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一抹の不安

「おかえりなさい、姫様!」

「使者様がたのご様子はいかがでしたか?」


 自室に帰ってきたアーニャを迎えたのは、能天気に笑うウィザーと心配そうなエバだった。普段と変わらないその様子にほっとしながら、アーニャは口元を綻ばせる。目元はもう潤んでいないはずだ。化粧も直した。大丈夫、泣いてしまった事は二人にだって気づかれていない。


「ただいま戻りました。……エバ、心配しないでくださいな。向こうの国の方々は、みなさん優しそうでしたよ。とても友好的な雰囲気でしたし、何も問題はありません」


 宰相補佐官さんがとても怖かったです、とはとても言えない。そんな事を言えば、エバにまた余計な心配をかけてしまう。ウィザーも不信感を抱くだろう。アーニャの勝手な心情で、アライベル王国の要人との間に溝を作るわけにはいかない。

 本当に謁見の間に友好的な空気が漂っていたのか、そんな事はどうだってよかった。重要なのは、異国の地についてきてくれる二人を不安がらせない事だ。それに、もしもまだアライベルとクラウディスが友好的な関係が築けていないのなら、王妃である自分がその架け橋になればいい。特別問題視するような事など何もなかった。


「アーニャ様、いらっしゃいますか?」

「はい?」


 ふとドアがノックされる。聞こえてきたのは、聞き覚えのない若い女の声だ。思わず返事をしたものの、来客の心当たりはなかった。ちらりとエバに視線を送ると、エバは考え込むように視線を落とす。


「……もしかしたら、アライベルの使者様かもしれませんわね。姫様に顔合わせをしに来たのかもしれません。ウィザー、何か聞いている?」

「あっ! そういえばさっき、連絡が来たっすよ。アライベルでの姫様付きの側近が、姫様のところに挨拶に来るって」

「なんですって? 連絡事項があるときはちゃんとわたくし達に伝えなさいと、あれほど言ったでしょう!」


 ウィザーは肩をすくめながらエバの小言を聞き流し、わずかにドアを開ける。二言三言のやり取りのあと、来客が招き入れられた。

 やってきたのは二人の女だった。年はどちらもアーニャより少し上ぐらいだろう。一人は落ち着いたデザインのドレスを纏っていて、もう一人は腰に剣を佩き騎士服に袖を通している。赤みがかかった金髪をポニーテイルにした騎士服の女は、猛禽類のように鋭い眼差しをアーニャに向けた。一切の感情が宿っていない氷のような美貌はその迫力を増幅させていて、思わず身がすくんでしまう。


「このたび王妃付き近衛騎士隊隊長に任命されました、ミリリ・レシェル・ストレディスと申します。こちらは女官長のリアレア・ベル・レート。以後、お見知りおきを」

「アーニャ・クラウディスです。これからよろしくお願いいたします」

「こちらこそ。アーニャ様にお仕えできて、光悦至極に存じます」


 次に口を開いたのはリアレアだった。黒檀の瞳は柔らかく細められている。リットといいミリリといい、アライベルの人間はみな威圧感を放っているとばかり思っていたが、リアレアのように穏やかな雰囲気の者もいるらしい。そういえば、謁見の間で目が合った眼鏡の青年も人当たりのいい笑みを浮かべていた。よく考えてみれば、全員が全員恐ろしいわけがないのだ。

 場を取り繕うよう曖昧な微笑を浮かべながら、アーニャはエバとウィザーに目をやった。二人の事も紹介したほうがいいだろうか。


「あの、こちらはわたしの侍女のエバ・アンスと、近衛騎士のウィザー・メルです。二人には、わたしと一緒にアライベルに来てもらう事になっています」

「……ええ、聞き及んでおりますわ」


 一瞬の沈黙は、何か意味があったのだろうか。リアレアの表情は笑顔のままだし、ミリリは最初から鉄仮面をつけたように無表情だ。リアレアの、今のためらいの裏に隠された感情を読み取る事はアーニャにはできない。


