう?」


 眉間にしわを寄せて尋ねられ、アーニャは慌ててふるふると首を横に振る。何か言おうと思って口を開いた。けれど言葉は声にならず、嗚咽となって涙とともに出る。しゃくりあげるアーニャを見下ろしながら、ディウルスはそっと彼女を抱き寄せた。


「お前は俺に真実を伝え、俺もお前に真実を伝える。ようやく互いの背負うものを共有できる準備が整った。比較対象なんぞいないからこれが長いのか短いのかはよくわからんが、これでもうなんの引け目も遠慮も感じる理由がなくなったわけだ。……これでやっと対等になったな」


 柔らかな絹の服越しに筋肉の固さが伝わってくる。それをもっと感じられるように、アーニャはディウルスのたくましい身体に細い腕を回した。


「アーニャ、これで正々堂々お前に惚れる事ができる。だからお前も、どうか俺に惚れてくれ」

「わっ……わだじで、よげればぁ……ディウルズ、(ざま)ぁ……」


 涙と鼻水まみれの顔はお世辞にも美しいとは言えない。無理に絞り出した声は醜く上ずり震えていた。気の利いた返しなんて思いつかないし、この想いを正確に表す事だってできない。けれど今はこれでいいのだと、ディウルスの力強い腕が教えてくれていた。

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