「エバ。不本意でしょうが、貴方は本国で待っている侍女頭、アリカの下についていただきます。ウィザーはミリリの指揮下に入ってくださいませ」

「不本意だなど、滅相もございません。当然、そうさせていただく所存でございます」


 エバは恭しく一礼した。アライベルにはアライベルのしきたりがある。アライベルに嫁ぐアーニャについていくとはいえ、今までのように彼女に仕える事などできない事はエバもはじめから承知の上だ。だが、ウィザーは納得できないらしい。


「姫様の事を一番理解しているのは自分達っす。そう簡単に、あんた達に任せる……むぐっ!」


 すかさずエバに口を塞がれ、ウィザーはじたばたともがく。アーニャは思わずため息をついた。ウィザーの不用意な一言でミリリとリアレアの機嫌を損ねれば、それがアライベル国王の不興を買う事に繋がるかもしれないのに。それがわからないウィザーではないだろうに、どうして軽はずみな事を口走ろうとしてしまったのだろう。


「……お二人とも、お気になさらないでください」


 思わず身を縮こまらせると、リアレアは気にしていないというようにくすりと笑った。ミリリは射抜くような視線をウィザーに向けていたが、一言も言葉を発しようとはしない。しかしそんな彼女には目もくれず、リアレアは言葉を続ける。


「王妃付きの侍女と女官、近衛騎士はそれぞれ十人ほど用意しております。もちろんこれは最低人数ですので、アーニャ様がお望みならば増やしていただいても構いません」

「え? 十人も?」


 きょとんとしながら聞き返す。その瞬間、エバの顔がこわばった。ウィザーも苦々しげに顔をしかめる。だが、二人はアーニャに背を向けていたので、彼女はそれに気づかなかった。


「はい。陛下の判断により、女官と侍女はなるべくアーニャ様と年の近い者を、そして騎士は近衛騎士団の中でも腕の立つ者を選ばせていただきました」


 淡々と告げるミリリに、アーニャは困惑の色を隠せない。自分にはそれほど多くの従者はいらないのだ。そう言おうと思って口を開くと、すかさずエバが振り返って発言を目で制してきた。どうやらずっと仕えてくれている侍女は、主人の心情などお見通しだったらしい。

 しょうがないのでおとなしく口をつぐむ。三十人ほどの人間にかしずかれるなど、生まれて初めての経験だった。自分の周りには、いつも数えるほどの従者しかいない。その顔触れもころころと変わる。通算で仕えてくれた者達の数ならクラウディス王族の中で自分が一番多いだろうとは思うが、そのほとんどが一時的な側近だ。早い者は一日と経たず自分のもとを去っていく。だから今までの側近の中で、アーニャが顔と名前を覚えられたのはエバとウィザーぐらいだった。それが急に三十人を従える事になるとは。

 とはいえ、これもいい機会だろう。今まで身の回りの事はエバに任せていたが、自分でもある程度ならできる。命を狙われるほどの事はされないため、騎士もウィザー一人で事足りた。だが、それは二人にとって負担だったのかもしれない。なら、側近の数が増えるのは喜ばしい事ではないだろうか。


「わかりました。ディウルス陛下のお気遣い、心より感謝いたします」


 アライベル王の名を口にして、アーニャははたと気づいた。そういえば、彼の事をよく知らない。知っているのは名前ぐらいだ。

 もともと国交がなかった国の王だし、このひと月は何かとばたついていた。父王の決定に逆らえるはずがないし、同盟を結ぶための婚姻なのだから個人の事情は不要だと割り切っていた事もある。それでつい彼の事を知るのがおろそかになってしまったのだが、そろそろ彼の話を聞いてもいいかもしれない。


「ところで、ディウルス陛下はどのような方なのですか? アライベル王国の方から見た、陛下の事が知りたいのですが」


 おずおずと切り出す。リアレアの柔らかな笑顔が一瞬固まったように見えたが、見間違いだろうか。


「ディウルス陛下はとても勇ましく、そして正直で誠実なお方です。陛下は王の中の王であり、騎士の中の騎士ですから」

「ええ。ミリリのおっしゃるとおり、陛下はとても素敵な方です。あの方のもとに嫁げるアーニャ様がうらやましいくらいですわ」


 そっけなく返したミリリに追従するように、リアレアがそう茶化す。やはり気のせいだったらしい。

 どうやらアライベル国王ディウルスは悪い相手ではなさそうだ。アーニャはほっと胸をなでおろした。


「いいえ、うらやましいのは陛下のほうかもしれません。このような可愛らしい姫君を妃として迎え入れる事ができるんですもの」

「そ、そんな……。わたしなんてまだまだですよ。リアレアやミリリのほうが、よほど女性的で……その、とても美しいと思います」

「ご謙遜を。わたくし達ではアーニャ様の足元にも及びませんわ。ねえ、ミリリ」

「そうね。アーニャ様はとても愛らしくていらっしゃるから。さすがは『夜の女神』と称えられるお方だわ」

「当然っす。うちの姫様は世界一っすからね」


 ほう、とリアレアは感嘆のため息を漏らす。ミリリも小さく頷いた。何故かウィザーが胸を張っているが、とうのアーニャはもじもじとしながら俯く事しかできない。エバやウィザー以外の人間に何かを褒められたのはいったいいつ以来だろうか。恥ずかしさのあまり顔が熱くなり、頭がぼうっとしてくる。慣れない事に混乱しているのだ。


「……生贄の仔兎とはよく言ったものね。これじゃ、本当にそうじゃない」

「え?」


 ――――だからアーニャは聞き取れなかった。ミリリがなんと言ったのか。

 思わず視線を向けるが、ミリリはすっと目をそらして口をつぐむだけだ。リアレアの咎めるような眼差しを涼しい顔でかわし、ミリリはわざとらしくそっぽを向いて腕を組む。


「あら、どうしたの?」


 ふと、彼女の視線が中の一点に固定された。何もないところを見つめ、ミリリは小さく頷く。


「……そう。わかったわ、ありがとう。ルルクによろしく言っておいてちょうだい」


 一体何をしているのだろう。きょとんとするアーニャには目もくれず、ミリリはリアレアに囁いた。


「リアレア。少し早いみたいだけど、準備ができたらしいわよ」

「わかりました。ではアーニャ様、こちらにどうぞ。転移の陣へご案内いたします……といっても、城内の事はアーニャ様のほうがお詳しいとは存じますが」

「そうですね。城内で転移の陣を描けるような場所といえば、友好の間でしょう。他国からいらっしゃった使者様は、みなさんそこから出入りしますから」


 くすくすと楽しげに笑うリアレアに、思わずアーニャの口元にも笑みが浮かぶ。アライベルの使者達は転移魔術を使ってクラウディスにやってきた。クラウディスの王城内で転移魔術の魔法陣を張る事が許可されているのは友好の間だけだ。いくらアーニャでも生まれ育った場所の間取りはわかる。


「行きましょう。みなさんをお待たせするわけにはまいりませんし」


 エバとウィザーを伴い、アーニャは部屋を出る。ミリリとリアレアも三人のあとに続いた。


「……どういうおつもりですか、ミリリ様。アーニャ様には興味がないと……」


 前を行く三人に聞かれないように、リアレアは声を抑えてミリリに問う。その声音にはわずかな非難の色があった。しかしミリリはどこ吹く風だ。


「ええ、興味はないわ。私はただ、思った事を言っただけよ。……貴方も知っているでしょう? 私、考え事はつい口に出てしまうの」


 そう言って、ミリリは獰猛に笑った。紫の瞳は猛禽類のように鋭く、まっすぐにアーニャの背中を射抜いている。


「可哀想なお姫様。リアレアと違って、私は嘘は言っていないのよ? 陛下はとっても()()()()()な方ですもの――恨むなら、貴方を売ったお父様を恨んでね?」

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